名前
市川の江戸川で女児の遺体が発見され、埼玉で行方不明だった南朝芽(さや)さんであることが判明したという。溺死だという。そもそも母親と合流するはずの公園ではない、別の公園に行ったことが不審だし、どうして靴下と靴を脱いで川に入ったのかも説明がつかない。当初、私は誤ってキックスケーターを川に落としてしまい、それをとろうとしたのかと思ったが、それは別のところで見つかっている。それに江戸川は川遊びするような川ではない。誤って川に落ちたのなら靴をそろえて脱ぐはずもない。
外傷はないというが、第三者の関与がなかったか、慎重に、そして厳密に調べることを望んでいる。
そのことはとにかく、私が気にしてしまうのは名前のことである。朝芽と書いて「さや」と読むというのが引っかかるのだ。朝を「さ」と読むのは人名の場合にもないではないが、普通ではない。しかし「芽」を「や」とよむよみかたは全く知らない。さきに「さや」という名前が思い浮かび、漢字を当てたのだろうか。朝の芽というのはイメージとして悪いものではない。そういう意味では良い名前なのだが、知らずに見せられて読める人がいるとは思えない。
やさしい普通の字なのに読むのに迷う名前がある。幸子とあったら「さちこ」なのか「ゆきこ」なのか。その名前の持ち主は自分の名前に面倒さを感じてるのではないか、などと思ってしまう。相手は間違えないようにしながら間違え、そのたびに訂正をしなければならない。
でも、そういうものとはちがって、そもそもその漢字には普通ないような読みを読ませる名前に頻繁に出会うようになった。漢字にも人名にも、多少は人より知識はあるつもりの私がたいてい読めない。読めない名前の方が普通の時代になった感がある。それならなぜ漢字を当てるのだろうか。ひらがなやカタカナならどんな突飛な名前でも間違いようがない。それでいいのに漢字を当てて、読めないようにすることにどんな意味があるのだろうか。
漢字は表意文字だから、それぞれに意味がある。むかしの人にも難読名前の人がたくさんいて、ふりがながないと読めずに困ることがある。困るだけでなく私は気持ちがよじれる思いがしてしまう。調べずにはいられない。面倒である。親はその名前に何らかも思いをこめている。難読の名前を、世間の人が本人の知名度とともに知られることを密かに期待したのかもしれない。
それとも名前そのものを知られないようにする理由もあったのだろうか。言葉や名前というものには言霊、魂があると信じられてきた。だからこその本名と諱(いみな)があった。知る、知られるということは、関係を結ぶことだと考えられた。鬼が自分の名を知られるとその呪術的能力を失うという伝説はいくつもある。『西遊記』で、金角と銀角が持つひょうたんは、名前を呼ばれて答えた相手を吸い込んで閉じ込めてしまう。名前と実体の深いつながりを表す話だ。
現代の、ふりがななしでは読めない名前の氾濫が、どういう意味なのか。独自の読みはオリジナルで美しいと考えているのだろうか。そうは読めない漢字を無理やり読ませる名前は、私には苛立ちである。世間の人はそう感じないのだろうか。不思議に事件に巻き込まれた子供の名前、虐待された子供にそんな名前をよく目にする。それが今はあたりまえだからよく目にするのか、そうではないのか、知りたい気がしている。私の友人知人の周辺のこどもたちは、しかし普通の名前ばかりである。読めない名前はいまのところ、いない。
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この名前、読めなくてネット検索しました。
皆さんも同じだった様で、たくさんの投稿がありました。
ネットから拾ったものをまとめると、在日中国人であり、「朝芽」は中国語で
日本語に直すと「さや」と読めるそうです。
お子さんには発達障害があり、療育に通っていたという事です。
ネットで検索しながら、何かあったらこんなに書き込まれてしまうのかと
怖くなりました。
今はただ、ご冥福を祈るだけです。
投稿: さわこ | 2022年10月 8日 (土) 11時07分
さわこ様
そういうことで゛したか。
知らなかったとはいえ、こころない書き方になったとしたら、たいへん申し訳ないことだと思います。
投稿: OKCHAN | 2022年10月 8日 (土) 14時37分