妻籠宿・水車小屋から鯉岩へ
水車小屋と高札場。緩やかな上り坂になっていて、宿場からは離れていく方向である。
鯉岩。
鯉岩の先には見るほどのものはもうない。昔はこの岩が鯉の形に見えたそうだが、明治時代の美濃地方の大地震の際に転げて今の状態になってしまったという。
鯉岩の由来が書かれた看板。木曽義仲の子孫がこの地方を収めていた時があり、そこでの恋物語が伝説として残されているという。恋野という地名もあるのだそうだ。そうだとすると、鯉岩は恋岩なのだろうか。
この看板を記した林常磐、という名前は、たぶんこの後で行く脇本陣の代々当主の子孫かと思われる。
わき道を見上げると小さな川沿いに道がある。こういうところこそ昔ながらの様子を残しているのだと思う。
水車小屋のところまで戻る。強い日差しの逆光がまぶしい。あの先のほうが妻籠宿の道である。
そこら中に南天の赤い実が見られた。
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