映画『トロッコ』
2010年の日本映画だが、舞台は台湾の花蓮県の山村。題名から予想される通り、芥川竜之介の短編小説『トロッコ』がモチーフになっている。
8才と6才の小学生の男の子二人を連れた母親が、急死した台湾人の夫の遺骨とともに、夫の生まれ故郷である実家を訪ねる。登場人物は母親役の尾野真千子と子役の二人以外はすべて台湾人のようである。
主人公も子供も、夫の両親や夫の弟夫婦とは初対面。夫は家を出て日本の大学に留学し、それ以来一度も故郷に帰らなかったのである。映画の中では父親に反発したためだと説明されるが、そこには日本統治時代の台湾と戦後の台湾、そして日本との関係が影を落としている。
静かな対話、美しい山中の景色、子供の目にはそれらがどのように映っているのか。死んだ父親から長男に託された一枚の写真は、子供の祖父の子どものときの写真であった。そこにいる祖父はトロッコの前にいる。森林鉄道もトロッコも、山から日本が木を切り出すために敷かれたものだ。鬱蒼とした山に埋没しかかっている巨木の切り株がそれらを偲ばせる。
祖母の体調不良による入院騒ぎの中で、兄弟二人はトロッコを押す青年とともに山の奥へと入っていく。次第に不安が増す子供たち。青年が送るというのを振り切って二人は線路伝いに山を下る。思った以上に遠くまで来てしまっていたことで、歩き疲れた弟は泣きじゃくりしゃがみ込んでしまう。兄は気丈に弟をなだめなだめ歩き続ける。一方母親も必死で子供を探すのだが。
子供の不安というものがこちらに大きく迫ってくる。その不安は、自分が母親に愛されていないのではないか、お荷物なのではないか、という不安でもある。ようやくたどり着いたとき、母親の叱責が兄を打ちのめす。子供には母親の抱えるかなしみや孤独や不安など、理解できないのだ。そのあとの母子のやりとりは、激しく胸を打って目頭が熱くなる。こういうやりとりを経て子供も母親も成長し、新しい一歩を踏み出すのだ。
尾野真千子はデビュー映画の『萌の朱雀』以来、存在感のある良い女優だなあと思っている。あのときはまだ奈良県の中学生だったはずだ。今回も感情を抑えた淡々とした演技の中に、心の動きをこちらに想像させ、感情移入させてくれた。
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