残忍な親心
オーナー・トレーシーというイギリスの婦人記者が、戦後すぐの1948年(昭和23年)に日本にやってきて、八ヶ月滞在したあとに、帰国してから日本見聞記を書いて出版した。そこから臼井吉見が引用している。
「占領の目的は昔のように、敵を抑えつけて武装解除をさせたり、損害賠償をさせたりするのではなくて、被征服者の生活態度をすっかり征服者の生活態度に見倣わせるように、作り直すことであった。それはお手柔らかな方法であると同時に、かつて一度も試みられたことのないほど、ひどく残忍な方法だった。宗教、芸術、出版、教育、法律、家風など、何一つとしてこの侵入者の親心をまぬがれることはできなかった」
これについて臼井吉見は以下のように書いている。
この侵入者の「残忍な方法」が日本に呪うべき残虐の跡だけをとどめたとは僕は思っていない。日本の手にまかしておけば、あるいは何百年たってもできそうもないような改革を無造作にやってのけたこともずいぶんある。むしろもっと徹底してやってもらいたかったこともどっさりある。しかし、すくなくとも教育の方面については、「残忍な方法」をせっかちに適用したという、イギリス婦人記者の観察は正しいと僕は思う。
と述べた後、
歴史や地理の授業を禁じたごときは、もっとも残忍なものといってよい。日本人の歴史や日本人の住む地域について何一つ知らせないというのでは、これ以上残忍なことはない。
と書いている。そこには具体的に彼が出会った小学生達とのやりとりから、どんな知識を持ち、どんな知識がないかが述べられている。
占領軍(進駐軍)の意向に最も忠実だったのは日教組だったのではないか。そうして日本の近現代史は、戦後ほとんど教えられることがないまま現在に至っていて、日本の若者は日本の歴史を知らないまま、他国のプロパガンダを安易に信じ込まされている。無知ほど刷り込みはたやすいのだ。教えられなければ自ら学べよ、と思う。
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