« トイレの写真 | トップページ | 書かれた言葉 »

2022年9月 8日 (木)

デジタル不死 

 カナダ制作の『デジタルな不死を探して』というドキュメンタリーを見た。自分自身を完璧にコピーすれば永遠に生きられるという発想は、SFでいろいろ語り尽くされてきたテーマだが、現実がそれをあたかも可能にしそうな時代になったかのようだ。コピーが自分自身であるかどうかを論じると、わけがわからなくなるので、それはここでは問わないことにして、はたして自分のコピーとはいったい何かということははっきりしておかなくてはならない。

 

 「マインドファイル」という命名で、個人の情報をとことん詳細完璧にデータとして集積するという商売を考えた会社があるらしい。その会社の経営者だか技術者が「魂はデータだ」と語っていた。驚くではないか。魂とは何か、どこに存在するのか、哲学者や宗教家をはじめとして、多くの人が考えつづけた難問が、なんと明快に解明されたことか。

 

 しかし魂はデータか?

 

 養老孟司はデータ(情報)は不変のものだという。だからこその永遠が可能とも言えるのだが、人間は時々刻々、日々変化する存在だ。その人間のコピーとはいつの「私」であるのか。十年前の私と、いまの私は同じ私か。「頼朝公七歳の時のシャレコウベ」なんて見世物があったというが、どう違うのか。変わるものを変わらないものの集積で再現できるというのか。

 

 データの集積であるコピーは感情を持つのか。彼は思い出を持つのか。思い出と記憶とは同じものか。無限にデータを集積すればいつかは完璧なコピーが可能で、「私」が再現できるというのは間違いではないのか。

 

 脳の働きというのはただのデータ処理に還元できるのか。経験の記憶とは何か。AIは経験することが可能か。

 

 こうして考えているうちに、そもそも不死とは何かがわからなくなってしまった。不死が本体の私が死なないということなら、コピーした「私」は永遠に私自身ではないにちがいないのだから、それは私が不死であることではないことだけは確かなことだ。

« トイレの写真 | トップページ | 書かれた言葉 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

おはようございます
確か東大かどこかの教授ですが、意識のバックアップを取る研究をしていて、そのモチベーションというのが「死ぬのが怖いから」だそうです。
私としては認知症などで意識が壊れた状態のものを残されるほど悲惨なものはないと思います。また、この教授の死生観を見ると「情けない奴だ」と思わざるを得ません。そんなグロいものを求めて何になるのでしょうか?人というのは死という終わりがあればこそ生きて行けるものだと思いますが・・・。
では、
shinzei拝

shinzei様
自分が生きていたという証を残したいという欲望が商売になる時代になったという感じを受けました。
そういうものが不死という言葉につなげられることで、死を恐れる気持ちを増幅させて商売につなげているのでしょう。
いつかはそういうことが意味を持つのかもしれませんが、自分のデジタルデータを残すことが不死として語られるのは、ただの物語に思えます。
残された人にとっては思い出をよみがえらせる助けにはなるかもしれません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« トイレの写真 | トップページ | 書かれた言葉 »

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ

ウェブページ