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2022年10月11日 (火)

『方丈記』を読む

 始めて『方丈記』を通読した。高校時代に古典の教科書で冒頭部分を読み、多少は記憶していたが、全部を読んだことはなかった。バラで持っている古典の全集の一巻に『徒然草』などと一緒に収められている。その全集で本文はわずか二十ページあまり。註釈を参考にしながら丁寧に読んでも二時間あまりで読むことが出来た。

 

 いま解説の方を呼んでいて、そちらの方が分量がある。『方丈記』がどういう内容であるか、教えられたから多少の知識はあった。けれども全体を読まなければ著者の鴨長明の考えは想像しにくい。

 

 私は高校生時代、最も成績が悪かったのは古典だった。自分に原因があるとはいえ、いまは古典を読む面白さを感じ取れているのだから、当時、そう感じられればもっと読んだだろうと思う。私は古典の教師が嫌いで、その教師も私を嫌っていたと思う。そのために古典が嫌いになった。それでも『今昔物語』や『醒睡笑』などを読んでいたのだから、読む気はあったので、もったいないことだったと思う。

 

 人形劇の『新・平家物語』や『鎌倉殿の十三人』によって、平安末期の平家物語の時代、そしてそれにつづく鎌倉時代初期について興味をそそられたので、まさにその時代を生きた鴨長明の随筆である『方丈記』を読んでみる気になったのだ。よく知られているように、その時代を生きたのに『方丈記』には平氏のことも源氏のことも書かれていない。天変地異や大火、飢饉について記されているのに戦乱のことはほとんど書かれていない。そのことが何を意味するのか、解説に詳しいのでそれを読んでいる。

 

 鴨長明の無常観のようなものはかすかに理解できた。彼が若いときに親族間でどういう試練を経たか、その諦観の果てに物質的欲望を無意味なものとして放棄し、世間の動きを追う気持ちを放棄した。放棄しきれない私も、なんとなく彼の生き方に美学を感じてしまう。すでに宗教的境地と言えるかもしれない(そもそも方丈に暮らすというモデルは維摩である。仏典の『維摩経』には維摩が方丈に暮らしたとあるそうだ)。ついには生死をも超えていくのだろうか。

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