滅亡と再生
生物は体内に炭素化合物を取り込んでそれを燃焼させてエネルギーを生み出し、生きている。そして炭素化合物を燃焼させることで二酸化炭素を生成させる。それだけでは酸素も失われ、二酸化炭素が空気中に増えるばかりである。それを植物が光合成することで二酸化炭素を再び炭素化合物に戻し、酸素を放出して大気を再生している。これが炭素循環で、地球は生物にあふれる星になった。
その炭素循環が人類によって損なわれようとしている。何億年もかけてため込まれた炭素化合物をわずか百年、二百年で使い尽くそうとしている。太陽光発電は、植物の行ってきた光合成を代替しようとする試みだけれど、ためることがうまくできないから補填はほんのわずかで追いつかない。そのうえ太陽光発電の装置を作るためにも大量のエネルギーを必要としている。生物が生きるために行ってきた炭素化合物の消費よりはるかに多くのものを人類は経済活動のために使用している。安い石油エネルギーこそがアメリカに富をもたらし、経済をけん引することになったと長谷川慶太郎は喝破した。二十世紀は石油エネルギーの世紀だったのだ。
古代文明は大きな集落をなし、巨大な人口を管理された農業が支えた。人々は土地を耕し、種をまいて食料を生産した。牧畜で羊や牛を養った。しかしどの文明もやがて滅びてしまった。どうして滅びたのか。疫病や旱魃、戦争などが原因と考えられてきたが、そのような文明の栄えた場所の多くがその後砂漠化していることから、旱魃によるものである可能性が高いようだ。その旱魃の原因が、気候変動などの外部からやってきた要因によるものではなく、土地を耕すこと、牛や羊が草を食べつくしたことで土地の再生能力を失わせたことによるのではないか、という説明はすでに繰り返し唱えられてきた。
炭素循環、そして水の循環の異常が地球に起きている。そのことの原因が人間の活動によるものであることは明らかだけれど、人間はそれを認めてこなかった。何しろ急激に人口が増え続け、その人たち全てがエネルギーを大量消費する豊かな暮らしを求めているのだから。そしてその人口を支えるために食料を増産していかなければならない。農業は機械化され、土地はますます疲弊し、大量の農薬と肥料の使用で再生が困難な土壌を生み出し続けている。
どうしたらいいのかわかっているのにどうしようもない、というのが今の状態のようだ。長い時間から見れば人類の栄枯盛衰などほんの一時のことで、やがてまた再生が始まるのだろう。再生は人類が滅びた後のことなのか、人類自身がもたらすのか。こういう大きな問題は他人事のようにしか語れない。何しろ自分が存在して生きていること自体が循環に害悪をなしているのだから。せいぜい寒さを我慢してストーブを点けないでいるくらいのことしかできない。
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