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2022年10月 6日 (木)

荻原守衛

 安曇野の碌山美術館には二度行った。碌山荻原守衛の故郷は安曇野である。この美術館には荻原守衛以外の作品も置かれていて、友人だった高村光太郎の作品もある。先日読み終えた『臼井吉見集2』の臼井吉見はやはり安曇野の出身で、この本の巻末に近いところに収録されているやや長い文章が『萩原守衛』である。彼の生い立ち、その生涯、そして相馬黒光とのかかわりが記されている。

 

 星良(ほしりょう)は相馬愛藏と結婚し、相馬良となる。相馬愛藏はやはり安曇野生まれ、相馬良は仙台生まれで相馬黒光とも呼ばれた。相馬黒光についてはテレビドラマ『パンとあこがれ』に描かれたが、ずいぶん古いから、リアルタイムで観たのはかなり年配の人だろう。確か宇都宮雅代が相馬黒光を演じていた。

 

 荻原守衛と相馬黒光の関係は有名だが、守衛が一方的に恋慕して、黒光が思わせぶりに終始して、実際には関係がなかった、というのが定説になっている。そのへんのことを臼井吉見が相馬黒光についてかなり辛らつに書いていて、私の思っていた相馬黒光のイメージが損なわれたが、実際にそうであったかもしれないとも思う。

 

 相馬愛藏、黒光夫婦はアンパンで名と実を成し、新宿中村屋の創業者となったことはよく知られている。実業とともに多くの著名人を援助し、かくまったりした、私が徳に記憶するのはインド独立の闘士、ラス・ビハリ・ボースを日本で庇護したことである。後に夫婦の長女とボースは結ばれた。1945年、日本で病死。

 

 よく混同されるのは同じボースでも、より著名なチャンドラ・ボースであり、別人。彼はやはり日本に亡命後、後に台湾で事故死(暗殺とみられる)している。私の母も勘違いしていて、後に父が別人だと教えてくれたことなどを思い出した。母にとって相馬黒光は憧れの開明的な女性だったらしいから、臼井吉見の指摘を聞いたら哀しむかもしれない。

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