読み散らす
森本哲郎の『すばらしい旅』を読み終えたら、にわかに彼の『詩人与謝蕪村の世界』という本を読みたくなった。詩に対しての理解力の弱い私に、俳句を、とくに蕪村の世界を教えてくれた本で、最初は文庫本(講談社学術文庫)で読み、あとで古本屋で見つけた至文堂版の箱入り豪華装丁本(これが最初に出版されたもの)で二度目を読んだ。その本は私の宝物にしている一冊だ。こちらは図版が完璧で、眺めているだけで楽しい。
今回は通読するというより、拾い読みして楽しんでいる。そうなると同じ森本哲郎の『月は東に』(新潮社)という本を拡げてしまう。与謝蕪村は彼の在世中は別として、そののち世に埋もれていて、明治に入ってから正岡子規によって見いだされて再び知られるようになった。『月は東に』は、正岡子規の親友だった夏目漱石と蕪村をおもに取り上げて日本の精神を論じたものである。
そうそう、そうなると高橋治の『蕪村春秋』(朝日新聞社)も引っ張り出して読みたくなる。この本の帯には、「蕪村に狂う人、蕪村を知らずに終わる人。世の中には二種類の人間しかいない。」とある。私はまだ知らない方に属するか。森本哲郎と高橋治の句の解釈はあたりまえのことだが多少ちがう。さらに萩原朔太郎の与謝蕪村評論の文章がどこかにあったはずだ、などと探したりしている。
どの本も、句の意味、解釈を手に取るように解るように説明してくれてはいない。そこまですると、句の表す世界を縮めてしまうからだろう。だから私には意味がよくわからないままになることがおおい。イメージを拡げるところまでいきつけないのだ。それでも突然強烈に心に響くことがないではない。めったにないのが哀しいが、ないわけではないのでよしとする。以前感じたものとちがったりする。当然かもしれない。以前読んだ私と、いまの私はちがうのだから。
蕪村の句
父母のことのみおもふ秋のくれ
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