記憶
今月半ばにしばらく弟の家にやっかいになり、そのうちの一日、妹もやってきて兄弟三人で四方山話をした。多くはそれぞれの家族の消息で、互いに情報交換し、いろいろ抱えているものがあったりなかったり、ある程度聞けば、それぞれの気持ちも分かった。
やがて自分たちの子供時代の思い出話になった。弟とは四年、妹とは八年の年の差があるから、その見ていた時代と世界は違うところがけっこうある。弟や妹は、自分たちの物心つく前の、私だけが知っている両親の話を聞きたがった。当然知っていると思ったことを彼らが知らないことに私は驚いたりしたが、思えば当然のことだし、幼かったから記憶に残らなかったこともあるだろう。
記憶というのは自分の都合のいいように変形されていくもので、同じ時間を生きても覚えていることと忘れていることがちがっているし、覚えていることの内容もたぶん事実とは変わっていると思う。そもそも記憶する当人がその事実をどう感じたかで記憶もちがってしまうもののようだ。
来月末に兄弟三人で伊豆に行くことになっている。そのときまた思い出話をすることになるだろう。話していると忘れていたことが細部まで浮かび上がってきたりする。楽しみである。それまでに体調を万全にしたいと思う。さすがにあとひと月もあるのだから、復調していると思うけどなあ。本日も本調子ではない。
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