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2022年12月 9日 (金)

一軒の住宅

 ニュースでは繰り返し「一軒の住宅」と報じていた。長野の児童公園廃園のニュースである。一軒が、ただ一人なのか家族何人もなのかまではわからないが、個人だろう。子供の声は甲高く、耳障りに感じる人間もいるだろうことは想像できる。子供が何人もいたらやかましいのはたしかだ。生け垣に入り込む子供が迷惑だというのもわかる。子供の中にはたちの悪いのもいて、腹の立つこともあるだろう。

 

 近所に児童館や小学校があるようだから、当然公園を遊び場にする子供たちが集まる。集まって遊ぶためにあるのが児童公園なのだからあたりまえのことだ。ところが廃園の理由が使用する子供がほとんどいなくなったからというのだからすさまじい。よほどこの「一軒の住宅」からの抗議が恐ろしいのだろう。

 

 個人の不快の程度は他人には理解することができない。想像されるのは、児童館、学校、ついには役場までがくりかえし説得に当たっただろうということで、その説得の繰り返しにますます意固地になったのだろう。彼の考える自分の正当性は、説得されたことによってますます強固になってしまったと思われる。

 

 この場所は誰にでも特定されるだろうし、この「一軒の住宅」も容易に推定されるだろう。しからば正義の味方がよってたかってこの「一軒の住宅」に非難を浴びせることも想像される。たぶん地獄の日々がこれからやってくるにちがいない。正義と正義のぶつかり合いだ。

 

 すでに廃園は決定されたことだし、いまさらどうにもならないが、一番心配されるのは「一軒の住宅」に児童公園を廃園にする力があるということを多くの人が学んだということだ。この「一軒の住宅」に対し、非難する声が多いけれど、同情したり行動に賛意を示している人も少なくないともいう。

 

 公園が、幼稚園が、小学校の子供の声がうるさいと苦情を言う人間は山のようにいる。彼らは力を得てますます苦情を声高にいうようになるだろう。児童相談所の新設にも正義の集団が反対をして中止させる時代である。「一軒の住宅」の勝利は彼らに大いに希望を与えたにちがいない。

 

 世の中は互いに多少の我慢をして暮らすものだ、という社会の常識が通用しない時代になっているようだ。生きやすくなったようで結果的にとても生きにくい時代になったということのように思える。

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コメント

おはようございます
「日本国憲法に始まる戦後民主主義は何を生んだか?それはエゴまみれの愚物のみだ」という言葉をどこかで見たことがあります。この出来事はまさにそれを表したものでしょう。かつて東京でもこう言った出来事がありました。更には「除夜の金がうるさいからやめろ」と言った愚物も現れました。
もともと日本人は「必要なものだから我慢する」という所謂公共心が薄い民族性を持っていますが、戦後民主主義はそれを助長したような感じを受けます。
では、
shinzei拝

shinzei様
私は日本人の公共心が薄いとは思いませんが、戦後の教育やマスコミの風潮が公共心を失わせていることは間違いないと思います。
他人との共存について、譲り合うという当たり前のことができない人間がいますが、それが正義の主張のごとくに言われるようになって、おかしなことになりました。
自分の言い分のみが正しいと思い込むこと、もしかして自分はおかしいのではないかと疑念を持つことができないこと、それが蔓延した後の世界は生きにくい世の中だろうと思います。
そんなことを言うと、なんでも譲れというのか、と激昂する馬鹿がいるでしょうが。

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