« 二兎を追うものは | トップページ | 戦争責任(2) »

2022年9月28日 (水)

戦争責任(1)

 私としてはかなりゆっくりと『臼井吉見集』という評論集を読んでいる。そういうことがあったのか、とか、確かにそうだなあ、と思うことが多々あって、読み飛ばせないのだ。筑摩書房を起こした一員として、そして戦後すぐに雑誌『展望』の編集人として携わってきた臼井吉見だったが、『展望』もついに休刊のやむなきに至る。その休刊の弁を語る文章の中に、戦争責任について書かれていて、私が日ごろ思うところと重なるものがあった。

 

腹の虫がおさえかねたのが・・・で始まる以下の文章

 

「戦争に負けてからは、戦争中とは別の角度から、相変わらず、国民をおだてるような言論が始まっていた」

 

「映画監督の伊丹万作(伊丹十三の父・引用者註)が、敗戦の翌年の夏、戦争責任の問題について書いていた。僕などの考えていたことが、実にはっきりと書かれていた。多くの人が今度の戦争でだまされたという。では、誰がだましたか?軍や官や資本家だという。軍や官の中では、上からだまされたという。すると、最後に残る一人や二人によって、一億の人間がだませるはずがない。このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばからしさや、さては町会、隣組、警防団、婦人会など、民間の組織がいかに熱心に自発的にだます側に協力したかを思い出せばはっきりする。脚絆を蒔かなければ、外を歩けないような滑稽なことにしてしまったのは、軍でもなければ官でもなく、まして資本家なんかではなかった、われわれ国民自身・・・隣組であり、警防団であり、婦人会であり、学校だった」

 

 連想するのは、石油パニックのとき、トイレットペーパーや洗剤を買いあさり、メーカーや商社を糺弾し、備蓄の倉庫を無理やり開けさせて、「ほらここにある!」と叫んでいた主婦たちとそれを報じるマスコミだ。朝ドラの『ゲゲゲの女房』で、子供たちのわずかな小遣いで楽しめる漫画の貸本屋に押しかけ、作家である水木しげるの家に押しかけ、まなじり決して「漫画のような不良図書は許さない」と、極悪非道を行うものとして糺弾していた主婦たちだ。『チビクロサンボ』を書店、学校、図書館から駆逐した正義の人たちだ。

 

 戦前も戦後もおんなじなのである。本当に誰かがだましたのか。だまされたから自分に責任はないのか。

 

「戦争の期間を通じて、誰がわれわれを直接に連続的に圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかといえば、近所の主婦であり、大工であり、小商人であり、百姓であり、小役人であり、労働者であり、会社員であり、教員だった。ことごとく身近な人たちだったのだ。これらは、そのメンタリティにおいて、ことごとく軍であり、官であった。一億官僚だったのだ。国民同士がたがいに監視し合い、密告し合い、苦しめ合った。新聞や雑誌やラジオや学校がそれを助長する役割を積極的にはたした」。

 

 長くなったので次回につづける。

« 二兎を追うものは | トップページ | 戦争責任(2) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 二兎を追うものは | トップページ | 戦争責任(2) »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ

ウェブページ