がれき
トルコ南東部の地震の被害の映像を見ている。数年前にトルコに行ったから、ことさら気にかかる。トルコは日本と同様地震の多い国で、しばしば大きな被害が出る。遺跡をいくつか廻ったが、そこが倒壊して廃墟になっているのは、自然災害もあり、人為的な破壊もあるようだった。
がれきの山といえば東日本大震災の後、津波被害のあった地区に何度も行った。震災の前に久慈や宮古の田老町、魹(とど)ヶ崎近くの民宿、牡鹿半島の金華山を望む民宿などを何度か訪ねている。震災後に訪ねて無事だったところもあったが、ほとんどはがれきの山か、跡形もないという状態で言葉を失った。
自然はときに人間の幸不幸など斟酌なくこういう破壊行為をしてのける。人間の営為を無にすることに何か必然性でもあるのか、などと考えてしまうから、人は神という存在を考えついたのかもしれない。
それにしても自然災害によるがれきの山と、ロシアのミサイルで破壊されたウクライナのがれきの山がそっくりに見えるのはどうしたことか。プーチンは、破壊する、という行為を神に成り代わって行っているつもりなのだろうか。もちろんそんな自覚などないだろう。するしかないことをしているというつもりであろうか。
人間は自然による破壊から再び立ち直り、存続拡大繁栄してきた。ときに自らを破壊して荒廃を産み出してもそこから立ち直ってきた。壊しては作る、という繰り返しこそ人類の歴史といえるだろう。
それは永遠にくりかえされる営為なのか、いつか終わりの来ることなのか。
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