分断は進んでいるのか
さまざまな理由によって分断は生ずる。分断のない世界は望ましいけれど、たぶんやって来ないだろう。それにしても分断のニュースは世界のあちこちから絶え間なく報道されている。原因があって分断が生じているが、その原因にはさらに遡って原因があり、それを解決するための答えは見つからない。
分断はますます増加しているのか、それとも分断を報じるニュースが増えているだけなのか。分断を食い止めるためには互いが妥協するしかない。互いの主張のあいだのどこかで折り合うということでしか分断は収まらない。互いの主張を繰り返すうちに落としどころどころか、その興奮がエスカレートするばかりに見える。
分断はよくない、何とかしなければならないという認識が互いにある場合にのみ宥和の可能性はあるが、自分だけが正義だという確信のなかにいると、譲るべきは相手であって、自分はけっして譲歩しないと云う事になってしまう。
分断が増えているのは結果であって、自分だけが正しいと言う確信が世界をおおっていることが原因であるように見える。それでは分断はどんどん進むしかない。あちらとこちらで、八割九割の人が折り合いをつけたほうが好いと思っていても、信念の一割の人がけっして譲歩を許さないようだ。私は信念の人ではないから、どうしてこんなに意固地になって相手の非を鳴らす文言だけが飛び交う世の中になってしまったのか、そのことのもたらす未来が悲観的に見えてしかたがない。こんなことを嘆いても仕方がないのだけれど。
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