願望するのはわかるけれど
あり得ないような、想定外の悲惨な事件や事故が起こるとよく聞かれるのが「二度とこのようなことがないように」という言葉だ。被害者の関係者が、自分の悲しみを他の人が味わうことのないことを願っての言葉としてはよくわかるが、私はその言葉を聞くと虚しい気持ちになることが多い。
一度起こるとみな用心する。ときに過剰に用心する。対策も万全にとられる。しかし時間の経過とともに記憶は薄れ、忘れたころにまた起こる。今回のソウルの転倒圧死事故にしても、人のたくさんいるところほど人が集まるという習性はどうやら本能的なもののようで、まさか集まるな、というわけにも行かないから、いつかは似たような事故が起こるだろう。
そもそも祭りやイベント、スポーツなどは人を集めなければなり立たないものだ。サッカー場での群衆事故はくりかえされている気がする。人気が過熱すればそれに向かって人は蝟集する。人は危険を察知する能力が弱い生き物なのかもしれない。それとも、もともとはあったその能力を失ってしまったのか。臍曲がりで人の集まるとこがきらいな私は呆れてみているばかりだ。
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