そういう指摘も知っておいて好い
谷沢永一の昭和47年4月6日の読書コラムから全文引用する。
▽与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」は、トルストイの論説の用語を拾い集めてつづった作品だった。木村毅が『トルストイ展カタログ』(昭和41年11月)に寄せた論文「日本におけるトルストイ」で初めて指摘して人心を驚かせて以来の定説だ。トルストイの有名な非戦論がロンドンの『タイムズ』紙に出たのが明治37年6月、そして早くも8月7日付『平民新聞』に、幸徳秋水と堺枯川が巧みな翻訳で紹介、晶子はそれを読んで作詩し、9月の『明星』に発表した。
▽ところで用語をトルストイに借りた晶子の思想内容はどうか。『和魂洋才の系譜』(河出書房新社)で好評を得た柔軟な比較文化史家・平川祐弘が高橋幸八郎編『日本近代化の研究』上(東大出版会)に収めた「平和を唱える人と平和を結ぶ人」の中で、木村毅の論をうけついでさらに発展させている。晶子のこの詩は、個人主義の自我主張や反政府思想より以前の、公的な士族の倫理とは対立する、士農工商の最下位に置かれた私的な商人の意識を表現したものだと、新味を出している。
▽晶子は鉄管と結ばれるため老舗を誇る家を飛び出し、親を捨てた不孝者だという自責の念が強く、自分の代わりに家を継ぎ親に仕えてくれる末の弟に熱烈に期待していた。問題の詩には、社会や国家が視野になく、「旧家」「家を守り」「母のしら髪」など、「親」と「家」の心配だけだ。商家の倫理と意識を純粋にうたい上げた詩を、素直に鑑賞せず、なんでも反体制思想にこじつけた戦後思潮を反省すべきだろう。
反戦の思いというのは、社会性や倫理の問題というよりも、私的な感情的なものであっても全くかまわないと思う。谷沢永一もそう言いたいわけではないはずだ。与謝野晶子には「反戦」の思いが強くあったとしても「反体制思想」をうたうはっきりとした意図はなく、ことさら「反体制思想」に結びつけることがこじつけではないか、と言っているのだ。私もそう思う。
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