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2023年1月

2023年1月31日 (火)

知りたいこと

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 中国の製造業、そして非製造業の景況感が50を越えたそうだ。つまり中国の景気が回復しているということらしい。大変けっこうなことであるが、中国の統計やアンケートは、実態というよりも、そう見せたい数字であることも多いので、ほんとうに景気が回復したのかどうかはまだ確かではない。早晩結果としてみることができるので、それを待つことにする。

 

 それよりもいま知りたいのは、春節で中国の厖大な数の人たちが地方に帰省したり移動したことによる感染拡大があったのかどうかということだ。地方は医療が脆弱であることと、高齢者が多いということから、地方に感染が拡大すればそれによる重症者、死者が増えているのかどうか、医療崩壊はあったのかどうかということだ。

 

 ほんとうのことはたぶんわからないけれど、隠そうとすればするほど明らかになるものであって、いまに知ることができるだろう。新型コロナ患者としての重症者や死者としては計上されない人たちが、たぶんたくさんいるのだろうと思う。

散歩する

少し身体を動かしてみようと思い、散歩に出掛けた。ひとまわり一時間前後の散歩コースが三種類あり、週に一度くらいは歩いていたのに、コロナ禍以来、月に一度行くかどうかというほどしか歩いていない。本日は用水沿いの公園広場へ行くコース。公園まで30分以上かかるので、途中神社に立ち寄り、お参りして拝殿の横で一休みする。

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本殿の屋根の角の飾り瓦。獅子が逆立ちしている。

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けっこう好い顔をしている。

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時代劇などでおなじみのお百度石。

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川に到着。ここは桜が並木になっていて、三月後半には満開になる。公園はずっとこの先。

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川のなかにポツンと白い鳥がいる。

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こんな魚でもいたら好いのにね。

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案外人がたくさん散歩しているのだ。向こうは名古屋。

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公園の近くの歩道橋の上から犬山方向を遠望する。微かに白い山が見える。

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西側を遠望する。この先には伊吹山があるはずの方向だ。北西の風が冷たい。まさに伊吹おろしである。

休憩も入れて一時間半ほどの散歩だった。久しぶりなので足がくたびれたし汗もかいたので、昼の風呂に入った。ぬるめの腰湯に浸かりながら、小川糸の『食堂かたつむり』を読了、続いて『つるかめ助産院』を読み始めた。

一時間ほど浸かったあとで体重をはかったら、一キロ減っていた。たぶん水分が抜けただけだろうけれど・・・。

無気力

 映画やドラマを観たけれど原作を読んでいない小川糸の『食堂かたつむり』(ポプラ文庫)と『つるかめ助産院』(集英社文庫)をアマゾンから取り寄せた。さっそく『食堂かたつむり』を読み始める。この本のことはあとで書く。

 

 昨晩寝床のなかであれこれと考えごとをしていたらなかなか寝付けなかった。それなのに四時前に目がさめてしまい、考えごとの続きがとまらない。枕元でFMの音楽を聴きながら、ついには自分の生きている意味、自分自身の存在価値なんかないのだという思いに囚われてしまった。なにもかもがいやになってしまった。夜が明けても起き上がる気がしない。どんなに気持が落ちこんでも朝になればけっこうリセットが効く方なので、ここまで落ちこむことは珍しい。

 

 気持をどう切り替えるか、いま思案中だが、なにもする意欲も湧かないのだから何かをしてみようという気持ちも起きない。しばらく気持の底でぼんやりしているしかない。生活のルーティンを見失わないようにしようとだけは思っている。

2023年1月30日 (月)

事情はあるのだろうが

 一年間のお役目なので、四月には組長を交替する。そのためには次の組長にバトンタッチする必要があり、順番の人に了解を得ないとならない。これが最後の大仕事なのである。というのが、私の次の順番の人は意固地に拒否する人だからである。

 

 昨日昼過ぎにそのお願いのためにいってインターホンで来意を告げたが、ドア越しにボソボソというばかりで私にはちっとも聞こえない。私の声が大きくなるほど相手の声は小さくなる。ようやくのことに、いまは都合が悪いから夕方来てくれと言う声が聞こえた。それなら五時すぎに再び伺いますから、と告げてその場は引き揚げた。

 

 夕方、約束通り五時すぎに再び訪問した。インターホンを二度三度鳴らしても応答がない。声をかけたが在宅なのか不在なのかまったくわからない。仕方がないので一度戻り、六時頃、再再度訪問したが、同様に沈黙しか返ってこなかった。たぶん在宅はしているが、息をひそめてあきらめるのを待っているのだろうという気配を感じた。

 

 こちらにはなんの強制力もないし、このような対応は非常識とはいえ、非常識な対応しかできない事情もあるのだろう。たぶん社会的な関わりを懼れている人であるようだ。残念だが埒があかない。用件をきちんと伝えていないので、組長を断るなら理由を明記して私のポストに投函しておくようにという手紙を書いてポストに入れておいた。どうしても順番を飛ばす場合には、理由を明記したものをもって次の人にたのみに行かないといけないルールになっている。理由を聞くことが必要なのだ。前回はなんとか理由にならない理由ながら聞くことができたが、今回は会えないのだからどうしようもない。

 

 こういう人こそ変人だといったら差別になるのだろうか。事情ぐらい教えて欲しいものだが、たぶん返事はもらえないと思う。

知識人が変人であるということについて

 前回の映画『先生と迷い猫』の紹介で、知識人はしばしば変人である、と書いた。そのことを私の考えとして受け取った人もいると思うが、必ずしもそうではないので補足しておきたい。

 

 映画の中のシーンである。暇そうな男たちがたむろしているそばを先生(イッセー尾形)が通る。誰かが先生に大きな声で挨拶の言葉を掛ける。先生は立ち止まり、叮嚀に挨拶を返す。「好い天気ですね」といわれて先生はくもり空を見上げ、しばし間を置いて首をややかしげながら「それほどでもないですね」と答える。こういうやりとりのシーンが二三度ある。

 

 先生が去ったあと「ちぇっ、格好つけやがって、ばーか」と小声で誰かがけなす。彼らは自分たちがまともな市井人で、先生は寄食の徒であると見做している。本を抱えてなにをしているやらなにを考えているのかちっともわからない変人だ、と見ているのである。

 

 そういう人たちにとって、知識人はしばしば変人なのである。どちらが正しいか、とか差別とかいう話ではない。

先生と迷い猫

『先生と迷い猫』(2015・日本)という映画を観た。主演はイッセー尾形、共演に染谷将太や岸本加世子やもたいまさこ、いまは見ることのできなくなったピエール瀧などが加わっている。

 

 冒頭から視点の低い猫の位置から猫がながながと映し出されていく。主人公の猫は特定の飼い主に属さず、あちこちを定期的に廻り、さまざまな家でさまざまな名前で呼ばれながら自由に出入りして餌をもらったりしている。先生(イッセー尾形)は元校長先生であり、知識人であり、ものの見方捉え方が町の住人たちと違うので変人と見做されている。知識人はしばしば変人である。

 

 先生は嫌いというほどではないが、猫を苦手としている。猫が好きだった妻(もたいまさこ)に先立たれ、孤独な独り暮らしをしていて、猫をみると亡き妻を思いだすのがつらいのである。そんなことは一切お構いなしに猫は上がり込んで居座り、ぷいと出て行く。

 

 前半はこんな光景が続くので、いまに先生がその猫と感情を通わせ始めて互いに幸せになるほのぼの映画かと思わせるのだが、後半はガラリと様相が変わる。猫がとつぜん姿を見せなくなることで、猫と関わっていた人たちの日常が変わる。その兆候は前半に伏線としていくつか示されているのだが、たぶん観終わっても分からないところもあるだろう。人間の闇、生きることの意味、かけがえのないものとは何かなど、さまざまな重いテーマが実はこの映画に籠められているようで、だから映画の最後はあたりまえの日常がうつされながら違った風景に見える。

2023年1月29日 (日)

サバサンド

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これがイスタンブールの街だそうだ。わびしい。モスクはタイル貼りでないとね。トルコには2019年に行った。最後の海外旅行になった。行こうと思えば行けるけれど、もうほとんど行く気はない。

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今回はここで昼食を摂ることに決めていた。サバサンドが食べたかったのだ。サバの塩焼きとタマネギ、レタスにトマトを挟んでドレッシングがたっぷり振りかけてある。美味しかったけれど、具材がこぼれるので食べにくい。

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壁に掛かっていた飾り。とてもしゃれている。こういうの好き。

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これはリトルワールド入り口の展示館の中のイスタンブールの写真。この橋の袂にサバサンドを売る舟がならんでいるのだ。屋台舟である。ボスポラス海峡クルーズもその近くから発着する。降りたら食べたかったのに食べ損なった。だからサバサンドは今度初めて食べたのである。満足した。

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コーランの講義中。トルコでも似たような展示人形を観た。

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中庭。むかしよりだいぶ薄汚れてしまった。

おまけ。

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ネパールのマニ車。

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タイの乗り合いバス。

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韓国のなんとかおじさん。忘れた。

もっといろいろあるけれど、今回はこれでお仕舞いとする。

次回は建物よりも展示館の展示物の方を主体にじっくり見たいと思う。大阪の民博には及ばないもののそこそこ素晴らしい展示物がたくさんあるのだ。私の好きな『顔』もたくさんある。

ドイツ・フランス・イタリア

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バリ島からヨーロッパへ。

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教会が絵になる。

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ドイツの飲み屋。

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今回は車だが、リトルワールドに来るときは電車とバスを乗り継いでくることが多い。それはこのドイツの飲み屋でドイツのビールとソーセージの盛り合わせを楽しむためである。

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フランスの農家。

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中庭の様子が好い。

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右手の建物でフランスのワインとチーズを買い、外のテラスでいただくのも楽しみ。

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イタリアのアルベロ・ベッロの家。

このあとアフリカやテント村などを散策したあと、昼を楽しむための目的地に向かう。

2023年1月28日 (土)

時代劇ドラマを観る

 NHKの正月の『いちげき』という時代劇ドラマをようやく観た。薩摩藩が江戸市中でテロ行為をして、幕府を挑発したのに対し、百姓を訓練して薩摩の武士を暗殺しようというたくらみがあったというドラマだ。幕府は無関係だという言い訳に利用された百姓の若者たちが促成で暗殺者に仕立て上げられ、捨て駒にされる。

 

 物語としては面白い。ドラマも悪くなかった。ただ、こういう企画をしたのが勝海舟であったとか、薩摩側の黒幕が相楽総三であるとかいう設定が残念である。私は相楽総三にはことのほか思い入れがあるのだ。それこそ相楽総三こそが西郷隆盛や岩倉具視に使い捨てにされた人なのである。

 

 池波正太郎が大好きで、ほとんどの著作は揃えていた。置くところがなくなったので、八割ほどは処分した。その池波正太郎の『まんぞくまんぞく』という小説を原作にしたドラマも観た。原作とはずいぶん違うところもあるけれど、ドラマとしては良くできていて、好い気持にさせてくれた。主人公の女剣士を石橋静河が演じていて、大変好感が持てた。昨年の大河ドラマで静御前役を演じていて、あまり美人とは思わなかったけれど、鎌倉で舞を舞うシーンが絶品で、強く印象に残った。

 

 彼女が石橋凌と原田美枝子の娘であることをあとで知った。魅力的だし存在感があるし、演技力もある。女剣士役を演じるのはとてもむつかしいものだと思う。池波正太郎ファンとして、原作を損なわないでくれて礼がいいたい気もちになれた。

幹事として連絡する

 来週、なじみの酒蔵の新酒会に友人達と集うことになっている。大阪や京都など遠方からの友人も来る。昨年と一昨年は、新酒会は実行されたらしいが、コロナ禍の最中でもあり断念したので久しぶりである。

 

 地元でもあり、私がかたちの上の幹事である。今回は参加する人、断念する人とさまざまだが、このときだけ会う人に今年は会えるのがなによりも嬉しい。友人というのはかけがえがないもので、何時でも会えると思いながらも、会わないでいればあと何回会えるのかと思ってしまう。必ず参加していたF君がいないのは何より残念だ。メールの送付先にどうしても忘れている人がいるような気がしてしまう。

 

 メールで集合時間と場所を連絡した。あとはいつも絞りたての酒を贈る人たちのリストの今年のものを作る。酒蔵の庭で絞りたてを飲むので、寒いのと風があるのはつらいから、今年が温かいことを願う。昔は平気だったのに意気地がなくなった。同時に酒も弱くなった。あたりまえだけれど・・・。

2023年1月27日 (金)

アパルーサの決闘

 西部劇映画『アパルーサの決闘』2008年アメリカを観た。監督・主演がエド・ハリス。共演がヴィゴ・モーテンセン、レニー・ゼルウィガー。西部劇映画らしい映画で、私は高い評価をしたい。もともとエド・ハリスが大好きだ。西部劇映画らしい西部劇ということは、男の価値観だけで成立している映画ということで、ここで女性の権利を主張しても始まらないが、たぶん女権主義者が観たらなんたる映画だ、と思うだろう。

 

 そういう西部で生きていく女(レニー・ゼルウィガーが好演)が、節操がないのは自然の成り行きだろう。そういう女とわかっていながら大事にし続ける男のなんとかわいらしいことか。男の都合で世界が成立しているように見えるけれどほんとうにそうか。女はしたたかで強くてどうしようもなく愛らしい。

 

 切っても切れない男の絆はあたかも同性愛に近い。そういう関係の男二人の仲は、女が関わってもびくともしない。それが何だかとても嬉しい。西部劇の人命は軽い。死ぬことについての怯えや恐怖を感じないものの方が、実は生き延びる。そのことの逆説を繰り返しいろいろな西部劇で観てきた。最後の最後での別れは必然的で、そこがとてつもなく切ない。

 

 好い映画だった。

音楽を音楽として聴けるようになった

 ここが痛い、ここが調子が悪いとつい言いたくなるものだが、のべつ幕なしではあまり相手にされなくなるから、適度であるほうが良いようだ。

 

 歳をとると回復力が衰えるようで、眼を酷使した疲れがなかなか取れなくなり、眼がかすみ、眼の奥が痛くなる。なんとなく世の中が霞んで見える。実は自分自身が霞み始めているのだろう。

 

 そういうわけで朝からクラシック音楽を聴いている。ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』やドヴォルザークの『第八』や『第九』などを目を瞑って聴く。むかし、音楽はイメージを浮かべて聴くものだと思っていて、イメージの浮かばないものは苦手であった。音楽は音楽だから音楽としてそのまま聴くものだ、と誰かに教えられた。

 

 最近ピアノ曲を良く聴くようになって、ようやく音楽を音楽として聴く楽しさ、気持ちよさをわかるようになってきた気がする。デジタル音源のクリアな音がそういう愉しみを教えてくれている。

或る「小倉日記」伝

 前回のNHKの『英雄の選択』は、森鴎外が中央から小倉に転任したこと、それを鴎外がどう受けとめ、三年間の在任中にどんな生活を送ったのかについての考察であった。この番組も材料に行き詰まったのか、ときどき「英雄」とははずれたものを取りあげることがある。森鴎外を英雄として取りあげるのは、「英雄」とは何かの定義によるとはいえ、森鴎外も英雄などといわれたら苦笑するにちがいない。

 

 森鴎外は小倉赴任を左遷と捉えていたようだ。作家としても軍医としても名声が高かったのに、中央から遠く離れることで作家活動も大きく支障を来すことが明らかだったからだ。実際に創作活動をしばらくやめてもいる。しかしその三年間に地元の人たちと交遊をしてその温かい応対に、狷介だった鴎外の心もほぐれて、新たな境地を見出すに至ったようである。その三年間は結果として森鴎外をひとまわり大きくしたともいえる。人間は一度立ち止まることで新たな境地にいたる。

 

 その小倉の時代を語るには鴎外残した『小倉日記』をたどることになる。この番組もそれに沿っている。

 

 鴎外の『小倉日記』といえば、松本清張の『或る「小倉日記」伝』を思いだす。この中編小説で、松本清張は昭和二十八年に芥川賞を受賞した。直木賞ではない。松本清張は昭和二十六年に『西郷札』で直木賞候補になっている。松本清張のすごさはこれで分かる人にはわかるだろう。

 

 松本清張を若いときに耽読した時代があって、この小説も読んだ。何十年も前に読んだのでその印象が薄れていたから、この機会に再読した。芥川賞にふさわしい名作だと実感した。

 

 実は森鴎外の『小倉日記』は戦前一度見失われた。その失われた日記を再現すべく、主人公が不具の身体をおして鴎外の足跡を訪ね歩くという小説で或る。苦労しながら細い糸をたどり、さまざまなひとを訪ね歩くことで、その時代の鴎外の姿が浮かび上がる。松本清張は同じことをしたのではないか。主人公はそのまま松本清張の姿でもあるのだろう。

 

 失われた『小倉日記』は、戦後再び発見される。主人公の苦労は無意味だったのか。そうではないだろう。見失われた『小倉日記』をたどることに生きがいを見出して生きたこと、そのことに大きな意味があった。不遇な時代の続いた松本清張の思いがここに込められている。読んでよかった。 

2023年1月26日 (木)

癌大国

 NHKの『がん大国に生きる』というドキュメントを観た。中国の年間の癌患者数は437万人、世界の癌患者の23.7%だという。世界に対する中国の人口比から見れば、明らかに多い。癌の治療には高い医療費を支払わなければならないが、支払うことができなくなって、途中で治療を断念せざるを得ない患者も少なからずあるのだという。

 

 1992年に初めて中国に行った。そのときのツアーガイドは胸を張って、中国は医療費も学費も政府負担なので無料です、と言った。ほんとうかどうかは知らないが、それが建前だった。ところがいまは教育費が家計の最大の負担だから子供を産めない、育てられないというし、さらに医療費が払えないから治療を断念する事態になっているという。

 

 日本の国家予算で最大の支出は社会福祉費である。国民皆保険で、治療費が高すぎて払えないから途中で断念するなどということは普通あり得ない。保険適用外の治療をしても、高額医療費の補助があるから上限が決まっている。

 

 アメリカも中国も医療費の多くが自己負担である。もし日本も自己負担だったら、間違いなく国の1000兆円を超える借金はなかっただろう。つまり、少なくとも1000兆円分は国家にゆとりができたことになる。どちらが良いかといえば、私は日本のほうが良いともちろん思う。1000兆円を国家が無駄遣いしたわけではなく、国民は受益した。そんなことをこのドキュメントを観て思った。

 

 ところで、中国が他の国より癌患者が多いことには何か理由があるにちがいない。最近はずいぶん改善されたらしいが、中国は大気汚染、土壌汚染、河川湖沼海の汚染がすさまじかった。また、食品添加物なども、かなり規制がいい加減で、モグラ叩きのように違法な添加物が使用された食品が摘発されていたことは記憶にある。

 

 それらが人体に蓄積されて影響したかも知れないと、誰でも想像がつく。世界でアレルギーの子供が増えているらしいのもそういう影響ではないかと考えざるを得ない。中国は巨大な人口を抱えているから、化学物質の大がかりな実験場だったのではないか。インドも環境汚染が深刻である。似たような事態がやがて顕在化するだろう。国民健康保険はないから、助からない人がたくさん出て来るにちがいない。いま日本が貧乏国になりつつあるのは理由があったのである。借金を抱えた貧乏な日本で好かったね。

寒い

 寒い。寒いと免疫力が低下するという。免疫力は体温とも関係すると思う。体温が高めの人のほうが免疫力が高いのではないか。年寄りは平熱が低くなるから免疫力も低下して病気になりやすいのだろう。だから室温をある程度の高さに維持する必要があるのだという。

 

 エアコンの暖房はつけない。暖房はガスストーブを使っている。ガスストーブの暖房はいまぜいたくな暖房かも知れない。だから必要最小限に使用する。免疫力を維持する室温には不十分かも知れない。

 

 ここに歯の神経があるぞ、とときどきお知らせがある。意識するまいと思っても忘れさせてくれない。気にするからますます存在を主張する。かぶせものをした右側ではものを噛まないようにしている。片側だけでは味が少し違うような気もするし、食べるのに時間もかかる。ずーっとこんなことを続けるしかないのか。神経を抜くしかないのか。そうあきらめるのにどれくらい煩わしさを耐えるのか。けっしてひとりでに治ることはないらしいのが口惜しい。

2023年1月25日 (水)

予想通り

 帰ってすぐに予約して夕方歯医者へ行った。歯医者は予想通りのことを言った。「虫歯ではありません。噛む力が強いから、歯がすり減って神経がむき出しになりつつあります。そこに触って痛いのです」。「コーティングをして詰め物をしてみますが、長持ちしないかも知れません」。

 

 隣り合わせの三本の歯がほとんど同じ状態であり、痛みをなくす根本的な治療は、それらの歯の神経をみなとってしまうしかないのだという。つまり死んだ歯にしてしまうということである。いやだ。

 

 「一ヶ月くらい様子を見てまた来て下さい」という言葉の裏に、我慢できるところまで我慢して、諦めがついたら神経を抜きましょうね、と言われている気がした。二月の終わりに予約したが、それまで持つだろうか。

そろそろと

 いまごろはたぶん雪の中を慎重に、そろそろと帰路についているところだと思う。今回の湯治は悪くなかった。居心地の好い宿だった。どこかを見て歩くのではなく、ひたすら入浴、読書、うたた寝を繰り返すというのも大変けっこうである。実際には本はほとんど読めずに、ただひたすら眠っていた。ゼンマイのバネが完全に緩みきった心地がする。

 

 ほんとうは一週間ほどいたいけれど、予算が許さない。支出すればあとでどこかを締めなければならないが、生活に困窮するほどでもない。またどこかへ行くために、使いすぎないようにしたいということだ。

 

 中村愿・安野光雅の『三国志逍遙』(山川出版社)の一冊くらいは読み切れると思ったのだけれど、半分も読めなかった。こういう本を読んでいると、中国へまた行きたくなってしまう。三十年前の中国だったら、無理してでも出掛けていただろうに、中国は大きく変わってしまった。残念なことだ。

今朝の雪

 歯が痛い。昨晩硬い物を食べたときに右上の奥歯に激痛が走った。むき出しの神経に直接触ったような痛さだった。歯痛の兆候はまったくなかったのに。大昔親知らずを放置して歯がズレて、噛み合わせの狂いからあちこちの歯が縦に割れた。それまで歯痛など経験したことがなかったのにそれから歯ががたがたになった。歯医者にはOKCHNは噛む力が強すぎるから、と繰り返しいわれるけれど、だからどうしたらいいのか分からない。そうですか、と云うしかないではないか。帰ったらすぐにその歯医者に行かなければ右側でものを噛むことができない。

 

 今朝の雪は路面を覆っているが、せいぜい数センチであり、スリップの危険はあるものの除雪車を待つ必要のある積雪ではなさそうだ。慎重に走れば問題は無いだろう。これなら轍で立ち往生する車もないだろうから、渋滞に閉じこめられることはないと思う。

 

 雪は分水嶺の向こう側、この先の高山や白川郷のほうにたくさん降っているらしい。それと風向きが伊吹山から三重県側になっていて、今日は三重県の積雪が多いみたいだ。名古屋はどうだろうか。

 そういえばちかよさんの住む岡山県の津山あたりは、かなりの積雪らしい。大雪見舞い申し上げます。

2023年1月24日 (火)

牛乳が飲めなくなる

 昨晩だったか一昨晩だったか、NHKでいまに牛乳が飲めなくなるという番組を放送していた。半分うつらうつらしながら、片耳で聞いていただけなので、詳細は知らない。普段なら一頭十万円で取引される仔牛が、なんと五百円でも売れないと聞いて事態の深刻さを知った。酪農そのものが経営として成り立たないということなのだ。

 

 仔牛を肥育しても仕方がないということは、牛乳もいまに生産されなくなるということである。そうなれば紙パック二百円の牛乳は五百円、千円になり、それでもスーパーにはふんだんに置かれなくなる時代が来るかも知れない。いま牛乳が三百円でもかまわない、と世の中が了解すれば、たぶん酪農家は一息つけるだろうが、決してそうはならない。値上がりした、牛乳が値上がりしたとマスコミの口から大騒ぎするだけだ。あとで手に入らなくなってから、そんなことなら三百円でもよかったのに、というのがオチである。

 

 いまに卵だってそうなるし、もやしだってそうなる。産業そのものが成り立たなくなってしまい生産システムが崩壊してしまえば、再び生産が始まるのは大変困難なことになる。ほんとうのデフレの怖ろしさを身に沁みて知る時代が来るのではないか、などとうたた寝しながら考えていた。消費者のある意味で暴力が産業そのものを押しつぶすという構造は、グローバリズムの裏側に貼り付いた宿命である。生産者は大変だ。

安心安全ではない海外からの卵や牛乳を食べたり飲んだりする時代が来るかも知れないのだ。いやだなあ。

バリ島から南洋に

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バリ島の貴族の家。入り口はこんな形。合掌の形だと聞いた。バリ島には十年ほど前に行った。南十字星を見た。

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反対側から観た方がわかりやすい。

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建物内への入り口。魔除けがある。

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こんな形で見飽きない。わが家の玄関にもバリ島で盗った魔除けの像の等身大に引き伸ばした写真を貼り付けてある。

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反対側にある魔除けの像。素晴らしい。

インドネシアはほとんどがイスラム教徒でイスラム最大の国なのだが、バリ島だけはヒンズー教徒が多い。だから偶像がふんだんにある。バリ島で忘れられないのはケチャを見たこと。ラーマーヤナというインドの古代叙事詩を演劇にしたもので、ケチャの合唱も入る。闇の中のケチャは幻想的で好かった。

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ガルーダ像。孔雀神で蛇を食べる最強の神様。

バリ島をあとにして南洋へ向かう。

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スマトラ島のスパ・バタックという農家の家。

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壁に描かれていた絵がいい。たくさんあるなかのひとつ。

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ミクロネシア・ヤップ島の家。スマトラ島の家に形が似ている。

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石のお金。レプリカ。担いで買い物をしたのか。

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精霊の宿る場所。知らないと踏んづけてしまう。

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ポリネシア・サモアの家。家と言うより集会場だろうか。風が吹き抜けて涼しそうだ。雪の降るような冬はないだろうし。

ちょっと歩いてヨーロッパに向かう。

スパ温泉にいる

 宿泊施設のあるスパ温泉にいる。住所は下呂市。下呂温泉は飛騨川沿いの温泉だが、ここは馬瀬川という川沿いにあり、山をひとつ越える。国道41号線を飛騨金山を過ぎたあたりで左折して、郡上へ抜ける道があり、しばらく走って、その道から分かれて馬瀬川沿いに北上する。岩屋ダムがある。その手前に巨石郡があるのでなんどか訪ねているあたりだ。センターラインはあるし、ちゃんとした道だがカーブと坂が多くて、バイクで走る人はツーリングを楽しむのにいいところらしい。バイクが多い。

 

 見通しの悪い交差点でいきなり飛び出してきたバイクがあった。さいわいゆとりを持って避けることができた。明らかにこちらが優先だが、何かあればいろいろと煩わしい。一昨年春、渋滞停車中に後ろから激突されて首の骨をおり、愛車は廃車となった。そのあと何人かから交通安全のお守りももらい、先日お参りした熱田神宮でも厄除けのお守りをもらって今回持参している。さまざまな神様が守ってくれたのだと思う。

 

 ダム湖沿いにかなり走ってから宿に着く。水曜日には引き揚げる予定だが、大雪の予報である。いまは雪がないが、宿のあたりも雪の多いところだ。12月の大雪のときには40センチ積もったそうだ。宿は高台にあるので坂を登ってくるから雪があると恐い。フロントの人に聞いたら、昼前には除雪車が必ず来ますから、それまでゆっくりされたら大丈夫ですよ、とにこやかに答えてくれた。なかなか感じのよい人で宿そのものに好感が持てた。人手が足りなくて行き届かないことも多いと思いますがご容赦ください、などという言葉はなかなか言えないものである。

 

 夕食もそこそこ美味しい。風呂はたくさんあって、ゆったりはいれる。旅行支援の割引はあるし、クーポンもつく。クーポンは岐阜コインという方式で、スマホに読み込んでスマホで決済する。やったことがないのでちょっととまどうが読み込みだけはできた。最後の日に宿の土産売り場で娘への土産や地酒などで使おうと思う。使い方がよくわからないから不安。教えてもらおう。

 

 午後から本格的な雪になるらしい。帰りは少し遠回りだが、下呂の北側の萩原へ向かい国道41号線へ出るルートにしようと思う。

2023年1月23日 (月)

ペルーのお屋敷

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アラスカの向かいにペルーがある。正しくはアラスカの原住民の集会場の向かいにペルーのお屋敷がある。

中南米の多くはスペインに収奪された。ペルーのお屋敷といってもたぶんスペイン人の邸宅ということだろう。スペインにほとんど奴隷のようにして扱われた事態が長く続き、そのスペインの力が衰えたあとにやって来たのがアメリカだった。アメリカの財閥の多くがその事態に財をなした者たちの後裔だ。だからアメリカ、つまりUSAの裏庭ともいうべき中南米では反米意識が強い。

私は南米に入ったことがないが、キューバに行ってそのことを知った。いまアメリカにいるキューバを祖国とした亡命者や移民たちは、祖国のキューバを激しく憎む。アメリカで最もキューバを非難するのはキューバ人だ。キューバで豊かな暮らしをしていた人たちの後裔であるのだから、社会主義のキューバは敵なのだ。キューバについて語り出すとキリがないからやめておく。キューバは好かった。忘れられない。

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入り口を入ると背後の壁に大きな絵が描かれている。

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こんなふうに壁一面が絵になっている。

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正面左手に礼拝堂がある。

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礼拝堂内部。

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壁の絵。紛れもなくスペインタッチだ。

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二階のテラス。

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ペルーのテラスからアラスカが見える。

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中庭。なんとなく無機的でキリコの絵などを連想する。

次はこのすぐ先のバリ島へ向かう。バリ島には行ったことがある。

八割が感染

 中国の一部報道によれば、国民の八割、約11億人がすでに新型コロナに感染したそうである。ゼロコロナ政策で感染がほとんど抑えられていた状態から二ヶ月前後のうちにここまで感染者が出るというのは驚くべきことである。まことに中国というのはおどろきの国だと思う。

 

 ここまで感染力のある新型コロナウイルスをゼロコロナ政策で抑え込んでいたという中国政府の能力の高さには畏れ入るしかない。これなら今月中に中国全土はすべてコロナ感染者となるであろう。もし感染しないという人がいれば、奇跡的な存在だ。

 

 ところで新型コロナははしかなどのような、一度罹れば二度と罹らない病気というわけではないようである。罹りにくくなることはあっても、二度三度罹った人もいるくらいだから、罹っている最中の人が回り中に高密度でいるのだから、感染者の延べ人数は増え続けるばかりであろう。どうなるのかとても興味がある。11億人感染しても、死者はたかだかこの程度なら、どうということはない、と中国政府は胸を張っているであろうか。どうせ死ぬのはほとんどが老人と病気持ちばかりだから、少子高齢化対策や社会保障費の削減にもなるではないか。

 

 中国政府は誤謬のない習近平マジックで、新型コロナもコントロール下に置けるのではないか。習近平が毛沢東の『大躍進』政策にあやかった第二の『大躍進』か。それならすごい。習近平万歳、である。

台湾の農家

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台湾の農家。大きな農家といっていいだろう。

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神様を御祀りしている部屋の入り口。

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祭壇。

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寝室。囲いのあるベッドなのだ。これは中国も同じ。ところで、リトルワールドには中国の建物がない。

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外にある便所。立派に見える理由は・・・。

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アジアではよく見られる用途だ。便所が気になる。

物を食べることと排泄することとは生き物として基本的な行為である。家族は便所を共用する。共同生活するということは便所を共用するということだ。昔の長屋なども同じ便所を使用した。そのことの意味をけっこう大事なことのように感じた。もっといろいろ考えたけれど、ここまでにしておく。

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道の横にボケが咲き始めていた。

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日陰の池には氷が張って逆光に光っている。

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ちょっと歩いただけで、もうアラスカに着いた。アラスカの原住民の集会場のようだ。

2023年1月22日 (日)

石垣島の民家とアイヌの家を見てきた

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沖縄には行ったことがない。だから石垣島も知らない。

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中には入らなかった。いつか沖縄にも石垣島にも行きたいと思う。

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石垣島のすぐ先に北海道がある不思議。

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アイヌの家でヒグマがお出迎え。

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家の中。

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天井。縄文時代の家みたいだ。

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便所。左の小さいのが女性用で右が男性用。

ここは犬山のリトルワールドというところで、世界の民家が展示されている。最初に沖縄と北海道があったというわけである。このすぐ先に台湾の民家がある。

そういえば子どもの頃、ユネスコ村というところに行ったことがあるけれど、あれはどうなったのだろう。

 

なんでもあり

 お年寄りなどの住む家や、人のいる事務所や店舗に押し入り、暴力をふるって金品を奪う事件が続発している。社会が成り立つためにはして良いことと悪いことがあって、それをわきまえなければならない。欲しいから盗るというのは、してはいけないことで悪いことであることを知らない人間はいない。ましてや人を傷つけ、高齢者を殺してしまうなどというのは畜生でもしないことだ。

 

 こんなことがまかり通るようになれば、道で金のありそうな人がいれば襲ってそれを奪い、金目の物を置いている店があればそこに行って奪うことが白昼公然と行われることに繋がっていく。騒動があると掠奪する人間が活動する。なにをしてもいいのだ、と考える輩が必ずいる。世界がそういうなんでもありの状態になりつつあるなどということはないと思いたいが、あり得ないといえない気もする。

 

 ロシアは隣の独立国に土足で侵入して掠奪し、ここはロシア領だと宣言する。中国も似たようなことをあちこちでしでかしてきたし、これからもそうしようとしている。チベットなどはそういう奪い方をしていて、それで平然としている。たぶんこれからあちこちに築いた橋頭堡を手がかりに実質上の中国領を拡大していくだろう。南極でもやりたい放題らしいし、宇宙や月でも同じことをしていくつもりらしい。

 

 こうして世界でなんでもありのやりたい放題を連日のように見せつけられれば、その感化を受けやすい人間は、してはいけないことについての歯止めがはずれていくだろう。騒動が多発しているなら掠奪のチャンスだ、というスイッチが入っているのだろう。集団強盗事件の続発は、そのはしりである、などということでなければいいのだけれど。

2023年1月21日 (土)

朱実とお通

 宮城谷昌光は愛知県の蒲郡生まれ。蒲郡の得意先の専務が宮城谷昌光と高校の同級生だったそうで、話に花が咲いたこともある。宮城谷昌光は一時名古屋市に住んでいた。その家の近く(名古屋城に近い)に私の勤めていた会社の試験室用に小さな家を借りていて、簡単な物性測定や定量試験ができるようにしていた。本社の研究所に送るまでもないものや、自分でできることはそこで試験した。『夏姫春秋』を読んで初めて宮城谷昌光に出会った三十年以上前のその頃を思いだす。

 

 『三国志読本』で、宮城谷昌光はいろいろな人と対談をしているが、その中で彼が中学生の頃から柴田錬三郎を耽読していたと語っている。なかでも『剣は知っていた』は何度も読んだという。少なからず影響を受けたようだ。『剣は知っていた』、『美男城』、『孤剣は折れず』を尾崎秀樹は柴田錬三郎の三部作と位置づけている。私も柴田錬三郎を耽読したひとりで、ほとんどの本を買って読んだ。そのうちの『孤剣は折れず』が最初に読んだ本(中学生時代に生まれて初めて買った文庫本)で、繰り返し読んだ。柴田錬三郎の本で手元に残しているのはこの本だけだ。柴田錬三郎の本では、ヒロインはたいてい薄幸だったり病弱で最後には死んでしまう。彼の女性観形成になにがあったのかと思ったりした。だからヒロインの死なない『運命峠』というちょっと珍しい小説もあり、読むと少し嬉しい。

 

 『三国志読本』で、井上ひさしとの対談の中で吉川英治の『宮本武蔵』の中の登場人物のひとり、朱実について語っている。私が『宮本武蔵』の中でお通よりも印象深くて忘れられないのは朱実の存在である。NHKの大河では内山理名が演じていたのも印象的だった。このドラマのお通を演じたのが米倉涼子で、これはミスキャストだった。この女優は嫌いである。だからいつも名前がなかなか思い出せない。お通の存在意味は解りにくい。そのわかりにくくても『宮本武蔵』にお通の存在が不可欠であることを米倉涼子が演じることで見失わせてしまった。

 

 『孤剣は折れず』でのヒロインは美音と云う女性で、病弱でありながらひたすら主人公の御子神源四郎を慕う。ラストでは源四郎の腕の中で息をひきとるのだが、神々しい美しさがある。その姉の糸耶もひそかに現四郎を慕うが、源四郎の宿敵、宮本伊織の毒牙にかかる。もちろん宮本伊織は宮本武蔵の養子であることは歴史上の事実である。ここに柴田錬三郎の、吉川英治の『宮本武蔵』に対しての自分の主張、世界観の表明があるように読み取るのは私の読み過ぎだろうか。

 

 とにかく朱実は物語の中でさまざまに翻弄されていく。それでも人は生きていく。生き抜いていく。お通よりも私は朱実のほうが気になり、そのことを取りあげて語った宮城谷昌光にますます好感をもった。

朝寝坊

 宮部みゆきの短編集を読んでいたら、早寝早起き、生活にルールを持って生活する老人の話が書かれていて、そのルールにこだわりすぎることから破綻していく展開のようだが、まだ読みかけである。私も規則正しく明るい生活をしたいと思っているので、そのこだわりはよくわかる。それを崩すと生活はたちまちぐずぐずになるのがわかっているからだ。しかし、もともと適度にいい加減でもあるので、今朝のように朝寝坊することもしばしばある。

 

 録画用のハードディスクがオーバーフローする恐れがあるので、昨夕から録画した番組をつぎつぎに観ていたら、夜中を過ぎていた。『空旅 中国』という番組では李白と長江の関わりを空撮映像で楽しませてもらった。三峡ダムが完成する前に三峡クルーズがしたかったがかなわなかった。劉備が没した白帝城を見ておきたかったのに。もともとの白帝城はダムにより水位が上がって水没してしまうので、ずっと高いところに移設されてしまった。もっとたくさん中国を旅したかったなあ。でもいまの中国に行きたいとは思わない。

 

 好きな『相棒』の再放送何本かと、リアルタイムのものも観た。いささか無理のあるストーリー展開もあるが、ドラマだからいいのだ。それでもさすがに動機がムチャクチャで、犯人がなにをしたいのかさっぱり理解しかねるものが一つあった。こんなのを最初に観たらこのドラマそのものが嫌いになったと思うほどひどい。駄作もあるのだなあ。

 

 来週は、もしかしたら大雪になるらしい。温泉に行く予定だけれど、岐阜の飛騨地方の山の中なので、いったきり帰れなくなるかも知れないから心配だ。そのまま泊まっていればいいか。

2023年1月20日 (金)

ぷかぷか天国

 小川糸の日記エッセイ『ぷかぷか天国』(幻冬舎文庫)を読了した。宮城谷三国志を読むのに頭がオーバーヒート気味になったので、こういう軽い本でクールダウンしようと思ったのだ。これは2017年の一年間の日記になる。日記といっても続けて書いてあったり一週間あいだが空いたりしているし、長いものも短いものもある。

 

 小川糸に出会ったのは、『食堂かたつむり』という映画である。主演を柴咲コウ、母親役を余貴美子が演じていて、まったく先入観を持たずに見た。好い映画だった。自立ということをやわらかく教えてくれる。つまり成長物語である。見かけは大人でもほんとうに自立する大人になるためには、何かを乗り越えなければならない。煩わしい他人との関わりを、温かいありがたいものと感じられるようになったとき、ほんとうの人間になる。

 

 原作が同名の小川糸の小説だが、そのときは原作者を意識しなかった。次に出会ったのが、『つるかめ助産院』というNHKのドラマ。島の女産婦を余貴美子が演じ、仲里依紗が島にふらりと訪れた妊娠した女性を演じていた。これもとても好いドラマで、初めて小川糸という原作者を意識した。そのあと同じくNHKのドラマ『ツバキ文具店 鎌倉代書屋物語』、さらに最近では『ライオンのおやつ』がどれも素晴らしいドラマになっている。

 

 『ツバキ文具店』は私が別格的に大好きな多部未華子が主演で、観ていない人には観ることを進めたい。私も再放送があったら必ず観るつもりだ。『ライオンのおやつ』は題名からは連想しにくいが、ホスピスにやって来た若い女性の物語である。主演の土村芳がよかったし、なによりホスピスの代表者で看護師の鈴木京香が好い。

 

 『ツバキ文具店』のドラマを観た頃から、小川糸の原作やエッセイを読むようになった。『ツバキ文具店』には続編もある。

 

 この『ぷかぷか天国』では正月早々に母親が亡くなる。小川糸は母親と長い確執を抱えていた。母親の死によって、のしかかっていた重しが取れて放心した様子と、母親の思いをようやく考えられるようになっていく日々がこの年の日記なのである。

 

 小川糸はベルリンと日本を短期、または長期に暮らしながら行き来している。表題の『ぷかぷか天国』は六月二十五日のもので、バルト三国の一番北のエストニアにいる。バルト海を挟んで対岸はフィンランドである。そのエストニアのスパホテルで海水プールでぷかぷかと浮かび、目を瞑ればまるで母の胎内にいるようだ、と思う。

 

 思いだせば、『食堂かたつむり』でも、冒頭は生活に窮し、居場所がなくなって一番行きたくない母親の元へ転がり込むところから始まる。その母親との確執は、小川糸の原点でもあるようだ。それがなければ小説を書くようにはならなかったと本人も認めている。

 

 本日、妻が入院している病院に行ってきた。

日本の黎明

 正史『三国志』の『魏志』に日本のことが書かれていることは御承知であろう。日本は朝鮮半島や中国大陸と古くから交流していたと思われるが、この『魏志』に初めて表されるまで、日本についての記録というものがない。まだ日本には文字が伝わって居らず、独自の文字も持たなかったから、記録がないのは仕方がない。ただ、秦の始皇帝が遙か東方の海上に蓬莱の島があると聞いて、そこへ船団を派遣したという記録があり、それが日本ではないかとされるが、船団は行ったきり帰ってこなかった。途中で水没したのか日本に棲みついたのか。

 

 九州黒田家に家宝として所蔵されていた金印が、中国の皇帝から下賜されたものであることはほぼ確かなようであって、これが中国大陸との交流の最初の証拠とされている。出土したのは福岡県の志賀島とされるが、これも厳密な場所は確かではない。その中国の皇帝とは後漢の初代皇帝光武帝(劉秀)と考えられているようだ。始皇帝の起こした秦の滅亡のあと、関羽と劉邦の戦いの末、劉邦が中国を統一し、漢を建国したが、その漢は一度滅びている。再興したのが光武帝であり、それ以後を後漢と呼ぶ。その後漢は不安定で、内紛が絶えなかった。疫病や旱魃による飢饉なども頻発し、新興宗教や周辺異民族の侵入も続いていた。結果として黄巾の乱が起き、巨大な勢力となって帝国を脅かした。その討伐の過程で群雄がつぎつぎに登場していく。

 

 これがそれぞれ勢力争いを繰り広げて、結果として魏・呉・蜀の三国志の時代に至るわけである。

0403816漢の長城の西端にて

 そのとき遼東半島一帯は公孫氏と云う一族が支配していた。魏の傘下と見做されていたが、事実上は独立王国を形成していた。呉と戦い、呉の派遣軍を大破してもいる。また魏も蜀との戦いなどで遼東まで手が回らずにいた。当時の日本は魏と親交を結びたかったが、この公孫氏がいるために阻まれて、おそらく公孫氏とやむなく交流していたとみられる。

 

 公孫淵のとき、ついに魏はこの遼東半島を制圧した。日本は制圧直後に魏と交流を開始したことから、すでにそうなることを予測していて、いち早く動いたと思われる。こうして『魏志』に日本が記録として記されることになった。使者を送ったのは卑弥呼であると思われる。このときにはすでに魏の曹操は死去していた。三世紀初めのころのことである。

 

 三国志の時代と日本について、宮城谷昌光に教えられたり関連の本を見て、自分なりに経過をまとめてみた。歴史を知る人にはすでに承知のことと思う。

2023年1月19日 (木)

さっぱりする

 ようやく宮城谷昌光の『三国志』全十二巻を読了した。心地よい疲労と満足感、などというと月並みだが、そんな気分である。まだ別巻があるが、これは人物伝で、しかもあげられているのはメインの登場人物ではない。だからこそなぜ宮城谷昌光が取りあげたのか、それを読み取ってみたいが、その前に連載していた文藝春秋などに書かれた関連記事や対談などを集めた『三国志読本』のほうが軽そうだからそちらから読もうと思う。これらを読み終えたら温泉に出掛けるという段取りになる。

 

 読了したら床屋に行くと決めていた。きっかけがないと行きそびれる。というわけで、床屋に行った。最寄りの駅の一つ先の駅の近くの格安床屋で、歩いて行くと三十分弱かかる。夏だと汗みずくになるが、いまなら大丈夫。散髪を終えたあとの快適さは格別で、いつも次はもっと早く来ようと思うのだが、そのときだけだ。さっぱりした頭に冷たい風が当たる。オーバーヒートした頭がクールダウンしていく。

無罪

 無罪という結果に納得できない。東電の原発事故の責任を問われている当時の経営者たちへの判決である。ザル頭は、責任を問われていたのに無罪であるのだから、責任はないという判決だと理解する。被告側は、地震の予知もそれによる津波による被害も予測できなかったから責任はないと主張していた。原告側は、歴史的にも科学的にも予測が可能であり、それにもとづく警告が為されていたと主張していたが、それは認められなかったということだ。

 

 これでは科学的な予測による警告が、ただの予言者の妄想であったのだといわんばかりではないか。警告していた科学者たちは無念であろうし、原発事故の被害者たちは怒りをどこに向けたらいいのだ。

 

 いつ、どんな大きさで地震が起こるか予測ができないという主張はあり得るけれど、では絶対に地震は起きないという言い方は正しいか。いつ起きるかわからないけれど、大きな地震はいままでも起きてきたし、いつかは必ずまた起きる。それならその地震に備える責任があるではないか。そんな当たり前のことが通用しないこの判決に怒りを禁じ得ない。

 常識的には、「ここまでの大きな地震は予測できなかったけれど、それにしても然るべき対策としては不十分であり、その判断をした経営者としての責任はないということはできない」という判決が妥当ではないか。経営者には責任があり、その責任者に対して、「責任がない」などというおかしな判決が出されると、司法そのものが不信を買い、私刑を生み出すことにつながらないかと懸念する。天に代わって不義を討つ輩が出て来たら、その責任は誰がとるのか。

12032-24原発事故の現場ではありませんが。

2023年1月18日 (水)

門松

 一月も半ばを過ぎ、正月飾りを見ることはなくなった。もちろん立派な門松もどこかへ片付けられている。あれも左義長やどんど焼きで燃やされたのだろうか。

 

 宮城谷三国志の第十一巻を読了して、あとはラストの第十二巻を残すのみ。一気に読み進めたいと思いながら、同時に読み終えてしまうのが惜しいような気持になっている。たまたまアマゾンで取り寄せた小川糸の日記エッセイを、オーバーヒートした頭のために割り込ませて、暴走から減速させようと試みている。

 

 おかしなメールがときどき送られてくる。ETCが不審な使われ方をしているから連絡するように、などというメールが来ている。連絡が無ければ使用停止にするという。文章は尋常だが、思い当たることはないし、止めるなら止めてみろ、と思う。来週温泉に行くときに使うから止まっているかどうかわかるだろう。Amazonと称するところからも似たようなメールが来ている。不正使用の可能性があるので確認し、アカウントの変更手続きをするように、との連絡である。手続きをしなければアカウントを停止する、と警告している。

 

 そこでたまたま取り寄せようかと思っていた小川糸の『ぷかぷか天国』という日記エッセイを試しに頼んでみたのだ。なんの問題も無く昼前に配送された。そして最初のほうに門松に関わることが書かれていたので、このブログの冒頭のような書き出しになった。

 

 小川糸の暮らす集合住宅には毎年立派な門松が立てられるのだが、その年はただの紙にプリントした門松の絵が飾られただけだった。理由を尋ねると、「門松を立てるならクリスマスツリーを立てろ」だの「宗教を押しつけるな」だのという声があって煩わしいのでやめたのだそうだ。続けて、除夜の鐘がうるさいとか、火の用心の夜回りがやかましいからやめろだのという声について、小川糸らしいやんわりとした疑問の言葉が書かれている。

その日の日記の最後

『来年は、また門松が復活するといいけどなぁ。

 私は少数派だから、きっとこのままポスターで終わるのかなぁ。』

 

 世の中が面倒くさくなったなあ、と思っていたところなので、いたくそれだけのことが心に沁みた。これから『三国志』の第十二巻にかかろう。明日には読み終えるから、そうしたら床屋に行こうと思うけれど・・・。

寝る間も惜しんで

 昨夕、宮城谷三国志の第十巻を読了。寝食を忘れて、と云うけれど、さすがに食は腹が減るから忘れない。この数日の睡眠時間3~4時間。漢字が多いし地図を横に置いて位置関係を想像しながら読むから、普通の小説を読むようなスピードでは読めないが、携帯が鳴ってもまったく気がつかないほど没頭している。久しぶりの集中力と持続力だ。

 

 第十巻を読み終えて、昨夜から第十一巻を読み始めているから、今日中には読了するはずだ。このペースだと明日には全十二巻を読破できるだろう。何年ぶりだろうかこんなにたくさん一気に読んだのは。北方謙三の『三国志』と『水滸伝』を一気読みして以来だ。さすがに『楊令伝』はペースが落ちてかなり読むのに時間がかかったし、『岳飛伝』は読みかけのままだ。

 

 『三国志外伝』と『三国志読本』を片付けたら、この『岳飛伝』に取りかかろうかと思う。

2023年1月17日 (火)

あの日の朝

 二十八年前の朝、朝風呂に入っていた。湯がさざ波を立てたので地震だと気がついた。初期微動の揺れである。これは大きな地震が来るぞと直感し、すぐに浴室の扉を開けた。扉が歪んで出られなくなると裸で救助を待たないと行けない。本震が始まり、湯の面がゆさゆさと大きく揺れた。

 

 間もなくやってくると言われていた東海大地震だと確信してテレビをつけた。地震の速報は大阪方面であることを伝えていた。朝食をとらずにすぐに出勤して、大阪の本社の様子を電話で問い合わせた。かなり揺れたが本社にはいまのところ大きな被害はなさそうだとのことであったが、間もなく大阪への電話が繋がりにくくなった。会社のテレビで神戸の火災を報じているのを見た。神戸が被害の中心で、想像以上の被害であることを初めて知った。

 

 昨晩は夜中過ぎまで読書。『三国志』第九巻を読了し、第十巻を読み始めたら眼が悲鳴を上げた。眼の奥が痛いし、霞んで字が読みにくくなったのであきらめて目薬を差して寝た。興奮状態だったがいつの間にか寝ていた。

2023年1月16日 (月)

没頭する

 夜中に起こされて睡眠不足なので、ときどき寝落ちしながらだったが、食事以外は読書に没頭した。宮城谷昌光の『三国志』第八巻を読了し、第九巻を読み始めている。頭の中は人名と地名と漢字が入り乱れて渦巻いている。関羽が死に、張飛が死に、曹操が死に、そして劉備が死んでいった。この調子なら今週中に全十二巻を読了できそうだ。

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起こされて

 昨日久しぶりに熱田神宮とそのまわりを歩いたことで、心地よい眠りについていたのに、夜中の三時頃、スマホの着信音に起こされた。メールではなく電話だったが、出る前に切れた。発信元は非通知設定になっている。だから誰からかかったのかわからない。気持ちが悪い。目がさめてしまった。非通知設定の電話を受けないように設定できるはずだと思い、ネットで調べてそのように設定したので、もう非通知設定の電話は受けないで済む。

 

 もう眠れないので、読みかけの宮城谷昌光の『三国志』第七巻を読む。第六巻では赤壁の戦いが描かれていて、曹操は大敗北を喫した。『三国志演義』では、この赤壁の戦いで孔明が大活躍するけれど、正史の『三国志』では孔明は全くの端役で、主役はあくまで周瑜である。劉備も敗走する曹操を追撃したことになっているが、実は孫権が勝ちすぎないように、敢えて戦いを挑んでいない。曹操が勢力を落としたために全国統一をすることがかなわず、孫権は力を蓄え、劉備は蜀へ侵入していく。こうして魏呉蜀の三国鼎立の時代が来る。

 

 しかし厳密にいうと名目だけとはいえ、後漢の献帝は曹操の庇護のもとにあるとはいえまだ皇帝のままだから、後漢は続いているのである。この第七巻は三国の複雑な勢力争い、そして周辺の異民族との戦いなどが描かれている。次の八巻以降は世代交代が行われ、ほんとうの意味の三国時代の到来となる。さあなんとか最後の第十二巻まで読み切ろう。

2023年1月15日 (日)

熱田神宮参拝

Dsc_8502紅梅一輪。

腹が少し渋ったので出発が遅れたが、熱田神宮に参拝を済ませた。

日曜日というだけでなく、今日は歩射神事と云う祭礼の日で混雑していた。

Dsc_8478参道

たくさんの売店が出店していた。

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子供のとき、こんなお面が欲しかったが、両親はこういうところでものを買うことを嫌っていて、眺めるだけだった。いまは買えるけれど欲しくない。

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愛知県のお酒だけでもこれだけ銘柄があるのだ。飲んだことのある酒はいくつだろう。

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拝殿。右手うしろには拝礼する人たちがいるのだが省略。賽銭を投げて参拝した。

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拝殿を左側へ回り込む。こちらからぐるりと本殿の後ろ、熱田の杜を歩く遊歩道がある。

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こういう道を歩く。心が洗われる。

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神楽殿の手前までいったら停められた。神事の前のお祓いが始まったらしいがよく見えない。

お祓いが終わるのを待ち、厄除けのお守りを頂いた。待っていれば矢で的を射る神事そのものが見られるが、人がどんどん増えてきたので、見るのをやめて、そのあと軽い食事をしてから帰路についた。

晴れ男

 特に事情がない限り、一月十五日には熱田神宮にお参りする。理由があるのだが、それは置いておく。一週間前から十五日は雨の予報だった。しかし私が念ずれば雨は降らないだろうと思った通り、二三日前から曇りの予報にかわり、今朝は晴れている。午後からは少し崩れてにわか雨が降るらしいから、早めに出掛けることにする。電車に乗るのは久しぶりだ。

 

 温泉に行くのを迷っていたが、来週出掛けることにした。下呂の郊外の温泉を予約した。近いけれど、あちこち行かずに湯治の気分で行くつもりである。だから本を十冊ほど抱えていく。初めて行く宿だ。昼の風呂に入りたいから、二泊の予定だけれど、気に入ったら一泊増やすかも知れない。旅行支援があるからかなり助かる。

 

 二月初めには蔵開きに行く予定。コロナ禍で二年行けなかった。いつもの仲間五人に声をかけて四人が、今年はいく、とのことである。久しぶりの再会が楽しみだ。やめておく、と云う一人には、コロナのほとぼりが冷めたら別途会いに行こうと思う。

 

 そろそろ始動である。

2023年1月14日 (土)

地震の話

 昨夕から雨。雨のあいだは買い物に行くのも煩わしいから昨日昼過ぎにそれにそなえるための買い物にスーパーに行ったら、考えることは同じらしい人びとでいつも以上に混んでいた。今日は朝から録画してあるドラマやドキュメント、紀行番組を片端から見ていて、いまようやくパソコンを開いたところである。

 

 もうすぐ1月17日がやってくる。あの神戸淡路大震災のあった日で、それに関連するドキュメントが二つほどあった。あの日の朝のことを思いだした。私はもちろん名古屋にいたけれど、それでも揺れた。奉職していたのが大阪の会社だったので、社員で被害に遭った人は少なくない。大阪でもずいぶん揺れたらしいが、さいわい社員に犠牲者はいなかった。あの地震で淡路島に大きな断層が走り、そこに記念館が建てられていて地震の痕跡を実際に見ることができる。記念館の一角に地震を体験できる部屋があり、一度は独りで、一度は弟夫婦と一緒に巨大地震の恐怖を体験した。

 

 地震の直接の犠牲は運不運で分かれるけれど、耐震性をあげることでかなり減らすことができる。さらに明らかになったことは、地震後の通電火災という現象だ。これは一定の地震の場合にブレーカーを落とす簡単な装置を取り付けることでなくすことができる。さいわい私の住むマンションでは、自治体の提案を了として一斉にとりつけることにしたので、その危険はなくなった。しかし全国ではまだ6%しか取り付けられていないのだという。残念なことだ。

 

 もうひとつは渋滞の問題だ。救援に向かう消防車や救急車、大型車両などの緊急車両がまったく身動きが取れなくなり、助かる命が助からない事態となる。渋滞の原因となる車両で最も多かったのが安否確認に出掛けた車両だという。そのことを各自考えておく必要があるだろう。また道路そのものも段差や亀裂で通れなくなるという事態もあるようだ。それに対してもいろいろ方法が検討されているようで、その対策案が実効性を発揮してくれることを期待したい。なにしろ地震は必ずまた来る。二度とこんなことは、などという決まり文句は地震には通用しないのだ。

*文中、奉職という言葉を使い、間違いではないかと指摘を戴きました。奉職は公的な仕事に就くことです。訂正すれば良いのですが、敢えてそのままにして、いましめとしたいと思います。お恥ずかしい。

2023年1月13日 (金)

息切れする

 朝起きてしばらくしてから体温を測るのを習慣にしている。若いころと較べると平熱が下がった。36℃ちょっとしかない。その平熱が暮れから正月にかけて36.5℃を超えていた。微熱というほどではないが、少し代謝が上がっていたようである。足の冷えがなくなり有難いのだが、精神的テンションも高くなって、酒量も増えるし夜更かしが増えて睡眠時間も不足気味になっている。本は読めている。

 

 宮城谷昌光の『三国志』全十二巻を正月明けから読み始めて、ようやく第六巻を読了した。来週中には全巻読破するつもりだったが、いささか息切れしてきた。色々な番組や映画を録画しているハードディスクも満杯になってきて、少し消化しないとならないので、そちらを見始めている。気が散り出すと読書のテンションが下がる。わかっているのだが、読書熱がさめないようにしながら一息入れることにした。

 

 運動不足と過食で、太った身体が元に戻らない。こたつの前で座り続けているのだからあたりまえである。酒がこのうえなく旨く飲めているのは体調が悪くないしるしだが、酒量をこれ以上増やさないようにしないと血糖値が心配だ。テンションが低いより高いほうが好いのだが、高くなりすぎると突然なにもかもいやになったりするので、そうならないように気をつけている。

 

 結局床屋には行かず。

真実を発見したと思ったときは

 先﨑彰容氏が、人は真実を知った、気がついた、と確信したときがいちばん危うい、と語っていて、なるほどと強く得心した。昨晩のBSフジのプライムニュースの中での言葉で、テーマは陰謀論であったといえば、その意味するところは想像がつくだろう。

 

 確かに真実を見極めたという場合もないではないだろう。しかし真実というのはときにあいまいで不明確なものである。それが本物かどうか疑いに疑った上の確信であれば良いが、しばしば人は発見した「真実」によって世界を組み替えて見るようになってしまう。

 

 陰謀論を信じる人、デマに踊らされた人、マインドコントロールに陥った人は、自ら確信した真実を他人に語る。そうしてまたそれを信じた人が拡散してゆく。そういう人にならないように気をつけよう。自分は大丈夫と思うことが最も危ない。

みんな一緒

 今日は十三日の金曜日。西洋では縁起の悪い日ということになっているが、いまでは日本人も普通にそう思う人が増えた。信じる、というほどではなくてもそう思う人にとっては今日は縁起の悪い日で、注意しようと考えるべき日ということになる。そんなときに何か禍や事故に遭ったり病気になったりすれば、やはり、ということになる。

 

 しかし同じ日は世界中の人に平等にやってくる。縁起の悪さはみんな一緒ということだろう。だからそれほど心配しなくてもいいということにはならないが、ときどきは注意をする日があってもいいのかも知れない。

 

 暮れには行こうと思っていた床屋に行きそびれたままなので、髪は伸び放題に伸びている。思い切り刈り上げたらさっぱりするだろうと思いながら行かないのは、もともと床屋が嫌いな上に、コロナ感染も心配であるからだ。コロナ感染の懸念を理由にして、行くのを先延ばししているといってもいい。

 

 今日床屋に行ってコロナに感染したら、日が悪かった、注意すべきだったと後悔するだろうか。

2023年1月12日 (木)

復元力

 司馬遼太郎が、日本と韓国の大きな違いのひとつに山野の緑の豊かさの違いを挙げていた。もちろん韓国の山の多くに樹木が少ないのは、朝鮮戦争による戦火によるものが大きいけれど、それ以上にそれまでにすでに木々が伐採されて失われていたことによるものが大きい。そしてそれは農具や武器としての鉄器を造るために、エネルギーとして木材が使われていたからだという。日本ももちろん同様であった。それなのになぜ日本はいまだに緑豊かであり続けていられたのか。

 

 それは日本の降雨量が多いことにより、自然の復元力が大きかったからだと司馬遼太郎は書いている。失われた山林が復活することができたからであり、そこには自然の力だけではなく、日本人が再生させる努力を重ねてきたことも忘れてはならないだろう。

 

 楼蘭という砂漠に埋もれた幻の都がある。タッシリナジェールというアフリカの遺跡がある。そこにはむかし沃野があった痕跡が残されている。中東各地の古代遺跡周辺も、昔は沃野だった。トルコやウズベキスタンに行って、沃野だった場所がいまは砂漠に埋もれつつあるのを見た。川が、そして湖が干上がりつつあった。人間が集団で暮らし農業や牧畜をすることで結果的に沃野を喪失させていく。アメリカの壮大な農地が次第に砂漠化しつつある。

 

 文明というのは砂漠化ということであろうか、などと思う。今世紀中に氷河は半減することは確実で、下手をするとすべてなくなってしまうかも知れないという。それがどのような結果に繋がるのか予想ができない。

 

 これから水が世界中で奪い合いになるだろうと予見されている。日本は資源のあまりない国ではあるが、人間が生きるのに必須な水に関しては豊かである。そのことは日本中を走り回って実感する。その水は豊かでしかも清らかである。そのことのありがたさをもう少し自覚する必要がある。

温泉に行きたい

 首や肩が痛い。温泉に一週間ほど浸かってゴロゴロすれば、多分そんなものは消えてしまう。一週間といえば湯治であり、湯治といえば私にとって行き先は鳴子温泉に決まっていた。鳴子の行きつけの湯治宿なら、朝飯だけしか出ないけれど一泊五千円以下だから費用対効果は十分見合う。ついでに周辺をウロウロできる。昼と夜は近所で総菜を買ってきて自炊である。

 

 しかし残念ながらその行きつけの宿がコロナで休業したまま再開していない。もともと日帰り温泉がメインの宿で、客が激減したままなので採算が合わずに廃業したのかも知れない。それなら別の鳴子の、中山温泉や川渡温泉に宿のあてがないわけではないが、どうも気乗りがしない。自重せよ、と云う内心の声が聞こえる。そういうときに動いて思わぬ失敗をしたこともあり、その声に従うべきだろうと思っている。

 

しからば近場に行こうかといろいろ宿を物色した。ここならいってもいいかなという宿の候補が二三見つかった。しかしどの宿も予算的に二泊か三泊するのがせいぜいだろう。それでは本を十冊ほど抱えてゴロゴロして温泉三昧するという湯治とはならない。何だか新しい旅行支援を当てにしてむりやり出掛けるような気がしてきた。

 

 それでも出掛けるかどうか、いま迷っている。いっそのこと朝昼晩と風呂にゆっくれはいって、入浴剤でも入れて温泉気分を楽しめるかどうか試してみようか。風呂の湯は深夜電力の温水タンクを使うけれど、足りなくなってしまうだろうか。安上がりにつくことは間違いないけれど、手足をのびのび伸ばすというわけにはいかないしなあ。

2023年1月11日 (水)

『三国志』好き

 先に日本人は『三国志』好きだと書いたが、中国人はそれ以上である。中国学者の井波律子がこんな文章を紹介してくれている。

 

「町の子供は聞きわけがないので、親はもてあますと、そのたびに金をやり、講釈を聞きにやらせる。講釈師が三国のことを語る段になり、劉備が負けたと聞くと、顔をしかめて涙を流す子もいるし、曹操が負けたと聞くと、大喜びして「やった!」と叫んだりする。」

 

 これは十一世紀、北宋の大詩人、蘇東坡の随筆である『東坡志林』の一部を井波律子が意訳したものだ。この当時に講釈師が『三国志』を語り物にして語っていたことを示す一級の資料で、『三国志演義』はそのようなさまざまな講談や文章を集めて羅貫中が集大成して著述されたものであるようだ。子供まで夢中になるのだから、中国の庶民にとっては『三国志』は精神の血肉になっていたといえるだろう。
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 そういえば井波律子は先年(2020年)に惜しくも亡くなってしまった。このひとの著作は数多いが、読みやすく気持ちの優しさも感じられる文章であり、大好きであるからぽつりぽつりと買い集めて、本棚には二十册あまりがならんでいる。富山県生まれで、長く金沢大学の教授をしていた。いつか全部読み返したいと思っている。

 

 個人で『三国志演義』を訳し直して、ちくま文庫に全七巻が収められているが、私はそれを底本として、井波律子が自ら補筆修正した講談社学術文庫版の『三国志演義』全四巻を持っている。各巻七百ページ前後の分厚い本だ。まだ丁寧に読んでいない。

顔のある文化

 1970年、大学二年生から三年生になる春休みに弟と大阪万博を見に行った。万博はたしか三月十五日からで、私たちが行ったのは十八日からだったから、まだ開催して間がなく、多少混雑は少なかったと思う。ただし、とにかく寒かった。

 

 その千里の丘の万博会場跡の一隅に国際民族博物館がある。通称、民博と呼ばれている。その民博には世界の文化を紹介するさまざまな展示品があり、そういうものを見るのが好きなので二三年に一度くらい見にいっていたが、コロナ禍もあってしばらく行けていないのが残念である。世界の地域別にコーナーが分かれていて膨大な数の展示品がある。地域別に見て回ると、面白いところと面白く感じないところとが画然とある。

 

 その違いとは何か。顔である。面、人形など、とにかく顔のふんだんにあるコーナーは見飽きない。インドや東南アジア、アフリカなど、素晴らしい。イスラム教の国々のコーナーは幾何学模様や織物などが多く、そこには顔がない。顔は偶像崇拝につながるということなのだろうか。キリスト教の国々もあまり顔のない文化だと言うことがわかる。ヨーロッパの国々の文化でも顔はある。あるけれどそのほとんどがキリスト教関連か、それが普及する以前の古代神話のものばかりで、キリスト教とそれらの神話が混交して生き残ったものが顔を具えているように思える。

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 いつも拝見しているshinzeiさんのブログに、一神教について書かれていて、その要旨とはあまり関係のないことではあったが、一神教の文化とは何かということを民博での印象に関連させて考えたりした。文化と文明とはどう違うのか、などということも考えた。現代文明の淵源がヨーロッパにあるとすればその原点はギリシャ文明であると欧米人は主張しているが、それは実はペルシャなどのイスラムの地からもたらされたのではないか。少なくともギリシャの哲学(科学的思考を含む)をヨーロッパは捨て去ったが、それをきちんと保存したのはペルシャであり、ルネッサンスはそれが逆輸入されたものだと私は見ている。

 

 一神教という絶対神を原点とする集団が、科学的に一歩進んだ文明を産み、それが世界を席巻した。その結果人類は豊かになり、世にはびこり、自然を収奪し尽くしつつある。一神教の正義はアメリカの共和党の正義に見られるように分断を生む。内部にすら分断を生む社会はやがて崩壊する。大ざっぱに世界の危機を観れば、そういう見立てが出来ないことはない。

 

 こんな粗雑な考えは、ものをよく知る人に憫笑されるだけかも知れない。それとは別に、いや、そうではない、そんなことではない、と云う内心の声も聞こえる。その声について考えてみる。

 

 つづく

空(から)にする

 独り暮らしには十分すぎる大きさの冷蔵庫がある。その冷蔵庫も暮れに食材を買い込んでいっぱいになっていたが、どんどん消費してかなり隙間が増えて見通しが良くなった。賞味期限や消費期限が切れたものが残っている。私はそれらをほとんど気にしないが、それでも限度というものがある。捨てるしかないものが見逃されているし、庫内がだいぶ汚れていて、食材をとことん減らしてからいつかアルコールで拭き上げようと思っていた。

 

 思い立ったらすぐ取りかからないと、次にいつその気になるかわからないので、とにかくすべてのものを引っ張り出し終えたところだ。コーヒーを飲んで一息入れて、これから棚を引き出して洗い、壁を拭く。

 

 天気も好いし風もなくて快適な日だ。洗濯したシーツもよく乾くだろう。

2023年1月10日 (火)

三国志

 宮城谷昌光の『三国志』を読んでいる。全十二巻のうち三巻まではすでに読了していたのだが、数ヶ月あいだが空いたので再読している。再読といっても飛ばし読みである。この三巻まではほとんど後漢時代の話で、三国が鼎立するほんとうの三国時代はまだまだこれからである。以前のように一日一冊というほどのペースで読むことができない。せいぜい三日で二冊がいいところである。関連する色々な本も脇に置いているので、とうぶんのあいだは三国志三昧となる。

 

 講談社版の『中国の歴史』第九巻の『三国志の世界』の冒頭に、日本人の『三国志』好きの背景が説明され、ただしそれはほとんど『三国志演義』をベースにした物語であることが書かれている。正史の『三国志』は、三国志の時代が終わったあとの三世紀末に歴史家の陳寿によって記されたものだ。さらに五世紀頃、裴松之がそれに詳細な註をつけたものが残されている。三国志の時代は二世紀末から三世紀にかけての話、日本では卑弥呼の時代なのである。

 

『三国志演義』が羅貫中(異説あり)によって書かれたのは十四世紀のことで、だから千年もあとに書かれた物語で、史実とは異なるところが多いことはよく知られている。

 

 史実との違いの一例としてあげられているのは1984年に発見された三国時代の朱然という人の墓の話である。副葬品に「刺(現在の名刺のようなことが書かれた木の板)」が出土し、そこからこれが朱然の墓であることが確定している。朱然は呉の部将で、関羽を捕らえたことで知られている。『三国志演義』では、朱然は劉備がおこした関羽の弔い合戦で趙雲に殺されることになっているが、実際の朱然はその後も数多くの軍功をたて、六十八歳で病死したことがわかっている。

 

 いままで数多くの『三国志』を読んできたが、ほとんどが『演義』をもとにしたものだ。宮城谷昌光のこの本はそれとは違うところが却って面白い。その中にときどき世界観や人生観が記されているのは、もとの『三国志』に書かれているものがベースになっているのだろうが、宮城谷昌光の思いも加えられているだろう。そこがけっこう心に響く。

 登場人物が厖大な数で、情報量が私には多すぎると云うのが本音だが、ザルですくう程度のいつもの雑な読み方で読み進めているところである。ただいま第四巻まで読了。

首が固まり頭痛がする

 「家康」「家康」「家康」とやかましいので、テレビを極力消したままにするようにした。ドラマや映画を見続けて多少飽きたと云う事もある。代わりに音楽を低い音量でかけながら読書している。音楽は古いジャズの名曲集で、ジャズを聴くのは久しぶりである。ただ、本に夢中になっているとほとんど音楽は耳にはいっていない。それでもふと我に返ったときに音楽が聞こえるという状態は心地の好いものである。

 

 気がつくと、うつらうつらしていることも多い。読書に倦むと数独パズルをする。やり始めるとやめられない。この読書や数独パズルをすることが、ストレート首を再び悪化させたらしい。肩や首が痛い。首から頭にかけても鈍痛がして、頭痛というのをほとんど知らない私もいささかつらい。娘に教えられたように首や肩を動かして多少とも矯正を試みているが、あまり効果がない。

 

 いま夢中で読んでいるのは宮城谷昌光の『三国志』全十二巻、人物評の別巻と、関連の『三国志読本』、さらに補足として講談社版の『中国の歴史』第九巻『三国志の世界』、さらに井波律子の『三国志演義』全四巻を脇に置いている。この宮城谷昌光の『三国志』は正史をベースにしたものである。この本については次回に少し書いてみたい。

ニュース雑感

 ブラジルで、前大統領の支持者たちが暴徒となって議会や大統領府になだれ込んだ。大統領選挙の結果に異議を唱えての暴動で、だれが見てもアメリカでのトランプ支持者の連邦議会場への乱入を連想するだろう。あの乱入がなければこの乱入もなかったかも知れない。センセーショナルなことは真似されるものである。大きな違いがある。前大統領のボルソナロは、この暴挙を明確に非難したことである。彼は選挙結果に異議は唱えたけれど、乱入の煽動などもしていない。少なくともトランプよりまともだということだ。

 

 中国のゼロコロナ政策が、とつぜん緩和され、なし崩しに中止になった。とつぜんに見えるけれど、実はⅠ年前から準備していたのだ、と遠藤誉女史がコラム記事を書いていた。永遠に続けられないことはわかっているから、いつかはゼロコロナ政策を転換しなければならないことは、さすがに中国政府も想定していた。だから、重症者の受け入れの病床をかなりふやしていたそうだ。その準備が爆発的な感染拡大には不十分だったということなのか。確かに瞬間的、爆発的な事態に対応するほどの準備は無理なことだっただろう。

 

 多少の犠牲はたいしたことではないと考えるのが中国という国で、中長期的にみて、なんとか収まれば結果良し、とするつもりなのかも知れない。春節後にかけてさらに感染は全国的に拡大することは必至で、それがどれほどの被害をもたらすのか。中国政府は人が死ぬことよりも、経済的な影響がどうであるかが関心事と思われる。年寄りと病気持ちだけ死んで、物流や生産に支障がなければ良いのだろう。しかし農村部で食料生産に従事しているのは老人が多いのは日本と同じだ。中国が世界中で食糧を買いあさるのを想定して日本も対応を考えなければならない。

2023年1月 9日 (月)

下手な考え

 下手の考え休むに似たり、と云う言葉がある。これが「下手の」か「下手な」かはっきりしなかったので調べたら、「下手の」が正解であった。もともと碁や将棋で下手くそが長考しても時間の無駄、みたいな意味で使われるから、当然「下手の」でなければならない。

 

 見た目はぼんやりしているだけのように見えるけれど、実は頭はしっかりと働いていた、などと意外性のある傑物の話を見聞きする。それに比べて自分はぼんやりしているように見えて実はほとんどぼんやりしていて、それでもときどきちょっとスイッチが入り何かを考えたりしている。そしてその考えることというのはほとんど断片的な思いつきばかりで思考はなかなか深まることがない。そういう考えは「下手な考え」だなあなどと思っていたので、自分自身の様子を「下手な考え休むに似たり」と自嘲してみたのだ。

 

 ぼんやりと世の中を眺めている私の眼前をさまざまなものがよぎっていく。無数のその中のいくつかに微(かす)かにピントが合ったりするので、そのことについて私のザル頭は考える。思考は浅薄で断片的だが、それらがいくつも重なれば、いつかはもう少しまとまったものになるかと心密かに期待していたが、残念ながら断片は断片なままであった。

たいがいに

 テレビをつけたままにしていることが多い。民放やWOWOWはリアルタイムで観ることはほとんどないから、ついているのはNHKである。そのNHKの番宣がすさまじい。私だけがそう感じるのだろうか。どの番組の番宣なのかはいうまでもない。

 

 今年の大河は観ない、と決めている。理由は好き嫌いから来る。たぶん主人公を別の俳優が演じたら観たかも知れない。番宣は巧妙で、観たくなるように唆す。それでも観ないのは意地である。その意地を過剰な番宣がさらに強くさせる。もしかしたら今年の大河は観る人が少ないのではないか、と云う不安がNHKにあるのだろうか。

 
  それにしても番宣のやり過ぎはうるさい。たいがいにしてくれ。

カタカナ語とアルファベット略語

 カタカナ語はその意味がよくわからないことが多いので、カタカナ語辞典をいつも脇に置いている。昔は現代用語辞典を置いていたが、厚くて扱いにくい上にひきにくくて使いこなせなかった。同じ言葉を何度引いても覚えられない。頭がカタカナ言葉を拒否するのだ。だから苛々する。日本語で言え、日本語で、と思う。私は日本語でしかものを考えられない。不勉強のたたりだ。自分が悪いのだけれど、そう思いたくないから腹が立つ。カタカナ語の氾濫は悪意にしか感じられない。

 

 アルファベット略語はそれ以上にうんざりだ。略語の元の言葉はもちろん外国語で、それが思い浮かばないし、知らされても覚えられないし、それを頻発するマスコミや知識人に腹が立つ。メモしておこうと思うと気が散って、それを使っている会話全体の意味が摑めなくなってしまう。自分が時代に取り残されていると感じてしまう。マニュアルと称する説明書など、違う言語構造の文書を読まされている心地がする。

 

 ファッション雑誌の文章など、ほとんど宇宙語の羅列みたいでチンプンカンプンだが、もともと縁もないし興味もないからかまわないけれど、知りたいことの書いてあるらしい本にカタカナ文字やアルファベット略語が頻発していると、自分が拒否されているような情けない気持になる。欄外にその言葉の意味などが説明されていると、それならその言葉で書けよと思う。

 

 たぶん明治時代でもそういうことが多かったのだろう。だから必死で日本語にしようとしたし、ときには新しい日本語をつくった。そういう熟語がいまでは中国でも韓国でもたくさん使われている。それだけものを考えるときにはそのほうがわかりやすかったのだと思う。

 

 ああいうカタカナ文字やアルファベット略語を駆使してものが考えられる人は特殊な人たちだと私は思うが、実は多くの人がそれが普通に出来て、それの出来ない私の方が特殊なのか、などと考えると哀しくて情けない。

2023年1月 8日 (日)

願望は願望として

 プーチンが重病らしいという噂は繰り返し伝えられてきた。確かに映像で観る教会でのプーチンの表情は暗く覇気がなくて、具合が悪いと思えないことはなかった。ウクライナ侵略戦争の終結は、プーチンが退場しない限りあり得ないように思えるから、プーチンが病気で退場することを願う気持にもなる。そうなるとわずかな兆候が増幅されて事実であるかのように見えてしまうこともあるかも知れない。

 

 しかし、この時点でプーチンが退場したら、いったい誰がロシアを統治するのだろう。その誰かはウクライナにいるロシア軍をどうしようとするだろう。なによりその人物は核のボタンを引き継ぐことになるのだ。プーチンが退場すればロシアは混乱するだろう。反対派をとことん粛清してきたロシアの政権を、ロシアの強硬派が握ることになったときのことを考えると怖ろしい。

 

 だからプーチンのしていることを、そしてプーチンを了解しろということではない。こんな悲観的な状況を生み出してしまったプーチンの責任は重い。だからこそ、プーチン退場後の最悪の事態に備えることも考えておく必要があるのではないかということだ。欧米の指導者達はそれを考えているのだろうか。 岸田首相はどうだろうか。プーチン退場後にこそさらに困難があるかも知れない。

 

 それは習近平についても同じことだ。独裁者の退場後にこそ混乱がある。そもそも独裁者は退場を想定しない。民主主義はそういう意味で不備なシステムではあるが、常に統治者の退場が想定されているということだけでも全体主義よりマシだといえるのだと思う。

漂う

 テレビでドラマと映画三昧だったので、夜更かししていて毎日睡眠時間が四時間くらいしか取れていなかった。さすがに昼間、こたつでうたたねしないともたない。頭は架空世界にどっぷりつかり、現実離れして浮遊状態になっていた。

 昨日午後、これでは風邪でも引きかねないと思い、うたたねしかけたのを本格的に布団に入って寝ることにした。二時間ほど夢も見ずに爆睡。熟睡できた朝のようなすっきりした目覚め。体が睡眠を要求していたのだ。

 目が覚めたら今度は本が無性に読みたくなる。中国の物語の本を引っ張り出して読んでいる。どうも私の頭は現実と遊離して架空世界に漂うことを定常状態と考えているようだ。現実に戻らないと少し危ない。せっかく片付いていた家が少し乱れてきているではないか。

2023年1月 7日 (土)

期待はしていなかったけれど

 独りに戻ってこのところテレビ三昧。録画してある内外のミステリードラマをひたすら消化中。WOWOWで放映した北欧や英国のミスリードラマはたいてい外れがないから見応えがある。ついでに映画を三本ほど観た。

 

『臨場 劇場版』2012年・日本
 テレビの連続ドラマで、ときどき見たことはあるけれど、ずっと見ようとは思わなかった。劇場版なら少しは見られるかと思ったら、テレビ版よりひどかった。主演の内野聖陽は嫌いな役者ではないけれど、この主人公は癖が強すぎて好きになれない。なにしろいちいちがわざとらしくていけない。映画はそれがさらにオーバーになっている。刑法第39条がテーマになっているのだけれど、動機の底が共感しかねる。同じテーマの『39刑法第三十九条』(1999)という鈴木京香主演の映画の方がはるかに出来が良かった。共演の堤真一がよかったこともある。この映画はあと30分縮めたらもう少しマシになったかも知れない。それでも駄目か。それにしても最近の日本の映画は台詞が聞き取りにくいしテンポは悪いし無意味に長いしうんざりするものが多い。

 

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』2018年・アメリカ
 シリーズの五作目。もうどれがどれだかわからなくなった。特撮はどんどん見事になって、それを楽しむだけなら好いけれど、これでは特撮だけ見事な中国映画の駄作と変わらない。人がつぎつぎに死ぬのにメインの登場人物だけはすべて無事という茶番劇。これではリセットできるゲームを、大きな画面で楽しんでいるだけのことで、映画を見る面白さはあまり感じられない。少しは記憶に残る何かを盛り込んで欲しいものだ。

 

『トワイライト ささらさや』2014年・日本
 ある意味で日本版の『ゴースト ニューヨークの幻』か。落語家の夫が事故死して、赤ん坊と二人残された妻が、浮かばれずに幽霊となった夫に助けられながら自立していくという映画である。夫が大泉洋、妻が新垣結衣。大泉洋の出る映画は何作か見ているが、期待していないのにみな出来が良く感じられるのが不思議だ。このひとは好い役者なのかも知れない。キラキラした瞳の新垣結衣はむかしから好きである。続けて観た三本の映画で、これだけが観て満足した。幽霊に乗り移られて、大泉洋の口調でしゃべる富司純子なんて傑作だった。この映画の台詞は聞き取りやすく、テンポも悪くないし、長さも適当。やればできるのである。

面白がる

 昨晩の新日本風土記(NHKBS)は『縄文の旅』というタイトルだった。縄文遺跡は数百程度あるのかなと思っていたら、数千、または万を超えるらしい。そういえばあちこち車で走り回っていると、ときどき縄文遺跡の標識を眼にすることがある。立ち寄り易そうなところには立ち寄ってきたので、けっこう観ている方だと思うが、それでも十個所あまりだろうか。

 

 縄文遺跡の研究者はもちろんだろうが、縄文時代を想像し、場合によって追体験を楽しむ人たちが番組で紹介されていた。中には縄文をシンボルにしているだけでかなり逸脱したものもあり、首をかしげることもあったが、楽しんでいるのであればそれで好いのかなと思った。格好をつけて面白がって見せているうちに、ほんとうに面白くなってくることもあろう。

 

 人生は楽しむに如かず。さまざまなことに興味をもち、そこに愉しみを見出すことこそ生きる喜びだ。そういう意味でこのごろ本を読んでも映画を観ても温泉に出掛けても、心から楽しめなくなっている自分を哀しく思う。楽しむ、というのは努力してかなうものではない。昔は今よりずっと好奇心旺盛で、さまざまなものに知的興味を感じることができた。生命力の衰えはそれらを減退させ、楽しむことができにくくなっているようだ。

 

 これはたしかに年齢によるものでもあろうが、好きな時間に好きなことができるという状態は、愉しみを楽しむということにはあまり良くないのかも知れないとも思う。恵まれすぎていることは退屈を生むようだ。堰かれてつのる恋心ともいう。恋は障害があるほど強く燃え上がるというほどの意味だろう。自分に何か負荷をかけて生きることを考えなければならないのかも知れない。苦労を抱えている人のほうが、得られにくい分だけ愉しみをより楽しく感じられるのではないか。

2023年1月 6日 (金)

過去志向

 予定を立てるというのは未来をどうするか決めることで、私は短期中期長期の予定を考えるのが好きだった。それが、この頃予定を書くためのメモ帳に書くことがあまりなくなった。生活の内容が乏しくなって書くことがあまりないということもあるが、予定を書こうという意欲、未来を考える喜びが減ったことの方が大きな理由だ。

 

 それに反して、ぼんやりしているとつい過去を回想することが増えた。文学的に言えば、新しいページを開くよりも、以前読んだところを読み返すことが多くなったということだ。こういう精神の働きの比重が増えるから、年寄りは今現在についての認識が薄くなり、過去の記憶ばかりが強固になる。その記憶も自分の中で改変され、単純化し、自分の都合の良いように美化される。だからますます過去に囚われる。

 

 記憶に残る過去のことは、個人的なものが多い。その外側はいつのことだったかアイマイになっていく。ブログに書くのは自分の想念に浮かんだことだから、どうしても個人的な過去のことが多くなりかねない。そんなものは私が他人だったらあまり読む気がしないだろうと思うから、書く気がしなくなる。今そういう状態にある。これからこのブログをどうしようかなあ。

2023年1月 5日 (木)

岸田首相の言葉から

 岸田首相は年頭の抱負の言葉として、賃金が毎年上がる構造をつくる、異次元の少子化対策を行う、などと述べたらしい。ネット記事で読んだだけで直接言葉を聴いていないから、それについて感じた、以下の私のコメントは揚げ足とりになっているかも知れない。

 

 日本の賃金が上がらないこととデフレマインドとは裏表の関係だろう。物の値段が上がらないから企業は収益を確保できず、賃金が上げられないと言い、賃金が上がらないから消費できず、安いものを選んで買うしかないと言う。メーカーも次第にいじましくなって、隠れ値上げをしたりしている。量を減らしたり質を落としているというのだ。そうしたら、先日賃金の隠れ値上げという話を聞いて面白く思った。労働者も賃金が上がらないならと、意識的にか無意識的にか労働の質を低下させているというのだ。さまざまな品質トラブルの遠因はもしかしたらそんなところにあるのかも知れない。

 

 だから賃金を上げることは悪循環の流れを正しい流れに巻き返すために必要なことで、同時に原料その他必要なコストの価格転嫁も認めるように進めなければならないだろう。その賃金の上がる構造をつくっていくというのは大変けっこうだ。いつものように言葉だけが勇ましいということでおわらないことに期待する。まあ賃上げは経営者がするもので、岸田首相がするわけではないからいくらでも勇ましいことがいえるけどね。

 

 ところで異次元の少子化対策という言葉には恐れ入った。少子化対策はそもそも特効薬的な方法はないし、短期に結果が出るものではない。地道な努力が必要で、対策は長い目で見て行う必要がある。異次元の少子化対策は、異次元の金融緩和をもじったものであろうが、すぐさま具体的なものが浮かばない。結婚できない、またはしないという若者の割合が増えているし、もし結婚しても子供を作らないという夫婦も増えているようだ。それをどう変えていこうというのか。

 

 強制的につくらせるなんて方法はまさかとるわけにもいくまい。そうなると卵子と精子を集めて試験管ベビーでも大量に生み出そうというのだろうか。それなら確かに異次元の少子化対策だ。中国ならいつかやりかねないが、日本が率先してやるとも思えない。それに、誰の卵子と精子を使うかが問題だ。まったくランダムにするのか。どうしたって優秀な人の卵子と精子を選びたくなるのが人情だろう。究極の優生保護法みたいなものだ。

 

 などと妄想が膨らんでしまうのが私の悪癖で、「異次元の」少子化対策とはなんなのか早く知りたいものだ。

わかっているつもりはわかっていないと云う事

 若いときは無理をしても回復することができた。暴飲暴食、夜更かしによる睡眠不足と二日酔いが日常で、定常に戻るのは十時過ぎになってから、と云う日々が続いたものだ。七十を過ぎて同じことをすればそのダメージからの回復には長い時間が必要だ。過去、無茶をしてきたツケが身体のあちこちにこびりついて錆びつき、取り去ることができなくなっている。

 

 正月太りで体重が三キロほど増えた。増えたのはほとんど水分で、その証拠に下肢がむくんでいる。食事の摂取量も増えたために胃袋も膨らんだらしく、つい余分に食べものが欲しくなる。早寝早起き腹八分目、適度な運動にときどきのドライデーという年齢相応の生活をしなければならないことはわかっている。わかっているのにすぐそれが出来ないのは、わかっているつもりでもほんとうにはわかっていないと云う事で、なんとかなる、と云う過去の経験がつい自分を甘やかすからだ。

 

 こんなことをだらだら書くのは、そろそろ本格的にスイッチを入れ直さなければならないようだと思い始めたからで、たいていそう思い始めたときは遅すぎる事態になっており、あちこちの不具合が顕在化する予感がしている。あえて書くことで生活の修正をするように自分に念を押しているところだ。

2023年1月 4日 (水)

少し降られる

 大泉洋は神がかり的な晴れ男だと、「鎌倉殿の十三人」の番組に関連した人たちが言っているのをテレビで観た。それほどではないが、私は比較的に晴れ男である。旅に出かけると、雨の予報でも傘を差さずに済むことがほとんどだ。雨は夜間や出掛ける前に降ってくれる。ただし、強力な雨男の友人がいて、二人で出掛けると晴れのはずが雨が降り、小雨のはずが大雨になる。彼には勝てない。

 

 その晴れ男の私が散歩に出掛けると、不思議なほどしばしば雨に降られる。今日も少し歩こうと思って出掛けたら、急に空が暗くなり、冷たい風が吹き出し、一番遠くに行った頃、小雨が降り出した。傘など用意していないし、雨宿りするところのないコースを歩いていたので濡れるままである。とはいえさいわい降ったのは十分足らずの小雨なので、髪が濡れて眼鏡が見にくくなった程度のことであった。

 

 これでは天が私の散歩をする意欲を削ごうとしているかのようだ。それとも邪魔しているのは無意識に作用する私自身の超能力なのだろうか。帰ってすぐ着替えをして熱い紅茶を飲み、暖まった。

 ところで久しぶりに歩くと身体のバランスが狂っているのを実感する。そういうときに娘に整体してもらうと左右の足の長さが違っている、と云って矯正される。身体のバランスの狂いや歪みは全体に悪影響をもたらす。身体を動かすことで少しずつ調整しないといけない。だから散歩の邪魔はしないでもらいたいものだ。

科学的

 まさにこれが感染爆発だ、というのがいまの中国の新型コロナ感染拡大の様相だ。しかし感染者数や重症者や死者の発表がないから、実数は不明である。WHOはさすがに中国は感染状況を報告するべきであると苦言を呈している。上海はすでに七割の人が感染済みではないかともいわれるが、上海は二千万以上の人口の街だから、千五百万人くらいは感染したということだろうか。すさまじい。全土ではどれほどになるのか。

 各国はつぎつぎに中国からの渡航者に対する検疫強化を発表している。自国を守るために当然の措置で、それに対して中国外交部は科学的な根拠に乏しい政治的な措置であるとして抗議すると共に、対抗措置を執る、と言明した。科学的であるのはどちらであるか、非科学的なのはどちらであるか、火を見るよりも明らかなことだと思うが、思うのは私が中国人ではないからかも知れない。まことに中国の科学は政治的な科学だということだ。中国の科学的なものの見方から見れば、それに反するものは非科学的なのだろう。

日常へ戻る

 正月三が日を過ぎて、まだ松の内とはいえそろそろ日常モードへ戻さなければならない。今年の目標というほどの大げさなものではないが、いくつか自分に決めごとを考えていたので、それを明確化しようと思う。そういうものがないとまただらだらした一年になってしまう。

 正月用に買い込んだ食べ物はほぼ消費が完了した。息子は忘れ物をした。昨日は郵便局が休みだったので今日送るつもりだ。娘夫婦は二日に来る予定だったが、旦那が発熱したので取りやめ。結局息子とは会えずじまいである。お父さんは大丈夫か、とどん姫は訊いたけれど、幸い全く問題ない。飲み食いしすぎて少し太っただけだ。コロナでなければいいのだがまだ検査はしていないようだ。

 遅ればせながら久しぶりに書初めでもしようかと思っている。

2023年1月 3日 (火)

文化財返還

 欧米が植民地などから持ち去って博物館に収蔵展示している文化財を、元の国に返還する動きが増えているようだ。いつかはそういう時代になるのが当たり前ではあるが、それがきちんと交渉の上で返還されるのが手順というものだろう。日本も中国や韓国から持ち去ったものなどの返還は逐次合意の下で行われてきた。中国の皇帝などから日本に土産物で与えられたものなどについてどうか、難しいところだ。中国が戦乱で失って、日本にだけしか残っていないものなどもある。韓国のように、寺から盗み出したものを泥棒から取り上げて、元は韓国のものだからと返さないなどというのは、結果的に泥棒に日本から奪わせたことに等しいけれど、韓国ではそれが裁判所で合法なのだから恐れ入る。こんなことをすると正当な返還交渉が却って進まなくなることがわからないのか。

 ところでそのことで連想するのは敦煌文書である。千年ほど前に敦煌の洞窟に収蔵されたままになっていたおびただしい文書が二十世紀の初めに発見された。その数、数十万点ともいわれる。ドイツやフランス、日本はその文書を持ち帰り、分類して研究に資した。中国は途中で問題に気付いてあわてて残りを自国の管理下に置いた。しかしその大半は途中で官吏や好事家にひそかに持ち去られ、散逸したといわれる。だから中国ではいまだに敦煌文書の精確な目録は作られていない。そうして文化大革命などで灰燼に帰したのかもしれない。

 そもそも故宮の秘宝にしても、特に貴重なものは蒋介石が台湾に持ち去ったとしても、量が膨大だったから多くは残されたのである。そうして北京の故宮の地下倉庫には敦煌文書も含めて膨大な宝物が収蔵されていることになっている。しかしそのほんの一部しか明らかではないし、目録もない。展示して存在が明らかなものさえ多くが破損したとして持ち去られたともいわれる。何しろ目録がないのだから確認もできない。横流しを罪悪とは考えない国なのだ。

 アフリカなど、今回返還された文化財をどう管理するのか心配な国もある。タリバンやISが自国の博物館の収蔵物を破壊している映像を記憶している人も多いだろう。今はきちんと博物館に収蔵されたとしても、政変が起きた時、返還された文化財がどういう運命をたどるかわからない。今欧米や日本に残された文化財は確かにそういう国から持ち去ったものも多いけれど、それらが保存され、今あるのはそういう国にあったからなのだ。せっかく残されたものが返還によって失われる可能性があることが心配だ。

 安易に正義だけでこの問題は考えるべきではない。歴史とはそういうものだ。

情報貧者と情報弱者

 情報弱者という言葉を目にしてその意味を少し考えた。世の中には情報があふれているけれど、そんな情報に接することができなかったり、偏った情報しか与えられない国もある。そういう国の人たちは情報貧者になるしかないだろう。極端な例でいえば北朝鮮があげられる。そういう意味では中国やロシアも情報貧者のあふれる国といえる。でも貧者と弱者は違うのだろう。

 情報弱者というのは情報に影響されやすい人をいうのかと思った。様々な情報を手に入れることができるのに、特定の情報を正しいものと思い込んで、それ以外の情報は比較したり考慮することができない人がいる。トランプ支持者の狂信的な姿を見せられて、どうしてこの人たちはこのようであるのだろうと不思議に思ったりするが、彼らを情報弱者というのだろうか。一度何かを刷り込まれるとその修正が効かない。

 日本は江戸時代に鎖国をしていた。情報が制限されていたといえる。それでも情報はわずかに長崎を窓口にして流入したし、積極的に取り込もうともしていた。意外に情報は正確で豊富だったともいわれる。わずかな手掛かりできちんと判断できる人たちを情報強者とでも呼ぶのか。多くの草莽の志士は狂信的な攘夷思想の持ち主であり、ある意味で情報貧者だったかもしれないが、それをリードしていたのは情報強者の人たちだった。

 現代はネット社会で、様々な言説が氾濫しているが、情報に影響されやすい情報弱者が情報弱者にさらに影響を与えて、大きな力になっていくことがある。なんだか気持ちが悪い。ほとんどマインドコントロールに近い。コントロールされやすい人にならないようにしたいと思う。

2023年1月 2日 (月)

楽しうて

 芭蕉の、

  おもしろうて やがてかなしき鵜舟かな

をもじって、

  楽しうて やがてかなしき祭りかな

という句がある。

 息子がいま広島に帰っていった。正月という区切りの祭りを楽しく歓談したが、それも終わった。

 寂しいけれど、今年は必ずこちらから広島へ行くつもりでいる。広島を中継点にして九州をゆっくれ訪ねるからと、そう約束して息子と別れた。

 暮から飲んだ酒、大吟醸の酒三本を空け、二本が半分飲み残されている。実質四本飲んだことになる。別に白ワインが一本と缶ビールが六本空になった。日本酒は一升瓶ではなく、すべて四合瓶である。当たり前だけど。缶ビールは500ml 。今回はゆっくりだらだら飲んだから、酩酊の一歩手前の、天国にいるような幸せな気分が続いた最高の酒だった。

Dsc_0101_20230102114301こんな気分

 まだ二日だから、今日は夕方からおせちの残りで再び残りの酒をゆっくり味わいながら、正月の幸せ気分を維持しようと思っている。

2023年1月 1日 (日)

今年もよろしくお願いします

あけましておめでとうございます。

  本年もどうぞよろしくお願いします。

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キューバの夜明け。初日の感動の朝でした。

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こちらはバリ島にて。実は夕景です。

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