『食堂かたつむり』
小川糸『食堂かたつむり』(ポプラ文庫)を読了した。主人公の倫子はすべてを失い、その失った精神的なショックで声すら失う。マジックでカードに必要な言葉を書き、それを頼りにただひとつ残された祖母譲りのぬか床の入った壺を抱えて、手持ちの財布のお金で、けっして帰らないと心に決めていた母親のいるふるさとへ長距離バスで向かう。
十五歳で家を飛び出し、さまざまな経緯を経て恋人と出会い、二人でレストランを開く夢を持って働きに働き、お金もそこそこ貯め、食器や調理道具も買いそろえていた。それら一切合切が恋人によって持ち去られてしまったのだ。ふるさとへ帰った倫子は母親の元に転がり込み、生きていくために小さな食堂を始める。食堂を立ち上げるために手伝う人たちや、一日一件だけ受け付ける客と提供される料理が書き綴られていく。人間は生きているものを料理することで生きるしかないという業のようなものをしっかりと見つめ、命のありがたさを学んでいく。クライマックスは目を背けたくなるようなシーンなのに崇高である。
人間はどん底を経験することで再生する。無一物だからしがらみもなくなり、自分自身の価値を見つけ出すしかなくなる。倫子はくよくよしない。くよくよしても始まらないことを理解している。そうして彼女は自分自身になっていく。この物語はたぶん作者の小川糸自身であろう。彼女自身の生き方が倫子に投影されているのだろうと思う。なにしろ『つるかめ助産院』でも、『ツバキ文具店』でも、主人公の再生、失われた自分自身の生きる意味、価値の発見の物語だといってもいい。
そしてそれを読むことで読者も生きる意味、自分自身に備わっているだろう力に気付くことができるのだ。
それにしてもこの本に書かれた料理の種類はたくさんあって、詳しいレシピもつけたらそれだけで料理の本が一冊できあがるほどだ。それを味わうことを想像するだけで楽しい。
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