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2022年10月

2022年10月31日 (月)

残忍な親心

 オーナー・トレーシーというイギリスの婦人記者が、戦後すぐの1948年(昭和23年)に日本にやってきて、八ヶ月滞在したあとに、帰国してから日本見聞記を書いて出版した。そこから臼井吉見が引用している。

 

「占領の目的は昔のように、敵を抑えつけて武装解除をさせたり、損害賠償をさせたりするのではなくて、被征服者の生活態度をすっかり征服者の生活態度に見倣わせるように、作り直すことであった。それはお手柔らかな方法であると同時に、かつて一度も試みられたことのないほど、ひどく残忍な方法だった。宗教、芸術、出版、教育、法律、家風など、何一つとしてこの侵入者の親心をまぬがれることはできなかった」

 

 これについて臼井吉見は以下のように書いている。

 

 この侵入者の「残忍な方法」が日本に呪うべき残虐の跡だけをとどめたとは僕は思っていない。日本の手にまかしておけば、あるいは何百年たってもできそうもないような改革を無造作にやってのけたこともずいぶんある。むしろもっと徹底してやってもらいたかったこともどっさりある。しかし、すくなくとも教育の方面については、「残忍な方法」をせっかちに適用したという、イギリス婦人記者の観察は正しいと僕は思う。

 

と述べた後、

 

歴史や地理の授業を禁じたごときは、もっとも残忍なものといってよい。日本人の歴史や日本人の住む地域について何一つ知らせないというのでは、これ以上残忍なことはない。

 

と書いている。そこには具体的に彼が出会った小学生達とのやりとりから、どんな知識を持ち、どんな知識がないかが述べられている。

 

 占領軍(進駐軍)の意向に最も忠実だったのは日教組だったのではないか。そうして日本の近現代史は、戦後ほとんど教えられることがないまま現在に至っていて、日本の若者は日本の歴史を知らないまま、他国のプロパガンダを安易に信じ込まされている。無知ほど刷り込みはたやすいのだ。教えられなければ自ら学べよ、と思う。

映画『クライ・マッチョ』

 2021年、クリント・イーストウッド監督・主演映画。イーストウッドは1930年生まれだそうだから、この映画を監督して出演したときには91才である。監督50周年、40作目だという。驚異的というしかない。

 

 矜持ということを教えてくれる。男の強さというのは、暴力的に強いということではない。

 

 主人公は、昔世話になった元雇い主である牧場主から、メキシコにいる14才の息子を連れてきて欲しいと頼まれる。不本意だが、借りを返さなければならない。その少年を母親の元から連れ出し、追っ手からのがれながらの旅がはじまる。少年は次第に主人公のものの考え方、男の生き方というものを学んでいく。これはロードムービーでもある。

 

 映画を観たあとに好い気持ちにさせてくれる。マッチョはメキシコのスペイン語で、男らしい、とか力強い男性のことをいうが、この映画では少年が大事にしている闘鶏の雄鶏の名前でもある。

混雑

 もともと人混みがきらいだけれど、歳とともにイベントや祭りを見に行きたいと思わなくなった。混雑する状態が苦手である。祭りは見に行くものではなく、参加するものだと思うけれど、どの祭りも私が参加するものではない気がする。私は祭りに参加している人から見れば部外者であると思うからだ。

 

 いま祭りもイベントも、多くが見に行くものになっている。見に行くことが参加することだと思う人がそこへ押しかける。見に行ったことを人に自慢するために行く。そんなことをいうなら、紅葉を見に行ったことをブログに書くお前だって一緒ではないかといわれそうだ。

 

 韓国でのハロウィーン騒ぎの大量死のニュースを観て、集団というものの恐ろしさを感じた。一人一人にはわずかな力しかなくても、集団になると強大な力になる。物理的な力だけではない。

 

 人がたくさんいるところを敬遠するのは、たまたまであるが危険回避になっているようだ。それにしても韓国の事故を知りながら、渋谷にはたくさんの人が出ていたようだ。「危険だと思ったらそこから離れようと思います」などとマイクを向けられた人は話していたが、韓国の死傷者もそう思っていたにちがいないのだ。

2022年10月30日 (日)

石徹白の白山中居神社

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車を置いて鳥居を潜り、以上段を降りる。逆光に紅葉が映える。

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参道。杉の巨木のあいだの狭い道を行く。この山は白山への登り口の一つでもあり、浄安杉や石徹白大杉などもある。

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途中、川を渡り、今度は拝殿への階段を登る。

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拝殿の横から本殿を見上げる。本で禍は階段の上にあり、全体を木の囲いでおおっている。雪が深いところなのである。囲いは季節的なものでなく、一年中囲われている。

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拝殿の向こうに色づき始めた木が輝いて見えた。

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本殿。ここも杉の巨木が覆い被さるように立ち並んでいる。

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本殿の彫り物。

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二礼二拍手一礼した。

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みごとな彫り物。感嘆する。

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本殿にかかる注連縄。

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神域の清浄な空気を身に受けて、本殿を後にした。

ここから郡上白鳥まで山を一気に下る。いつも立ち寄る阿弥陀ヶ滝も、長滝白山神社も、洲原神社もパスして、白鳥インターから帰路についた。今年も紅葉をたっぷりと堪能することが出来た。

せせらぎ街道から石徹白へ

せせらぎ街道の紅葉を見たら、飛騨清見から東海自動車道でとんぼ返りするつもりだった。しかしもうすこしどこかに行きたくなり、髙山から荘川経由で石徹白(いとしろ)の白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)を見に行くことにした。

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向こうに見える道路がせせらぎ街道(飛騨街道)。

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せせらぎ街道最高地点の西ウレ峠付近の紅葉。

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隠れているが草むらの向こうに渓流(せせらぎ)がある。

西ウレ峠を越えてさらにせせらぎ街道を北上すると、高山の北西部に出る。ここから中部縦貫に乗って荘川に向かい、東海北陸道に移れば早いが、それでは途中で車を駐めることも出来ないので、髙山から荘川へ地道の国道158号線(白川街道)を走る。その道も、ところどころ紅葉と渓流の美しい道だ。いまは中部縦貫も出来たので、こちらを走る車は少なくて快走する。

荘川近くの、まだ渓流の庄川はとても美しいがゆっくり車を駐めて写真を撮る場所がないのが残念だ。私だけ楽しんだ。荘川は蕎麦で有名であり、冬の寒さと雪の多さでも知られる。荘川インター前を過ぎてそのまま進めば御母衣湖(御母衣ダムのダム湖)経由で白川郷に至る。

途中左に折れて、国道156号線を走りひるがの高原に至る。荘川からひるがののあいだの紅葉もすばらしい。少し前に娘夫婦はひるがの高原の牧歌の里へ行ったという。春から初夏にかけては水芭蕉の美しいところだ。分水嶺を通過すると道は一気に下り坂になる。右手に大日岳が見える。こちらは長良川である。長良川は大日岳を源流とするが、この下り道の途中に源流の滝と称する夫婦滝があるが横目で通り過ぎる。ヘアピンカーブが連続する。

下りきったあたりに高鷲インターがある。そこは湯の平温泉で、時々日帰り温泉につかるところだ。さらにもう少しだけ下ると、長良川鉄道(越美南線)の北の終点である北濃の駅があるが、そこへ行く手前を右折して県道314号線に乗り、再び山を登る。途中に何度も行った阿弥陀ヶ滝という名瀑があるが、それも今回はパスする。

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石徹白へ向かう峠付近で撮った写真。

県道314号線は石徹白の手前まで。岐阜県はここまでで、その先は福井県だ。石徹白へは右折、車で行けるのは目的地の白山中居神社まで。その先もいけるが、険しい道で普通車では難しい。

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右折する道も左折する道も県道127号線。左折すれば九頭竜湖から大野町に至る。こちらも陰崩れで通行止めのことの多い険しい道だ。

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ようやく白山中居神社に到着した。車のなかった時代、石徹白の人は街へ出かけるのはほとんど旅に近かっただろう。険しい峠をいくつも越えなければならない。一度も集落を出なかった人が多かっただろうと想像する。神社の写真は次回。

2022年10月29日 (土)

せせらぎ街道の紅葉(2)

前回に引き続き、せせらぎ街道の紅葉の写真を掲載する。今年の紅葉は場所によって、紅葉というより焼け焦げたような、ただ枯れたような、あまり美しくないものが多いように感じられた。しかしこのせせらぎ街道の、私のお気に入りの場所は例年通り美しい様子を見せてくれていた。

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木の重なりの暗がり中に、まっ赤な紅葉がひと枝見えると、まるでそこに赤い灯りがともっているように見える。

 

せせらぎ街道の紅葉(1)

この時期、東海地区のローカルニュースでは、紅葉の見所としてこのせせらぎ街道の情報が必ず取り上げられる。せせらぎ街道西ウレ峠付近の紅葉という。西ウレ峠は標高約1100メートル。私が立ち寄るのはその少しだけ南寄りのところ。今日明日は紅葉を見る車が数珠つなぎだろう。昨日は清掃のための人たちがたくさん出てゴミなどを拾っていた。どこにも不心得者はいる。「ゴミを拾う人はゴミを捨てない、ゴミを捨てる人はゴミを拾わない」。

そこで撮った紅葉の写真をキャプションなしに並べてみる。

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早朝の、まだ陽が当たらない紅葉を撮った。このときの外気温は3℃。

2022年10月28日 (金)

錦繍の秋を堪能する

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 今年の紅葉を見に行きそびれる気がして焦っていた。本日が好天であるという予報だったので、今朝は早起きし、体調が問題なさそうであることを確認して、せせらぎ街道(飛騨街道)に向かった。

 我が家を出発したのは6時半過ぎ、一宮・木曽川インターから東海北陸道に乗る。降りるのは郡上インター。郡上八幡から国道472号線(郡上街道・飛騨街道)を北上する。この道は山を越えて高山へ向かう道である。パスカル清見という道の駅を過ぎればこの道はそのまま国道257号線になる。その辺りから郡上街道・飛騨街道であるこの道は、せせらぎ街道と通称される。

 せせらぎ街道の紅葉はまだ五~七分というところだろうか。それでも写真に撮りたい場所がそこら中にある。いつも車を駐める場所があって、そこはゆとりがある上に、少し歩き回ってさまざまな紅葉を撮ることが出来る。数台車が会ったが、写真を撮りおわって戻ったら十数台に増えていた。もう一時間もしたら満杯になっているだろう。

 冒頭の写真は、せせらぎ街道で撮ったものではない。髙山から荘川に向かう国道158合線で撮ったもの。せせらぎ街道で撮ったものはあとで二回ほどにわけてご覧戴く。

冒頭の写真の山で撮ったものをあと二枚ほど。

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マインドコントロール

 愛用の岩波国語辞典は古いので、『マインドコントロール』の項目がない。同様に愛用している三省堂のカタカナ語辞典で調べたら、「人の思想や行動・感情などを意図する方向へ誘導・支配していくこと」となっている。オウム真理教や統一教会(この場合は元をつけないでおく)が信者をマインドコントロールをしていたことを否定する人はたぶんあまりいないだろう。

 

 今回、旧統一協会問題で規制法の作成が進められているが、このマインドコントロールの定義をどうするか、そのことが問題になりそうである。常識的な区別は出来ても、そうであるかどうかの法律的な線引きは難しい。

 

 文化大革命時代の紅衛兵たちが、狂乱して暴力と破壊に走ったとき、彼らは集団的マインドコントロール下にあった、と私は考えている。彼らはそれまでの価値観を否定し、歴史や芸術、文化、知識すら全否定した。本は焼かれ、知識人は拷問され、殺され、寺院や遺跡の多くが破壊された。ナチスに、ISに、そして北朝鮮に、さらにいまのロシアにそのような狂気を感じてしまう。

 

 私は先鋭的環境活動家が芸術作品の毀損に走り、興奮して拳をあげている姿に、文化大革命時代の紅衛兵の赤い毛沢東語録を振りかざす幻影を重ねて見ていた。

2022年10月27日 (木)

人に歴史ありというけれど

 私の愛用している岩波国語辞典(第二版・1971年発行・古い)によれば、『歴史』とは「人間社会が経てきた流動・変遷の姿。その記録。史書と同じ意味にも使い、また、史書が扱う事柄そのものをもさす」とある。人に歴史ありというけれど、個人の歴史は偉人やそれなりの著名人でもない限り、本来の『歴史』というべきほどのものではないようだ。

 

 昨晩、父や母のことを考えたというのは、父や母の人生とはどんなものだったのか、自分はよく知らないということだった。母が、教師だった祖父といろいろな場所に転校したらしいことは断片的に聞いていた。その中の一つが新潟県の村上で、一緒に村上の街を歩いたけれど、母の記憶はあまり明確でなかった。小学生の何年生まで村上にいたのか、冬の村上を過ごした記憶はあるのか、それを聞きそびれた。何を一体話したというのだろう。

 

 父が学生時代に友人と中国や満州やモンゴルを歩いたというけれど、どこをどういう経路で旅したのか、知らない。父が中国に渡り、満鉄系の会社に勤めたというけれど、なんという会社に勤めていたのか知らない。どんな仕事をしていたのか知らない。兵隊に取られて中国を転戦したのが、河北省や山西省だった、ということだけは晩年に聞いたけれど、具体的な場所を知らない。

 

 父も母も、聞けば答えてくれたはずなのに、私は聞こうとしなかった。現にそこにいる父と母しか見えていなかった。史書に載るような人生ではなかったけれど、私にとっては史書と同格かそれ以上にだいじな歴史なのだと思うのに、その史書には何も記されていない。そしてそれは永遠に失われてしまった。

 

 弟に、知っている限りの父と母の記憶を書いておいてくれ、といわれたことがある。書くことがないわけではないけれど、空白の多さに口惜しい思いをしている。

不眠というほどではないが

 もともと目をつぶればほぼすぐ眠れたので、眠りに入れないというのは年に一度か二度の、よほどのことがあるときだけだった。それが七八年前からなかなか眠れずに暗闇のなかでますます目が冴えたり、上手く眠れても夜中に目が覚めてしまって再び眠れずに、明るくなるまで悶々として、朝になって二度寝することがつづいている。睡眠の質が悪いと心身のリズムが変調し、頭も働かず、いろいろなことに意欲が湧かなくなる。むかしは「眠れない」などという人を笑っていたのだが、申し訳ないことであった。

 

 昨夜も眠れずに、父や母や息子や娘のこと、マインドコントロールのこと、言葉と人とのことなど、とりとめのないことが頭の中をぐるぐると回って眠れなかった。思い出したことをもとに、ブログに書き留めようと思っている。バラバラのことではあるが、連想の中継点のようなものはある。しかし説明するのは難しい。

 

 眠りの質が悪いのは、体調を損なうと実感し始めている。心身症などというものもある。来週は泌尿器科の定期検診なので、そのへんを相談してみようかと思う。微熱で一時的に排尿困難気味になったが、さいわいすぐおさまっているのでその点は助かった。

2022年10月26日 (水)

率直

 録画していた昨晩のBSフジプライムニュースで、野田元首相の、国会での安倍元首相追悼演説の全文を聞いた。このひとらしい、自分も相手も儀礼的に美化したりしない、自分の言葉で語る率直な好い演説だったと思う。自らの過ちも認めながら、政治家としてあるべき心得を議場の議員達に語りかけていた。

 

 このひとには不満も欠点もあるけれど、日本の国、国民を思う気持ちは確実にあると信じられる。どうして立憲民主党の若手たちは、このような人を手本にしようとしないのだろう。昨日の演説を真摯に聴き取って、自らの心に刻んでくれたら良いのだが。

 

 

悪化せず

 昨晩、兄貴分のひとから電話をもらった。兄貴分のひとというのは会社の先輩で、入社したばかりのころからずっと家族ぐるみで世話になっている人である。ちょっと強面の人だが、実はとても心優しいのでこの歳になっても甘えている。その兄貴分のひとと長老という兄貴分のひとの友だちと三人で、年に一回か二回旅行する。

 

 秋にまたどこかへ行こうと約束していたが連絡がなかった。遅くなったが来月二人で名古屋へ行くから案内せよという。大歓迎である。とにかく体調を整えろ、酒をしっかり飲んでよく寝ろ、といわれた。

 

 昨晩は自重して酒は飲まず。体調は悪化することなく今朝は平熱だが、おとなしくしているつもりである。天気が良いから出かけたいけれどなあ。洗濯でもしようか。

2022年10月25日 (火)

微熱あり

 夕方計測したら、体温が37℃(近頃の平熱は36.3℃くらい)ちょうどくらいある。発熱時によくあるような、寒気がしたり節々が痛いということはない。昨晩、寝床に入らずにうたた寝したのが悪かったようだ。今日は風呂に入らずに温かくして早めに寝ようと思う。

環境活動家

 先日はゴッホの『ひまわり』にトマトジュース、昨日はドイツの美術館でモネの絵にマッシュポテトが投げつけられた。世界の環境破壊は人類に大惨事をもたらす、そのことを警告するための環境活動家の行動なのだそうだ。

 

 まともな人間で、そんな主張に正当性があると考える者はいないと思いたいが、いるのである。そうしてそういう人間がまたつぎの行動を起こす。連鎖が生じてエスカレートする。どんなものを毀損してもいいのである。なるべく多くの人が眉を顰め、怒りを覚えるほど行動に意味があると信じて行動するのである。世界の美術館、博物館、図書館など、かけがえのないもののあると考えられる場所やものがターゲットとなり得る。

 

 こうして自分が正しいことをしたと信じ、高揚感、快感を感じる一握りの人間が活動することで、環境活動が白い目で見られるようになり、環境活動家は活動しにくくなり、環境活動そのものから人びとは背を向けるだろう。つまりこのような、ほぼ狂人としか思えない連中は、環境活動反対運動家として後世に名を残すであろう。人類を滅びに向かわせるのはこのような人間たちである。

今回は良さそう

 夏のあいだは白菜の漬け物を作らなかった。先週ひさしぶりに漬けたが、白菜を買ってすぐに漬けなかったこと、気温が高いからと塩を少し余分に振ったことで、塩っぱくてあまり美味しく出来なかった。そこで一昨日は塩を加減して漬け込んだら、いつになく水の上がりも良く、今朝少しつまんだら良さそうである。私は少し漬かりこんだ方が好きなので、食べるのは明日からにするつもりだ。

 

 白菜も安くなってきたし、ものも大きくてみずみずしい。秋になった実感がする。昨日は好天が予報されていたので、例年のように紅葉を見に岐阜のせせらぎ街道あたりをドライブしようと思っていたが、どうも身体が重く感じられて、出かける気にならなかった。熱があるわけではないが、体力気力が衰えている気がする。衰えるには早いが、それは人それぞれなのだろう。回復を待って前向きに行動するように心がけたい。

 

 出かけるなら楽しみたい。無理をして出かけても楽しめない。その加減を考えなければならない。そんなことは以前はなかったことで、出かけたい気持ちを抑えるのがたいへんだったのに・・・。

2022年10月24日 (月)

毛沢東と習近平

 私が高校生の時代はベトナム戦争の時代であり、文化大革命の時代だった。文化大革命とは一体何のことかと思ったが、朝日新聞は絶賛していた。他のマスコミや専門家が、中国の権力闘争だと主張したりしたが、朝日新聞は、それはためにする悪意のある見方で間違っていると、かたくなに権力闘争であることを否定しつづけていた。その辺りから朝日新聞の紙面に疑念を感じるようになった。

 

 その当時から日本がどうして太平洋戦争などという愚かな戦争をしたのか知りたくなって、近代史を読み始めたが、そこで初めて太平洋戦争の前に中国と戦争をしていたことを、はっきりと認識した。何しろ日本史では明治時代の途中までしか習わなかったのである。たぶん歴史認識のややこしい近現代史は、いまでも学校ではあまり詳しく教えていないと思う。疑問に思ったら自分で学ぶしかないのである。知らないのは自分のせいである。

 

 大学に入ってからは中国史を自分で本を読んで勉強した。文化大革命や毛沢東に関する本はいまでも棚に何種類もならんでいる。毛沢東の行った愚策である『大躍進』では餓死者を主として四千万人、『文化大革命』では二千万人から四千万人が殺されたと言われる。

 

 毛沢東は一度『大躍進』の失政で権力を失った状態に追い込まれた。その巻き返しと反対者の粛清を行ったのが文化大革命だというのがいまは定説である。さすがにいまでは朝日新聞もそれを否定は出来ないだろう。中国政府自身が認めているのだから。

 

 こうして毛沢東独りに権力が集中し、中国の停滞がつづいた。国民はみなが貧しかった。ただ、みなが貧しいから格差があまりなく、それが良かったと回想する人は少なくない。とはいえ中国はずっと貧しい後進国でありつづけ、それは毛沢東が死ぬまでつづいた。

 

 死んだあとも、自分の権力を維持するために、その毛沢東の路線を継続しようとした江青など四人組はまもなく全員粛清され、その後実権を握ったのが鄧小平である。鄧小平は改革開放を行い、中国は一気に本当の意味で『大躍進』した。鄧小平は、個人に権力が集中することの弊害を考慮して、そのような事態が二度と起きないために『集団指導体制』を取り入れた。

 

 それをあろうことかご破算にして集団指導体制を有名無実化し、個人独裁へと歴史を後戻りさせたのが、今回の共産党大会での習近平の行動である。毛沢東はすくなくともカリスマ性があった。だから、どんな失敗をしても殺されることなくベッドの上で幸せに死んだ。しかし習近平にはカリスマ性があるとはとても思えない。

 

 カリスマ性がないことを誰よりも習近平は自覚している。毛沢東は命がけで戦場で戦い、勝利を収めた。しかし習近平はそのような実績がない。常に殺される不安の中にいる。彼が毛沢東のような戦果を上げるために、台湾を攻撃して取り込むということが念頭にちらついているのだろう。不安の中にいる独裁者は常に粛清を行いつづける。これから中国はますます暗黒の時代に落ち込んでいくだろう。習近平政権のあいだは、企業も中国との関に距離を置くよう努めるのが理にかなっていると思う。

 

 以上がお粗末ながら、私の習近平感であり、中国についての現状認識である。

次回に立つ

 ボリス・ジョンソン前首相は、トラス首相引退の後の与党保守党の党首選に立候補しないと表明したようだ。機を見るに敏なこのひとらしい判断で、もし立候補すれば保守党が分断されて混乱が生じ、自分が采配をふるうことが出来ないとわかっているのだろう。そうなるとほぼスナク元財務大臣が新しい党首になる。はたしてその手腕はどうなのか私は知らないが、もしイギリスの現下の困難を解決する能力があればイギリスにとって幸いである。

 

 しかし、ジョンソンはたぶんスナクもその任に堪えないと見ているように思う。そうなると再びトラス現首相のように引きずり下ろされる公算が大である。そして多くの保守党議員がジョンソンの出馬を乞うような事態が招来することになる。そうなれば分断は起きにくく、政策の遂行がしやすくなる。いま立候補するよりもそのほうが好いのは決まっている。

 

 こんなことは誰にも言えることだと思うが、いまそのように予測したことを書き留めておこうと思う。もちろんスナク氏が予想外の成果を上げれば話は別である。結果は遠からず出ることだろう。

 朝、立候補断念のニュースを観て、このブログを書いて、昼用にしようと思っていたら、そのあと見た立候補断念のスピーチで、まさに上に書いたようなことをジョンソンが言っていた。言うから反発を受けるのだから、言わなければ良いのに。

欲しいものと必要なもの(2)

 広告会社は心理学的手法を駆使して催眠術にかけ、要らないものまで買わせていたが、すでにその催眠術は解けてしまった。これからはますます催眠術は効きにくくなるだろう(いまだにかかりやすい人がいないわけでもないようだが)。広告会社の凋落である。その象徴が某高橋によるオリンピックをくいものにする姿である。広告会社とマスコミは切っても切れない関係だと言えよう。民放が無料で視聴できるのは広告会社が介在する企業CMのおかげである。

 

 しかし企業も以前のようにCMに広告料をつぎ込むことが出来なくなった。その結果、細切れで三流企業のCMの氾濫である。うんざりである。そう思う人は少なくないだろう。広告の効果は以前よりも低下していることを感じての企業のCM離れではないのか。

 

 余談だが、テレ朝の某コメンテーターが安倍元首相の国葬での菅前首相のスピーチなどを根拠もなしに電通の筋書きによるものだとコメントした。批判が殺到する中で処分が発表されると、その男を擁護する人たちは、電通の圧力だ、などとネットで書き込みをしていた。権力を批判するなら嘘でも良いのだといわんばかりのそのようなものの見方には恐ろしささえ感じてしまう。その男は謹慎が解けたらなにごともなかったように猫をかぶって番組に復帰しているらしい。ほとぼりが醒めたらまた同じようなことを繰り返し、そのことでまた売名するのだろう。それでも応援する人がいるらしいが、私は二度と顔を見たくない。

 

 必要でないものまで買いたくさせるのが広告だという。いまはそんな魔法が解けて久しい。欲しいものではなく、必要なものを買う。欲しいものが必要なものとシンクロする時代に入った。自動的にSDGsになって行きつつあるのだと思う。それに社会が合わせていくしかないのだと思う。

2022年10月23日 (日)

欲しいものと必要なもの(1)

 ものが値上がりして人は買い控えをする。ものが安かったデフレの時代でさえ人は買い控えしていたのだから、値上がりしているときにものを買わなくなるのはあたりまえだ。買わないのは買えないからで、それは給料が上がらないからだ、とマスコミや野党は政府や財界を非難する。デフレのときには給料も上がらないのはこれも当然で、インフレのときには給料を上げなければならない。だから財界のトップは給料を上げることに反対はしていない。必要だと認めている。だからたぶん給料は遅ればせながら上がるだろう。

 

 景気が悪いと言うけれど、景気とは悪いと思えばますます悪くなるもののようで、マスコミが悪い悪いと言えば言うほど景気は冷え込む。自分で冷やしておいて悪いのは政府だ、と言いがかりを付けてはいないか。ウクライナや中国のせいで(アメリカもその大きな原因だが)、エネルギーの供給システムが異常な事態となり、供給が滞り、多くの国で足らなくなった。食料も同様である。値上がりはその結果で、すべてが政府や財界の責任であるように言うのはおかしい。

 

 世界中でインフレになり、その過熱をなんとか冷やそう、おさえようとして各国政府は金利を上げている。金利を上げない日本は円安になってますます物価が上がる事態に陥っているが、日銀は金利を上げようとしない。上げようとしないのではなく上げられないのだという。日本は世界の何倍もの赤字を抱え、国債で回しているから、金利が上がった途端にその負債は自分自身を押しつぶしてしまう。大きくなりすぎた雪だるまは自壊してしまう。 

 

 景気が回復しさえすれば・・・などと夢見る向きもあるが、景気が良くなるというのは、みながものをせっせと買い消費する状態のことで、そもそも記憶にある景気が良かった時代というのは、必要でないものまでみなが広告に乗せられて買い込んだ時代だった。今は要らないものまで買う人間はいない。必要なものですら我慢できるまで買わない。もし給料が上がっても必要なものしか買わないだろう。

恐ろしいものを見せられた

 昨日閉幕した中国共産党大会で、習近平の隣に座っていた胡錦濤が引きずられるように連れ去られる様子を見た。胡錦濤は事態を理解できず、机にしがみつかんばかりだったが、抗することはかなわず、引きずられていった。習近平は顔を背けてみて見ぬふりだった。もちろん彼の指示によるものだろう。自分の前政権をになった人物を脇に座らせ、それを連行する様子を中国中に見せつけた。

 

 昨日李克強首相が引退することについて書いたが、彼は胡錦濤派と言われる。これも公然たる胡錦濤派の粛清なのだろう。それにしても胡錦濤は当時は紳士的なノーブルな顔立ちだったが、衰え果てた老人の姿であったのが痛ましかった。彼が政権交代したとき、裸退と呼ばれた。引退しても権力の一部を掌握して保身を図るのが普通なのに(江沢民を観ればよくわかる)、すべてを放棄して引退したからだ。彼の取り巻きはほとんど政治的に実権を失っていった。最後のひとりが李克強だったのだと思う。

 

 何度も書いているが、胡錦濤が権力を完全に失墜したのは、政権末期の日本政府による尖閣国有化が大きいと思っている。胡錦濤は野田首相に国有化は少し待ってくれ、と抱きつかんばかりにして懇請していた。胡錦濤は日本に弱腰だとして、その責任を問われて習近平にとことん権力を奪われる結果になった。日本にとって、そして世界にとって胡錦濤の方がまだましだったと思えるから、彼が失権したのは大きなマイナスだったことはいまの中国を見ればわかる。先日、元野田首相が当時のことを回想して語っていたが、いまだにその自覚のないことが私には驚きだった。

 

 中国はこれから経済的に困難な時期を迎える可能性が高いとされる。人口も急激に減少し始める。生活が苦しくなれば政権批判が起こりえるが、それをとことん弾圧するためのすべての手はずを整えたようである。これからの中国は今まで以上に恐ろしい国になる気がする。

映画を観る

 昨夕、どん姫が帰ってから、つまみを用意し、濃いめのハイボールを飲みながら映画を二本観た。一本は『ビットコインウォーズ 暗号資産の行方』という2019年の映画で、左遷されて自分のふるさとの支店にとばされた銀行員が、そこでロシアンマフィアがマネーロンダリングをしていることを突き止めてしまい・・・という物語。父親や兄との諍いの末にふるさとを飛び出した主人公が、仕方なく故郷に戻り、旧友の協力を得ながら戦いに身を投じていくが、ついには父親がとらわれの身となり、絶体絶命状態に追い込まれていく。この映画の最大の見所は、父親を演じていたのが私の大好きなカート・ラッセルだったことだ。

 

 だいぶ太ってくたびれた老人になっていて、似ているけれどまさか、と思いながら観ていて、エンドクレジットで確認してやはり、と思った。カート・ラッセルが出演していればみんな好きな映画だが、特に好きな三本、『ニューヨーク1997』『ゴーストハンターズ』(『ゴーストバスターズ』ではない)『テキーラ・サンライズ』。

 

 二本目は2020年のデンマーク・スウェーデン・フィンランド合作の『ライダーズ・オブ・ジャスティス』という映画だ。題名だけだと食指が動かないが、北欧のドラマや映画はたいてい外れがない。何より主演がマッツ・ミケルセンである。ハリウッド映画ばりのアクション銃撃映画だが、そこは北欧映画だからひねりと苦みが効いている。妻が電車の事故で死んだと知らされた凄腕の軍人の主人公が残された一人娘ところへ戻ってくる。そこへ訪ねて来た男が、それは事故ではないと思う、と言う。

 

 その真相を追究していく主人公と、そこに集まった奇妙な男たちが裏社会へ戦いを挑んでいく。顔全面がひげ面のマッツ・ミケルセンは、見慣れているのとちがうので不思議な感じがするが、さすがにクールに屈折し苦悩する主人公をみごとに演じていく。ものには因果があるのかないのか、その因果に囚われるか囚われないか、そのことを考えさせてくれるけれど、もちろん解答などない。その時々に自分で考えるしかないのだ。

2022年10月22日 (土)

引退するらしい

 中国の李克強首相が今季限りで引退するらしい。これは私の想像であるが、李克強は中国の経済的な問題を正しく認識し、今後どうしなければならないのか、誰よりも理解していた。折に触れ習近平に進言していたが、そのたびに退けられ、ときに首相としての役割すら有名無実に扱われつづけた。たぶん習近平にとってはうるさい存在だったのだろう。李克強は保身を考えながらも、なおかつ出来ることをしているように見えた。

 

 経済について習近平はあまり得意だとは思えない。だから金の卵を産むデジタル関連会社を事実上国有化することでその競争力を損ない、中国の最大の経済的な問題点である国有企業を削減から復活へと政策転換している。共産党の利権を優先している。李克強は、それではいけないと考えていたと私は思っている。

 

 たぶんイエスマンだけがそろった共産党新指導部は、わかっていながら中国を弱体化へ導くことになるだろう。李克強は引退することでその責任をのがれたということも出来る。彼のために良かったと思ったりしている。

 

 どん姫は亭主に送られて昼ころやってきた。亭主は顔を見せずにどこかへ行ったらしい。どん姫と二人で昼食を摂り、今回の旅の話やさまざまなことを話した。口が重い彼女も、多少は話の受け答えをするようになり、彼女なりの考えも聞くことが出来た。夕方、土産を手に機嫌良く亭主の迎えの車で帰っていった。

 

 いつでも歓迎するからまた来てね!待ってるよ。

朝寝坊

 夜中に目が覚めても、灯りを点けずにじっとしていると再び眠りにつけるのだが、昨晩はそれでも眠れずについスタンドの灯りを点けて本を読んでしまった。明け方になってようやく再入眠。いつも以上に朝寝坊をして、おかげで頭がぼんやりしている。

 

 今日、昼頃どん姫がやってくる。弟夫婦たちが来たときに家を片付けたけれど、再び部屋は散らかってしまった。簡単に片付けて掃除をしなければいけない。娘とはいえ、多少はきれいにして迎えたい。どうも身体が微妙に不調で、それがどこか具合が悪いのが、たんに疲れたのか、それとも筋力が低下して動作が思うようにスムーズにいかないせいなのかわからない。老化が自分が考えていたより少し早い気がする。

 

 さあ、スイッチを入れ直そうか。

2022年10月21日 (金)

菅沼集落

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世界遺産の合掌集落は、白川郷、相倉集落、そして今回立ち寄った菅沼集落の三つの集落が指定されている。神岡から髙山へ出て、その高山から中部縦貫道に乗り、飛騨清見ジャンクションで東海北陸道に移り、白川郷を経て次が五箇山インター、そこを降りて国道156号線を少し走れば菅沼集落である。もう富山が近い。

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菅沼集落は三つの集落の中で一番小さい。その代わりむかしの集落の雰囲気が一番あるような気がする。

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お店で五平餅を頼み、外のベンチで焼けるのを待っていたら、足元に酸漿の実がなっていた。そういえばどこかで食用の酸漿というのを食べたことがある。

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弟夫婦と妹は満足した様子だったので、東海北陸道で一気に名古屋まで帰った。名古屋について我が家で一服し、弟たちは千葉へ帰った。無事到着の連絡があったのは夜10時半を過ぎてからだった。

お疲れ様、また来てくれるなら歓迎するよ。次は紀伊半島あたりに行こうか。好い宿がある。

これにて今回の旅の報告終わり。

ナチス共犯者

 ロシア外務省のザハロワ情報局長が、第二死世界大戦中の日本は「太平洋におけるナチスの主な共犯者だ」と指摘した。「軍国主義の犯罪の責任を完全に認める必要」がある、と注文したそうだ。

 

 日本がナチスドイツと同盟を結んでいたことは事実であり、戦争犯罪もあったことは事実で、日本は国際裁判により断罪されている。ドイツも同様である。日本は占領軍の支配下に置かれ、国家は事実上一度消滅した。日本は戦争に負けたことで一度滅びたのである。

 

 敗戦国の戦争犯罪を裁いた国の代表がいまの国連の常任理事国で、彼らも空襲や原爆投下によって民間人を大量虐殺した事実があるが、それは戦争犯罪として裁かれてはいない。

 

 日本人はあの愚かな戦争は軍部や政治家がしたことだと言われてそう思い込み、自分たちの責任を感じないで戦後の復興と繁栄を生きてきた。しかし戦争を賛美して煽った朝日新聞などのマスコミに乗せられて、戦勝の報告に狂喜していたのは日本国民だった。いまのロシア人を非難など出来ようか。そうして、戦後は、羮に懲りて膾を吹くように、戦争に関連する歴史を封印した。

 

 だから反省しようにも歴史を知らないまま若者達は育った。教えられたのはその残虐さだけで、どうして戦争が起きたのか、どうして愚かな戦争を起こしてしまったのか、全く考えることをしてこなかった。知らないことを考えることはできない。それなら知ろうと努めるのがあたりまえだと思うが、知らないまま平然と生きてきた。

 

 ザハロワ情報局長は「ナチスの共犯者」だと言ったが、日本はナチスドイツの同盟国であって、ナチスのジェノサイドに加担したわけではない。共犯者というのは意図的な言葉のすり替えである。

 

 いまロシアが行っていることは、占領地での民間人の意図的な拷問と虐殺であり、ある意味でナチスに似たようなジェノサイドだという見方も出来る。昔ロシアはナチスドイツの侵略に多くの国民を犠牲にした被害国だとされた。被害国という勲章を付けると永遠に被害国なのか?加害者になっても免罪されるというのか。過去の加害者を批判すれば、血で汚れた自分の手がきれいになるというのか。

 

 お前は加害者だったことがあるのだから永遠に黙れ、とザハロワは言ったのである。韓国もそう言うだろう、北朝鮮も中国もそう言うだろう。そう言われたときに日本人は永遠に畏れいらなければならないのか。朝日新聞ならそうだ、というだろう。日本が他国に任せて自らの戦争責任をさばかなかったツケがいまだに残っている。

神岡城

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最終日、宿を引き払い、帰路についたのだが、弟夫婦と妹はこの日のうちに千葉に帰るというのに、もっとどこかに寄っていこうという。そこで高山に向かわず、やがて神通川となる高原川沿いに国道471号線を神岡へ向かう。神岡の道の駅でスーパーカミオカンデについてちょっと勉強してから神岡城を見に行く。

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コンクリート製の天守に登り、神岡の街を見下ろす。神岡は神岡鉱山により栄えた。銅山である。高原川が下る先の禿山が銅山の残したもの。

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神岡の街。

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銅山はすでに採掘を終え、いまは細々と輸入鉱石の精錬のみ行っていると以前鉱山の資料館で聞いた。

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遙か彼方に立達磨が見えた。珍しいけれどどうして立っているのか知らない。

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神岡城の隣に松葉家の旧宅が移築されている。かやぶきの屋根を銅板でおおっている。

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邸内の様子。囲炉裏が切ってある。

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大昔の電話。

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木の槌は砧を打つものだろうか。

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大八車が車輪をはずして外壁に立てかけてある。よく見かける光景だが絵になる。

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赤いポストも絵になる。

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つくばい。

この日は何か催し物があるらしく、神岡城見学は無料だった。

このあと41号線で髙山方向へ向かってもう一カ所立ち寄る。

2022年10月20日 (木)

平湯大滝

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宿に帰るには少し早かったので、平湯大滝に立ち寄った。

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駐車場から渓流沿いに、あまり歩かずに見ることが出来る。

むかしはこの滝の近くの駐車場まで入ることが出来ず、少し下の施設の前の広い駐車場に車を置き、片道100円払ってマイクロバスで送り迎えしてもらったのだが、施設は閉鎖されていた。

その施設には大きな足湯があって、その足湯につかって兄弟で歓談しようと思ったのだが、残念であった。

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平湯大滝は落差64メートル。最も滝らしい直落下の滝である。

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想像よりすごかった、と兄弟たち。どうだ、と自慢しても私の手柄ではない。

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無理して滝壺の見えるところまでは行かなかった。囲いがあっていけなかったのだが。

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落下口。紅葉がはじまっている。

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帰り道にも紅葉がみられた。

少し早いが宿に戻る。歩きくたびれたので温泉がありがたい。

熱くなる

 昨日は無為の一日を過ごした。何も役に立つことをしなかったということで、したのはパソコン相手の囲碁ソフト対局と使い古した大戦略ゲーム。どちらも負けると頭が熱くなる。少々感情的になり、興奮状態がおさまりにくい。

 

 若いころ、酔った勢いで見てもらった辻占いのおじさんに、「あなたは熱くなるから賭け事には向いていない」ときっぱり言われたことがある。見かけは冷静に見えて、感情のコントロールが利きにくい私の弱点をズバリ言われた気がして、それ以来競馬や麻雀は一切やめた。したら負けるだろうと理解して(実際にあまり勝てない)、賭け事はしないことにしている。

 

 ゲームは賭け事ではないが、私は熱くなる。勝ち負けにこだわる。冷静に自分の間違いを振り返り、次に活かすことがなかなか出来ない。だから上手くならない。待ったをする。待ったをする自分に嫌気が差して、さらに腹が立つ。待ったはしないことに決めているが、だから悪手を打ったら熱くなる。寝る前にすると眠るのに骨が折れる。

 

 それでも勝つと嬉しい。戦争ゲームで完勝したりすると快感である。気がついたら、負けて口惜しい思いをするからこそ勝つとさらに嬉しいようだ。負けて負けて、どうしたらいいか考えて勝つ、それがゲームの面白さなのだとようやく気がついたりしている。

河童橋

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河童橋。

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橋の上から写真を撮る妹。

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橋の上から焼岳を撮る。

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記念写真好きの弟が撮っているのを撮る。

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穂高連峰。

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奥穂高岳とジャンダルム。あんなところへ登ることが出来るなんて信じられない。

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明神池方向に少し歩いてみる。見る場所で山の姿が変わる。

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近づくほどその大きさが大きくなる。あたりまえだけどすごい。

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登っている人もいるのだろうが、さすがにわからなかった。

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なんの実か知らないが美味しそう。

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この場所が好きで、上高地へ来るたびに写真を撮る。

山を堪能したのでバスセンターへ戻る。バス停には人が多かったが、少し待って乗ることが出来た。好い天気の上高地に兄弟たちを案内できて良かった。みな心がけが良いのだろう。

2022年10月19日 (水)

田代橋を渡る

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田代池から少し歩き、梓川に出てしばらくすると田代橋を渡ることが出来る。対岸側を歩く。落葉松がまだ色づかずに青い。

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橋の上から進行方向を見る。見える建物は、たしか上高地温泉ホテルだったと思う。あとでその前のベンチで休憩した。

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明神岳が正面に見える。

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二つの角のような岩が見えた。

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休憩した場所からの景色。もう少し行くと河童橋が見えるはずなのだが。

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河原に降りている人がいる。

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空は青く、空気は爽やか。

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前を行く兄弟たちは若いから元気だ。写真を撮っていると置いていかれる。

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梓川の水の色はいくら見ても見飽きないほど青く澄んで美しい。

なんなのだ

岸田首相がまた一日にして言うことを変えた。繰り返し確認されても、民事案件は含まない、と昨日は明言したのに、今日は、含む、と答えている。自分に信念がなく、人に言われて豹変したが、どうもまずかったと思えば一日にしてまた変える。こういう人が信頼に足りる人間かどうか。約束を守れる人とは思えなくなる。

自国ですら信頼を損ねるような人間が、世界で信頼されるとは考えにくい。日本の国の顔がこれでは情けない。

あくまで私個人の印象だが

 あくまで私個人の印象だが、岸田首相は日本が現在置かれている状況下の首相として適性を欠いているように見える。菅前首相が勇退したあと、四人の首相候補から岸田氏が選ばれたが、その選ばれた理由が他の人よりも危うくないだろうというものだったように思う。無難が一番だと思われた。これ以上悪くならないだろう、冒険をしない首相の方が安全だと判断されたのだろう。

 

 しかし、ロシアのウクライナ侵略により、世界は不安定になり、日本にとってエネルギー問題だけではなく、対岸の火事と言ってはいられない事態になっている。その結果としてのインフレに対し、日米の金利差が拡大し、急激な円高が進み、そのことによってインフレ圧力がさらに増大している。そして安倍元首相の銃撃殺人をきっかけに元統一協会問題が顕在化して、国民の多くがこの宗教団体と称する団体にたいして岸田首相がどう対処するのか注目している。

 

 団体解散の方向へ「急いで」対処すると公言した翌日の昨日、事実上、ちっとも急がないつもりであり、対処など口先だけだということを明言してしまい、批判を浴びている。批判するのが当然で、どう見ても誰かが圧力をかけて前言を翻させたか、本人が自分の発した言葉の重さに驚いて修正したのかわからないが、明らかに豹変である。

 

 このことが岸田首相の支持率のさらなる低下をもたらすことは間違いないと思うが、問題は岸田氏の支持率だけではなくて、今度は自民党そのものの支持率の低下をもたらすだろうと予想させることだ。自民党を護るつもりで結果的に自民党に愛想を尽かせることになることを、岸田首相は想像する能力がないようだ。元統一教会に対する断固たる処置は、法律を改正してでもやるべきだという思いは、国民多くに共通している。お茶を濁してすますことなど出来ないことがわからないのだろうか。もともと断固たることなど出来る器ではないのだろう。断固たる事をしなければならないというのは観念だけで、信念ではないのかもしれない。

 

 自民党安泰の現状が急変し、政権を担うことなど出来ない野党に支持が移り始めたら、止まらなくなる図が見える。自民党政権より悪くなってでも、自民党を拒否する人が急増する気がする。来年はG7が日本で行われ、日本が議長国である。世界が混沌に向かいつつある危機的状況で、世界に対しG7が結束してどう対応するべきか決めていかなければならないとき、すでに岸田氏は首相ではなくなっているかもしれない。それに、岸田氏に各国をまとめる力など最初からあるように思えない。日本は彼を首相に戴いた時点で衰退への道を早めたと、あとで歴史に綴られるだろう。良い方向に豹変するという奇跡は起きないものか。

2022年10月18日 (火)

田代池周辺を歩く

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焼岳をアップで。山はこうして少しずつ崩壊し、変貌する。

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田代池のビューポイントで弟夫婦と妹の記念撮影。三人とも帽子をかぶっているが、私は無帽。

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田代池。

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ここでは水が湧き出している。まことに美しい。

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輝くように赤い。

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こんなのもあった。

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妹はテニスをしているので足取りが軽い。私は必死でついていく。

 

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梓川に出る。いつ見ても水がきれいだ。

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哀しいぐらい青く澄んでいる。

このあと田代橋を渡って、梓川の対岸に移る。

上高地大正池

宿で上高地の混み具合を聞いたら、まだ余裕はあるはずだという。そこでゆっくりと朝飯を食べてから出かけた。新穂高温泉から平湯のアカンダナ駐車場に向かう。すでに駐車場の六七割は埋まっている。車を置いてバスを待つ。定時のバスは満杯で、次の臨時のバスを待って乗る。阿房トンネルを抜ければ長野県上高地だ。

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大正池前で降りる。大正池からの景色を楽しみながら河童橋まで歩く。大正池から焼岳がきれいに見える。昨日とは反対側から見ている。

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大正池から穂高連峰を望む。この日何枚穂高連峰を撮ったかわからない。

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右側が前穂高岳、左側が奥穂高岳。

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大正池に映る穂高連峰。

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弟はひたすら愛妻の写真を撮る。羨ましいほど仲がいい。

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白樺とダケカンバの違いがいまいちよくわからない。

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大正池一帯は土砂により湿地帯になっている。その間を抜けていく。

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こういう景色を見ながら歩くのも好い。

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なんだか幻想的に感じるのだけれど。

河童橋はまだ遠い。

テレビ三昧

 この一週間ほど、録画したものがたまっていたので、昨日は洗濯物を片付けた後、その消化に努めていた。『相棒』、『科捜研の女』の再放送が何本か、大河など、そしてWOWOWの『刑事ペーテル 未解決事件捜査班』(全八話)などを楽しんでいたのでブログを書いている時間がなかった。今朝は頭がぐちゃぐちゃである。変な夢を見て目が覚めた。

 

 昨晩は風呂にも入らずに観ていたので、今朝は朝風呂に入る。今日は天ぷら、今日から仕込んで明日からはおでんを食べることにしよう。土産に買った地酒がある。

 

 娘に買ってきた土産があるので連絡したら、亭主が休み(仕事は土日が忙しいので、出張さえなければ水曜と木曜が休みであることが多い)で送り迎えの出来るだろう明日かあさっていく、とのことである。今週は妻の病院に行かなければならない。早めに連絡していくことにしようか。

 

 ひと息入れたら旅のブログのつづきを書くつもりである。

2022年10月17日 (月)

新穂高ロープウエイ

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髙山から国道158号線で平湯へ向かう。途中で髙山ラーメンを食べる。煮干しでだしを取った、細打ち麺のラーメン。

平湯から平湯峠を越えて新平湯、神通川の上流にあたる高原川にかかる赤い橋を渡って右折すれば栃尾温泉。栃尾温泉は子供が小さいころよく泊まったところだ。栃尾温泉を過ぎて新穂高温泉、さらに突き当たりまで行けば新穂高ロープウエイである。

新穂高ロープウエイは乗り継ぎがある。上側は珍しい二階建て。

終点の西穂高口駅の展望台は、写真のように標高2156メートル。寒いかもしれないと厚着していったが、気温は10℃で、風がなかったので寒く感じなかった。

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この日は槍ヶ岳がくっきりと見えた。

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中央が奥穂高岳。上高地はこの山の裏側になる。そう思うと不思議な気持ちになる。翌日は向こう側へ行くのだ。

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展望台後方には焼岳が見える。今日は噴煙は見えない。

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ロープウエイの登り口側の山は笠ヶ岳。どの山もまもなく冬景色に変わる。

乗鞍スカイラインはいまだ復旧せず。例年でも11月の半ばには通行止めになるから、今シーズンはもう無理なようだ。

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乗換駅の近くで秋を見た。

いい時間になったので宿に向かう。宿は新穂高温泉にあるので、ロープウエイから近い。

 

便乗値上げ

 需要が増えれば価格は上昇する。価格が上昇したから便乗値上げだ、と決まり文句のように騒ぐのはいかがなものかと思う。便乗値上げとして非難されるのは、どうしても必要なものを供給側が意図的か否かを問わず、共同歩調をとって値上げした場合に言うのが適切かと思う。何を言っているのかといえば、宿泊費の値上げのことである。

 

 需要者側の選別が働く場合は「便乗」とは言えないと考えている。コロナ禍により、需要が激減していたから赤字覚悟で客を受け入れていたホテルや旅館が多かった。コストを下げるために、従業員も解雇せざる状態だったことはだれもが知っているはずだ。それがにわかに客が増えれば従業員も必要になる。当然引く手あまたとなれば従来より高給で集めなければならない。旧来の価格以上にするのは当然だろう。損失を少しでも補填しようとするのも当然だ。

 

 便乗値上げだ、と騒ぐマスコミは、どこの価格を基準に騒いでいるのか。赤字覚悟の無理した価格を基準にしては業者が可哀想だ。もちろん値上げが出来るから過剰に値上げしているところもあるだろう。ただそこに泊まらなければならないということはないので、他の手頃な価格の宿に泊まれば良いだけである。値上げしすぎれば泊まる人も少ないはずである。

 

 なんでも値上げは悪だと決めつけて正義の味方面する一部マスコミのしたり顔に、いささか不快な思いがしている。こんなことは誰でも感じていることだろうけれど、つい書いてしまった。こういう感じ方を煽るから、デフレマインドは払拭できず、景気は回復せず、給料だって上がるはずはないのだ。

2022年10月16日 (日)

髙山を歩く

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高山市内のおなじみの通りを歩く。名残の朝顔が咲いていた。

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右が義妹、左が妹、中央の帽子が弟。

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髙山陣屋前の朝市はまだ開いていた。観光客が増えているのだろう。めでたいことである。たまたま人力車が通りかかった。

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髙山陣屋。髙山が幕府直轄地になったのは17世紀末。いわゆる代官所である。ここにはテレビでおなじみの悪代官がいたことがある。苛斂誅求な年貢の取り立てを行ったために大原騒動が起きた。普通、直轄地は豊かな場所であり、だから直轄にしたのだし、他の大名の領地より年貢の率も低かったから、水戸黄門に出てくるような悪代官はほとんどいなかった。

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陣屋内の庭園にも秋が来ていた。

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蔵が資料館のようになっている。蔵の周囲は現在修理中。刀はいつ見ても魅力的に感じる。

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こうやって年貢が取り立てられて蔵に山積みになった。それなのに飢饉でもそれを放出しないと一揆が起こる。

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空は青い。もっと髙山は見るところがたくさんあるが、今日のメインの新穂高ロープウエイに向かうことにした。

髙山屋台会館

髙山屋台会館には、秋の高山祭で曳かれる十一基の屋台のうちの四基と桜山神社の大神輿を常設展示している。こんなものかと眺めるだけならあっという間に見飽きるが、細かい細工などに注目すると見所はいろいろある。解説のイヤホンを貸し出してくれるのでその説明を聞くと参考になるが、ちょっと詳しすぎる。

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見物は周囲をらせん状に回る回廊で見ることになるので、下からも上からも見ることが出来る。

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奥が大神輿。とても大きいので相当な重量があるだろう。

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屋台に乗る人形。思った以上に大きい。これはからくり人形かどうか、解説をよく聞かなかったので知らない。

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細かい金具や欄干、周囲の彫り物は見れば見るほどみごとである。

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神社仏閣でいつも見とれるのはその彫り物のみごとさである。

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こういう立体的な金襴緞子は作るのにたいへんな手間がかかっているはずである。横の花の彫り物も好いなあ。

このあと飛騨の匠が作成した日光東照宮の縮尺模型の展示を見たが、暗いので写真は撮らなかった。

次は三之町かいわいから歩いて髙山陣屋を見に行く。

髙山の桜山八幡宮

13日早朝、兄弟四人で私の車に乗り合わせて出発。予定よりだいぶ早いので、高速道路ではなく、国道41号線を行くことにする。妹は初めてなので、飛騨川沿いに景色を見てもらおうと思ったのだ。渋滞することもなく、順調に髙山に入った。以前、弟夫婦と髙山に来ているが、そのときに立ち寄らなかった屋台会館をまず見に行くことにする。屋台会館は桜山八幡宮の隣にあるので、まずそこを拝観した。

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外国の観光客が結構たくさん来ていた。山門前の木が色づき始めていて美しい。

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総檜造りの本殿。二礼二拍手して参拝。妹はおみくじを引き、義妹はお守りをいただいていた。

9日、10日と行われた高山祭はここの例大祭である。

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緑が深くでこころが洗われる気がする。

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すべてが紅葉するのも好いけれど、一部が色づいたところも好い。

このあと屋台会館に行く。

2022年10月15日 (土)

まっすぐ帰るのはもったいない

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兄弟の旅も最終日になった。一度名古屋の我が家に帰り、そこから弟たちは千葉へ帰るのであるから、無理をせずまっすぐ帰る方が良いと考えるのが私で、弟はせっかく来たのだからとことんどこかを見て帰らないともったいないと考えるのである。それに今日は行楽シーズンの土曜日で、帰りの東名高速が混む恐れもある。だから遅くてかまわないのだという。

そこで新穂高の温泉宿から神岡へ向かった。道の駅でスーパーカミオカンデの説明を見る。そして神岡城に立ち寄った。何か催し物があるようだ。いつもなら有料なのに無料で入ることが出来た。可愛いお城が青空にくっきり。天守から神岡の町を一望した。

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そのあと飛騨古川経由で髙山へ、そしてそこから東海北陸道で五箇山に行った。世界遺産の五箇山の菅沼集落を散策し、五平餅を食べ、帰路についたので、我が家に戻ったのは四時前である。我が家で一服し、費用(割り勘の約束)の清算をして、弟夫婦と妹は元気よく帰路についた。見送ってほっとしたところである。

詳しい旅の話はあらためて最初からさせていただくつもりである。

快晴上高地

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弟夫婦と妹とともに宿から平湯側のアカンダナ駐車場に行き、そこから上高地に向かった。

天気は快晴。大正池前で下車し大正池や周辺の小さな池、そして梓川を見ながら河童橋まで歩く。

妹はテニスをしているから足取りは軽く、私はついていくのが大変だ。途中からウエストンの碑のある対岸側にわたり、梓川沿いに歩く。写真は河童橋の先から撮ったもの。紅葉はまだ始まったところ。快晴で空気はさわやかでひんやりしている。それでも汗みずくになった。

途中の景色の写真などは整理してから今晩以降に順次報告する予定。

本日帰る。

2022年10月14日 (金)

奥飛騨の宿にて

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弟夫婦と妹と私の四人で奥飛騨温泉にいる。昨日は高山散策をして、そのあと新穂高ロープウエイに乗った。曇っていたが山はちゃんと見えた。部屋は弟夫婦が一部屋、私と妹が一部屋。部屋には深くてゆったり入れる露天風呂が付いている。

おいしい夕食で歓談し、夜は妹といろいろ話をした。妹の亭主である義弟は、昨年暮れに倒れてリハビリ中であり、病院からリハビリと治療を主とした施設に移ったところである。その間のいろいろな話を聞かせてもらった。妹と枕を並べて寝たのはいつ以来だろうか。

妹は、「いびきはやっぱりすごかったけど眠れた」と言った。

2022年10月13日 (木)

善悪

 善悪は相対的なものだと思う。それが証拠に、しばしば人によって何が善で何が悪かちがうことがある。とはいえ、法律的に罰せられるようなことは、おおむね悪であると認める人が大半だろう。それでも百人に一人、千人に一人はそれすら悪とは思わない人間がいることは、連日のニュースを観ていればわかる。千人に一人だとしても、一千万人いれば一万人はそういう人間がいるということで、彼らが世間の中に、不発弾のように存在していると考えると恐ろしい。

 

 金正恩やプーチンが悪人かどうか。私は悪人だと思うが、彼らに心からの拍手喝采を浴びせる人たちがいる。悪人に拍手喝采する人は悪人か。そういえば習近平は悪人か。安倍晋三は殺されて当然の悪人か。

 

 いろいろ考えているとわからなくなってくる。他人の考える善悪を考えすぎると迷ってしまう。自分の信ずるものを信ずるしかないのかもしれない。

 今日は朝早めに髙山に向けて出発する。妹が初めてだから立ち寄りたいというのだ。安全運転でのんびり景色を楽しみながら行こうと思う。

2022年10月12日 (水)

イスラエルとロシア

 イスラエルの総選挙がまもなく行われるが、右派の台頭が予想されるという。右派の中でも極右が急進していて、今後パレスチナ問題が国際的な非難を浴びる事態がさらに激化しそうだ。

 

 ニュースによれば、イスラエルでは、右派かどうかはパレスチナに対する態度で判断されるという。右派、とくに極右の支持者は、そもそもパレスチナ自治区として認められている地区へのイスラエル入植者に多い。パレスチナの地も含めて、そもそもが神がユダヤ人に与えた地であるのだから、自分たちが入植するのは正当であると主張する。パレスチナそのものの存在を認めないのだ。

 

 イスラエルの場所は二千年前までユダヤ人の土地だった。それ以後ユダヤの民は国を失い世界に散らばり、迫害を受け続けてきた。その最大最悪のものがナチスによるジェノサイド(民族大虐殺)である。その惨禍の見返りに、戦勝国たち西洋の列強は、そのユダヤの地にイスラエル建国を認めたのである。そこに住んでいたのはパレスチナの人びとであり、その地はパレスチナの民の地であった。

 

 イスラエルはパレスチナとは比較にならないほど強力である。そのイスラエルがわずかに残されたパレスチナ人の土地(自治区)を違法に侵略して入植地にすることが正義かどうか。そもそもイスラエルという国の存在そのものがパレスチナにとっては、ウクライナにとってのロシアとどう違うというのか。

 

 国連の仕組みを作った列強がイスラエルを産み出した。その国でどれほどユダヤ人がいまだに差別を受け続けているか。そういう問題は問題として、イスラエル極右の論理を産み出したのはその列強であり、アメリカであり、そのイスラエルの極右を支持する人たちはロシアと同様に自分たちがパレスチナを侵すことを神の認めた正義だと考えている。

 

 こういう無限の連鎖を産み出す事態は世界中に山積している。アフリカで、南米で、中東で・・・。造られてしまったイスラエルをなくすことは出来ない。くりかえすが、イスラエルの論理とロシアの論理とどう違うのか。非難する側にその非難の原因の種がある。日本だって同類である。その自覚はあるのか。人類は解決困難なこれらの問題を解くことが出来るのだろうか。そもそも前提となる自覚すらないのがいまの世界らしい。

本人確認は?

 昨夕、普通の人が普通に日ごろしている程度のことをしただけなのにひどくくたびれた。それだけ日ごろ身体を動かしていないということだが、少しくたびれ方が変だ。体温を測ったら微熱がある。風に当たりながら昼過ぎにうたた寝したのが良くなかったのかもしれない。風呂に入ったあと、温かくして早く横になった。

 

 ネットラジオでNHKFMのピアノ曲などを聴いているうちに一眠りしたが、すぐ目が覚めてしまった。ここで起き出してはいけないと思いながら寝床で我慢していたが、どうしても眠れない。仕方がないからスタンドの灯りを点けて本を読んでいるうちにいつのまにか寝ていた。

 

 今朝は平熱。以前のように朝起きたら全開モード、というわけにはいかないが、大事ないようだ。今日は弟夫婦と妹が来る。体調を崩したら申し訳ない。今日はあまり張り切らないことにしよう。

 

 再来年に健康保険証がなくなるそうだ。マイナンバーカードでないと医療が受けられないとすると、困る人が多いだろう。私自身はすでに入手済みだからかまわないが、妻は入院中で、退院の見込みはない。すでに通常生活は不可能で、マイナンバーカードは本人しか手続きできないから、作ることが出来ずにいる。本当に必要な人がマイナンバーカードの作成が出来ない場合、どうしたらいいのか。いまは問い合わせが殺到してバタバタしていると思う。まだ時間はあるが、いつか、どうすればいいのか役所に訊かなければならない。代わりに私が手続きできるのか。写真をどうするのか。病院に頼めるのか。

2022年10月11日 (火)

シーツを洗い・・・

 明日、弟夫婦と妹が我が家に泊まるので、朝からシーツを洗濯し、蒲団を蒲団乾燥機でふっくらさせた。むかしはベランダに干すことが出来たが、落ちないように注意しなければいけないのに、きちんと縛らずに落下させるバカ者が何人もいて、ベランダに干すことが禁止になったのである。

 

 今日は多少風があったが快晴で、秋の乾燥した爽やかな空気がとても快適だった。窓をすべて開け放ち、その秋を味わった。

 

 我が家に泊まるのは、いままで多くて二人だったのが、今回はずいぶんひさしぶりに三人泊まる。かろうじて蒲団は足りる。弟も妹も千葉なので、弟が妹を拾い、車でやってくる。用事を済ませてからになるとのことで、到着は夜になる。家庭を持ってから、兄弟がそろって旅行に出かけるのは初めてのことだ。とても嬉しい。いろいろ予定しているが、喜んでくれると好いのだが。

『方丈記』を読む

 始めて『方丈記』を通読した。高校時代に古典の教科書で冒頭部分を読み、多少は記憶していたが、全部を読んだことはなかった。バラで持っている古典の全集の一巻に『徒然草』などと一緒に収められている。その全集で本文はわずか二十ページあまり。註釈を参考にしながら丁寧に読んでも二時間あまりで読むことが出来た。

 

 いま解説の方を呼んでいて、そちらの方が分量がある。『方丈記』がどういう内容であるか、教えられたから多少の知識はあった。けれども全体を読まなければ著者の鴨長明の考えは想像しにくい。

 

 私は高校生時代、最も成績が悪かったのは古典だった。自分に原因があるとはいえ、いまは古典を読む面白さを感じ取れているのだから、当時、そう感じられればもっと読んだだろうと思う。私は古典の教師が嫌いで、その教師も私を嫌っていたと思う。そのために古典が嫌いになった。それでも『今昔物語』や『醒睡笑』などを読んでいたのだから、読む気はあったので、もったいないことだったと思う。

 

 人形劇の『新・平家物語』や『鎌倉殿の十三人』によって、平安末期の平家物語の時代、そしてそれにつづく鎌倉時代初期について興味をそそられたので、まさにその時代を生きた鴨長明の随筆である『方丈記』を読んでみる気になったのだ。よく知られているように、その時代を生きたのに『方丈記』には平氏のことも源氏のことも書かれていない。天変地異や大火、飢饉について記されているのに戦乱のことはほとんど書かれていない。そのことが何を意味するのか、解説に詳しいのでそれを読んでいる。

 

 鴨長明の無常観のようなものはかすかに理解できた。彼が若いときに親族間でどういう試練を経たか、その諦観の果てに物質的欲望を無意味なものとして放棄し、世間の動きを追う気持ちを放棄した。放棄しきれない私も、なんとなく彼の生き方に美学を感じてしまう。すでに宗教的境地と言えるかもしれない(そもそも方丈に暮らすというモデルは維摩である。仏典の『維摩経』には維摩が方丈に暮らしたとあるそうだ)。ついには生死をも超えていくのだろうか。

2022年10月10日 (月)

裸足

 大阪の会社に就職したが、一ヶ月の研修のあと、営業として東京勤務になった。江戸川の土手が目の前の市川のアパートの二階に独りで暮らし、仕事にもがきながら吞んだくれていた。実家は九十九里に近い町で、月に一度くらい洗濯物を抱えて帰省した。

 

 母は縫い物や編み物が好きだったから、セーターはたいてい母の手作り、正月のために二年か三年に一度ウールのアンサンブルを作ってくれた。襦袢をつけ、羽織に兵児帯で足袋を履き、下駄を履いて上司や同僚のところへ正月の挨拶回りをした。和箪笥にはそのアンサンブルのひと組と兵児帯、三尺(帯)や最後の寝間着が入っている。もう新調するくれる母はいない。兵児帯の締め方も忘れてしまった。寝間着派だった私も、いまは薄いジャージを着用するようになった。残念である。母が私の体格に合わせて鯨尺で特別に作ってくれた寝間着以外は着る気にならないのである。

 

 小さいころは靴下を履いたことがない。冬だけ母の手製の足袋を履いたが、ほとんど裸足だった。足が冷たいと思ったことはない。学校へも裸足にズック靴を履いていった。さすがに当時でも常時裸足というのは少なかったと思う。現在でも、家のフローリングの床を裸足で歩き回っている。とやかく言う家人はいない。

 

 すぐ近くのスーパーや郵便局にはサンダルで行くが、草履式の鼻緒を指で挟むタイプを愛用している。つっかけるタイプはあまり好きではないのだ。草履式だから靴下のまま履くことは出来ない。ところがこのタイプのサンダルが最近はあまり店頭にない。本当は下駄で歩き回りたいが、今はどこも地面が土ではないから下駄になじまない。うるさいし、建物の床も傷むから嫌われることだろう。

 

 冬でもこのサンダルで歩き回って、いままでは特に足が冷たいと思ったことはないが、次第に足が冷えるようになってきた。いつまで裸足にサンダルで闊歩できるだろうか。

レベルを上げる

 今週、弟夫婦と妹が我が家に泊まるので、少しずつ片付けている。これくらいならいいや、という基準を少し(だいぶ)あげて片付けているのだが、もともとおさまりきらないものがあちこちにあるので、あちらをこちらに、こちらをあちらにしているばかりで、片付いた気がしない。

 

 娘や息子なら適当にするのだが、弟のところも妹のところもきちんと片付いているので、恥ずかしいからもう少しなんとかしたいと思うが、如何ともしがたい。

 

 我が家に一泊して、奥飛騨の温泉に行き、天気が好ければ上高地や奥穂高のロープウエイに行こうと計画している。

 

 月末にマンションの運動会の予定だったが、コロナ禍は小康状態になったものの準備が間に合いそうもないので、中止が決まっている。これで大きな行事は新年会くらいしか残っていない。赤い羽根募金をつのり、応募した人に配布して、今月はもうマンションの仕事がないので気楽だ。あとは来週、妻の病院に行く予定だけ残っている。

 

 月末にまた一人で遠出したいような気もしている。西行するか、北上するか。

2022年10月 9日 (日)

手洗い

 コロナ禍によって大きく変わったことは、あまり公共交通機関を利用しなくなったことだ。名鉄に乗って名古屋駅へ行くことがしばしばあったのに、今はほとんど乗らない。名古屋地区はMANACAというカードだけれど、チャージがほとんど減っていないはずだ。たいてい鶴舞公園やその近くの古本屋と名古屋駅周辺の本屋を巡り、桜の時期には名古屋城へ行ったりしたが、いまはめったに行かない。出かけるときは自分の車である。近場なら歩く。

 

 もうひとつ変わったことは、手を洗うようになったことだ。トイレに行ってもほとんど手など洗わなかった。それがどこへ行ってもアルコールで手を消毒するようになり、自宅でも手を洗うのがあたりまえになって、何かしたら手を洗うのが習慣になった。その点はコロナ禍の数少ない良いことであった。

 

 リタイアしてから定期的に歯医者に行きケアをしてもらうようになり、歯磨きを朝晩丁寧にするようになったのは、コロナ禍より前からのことである。おかげで今のところ虫歯や歯槽膿漏の歯はない。高齢化するほど、やはり清潔であることはだいじなことだ。そう自分に言っている。

昭和

 睡眠のリズムが乱れているが、気持ちの好い目覚めの朝を迎えられたときはとても快適だ。窓を開け、ベランダに出て朝の新鮮な空気を吸い、空を見上げる。見える範囲の雲を眺め回し、朝日の輝きや雲の動きの速さを見る。西の空と東の空を見比べれば、今日の天気が良くなるのか悪くなるのか見当がつく。

 

 昨晩の池上彰の番組(昭和時代がテーマ)を観ていたら、そういえばそうだったなあ、と思うことが多かった。年寄りはしばしば「むかしはよかった」というものらしいが、私は、むかしは良いことも悪いこともあったと思うし、どちらかといえばいまの方が良いことの方が多いので、あまり「むかしはよかった」とはいわない。ノスタルジーとしての甘い思い出は、子供が小さかったころのことばかりだ。そのことを思うときだけ、むかしは好かったなあと思う。

 

 昭和の時代にはスマホがなかった、という話に対して、若いタレントの女の子が、「私は生きていけない」とコメントしていた。彼女が現代から昭和にタイムスリップしたならそうだろうなあと思うが、その時代に彼女が生まれたら、そもそもスマホを知らないから心配ない、生きていけるよ、と声をかけてあげたい。これが若い男なら「バカか」と思うが、若い可愛い女の子ならいいのだ。

 

 テレビも携帯もパソコンもなかった時代に生まれて、ない時代とある時代の両方を知る身としては、あるのがあたりまえの人の気持ちはわからない。それは向こうの方がもっとこちらがわからないのだとあらためて知らされた。

 

 給食を完食することを強制されていた時代だったと話していたが、たしかにそうだった。私は何を食べても美味しかったから、給食が大好きだった。好き嫌いのある子からわけてもらって引き受けたりした。みんなが嫌う脱脂粉乳だって二杯も三杯も吞んだ。「お母さんの作る食事より給食の方が美味しい」と言って母を哀しませた。そのおかげで母は発憤し、料理教室などに通って料理の腕を上げて、私が高校生くらいのときには食事がとても美味くなった。

 どんどんよくなる時代が昭和だった。平成はそれが天井を迎えて下り坂になった時代と言えるだろうか。では令和はどうなっていくのだろうか。それを見届けられるとは思えない。最初から悲観しないようにしようと思う。

2022年10月 8日 (土)

ノーベル平和賞

 ノーベル賞の授与の主体はスウェーデンだが、平和賞だけノルウェーである。賞の性格上、どうしても政治的色彩を帯びるのは致し方ない。異論を生じやすい賞だということが出来るだろう。今年はロシアのウクライナ侵略に反対運動した団体や人物に贈られることが決まったようだ。それはロシアや中国にとっては到底承服しがたいことだろう。

 

 私がこのノーベル平和賞にしばしば違和感を感じるのは、達成された平和に対しての功績をたたえるのではなく、達成を目指している途中で功績として評価してしまうことだ。たとえばウクライナの戦いをトルコのエルドアン大統領が尽力して停戦に導いたら、(エルドアンは好きではないが)彼に平和賞を授与することに私は賛同する。他の賞がすべて結果に与えられるものであることとの違いをいっている。

 

 ノーベル平和賞を贈ることで平和運動を激励して支援するというのは、少し上から目線に感じられてしまうのだ。勲章を与えるのか、賞に値する功績をたたえるのか、そのへんの微妙な違いが気になってしまうのである。もっと客観的であるべきではないかと思い、政治的関与に傾きすぎているような気がするのである。抵抗運動や反戦運動に対して、私にも賞賛する気持ちが人並みにあることはもちろんであるので、誤解のないように願いたい。

2022年10月 7日 (金)

名前

 市川の江戸川で女児の遺体が発見され、埼玉で行方不明だった南朝芽(さや)さんであることが判明したという。溺死だという。そもそも母親と合流するはずの公園ではない、別の公園に行ったことが不審だし、どうして靴下と靴を脱いで川に入ったのかも説明がつかない。当初、私は誤ってキックスケーターを川に落としてしまい、それをとろうとしたのかと思ったが、それは別のところで見つかっている。それに江戸川は川遊びするような川ではない。誤って川に落ちたのなら靴をそろえて脱ぐはずもない。
 
 外傷はないというが、第三者の関与がなかったか、慎重に、そして厳密に調べることを望んでいる。

 

 そのことはとにかく、私が気にしてしまうのは名前のことである。朝芽と書いて「さや」と読むというのが引っかかるのだ。朝を「さ」と読むのは人名の場合にもないではないが、普通ではない。しかし「芽」を「や」とよむよみかたは全く知らない。さきに「さや」という名前が思い浮かび、漢字を当てたのだろうか。朝の芽というのはイメージとして悪いものではない。そういう意味では良い名前なのだが、知らずに見せられて読める人がいるとは思えない。

 

 やさしい普通の字なのに読むのに迷う名前がある。幸子とあったら「さちこ」なのか「ゆきこ」なのか。その名前の持ち主は自分の名前に面倒さを感じてるのではないか、などと思ってしまう。相手は間違えないようにしながら間違え、そのたびに訂正をしなければならない。

 

 でも、そういうものとはちがって、そもそもその漢字には普通ないような読みを読ませる名前に頻繁に出会うようになった。漢字にも人名にも、多少は人より知識はあるつもりの私がたいてい読めない。読めない名前の方が普通の時代になった感がある。それならなぜ漢字を当てるのだろうか。ひらがなやカタカナならどんな突飛な名前でも間違いようがない。それでいいのに漢字を当てて、読めないようにすることにどんな意味があるのだろうか。

 

 漢字は表意文字だから、それぞれに意味がある。むかしの人にも難読名前の人がたくさんいて、ふりがながないと読めずに困ることがある。困るだけでなく私は気持ちがよじれる思いがしてしまう。調べずにはいられない。面倒である。親はその名前に何らかも思いをこめている。難読の名前を、世間の人が本人の知名度とともに知られることを密かに期待したのかもしれない。

 

 それとも名前そのものを知られないようにする理由もあったのだろうか。言葉や名前というものには言霊、魂があると信じられてきた。だからこその本名と諱(いみな)があった。知る、知られるということは、関係を結ぶことだと考えられた。鬼が自分の名を知られるとその呪術的能力を失うという伝説はいくつもある。『西遊記』で、金角と銀角が持つひょうたんは、名前を呼ばれて答えた相手を吸い込んで閉じ込めてしまう。名前と実体の深いつながりを表す話だ。 

 

 現代の、ふりがななしでは読めない名前の氾濫が、どういう意味なのか。独自の読みはオリジナルで美しいと考えているのだろうか。そうは読めない漢字を無理やり読ませる名前は、私には苛立ちである。世間の人はそう感じないのだろうか。不思議に事件に巻き込まれた子供の名前、虐待された子供にそんな名前をよく目にする。それが今はあたりまえだからよく目にするのか、そうではないのか、知りたい気がしている。私の友人知人の周辺のこどもたちは、しかし普通の名前ばかりである。読めない名前はいまのところ、いない。

2022年10月 6日 (木)

ちょっと休憩

ブログを書かなければ、という思いが少し負担になっていますので、ちょっと休憩したいと思います。一回か二回の休みになるか、数日休むか、今のところわかりません。やめるつもりはありません。

荻原守衛

 安曇野の碌山美術館には二度行った。碌山荻原守衛の故郷は安曇野である。この美術館には荻原守衛以外の作品も置かれていて、友人だった高村光太郎の作品もある。先日読み終えた『臼井吉見集2』の臼井吉見はやはり安曇野の出身で、この本の巻末に近いところに収録されているやや長い文章が『萩原守衛』である。彼の生い立ち、その生涯、そして相馬黒光とのかかわりが記されている。

 

 星良(ほしりょう)は相馬愛藏と結婚し、相馬良となる。相馬愛藏はやはり安曇野生まれ、相馬良は仙台生まれで相馬黒光とも呼ばれた。相馬黒光についてはテレビドラマ『パンとあこがれ』に描かれたが、ずいぶん古いから、リアルタイムで観たのはかなり年配の人だろう。確か宇都宮雅代が相馬黒光を演じていた。

 

 荻原守衛と相馬黒光の関係は有名だが、守衛が一方的に恋慕して、黒光が思わせぶりに終始して、実際には関係がなかった、というのが定説になっている。そのへんのことを臼井吉見が相馬黒光についてかなり辛らつに書いていて、私の思っていた相馬黒光のイメージが損なわれたが、実際にそうであったかもしれないとも思う。

 

 相馬愛藏、黒光夫婦はアンパンで名と実を成し、新宿中村屋の創業者となったことはよく知られている。実業とともに多くの著名人を援助し、かくまったりした、私が徳に記憶するのはインド独立の闘士、ラス・ビハリ・ボースを日本で庇護したことである。後に夫婦の長女とボースは結ばれた。1945年、日本で病死。

 

 よく混同されるのは同じボースでも、より著名なチャンドラ・ボースであり、別人。彼はやはり日本に亡命後、後に台湾で事故死(暗殺とみられる)している。私の母も勘違いしていて、後に父が別人だと教えてくれたことなどを思い出した。母にとって相馬黒光は憧れの開明的な女性だったらしいから、臼井吉見の指摘を聞いたら哀しむかもしれない。

理解不能

 今朝も北朝鮮がミサイルを発射した。何をしたいのか理解できない。撃つぞ、撃つぞと威嚇射撃をくりかえしているのだとすれば、当然撃たれたくなければ米をくれ、とか金をくれ、とか要求があるはずで、しかし今のところ具体的ななんの要求もない。

 

 他人には理解不能の行動をくりかえし、迷惑をかけ、日常の社会生活を営むことの出来ない人間を狂人という。精神疾患として治療が必要である。北朝鮮専門家と称する人たちは、その精神科の医師のごとく理解不能の行動を理解してみせるというご苦労様なことをされていて、症状を説明してくれるが、聞いてもさっぱりわからない。

 

 迷惑をかけないために隔離が必要かと思うが、今のところ野放しである。これからもずっとミサイルは発射されるということらしい。あぶなくて日本海で漁業の操業は難しいことになる。漁船を追っ払うのが目的で、それは漁業資源の回復に寄与することにつながるということなのだろうか。まさかね。ミサイルの破片は魚礁になるのだろうか。

2022年10月 5日 (水)

読み散らす

 森本哲郎の『すばらしい旅』を読み終えたら、にわかに彼の『詩人与謝蕪村の世界』という本を読みたくなった。詩に対しての理解力の弱い私に、俳句を、とくに蕪村の世界を教えてくれた本で、最初は文庫本(講談社学術文庫)で読み、あとで古本屋で見つけた至文堂版の箱入り豪華装丁本(これが最初に出版されたもの)で二度目を読んだ。その本は私の宝物にしている一冊だ。こちらは図版が完璧で、眺めているだけで楽しい。

 

 今回は通読するというより、拾い読みして楽しんでいる。そうなると同じ森本哲郎の『月は東に』(新潮社)という本を拡げてしまう。与謝蕪村は彼の在世中は別として、そののち世に埋もれていて、明治に入ってから正岡子規によって見いだされて再び知られるようになった。『月は東に』は、正岡子規の親友だった夏目漱石と蕪村をおもに取り上げて日本の精神を論じたものである。

 

 そうそう、そうなると高橋治の『蕪村春秋』(朝日新聞社)も引っ張り出して読みたくなる。この本の帯には、「蕪村に狂う人、蕪村を知らずに終わる人。世の中には二種類の人間しかいない。」とある。私はまだ知らない方に属するか。森本哲郎と高橋治の句の解釈はあたりまえのことだが多少ちがう。さらに萩原朔太郎の与謝蕪村評論の文章がどこかにあったはずだ、などと探したりしている。

 

 どの本も、句の意味、解釈を手に取るように解るように説明してくれてはいない。そこまですると、句の表す世界を縮めてしまうからだろう。だから私には意味がよくわからないままになることがおおい。イメージを拡げるところまでいきつけないのだ。それでも突然強烈に心に響くことがないではない。めったにないのが哀しいが、ないわけではないのでよしとする。以前感じたものとちがったりする。当然かもしれない。以前読んだ私と、いまの私はちがうのだから。

 

蕪村の句

 

  父母のことのみおもふ秋のくれ

 

嘘でも世の悪を正すためなら・・・

 朝日新聞は従軍慰安婦について、自分は女性を拉致して集めたと証言したとされる吉田証言が事実無根の嘘だったことを二十年以上認めず、信用を失墜して購読数を減らした末に追い詰められて、ついにその間違いを認めた。その認めた間違いを韓国の新聞にも掲載すれば良かったと思うが、そういう話は聞いていないから、掲載はしなかったのだろう。韓国の新聞が自発的に掲載するはずもなく、いまでも吉田証言は韓国では慰安婦問題の根拠となっていると思われる。

 

 テレビ朝日の社員でコメンテーターの玉川徹という人が、安倍元首相の国葬における菅前首相の弔辞が電通のシナリオによるものであると番組中に公言した。弔辞が感銘を受けるものだったことに水を差すことが彼の正義だったのだと想像されるが、そのコメントは全くの事実無根だったことが明らかになり、翌日、彼は同じ番組で謝罪した。

 

 当初、玉川某のコメントに「そうだったのか」とか「やっぱり」とかいう賛同の声がたくさん寄せられたそうである。当然「事実誤認でした」という謝罪を聞いたら、自分が嘘にだまされたことに腹をたてると思っていた。ところが、テレビ朝日が彼を謹慎処分にしたことが報じられると、「電通を怒らせたから処分したのか」とか、「電通は政府より偉いらしい」とかいう批判が寄せられているという。テレビ朝日にとって、電通が政府より重視すべきものであるかについては知らないが、嘘をついた玉川徹という人に対して怒るよりも、謹慎処分にしたテレビ朝日を批判するという感覚にはついて行けない。

 朝日新聞は吉田証言は嘘だったけれど、だからといって日本の軍隊の罪は消えない、と開き直った。朝日新聞に指摘されるまでもなく、日本の軍隊の罪は罪である。問題は事実検証もせず、吉田証言が途中で明らかな嘘であることがわかっていたのにそれを認めなかったことにこそ問題があるのであって、だから嘘をついてもいいということにはならない。それなのに謹慎十日で番組に復帰という処分は、私には軽すぎるように思える。朝日新聞とテレビ朝日は別の会社とはいえ、やはり根本は同じだなあと感じる。

 

 今回はジャーナリストとして犯してはならない、嘘をついて事実であるかのように語ったこと、に問題があり、おとしめた菅前首相や政府、安倍前首相が嫌いだから、悪者だと思うから嘘をついてもいいのだという感覚こそが恐ろしいと思うのだ。そう思うから、今回の謹慎処分というのが私には軽すぎるとしか思えない。いままでも同様の虚言歴があるらしいし、これからも再び三度、拍手喝采の期待できると思う彼なりの「正義感」からの虚言を語ることだろう。

 

 彼の言葉に賛同する人たちは、大本営発表という嘘八百を信じた人と正反対であるように見えて、実は同じ精神構造をしているように私には見えてしまう。

生体エネルギー低下

 この何日か、よく眠れないし、食慾がない。お酒を吞んでも美味くない。読書も集中できないので、いろいろな本を断片的に拾い読みしている。映画を観る意欲もない。代わりにたまっているドラマなどを観て時間を潰している。

 

 ホテル、病院や床屋など、いろいろなところで体温を測定されるが、たいてい36℃を下回っている。発熱量が低下しているようだ。つまり私の生体エネルギーが低下しているらしく感じる。エネルギーが低下しているからテンションが低いのか、テンションが低いから発熱量も低下しているのか。

 

 何にもしていないのに夏バテしていて、いまはその解消のモードに入っているということならいいのだが・・・。そういえば、むかしから涼しくなり始めるこの時期にこんな風にテンションが下がることがあった気がする。たいてい友人とバカ酒を吞んで解消したものだが、いまは会いに出かけるのを控えているから、自分で解消する方法を考えなければ。

 

 好きなカレーでも作ろうかな。

 

2022年10月 4日 (火)

森本哲郎『すばらしい旅』(ダイヤモンド社)

 森本哲郎の本は七十冊以上あって、どれも二度以上読んでいる。ある意味で彼の本は、私の外界に対する考えの橋頭堡のようなものだ。若いとき、世界をどう捉えたら良いのか、自分とはなんなのかさっぱりわからなくて、さまざまな本を読んだ。たくさん読めば少しずつわかるものだと思っていたが、自分がどこにいるかも知らないまま、地図を持たずにさまようようなもので、いくら本を読んでも無明のままである。

 

 まず自分の原点を定めなければならない。原点を定めるためにはどうすればいいのか。考えるしかないのである。考える対象について考えるとき、自分の原点はおぼろげながら浮かび上がるものだ。そのとき原点は点ではない。ぼんやりしたものである。これをさまざまなことに対してくりかえしているうちにぼんやりしていたものが少しずつはっきりしてくる(はずだ)。そこで初めて世界は一皮めくれて見える。無明からの夜明けである。

 

 この考えることについて、教えてくれたのが森本哲郎だった。

 

 副題が「人間、歳月、出会い」というこの本では、砂漠で、インドで、ドイツの森のそばの木賃宿で、森本哲郎がさまざまに思索したことがやさしく書かれている。ときに哲学的に、ときに宗教的に、ときに文学的に、ときに音楽的に、ときに歴史的に彼は考える。考えたからなんだ、といわれても答えようがないけれど、それこそが生きているということだと彼は考えるのである。考えるために旅に出るのである。

 

 彼の本を読んでいて心底思うのは、ちゃんと外国語を学べば良かった、ということである。旅先で誰かと話すためにはどうしても言葉がわからなくてはならない。父は英語の教師だったし、中国語もモンゴル語も出来たらしい。素質がないわけではないと思いたいが、なかったのである。

冷静沈着・・・

 今朝のJアラートには驚いた。ミサイル着弾の恐れもあると判断しての警報だったのだろう。しかしいつまでも日本上空を飛び続けるはずもなく、30分過ぎても一時間過ぎても騒ぎつづけているのはいささかうるさく感じた。おかげでニュースはほとんどそれだけ、世界でよほどのことがなければ、何もなかったと同じ状態である。もう少し冷静に報道してもらいたいものだ。

 

 急遽駆け付けた岸田首相の最初の会見は、テレビ局などとちがって爽やかで明るかった。北朝鮮を非難してはいるが、全く感情的にならずふだんと変わらない。岸田首相は平常心の人なのだと国民は感心したことだろう。これで再び支持率は上がるにちがいない。

 

 他の人だったらどうだろうか、と想像してみる。安倍元首相や菅前首相なら、静かなうちにも怒りをあらわにするだろう。すくなくとも目や言葉に怒りがこめられたと思う。彼らは平常心の人ではないのだ。

 

 私はこういうときに感情がこもる人の方が好きだ。国民を代表して他国の暴挙への怒りを語る言葉に冷静沈着、平然としているようにしか見えない人は、その他国への怒りも伝えることができない人なのだろうとしか思えないではないか。

 

 まさかと思うが、そもそも何も感じていないのだ、なんてことはないだろうなあ。心配だなあ。

句読点

 前回のブログで、金井美恵子の文章のワンセンテンスが異様に長いことを書いた。何しろ十行、ときにはそれ以上も読点がないのだ。そしてその金井美恵子が、開高健のことを書いた谷沢栄一の文章が「苛々して薄気味悪い」と評していた引用文は、句点が頻出するものだった。

 

 あえて句読点を少なくした文章というのもある。野坂昭如はもともとワンセンテンスが長いが、『骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげしびとのかずら、と読むのだと思う)』などは意図的に読点を減らした文体を用いている。初めて雑誌で読んだとき驚いたけれど、読んでみるとそれなりのリズムで読み進めることが出来る。こんなものを真似しても、決して読むに耐える文章にすることは出来ないだろう。

 

 ちゃんと学んでいないので、きちんとした文章が書きたくて三十才を過ぎたころに通信講座の「文章講座」を受講しようとしたことがある。半年「初級」、半年「中級」、そのあとは「上級」に進み、そこからはエンドレスだったと思う。まず原稿用紙の書き方から、表題、名前をどういう配置で書くのか、段落の取り方、句読点の打ち方、送り仮名などの基礎を学ぶ。一ヶ月分のテキストが毎月何冊か送られてくる。 学んだら課題を書いて、それを返送する。

 

 ところが始めて二月ほどで転勤が決まり、テキストを読んだり課題をこなす余裕がなくなり、勉強らしい勉強をしないうちに講座は打ち切らざるをえなかった。あのときそのままつづけていれば、もう少しマシな文章が書けるようになったはずだと悔やまれる。これはもちろん悪文の言い訳である。

 

 しかし、限られた文字でこれだけさまざまなことが書けるし読めるということ、言葉というのは不思議なものだなあ、といつも思う。

2022年10月 3日 (月)

金井美恵子

 金井美恵子の『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬPARTⅡ』という本をひと月以上かけて読み終えた。この長い題名は、彼女の前衛的な志向によるものかもしれないが、あまり好きではない。この本には前衛的、反体制的視点から映画や文学を論じた文章が収められている。私とは相容れない面が多いのに最後まで読み終えることが出来たのは、自分の持たない視点を提示してくれていて、しかもそれを否定しないで読ませてくれる彼女の文章力による。それに彼女の映画についての知識の深さと観る力に敬服してもいるからだ。

 

 彼女の文章はワンセンテンスが異常に長い。意識的にそうしているのだろう。いいたいことを順番に、ではなく、並行的に同時に言おうとするとこうならざるをえないのだ、と彼女ならいうのではないか。開高健を論ずるところで、谷沢栄一(開高健の友人で評論家)の句読点だらけの文章を「心臓疾患か肺気腫で息切れしたような声に出して読まずとも苛々するリズムが薄気味悪い」と切って捨てている。どちらもどちらだから笑えてしまう。

 

 それでも、彼女が安岡章太郎の文章に一目置いて、やさしく書かれているのに奥が深い、と評しているのを読めば、好きな作家だけに共感もする。論じられている映画については古いものが多く、ヨーロッパのものが多い。彼女は私のちょっと年上だけれど、その観ている映画がちがいすぎで、同じ世界を観ることが出来ないのが残念だ。

 

 Amazonで調べたら、彼女の小説などを十冊まとめて安く買えるらしいのでちょっと食指が動くが、積んでおくだけになる可能性が高く、あきらめた。

期待外れ

 病院まで歩いて20分弱。一汗かく。半袖のシャツで行った。私の診察は月曜日と決まっているが、同じ月曜日でも混み方がずいぶんちがう。理由はよくわからない。受付開始の10分前に着くように行く。自動受付機の前に行列が出来ていて、10分が私の列んで待つ忍耐の限界なのだ。お年寄りは気がせくから、早くから来る人が多い。

 

 受付、保険証の確認、採血、検尿、血圧測定を済ませて、あとは呼ばれるのを待つ。激しく咳き込む人が二人ほどいて、なんとなく厭な気がする。検査結果が出なければ診察には呼ばれない。待ち時間は本を読んでいればいいからあまり気にならない。ほぼ読み終わり掛けの『臼井吉見集 2』を集中して読んでいたら、思ったより早く診察に呼ばれた。

 

 このひと月、かなり節制した。おかげで体重もそこそこ減っていたから、血糖値は改善しているはず、と期待していたのに、前回とほぼ同じだった。空腹時血糖は、いつもより高い。どうしたことか。このごろの生活を話したら、先生は節制を認めてくれた。結果が数値に表れるのは少し先になるのかも知れませんね。と笑顔で言った。ただし、尿酸値が上がりはじめているのが気になるという。尿酸値が下がりすぎていたので、前々回から尿酸値を下げる薬を打ち切った。このあたりで止まればいいけれど、さらに上がるようならまた飲まなければならないのだそうだ。

 

 もうちょっと血糖値が下がったら間隔を三ヶ月にしてもいいと思っていたけれど、次に期待しましょう、ということで次回は12月。

 

 処方薬を出してもらう薬局はいつになく混雑して、そちらで余分な時間を食った。このごろあまり散歩をしていないのに、病院への行き帰りの足取りはとても軽く感じられた。朝晩の腿上げが奏功しているのだろうか。陽気も良くなってきたし、少し散歩に精を出してみようと思う。

ひさしぶりに

 夜明け前に、ひさしぶりに足がつった。あまりひどくないが、しばらくつったままだった。陽気が秋めいて、朝晩気温が下がる。足が冷えたことによるものだろう。私は寝ているとき、足がほてるので夏は足が蒲団から出た状態で寝る。掛け布団はまだ夏掛けである。

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 薬を飲み、もう夜明けも近いので起き出した。ベランダに出ると、小牧方向の山が見えた。一日、二日と名古屋は30℃ごえだったが、今日は少し暑さもおさまるらしい。

 

 今日は定期検診日。最近は酒を飲まない日が増えている。食べる量も控えめになっているので血糖値は高くないと思うのだが、少し前に旅行で美味しいものを食べ、飲み、また友だちと歓談してしっかり飲んだりしたから、それが数値に表れるかもしれない。

 

 不思議なことに目のかすみは温湿布や目薬のおかげでおさまっている。午前中の糖尿病検診だけでよしとしておこうか。今朝は食事抜きだ。

2022年10月 2日 (日)

晴れ男の効果は如何に

 物価が上がっている。原料が上がり、人件費も上がり、光熱費、包装容器、輸送費も上がっているのだから、商品が値上がりするのは成り行きとして仕方がない。値上げしなくて頑張れるということは、いままでよほど儲けていたのかと疑われかねない。現下の情勢でメーカーに値上げしないよう要求するのは酷というものだ。こういうときは値上げをして、同時に給料も上げるというのが正しいのである。

 

 年金生活では苦しい。でも、年金だけでは暮らせないとぼやく老人を見ると呆れてしまう。年金だけで暮らせると誰が約束したのだ。生きていくための用意をするのがまず先決で、たいていの人がそうしている。どうしても食べていけない人のための施策はあるらしいではないか。私は妻の長期入院によって医療費の負担は大きいが、ありがたいことにさまざまな補助もあり、食べるに困らないし、多少の旅くらいなら出かけることが出来る。それはそれなりに準備していたからだ。両親が残してくれた多少の遺産もゆとりとなっていて、ありがたいことだと感謝している。

 

 いまはスーパーでの購入額が上がりつづけているのを実感している。メーカーは容量を減らして見かけ上の単価を抑えてみせてくれたりしているらしい。面白いことに、歳とともに食が細くなっているので、食べる量が明らかに減っている。もともと大食漢でウワバミだったから、食が減り、吞む量と回数が減ることで、結果的にいまは値上がりと多少は釣り合っているような気がする。年齢相応に食事量を抑制するのは健康にも良いではないか。

 

 弟夫婦と妹が来週後半にやってきて、奥飛騨の温泉に泊まり、その周辺や上高地を見に行くことにしているが、長野県の長期予報を見ると、今月半ばは雨の日々である。私は晴れ男で、確実に雨、という予報でも出かけると雨が上がることが多い。今回は、私の晴れ男の念力は通じるか。

 

 確実ではないが、宿泊費などの補助が受けられるかもしれない。弟と妹に電話して、ワクチン接種証明書と本人確認するものを持参するように伝えた。入院している義弟は、今週病院からリハビリの出来る施設に移ることになったそうだ。かなり認知度が低下しているが、経過が良ければ自宅介護が可能になるかもしれないという。だから来週は問題なく行ける、楽しみだ、と妹の電話の声は明るかった。

世界はロシアと中国になるのか

 これは私の妄言であると断っておく。

 

 ロシア人の兵役のがれのための出国が相次いでいる。周辺国はその対応に苦慮し、ロシア人に対する入国制限がはじまった国もあるようだ。ロシア政府は出来るはずなのにそういうロシア人を厳しく取り締まり、出国制限をしないのはどうしてだろうか。

 

 実は、内心ではもっとたくさん出国して欲しいと思っているのだ。一定数のロシア人が棲みついた国が増えるのは、ロシアにとって望ましいことだからだ。そのロシア人を迫害から護るためにロシアは軍隊を派遣することが出来る。百人のロシア人だけで独立することだって出来るかもしれない。独立を阻止しようとしたら、ナチスだと非難すればいいのである。

 

 そんなことは通用しないのかと思ったら、誰もそれを止められない。止められないということは通用するということである。そんなことで通用するなら面倒はない。真似をするかもしれない国がお隣にいる。中国人は世界中に散らばっている。アフリカなんて、ロシア方式で中国人を護るためと称していくらでも中国は軍隊を派遣し、選挙で中国支援国として独立させることが出来る。中国もロシア同様に国連の常任理事国のひとつで、誰もそれを止めることが出来ない国である。国連の仕組みはそうなっているらしい。

 

 ドミノ倒しのように次々にロシアと中国は各国を吸収して膨張し、ますます強大になり、ますます止めどがなくなり、やがて世界はロシアと中国だけになるだろう。その次はロシアと中国のたたき合いになるかもしれないが、私はその頃にはもう生きていない。いや、案外生きているうちにそれを見ることになるかもしれない。あり得ないことが現実に起きているのだから。

薬を捨てる

 食器棚の一角に薬類を収納している。使いかけを放り込んで、必要に応じて引っ張り出す。取り出してみると期限の切れた薬がたくさんある。一ヶ月や二ヶ月なら気にしないのだが、さすがに一年以上前に期限の切れているものはまずいだろう。

 

 古い湿布薬などが結構ある。どんどん捨てていったら、棚の薬が半分以下になった。娘のどん姫にもらったアルコールと噴霧器は、ちょっと使っただけでしまい込んだままだった。すまぬことで、もっとせっせと使えば良かった。ところでその食器棚には何年も使っていない食器がどっさり入っている。今度はそれを取捨選択しなければ。使えるのに捨てる、というのがどうしても抵抗があるんだよなあ。

2022年10月 1日 (土)

レンジ磨き

 ガスレンジを新しくしたいと思っているが、出費の負担を考えて依頼を迷っている(旅にかける金は惜しまないが、こういうことにはケチなのである)。錆と汚れがこびりついて取りきれなくなっている。大きな歯ブラシ状のワイヤーブラシ、専用の洗剤を買い、ゴム手袋をはめて昼過ぎからとことん磨き上げている。汗だくになるほど頑張ったので、だいぶ良くなった。もともとこまめに磨いていればこんなことにはならなかったのだが、後悔先に立たずである。

 

 こういうことには勢いがつく。これもしよう、あれもしようと思う。勢いがあるうちにどこまで出来るだろうか。今日は水回りを重点に張り切ったのだが・・・。

読んだ本を引用することについて

 ざる頭の私なりに、いろいろなことを考える。考えは「よどみに浮かぶうたかたのように」浮かんでは消えて、とりとめがない。少し考えを深めようと思っても、何を考えていたのか忘れてしまうので、常に考えはあさはかなままだ。ブログを書くようになって、浮かんでは消える考えを書き留めるようになった。お粗末なりに、以前よりはバラバラだった考えと考えが関連し始めて、たいへんボケ防止に役立っているように思っている(思っているだけかもしれない)。

 

 同じように本を読んだら読みっぱなしで、それを反芻することがなかった。読んだ本のことをブログに書くことで、読んだ本のことを考え、自分が何を感じたのか書き留めることによって、多少は記憶に残るようになった。ブログに読んだ本の一部を引用するのは、そこに私なりにアンダーラインを引きましたよ、と言う表明である。

 

 以前、私にとってのブログは公開日記であり、匿名の長い自己紹介であると書いたことがある。そうしたら、公開日記や自己紹介なんかちゃんちゃらおかしいからブログに書くな、というコメントをいただいてびっくりしたことがある。不愉快だったらしい。しかし私はブログを読むことを「強制」するつもりもないし、できるはずもない。不愉快なら読まなければいいだけのことだ。読んでもらってありがたいものの、めんどくさいのはきらいだ。 

 

 引用した筆者の意見ばかりで私の考えが述べられていない、という指摘をいただいた。その筆者の本のその部分を引用した、ということに私の考えの一端があると思っているが、他人の言葉で自分の考えを語るな、という批判であるようだ。

 

 戦後しばらく経っての世の風潮について書かれたものを引用したことにたいする指摘であったが、私としてはその時代を自分の時代として生きていない。その文章から、いまをどう捉えるかを考えようとしてブログに書き留めた。両親や叔父叔母からその時代のことを聞いていて、それぞれちがう。それらが総合して影響し、私の歴史認識につながっていく。私としては、その本を読んでいない人にそういう考えを紹介しようという意図もある。

 

 私は面倒なことがきらいで、それなのに自分が面倒くさい理屈っぽい人間でもあった。ずいぶん迷惑もかけたが、歳とともにそうではなくなっていると思う。ある時期、個人的な事情で、最もきらいな、面倒くさい人たちと関わらざるをえない時期があって、疲労困憊した。ああいう思いはこりごりである。多少みっともなくても面倒くさいものは回避することにしている。「回避している、逃げている」と指摘されたら「はい、そうです」と答えるしかない。それでいいと思っている。ご承知おき願いたい。

訃報

 昨夕、円楽の死を知った。72才は私と同年である。他人事に思えない。当意即妙、頭の回転の速さはピカイチだった。いまの「笑点」は、円楽なしではそもそも成り立たない。いままで変則的なメンバーでつづけていたが、はっきり言って面白くない(特に関西から来た文枝(元の三枝)のときなど、ひどいものだった)。毎週楽しみに観ていたけれど、この番組も円楽とともに寿命を終えることになる気がする。

 

 私は先代の円楽の師匠である三遊亭円生が好きで、CDのコレクションを持っていて、時々聴く。先代の円楽はあまり好きではなかった。いまの現役の落語家の話を聴くことはほとんどなくなった。久しぶりに円生か、先代の正蔵(彦六)のCDでも聴こうかと思う。

 本日、名古屋の最高気温は32℃の予報。朝から暑そうな気配。

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