毛沢東と習近平
私が高校生の時代はベトナム戦争の時代であり、文化大革命の時代だった。文化大革命とは一体何のことかと思ったが、朝日新聞は絶賛していた。他のマスコミや専門家が、中国の権力闘争だと主張したりしたが、朝日新聞は、それはためにする悪意のある見方で間違っていると、かたくなに権力闘争であることを否定しつづけていた。その辺りから朝日新聞の紙面に疑念を感じるようになった。
その当時から日本がどうして太平洋戦争などという愚かな戦争をしたのか知りたくなって、近代史を読み始めたが、そこで初めて太平洋戦争の前に中国と戦争をしていたことを、はっきりと認識した。何しろ日本史では明治時代の途中までしか習わなかったのである。たぶん歴史認識のややこしい近現代史は、いまでも学校ではあまり詳しく教えていないと思う。疑問に思ったら自分で学ぶしかないのである。知らないのは自分のせいである。
大学に入ってからは中国史を自分で本を読んで勉強した。文化大革命や毛沢東に関する本はいまでも棚に何種類もならんでいる。毛沢東の行った愚策である『大躍進』では餓死者を主として四千万人、『文化大革命』では二千万人から四千万人が殺されたと言われる。
毛沢東は一度『大躍進』の失政で権力を失った状態に追い込まれた。その巻き返しと反対者の粛清を行ったのが文化大革命だというのがいまは定説である。さすがにいまでは朝日新聞もそれを否定は出来ないだろう。中国政府自身が認めているのだから。
こうして毛沢東独りに権力が集中し、中国の停滞がつづいた。国民はみなが貧しかった。ただ、みなが貧しいから格差があまりなく、それが良かったと回想する人は少なくない。とはいえ中国はずっと貧しい後進国でありつづけ、それは毛沢東が死ぬまでつづいた。
死んだあとも、自分の権力を維持するために、その毛沢東の路線を継続しようとした江青など四人組はまもなく全員粛清され、その後実権を握ったのが鄧小平である。鄧小平は改革開放を行い、中国は一気に本当の意味で『大躍進』した。鄧小平は、個人に権力が集中することの弊害を考慮して、そのような事態が二度と起きないために『集団指導体制』を取り入れた。
それをあろうことかご破算にして集団指導体制を有名無実化し、個人独裁へと歴史を後戻りさせたのが、今回の共産党大会での習近平の行動である。毛沢東はすくなくともカリスマ性があった。だから、どんな失敗をしても殺されることなくベッドの上で幸せに死んだ。しかし習近平にはカリスマ性があるとはとても思えない。
カリスマ性がないことを誰よりも習近平は自覚している。毛沢東は命がけで戦場で戦い、勝利を収めた。しかし習近平はそのような実績がない。常に殺される不安の中にいる。彼が毛沢東のような戦果を上げるために、台湾を攻撃して取り込むということが念頭にちらついているのだろう。不安の中にいる独裁者は常に粛清を行いつづける。これから中国はますます暗黒の時代に落ち込んでいくだろう。習近平政権のあいだは、企業も中国との関に距離を置くよう努めるのが理にかなっていると思う。
以上がお粗末ながら、私の習近平感であり、中国についての現状認識である。
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