知識人が変人であるということについて
前回の映画『先生と迷い猫』の紹介で、知識人はしばしば変人である、と書いた。そのことを私の考えとして受け取った人もいると思うが、必ずしもそうではないので補足しておきたい。
映画の中のシーンである。暇そうな男たちがたむろしているそばを先生(イッセー尾形)が通る。誰かが先生に大きな声で挨拶の言葉を掛ける。先生は立ち止まり、叮嚀に挨拶を返す。「好い天気ですね」といわれて先生はくもり空を見上げ、しばし間を置いて首をややかしげながら「それほどでもないですね」と答える。こういうやりとりのシーンが二三度ある。
先生が去ったあと「ちぇっ、格好つけやがって、ばーか」と小声で誰かがけなす。彼らは自分たちがまともな市井人で、先生は寄食の徒であると見做している。本を抱えてなにをしているやらなにを考えているのかちっともわからない変人だ、と見ているのである。
そういう人たちにとって、知識人はしばしば変人なのである。どちらが正しいか、とか差別とかいう話ではない。
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