スポーツと人格形成
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という西洋の格言から、「スポーツは人格形成に役立つ」という信仰が生まれた。しかし健全な肉体を持ちながら健全でない精神の持ち主は山ほどいる。健全でない肉体の持ち主でも健全な精神の持ち主はそれ以上に存在する。もともとは、健全な精神と健全な肉体を合わせ持てたらいいなあ、というほどの言葉だったといわれるから、なかなか両立しないことが多いのが現実だと、昔の人もわかっていたのだろう。
PRESIDENT online の面白い記事を見た。「アスリートほどルール無視か」と題された記事は様々なデータをもとに、スポーツが人格形成に寄与するという信仰に疑問を投げかけている。詳細はその記事を見ていただくとして、スポーツと金が切っても切れない間柄となった現在、スポーツが社会性を涵養するという信仰はどうも眉唾だろうと皆うすうす気が付いている。スポーツをするから人格が陶冶されるということは必ずしもない。かえって勝つことに偏する精神を養ってしまう場合もあるということだろう。
あまりスポーツを格調高いものに祭り上げないほうがいいと、スポーツの苦手な私などが思うのは偏見だろうか。限界を極めるということの価値を認めないわけではないが、ふつうは健康のため、遊びのため、という程度でいいのではないか。そんな気にさせるのは、オリンピックの堕落を見せてくれたJOCのせいかもしれない。
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