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2023年2月26日 (日)

少しだけ分かるようになった

 和歌や俳句がよく分からない。その句が表現しているのが何かよく分からない。人が好いというのだから好いものなのだろうと、句集などを開いてなんとか理解しようとするが、たいてい解釈を読んで初めてなるほどと思ったり、その解釈すら分からなかったりする。それでも繰り返しそういう本を読んだりしているうちに、愚人にも光明が差すこともあり、少しだけ分かるようになった気がしている。

 

 臼井吉見の『芭蕉覚え書き』という文章を読んでいる。冒頭に


   五月雨の降のこしてや光堂

 

という『奥の細道』の中の、平泉中尊寺の金色堂を詠んだ句である。そうしてこの句の解釈についてのさまざまな例を取り上げて、比較して論じている。私など、その中のひとつを回答として示されればなるほど、で終わっていただろうが、これほど千差万別、ちがう解釈があるというのは驚くほどである。

 

 それだけこの句の解釈が難しいともいえるし、それはそれなりの理由がある。この句についての臼井吉見の解釈はその理由をも含めて明快に解きほぐしていて、多少は『奥の細道』について勉強したのでとてもよく納得できた。

 

 それについては以下の文章を引用して記録に遺しておきたい。

 

 かく考えるとき、芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」に対して蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を「遙カニ進歩シテ居ル」と評した子規は、芭蕉の世界にはついに踏み込むことのできなかった、精確にいえば踏み込む必要のなかった人だと思わざるをえない。このことはまた光堂の句を、「拙とや云はん無風流とや云はん」と罵倒し去ったのと相まって、闊達な子規の近代精神は所詮、芭蕉とは無縁だったのではなかろうか。一応近代写実主義の道を進んだ子規にとってはむしろ当然のことでもあった。

 

 俳句を楽しむためには知っておくべきことがたくさんあって、それを知れば知るほど奥の深さを感じられるらしい。もうちょっと挑戦してみようかな。無明の闇に、ようやく日がかすかに差した気がしている。

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