無事帰着
夕方五時前に無事名古屋に帰着した。首都高から海老名までずっと渋滞。ふだんより1時間弱余分にかかったが、疲れは心配したほどではない。帰宅してざっと荷物を整理し、弟や妹にもらった土産をつまみにビールをいただく。いろいろなものがやんわりと溶け出していく。なかなか好い旅だった。
今日はゆっくり風呂につかって早めに就寝するつもり。大半の洗濯は弟のところでしてもらったが、それでも明日は洗濯が必要だ。旅の報告はスカイウオークの一回分を残すのみ。明日報告します。
« 2023年2月 | トップページ | 2023年4月 »
夕方五時前に無事名古屋に帰着した。首都高から海老名までずっと渋滞。ふだんより1時間弱余分にかかったが、疲れは心配したほどではない。帰宅してざっと荷物を整理し、弟や妹にもらった土産をつまみにビールをいただく。いろいろなものがやんわりと溶け出していく。なかなか好い旅だった。
今日はゆっくり風呂につかって早めに就寝するつもり。大半の洗濯は弟のところでしてもらったが、それでも明日は洗濯が必要だ。旅の報告はスカイウオークの一回分を残すのみ。明日報告します。
堂ヶ島で遊覧船に乗る。海から島々や岩肌を眺めるのは好きであるから、遊覧船には積極的に乗る。船室内なら救命具は不要だが、後方屋根のないところに乗るには救命胴衣の着用が必要。船室でも窓が開くので写真が撮れる。船室を選ぶ。
船が動き出すと、波が逆光に燦めいた。
タモリほどではないが地層を見るのは好き。伊豆半島の成り立ちは地層好きにはたまらない。その痕跡を見るのはワクワクして楽しい。
船内から外を眺める。
陸上からは決して見ることが出来ない景色。
ハイライトは洞窟内に船ごと入るところ。
日本の青の洞窟と自称するだけのことはある。実際はもっと暗い。
こんなところによく入るなあ。
大満足をして船を下りる。このあとこの日の宿泊先である土肥温泉に行く。
立憲民主党の某議員が、憲法審査会を毎週開くような人間はサルか蛮族だ、といって問題になっている。蛮族というのがどういう人たちを指すのか知らないが、立憲民主党というのは差別に対して最も厳しい党だと思っていたのに、こんな差別用語としか思えないことばを黙認するとはどういうことなのか理解できない。自分と意見が異なる相手は人間として認めないというのがこの党の本音だということであろうか。こういう差別用語でものを言うことに対して最も怒るべき立憲民主党が何も言わないのは不可思議ともいえるし、やはりそういう党なのか、という思いもある。枝野氏は将来の首相を夢見ているらしいが、サルや蛮族に近い人がそれなりにいるこの世の中ではなかなか難しいかもしれない。私は憲法について話し合うべきだと思うから、彼らから見れば、さしずめ蛮族のたぐいであろうか。
そもそも反対だから話し合うことも否定するというのは、自分だけが、そして自分たちだけが正義であるという考え方にしか思えないし、その党が民主主義を言うのは矛盾していないか。
もちろんこれは話し合えば言い負けてしまうことに対しての負け惜しみの罵詈雑言のたぐいなのであろうことは承知である。それにしても・・・。
二日目の朝、伊東は出かける前は雨が降っていたが、出かける時にはやんで薄曇り。下田に立ち寄る。下田駅前すぐのところに寝姿山へ登るロープウエイがあるので登る。
ロープウエイを降りると散策コースになっている。いろいろ立ち寄るところがあるが、さほど距離を歩くわけではない。
幕末、ここへペリーが突然船を乗り入れた。
みなで下を見下ろす。逆光。
展望台に龍馬君がいて、私も黒光りしている掌をなでたので、幸運が訪れるはずだ。「・・・訪れる!?」というのはいささか気になるが。
山がところどころ白い斑になっているのは桜なのであろう。花の時期に桜の存在が分かる。
愛染堂に立ち寄る。いまさら縁結びのお願いでもないので観ただけ。
お地蔵さんがたくさんいる。古いものは平安時代からだそうだ。
ハナモモだろうか。散策路はさまざまなよく手入れされた花が咲き乱れて美しい。
ことに桜は一番見頃で気分が晴れ晴れした。
満足して山を下り、石廊崎へ向かう。
最終日、土肥温泉の朝は晴れ。最初からこういう天気だったらよかったけれど、こればかりは致し方ない。
土肥から国道136号線で東に向かい、山を登る。途中から北上し、伊豆スカイラインを走る。まだ桜は散らずにいてくれていて、陽光に映えて美しい。スカイラインは見晴らしがよくて気持ちの好い道だ。
戸田峠をふたたび東に向かい、達磨山の展望台で車を停める。写真の富士山は、スカイラインからチラチラと見えていた富士山。残念ながらほとんどが雲に隠れて頂上付近だけしか見えない。思った以上に高いところにあって、富士山がやはり高い山なのだと教えてくれる。
絶景を堪能して修善寺方向へ走る。修善寺を車でぐるりと回って立ち寄らずにそのまま地道の国道136号線を北上する。道路は渋滞気味で、有料の414号を走れば良かったかもしれないと思う。三島で三嶋大社によろうかとも思ったが、パスして、国道1号線を東へ向かう。目的地はスカイオーク。全長400メートルの、歩行者専用吊り橋だ。高さを楽しんでから芦ノ湖へ至る。箱根神社へ行こうとしたら大渋滞で車を置くのに苦労して断念、妹の提案で成川美術館を訪ねることにした。日本画の展示や全面ガラスからの芦ノ湖の展望をゆっくりと楽しみ、わざわざ1号線を走って箱根駅伝のコースを辿って小田原に出ようとしたのが間違いだった。箱根湯本を先頭とした大渋滞で車は進まない。
運転に疲れ果てたので、弟に交替してもらう。小田原の手前で厚木道路に乗り、海老名で休憩して最後の買い物をする。あとは一瀉千里、千葉に向かい、妹の家の近くのチェーン店のレストランで夕食を摂りながら、今回の旅の清算をする。弟夫婦がいつも会計係をしてくれるのだが、いつも私のだし分が少ない気がする。引き続き弟の運転で妹を送り、弟の家にたどり着き、仕上げのビールをいただいたら風呂に入る気力もなく、そのまま寝床に倒れ込んで爆睡した。弟は私がビールを飲んでいる横ですでにうつらうつらしていた。みんな疲れたのだ。
ということで、無事に旅を終えることができた。次はどこにしようか。途中立ち寄ったところについては、前後するけれど追々報告するつもりなので、何回かこの旅の話が続くことになる。
宿を出て伊東の街を歩く。まず伊東駅に向かう。
干物は大好きだが、いまの干物は日持ちしないから、最後の日に買うことにする。
標識に東海館の看板があったので向かう。東海館は一度見たかったところ。
玄関口。中を見学できる。下は旅館だったが、いまは記念館になっている。三階建てでそこに望楼が乗っている。とにかく広くて部屋が多くて迷子になりそうである。
むかしの旅館の客室。窓の下には川が見える。
さまざまなものが各部屋に展示されている。ここは三浦按針に関するものが展示されていた。
こんなのが展示されている部屋もあった。
三階の大広間にはひな飾りが展示されていた。左はきれいどころのお姉さんたちで、右に立っているのは義妹。ほかにもさまざまな部屋があり、丁寧に見ていると時間がたっぷりかかる。
望楼から川辺の桜が見えた。
日も暮れかかり、宿に帰る。帰り道は遠かった。
大室山から城ヶ崎はそれほど遠くない。一帯に遊歩道があるが、灯台と吊り橋だけ見ることにする。
門脇崎灯台。85段とか書いてあったので、それくらいなら登れると思い登り始めたら、コロナ禍で中は閉鎖中。残念。海がよく見えただろうに。吊り橋は灯台の横すぐ近くにある。
吊り橋から断崖を眺める。私も岩場を少し歩いたら足元が危うくて怖かった。哀しいほど衰えた。
断崖の上の人は自分の足元は見えていない。
こんな風に波が逆巻いているのだ。
岩場の方から吊り橋を見る。少し揺れる。怖いと言うほどではない。このあと海岸の少し狭い道を、海を眺めながら北上して、少し時間があるので伊東のすぐ北側にある道の駅・マリンタウンに行く。弟夫婦は土産物を物色して歩くのが好きなのだ。そのあと宿に荷物を置き、伊東市内を散策した。それは次回。
伊豆・大室山はおちょこを伏せたような形をしている。糸尻が火口の淵になる。山焼きをしたばかりなのでまだ緑は少しだけである。到着するまでは車が渋滞したけれど、駐車場にはスムーズに入ることができた。ただし、リフトに乗るまでは蜿々長蛇の列。ようやく乗りこんで頂上に到着し、火口を見下ろす。標高580メートル、火口の直径は300メートルほど。それなら一回りするのも苦ではない。
しかし思いのほか上り下りがある。しかも遮るものが何もないから冷たい風が吹きぬけて寒い。
すぐ前を行くのが妹で、その前が弟。
初島が霞んで見える。晴れていれば海は青いはずなのに。
見下ろせばはるかに桜が見える。
かすかに見えるのは大島だ。
伊豆高原を遠望する。振り返っても晴れていれば見えるはずの富士山は見えない。
あの湖は一碧湖のようだ。
下りのリフト。前のリフトは弟夫婦。身体が冷え切った。大室山は傾斜が急で歩いて登ることは許されていない。駐車場が無料なのはありがたい。このあと城ヶ崎へ向かう。ナビが調子が悪くて弟にナビをしてもらった。
予想していたとはいえ、千葉から東名海老名まで断続的な渋滞で、最初の目的地の大室山に着いたのは12時を過ぎていた。しかも登山リフトが長蛇の大行列で、昼食を摂る暇もなかった。
火口の淵に着いたら冷たい風かふいている。私の念力は中途半端で雨は降らないけれど、どんよりと雲が空をおおっているから海は青く見えない。大室山についてはあしたまたきちんと報告する。
大室山のあとに城ヶ崎に行った。灯台と吊り橋だけでも見ようということにした。写真は灯台のそばから。
少し早めに宿に荷物を置き、伊東の駅周辺をみんなで散策した。メインがこの東海館。中も見学したのであとで報告する。本日は9000歩越え。妹は一万歩を超えていたという。くたびれた。
五時前に起床、五時半に出発予定。心配したが、ちゃんと起きられた。弟夫婦と一緒にまず車で30分あまりの妹の家へ行き、妹を拾ったら、そのまま伊豆へ向かう。朝の通勤ラッシュ、それに春休みの行楽に出る車もあるだろうから、かかる時間が読めない。とにかく首都高から東名に入れさえすれば後はなんとかなるだろう。
天気は私の念力が通じて晴れに向かっているはずだ。青い海を楽しめるだろう。妹も義弟の入院などでいろいろ苦労しているから、せいぜい気晴らしになってくれればありがたい。私の体調を気遣って、弟もあまりスケジュールを盛りだくさんにせず、歩き回るのも控えめにしようと言ってくれている。膝が弱っていて、階段がいささかつらい。それでも大室山の火口一周くらいならどうということはないと思う。あとは城ヶ崎を少しだけ歩く予定だ。
では行ってきます。
都内に住んでいた姪夫婦が、昨年弟の家の近くに新居を建てて移り住んだ。雨の中を、その姪が娘二人を連れてやってきた。幼稚園生と小学生の二人の娘はおじいちゃんおばあちゃんである弟夫婦が大好きである。最初は私に人見知りしていたが、やがてそばに寄ってきて話をするようになった。元気いっぱいで歓声を上げて転げ回る。にぎやかこの上ない。
私は静かな方が好みではあるが、でもこどもがにぎやかであることはそれほどきらいではない。うるさくて耐えられない人もいるらしいことが不思議な気がする。こどもは泣いたり喚いたりするのが商売なのだと思っている。芸人のわざとらしいわめき声よりはるかにマシである。
持参してきた養老孟司の『無思想の発見』(ちくま新書)という本を読んでいる。レトリックが駆使されているので、丁寧に考えながら読まなければいけない本なのに、つい読み進めてしまう。以前読んだ時もそうだった。これではなんべん読んでもおんなじだ。
この中に「じゃあ、どうしたらいいんですか」と、しばしば訊かれると書いてあって、笑ってしまった。答えは決まっているではないか。自分で考えろよ、ということである。どうしたらいいのかは人それぞれ、また場合によってちがうのであり、普遍的な解答などないのが世の中で、それを考えるための手がかりを養老孟司は自分が考え抜いたことから提示しようとしているのだと思う。
日本には思想も哲学も宗教もないと言われたりする。「あなたの宗教は?」と問われて「無宗教です」と平然と答えるのが普通の日本人だ。一神教の国の人にとっては、無宗教は反宗教ということと受け止める。たとえば反キリストということは悪魔崇拝と考えられかねないから実は恐ろしい。自分には思想も哲学もないと平然と答える人に、養老孟司は呆れるのである。呆れると同時にそれでも社会がきちんと成立するくらい暗黙の共通認識があるから、「思想も哲学もありません」と平然と言えるのだということも出来るのだ。
しかしその共通認識が崩壊しつつある。つなぐものがなくなり、個人がバラバラになりつつある。そのときに思想も哲学も宗教もなしに自らの立ち位置を定めることができるのだろうか。「じゃあ、どうしたらいいんですか」なんて訊いている場合ではない。世間という縛りから自由になった、何でもありの時代だからこそ、自分で考えるしかないのだ。世間の常識(実は良識)に縛られていた時代は、考えなくてもよかったから、ある意味で幸せだったのだ。
東大の名誉教授という人のツイート文がプレジデントオンラインに取り上げられていた。前半部だけしか読んでいないし、丁寧に読んでいないからその真意を読めているとは思えないが、いささか引っかかったことだけを書く。
法哲学的に自衛隊はその根拠を持たないから、敵から攻撃を受けて侵略されそうになっても日本を護ることができないのだそうだ。法律の専門家が法の理論に基づいていっていることであるからそれは正しいのであろう。そういう意味では法的に自衛隊は国を護るためには不備な存在であるのだろうと思う。憲法を専門家が正しく読めばそうなのかもしれないとも思う。
自衛隊は日本が攻撃された時、侵略された時に日本を護るために存在している。日本人は普通そう思っているし、自衛隊員はそう教育され、戦うつもりだろうと信じてもいる。現実にそのような事態になった時、法理論的に間違っているのだから自衛隊は戦うな、と誰が言うのだろうか。この東大名誉教授は法のために身を挺して反対するのだろうか。それに賛同する野党の人たちも自衛隊に戦うなと言って立ちはだかるのだろうか。
法と国家の危難の回避とどちらが優先するのか、私には自明な気がするが、そうではない人もいるのだろう。平常時と戦時ではとうぜん法の適用は変わる。考えるべきはそのけじめについての検討だろう。戦後、日本は戦時を想定してこなかったからその検討もなされていない。検討しようとすると野党に猛反対されてきたのを見て来た。この名誉教授が、それに警告を発して、検討すべきだといっているということなら納得できる。
それにしても福島瑞穂の「平和を守る、平和な日本を守る」という、お経のように繰り返されることばがむなしく聞こえるのは私だけなのだろうか。お経を唱えれば救われるというのならありがたいことで、その法力でウクライナとロシアに行ってもらい「平和を守る、ウクライナを守る」と唱えてもらいたいものだ。
朝八時半前に名古屋から千葉に向かって出発した。いつもなら五時間半くらいで到着するが、今日は渋滞で七時間近くかかった。土曜日なのでトラックが少なく、新東名はスムーズに走ることができた。ただし、雨降りなので車のスピードは全体に遅い。新東名は三車線区間は制限速度が120キロのところが多いが、今日は全区間制限速度は80キロだった。御殿場で東名に合流し、厚木ICの手前から渋滞に突入。横浜までずっとノロノロ。横浜町田から少し走り出したと思ったら、終点の料金所手前からふたたび渋滞で、そのまま首都高も断続的な渋滞。アコーデオン渋滞ということば通りである。いつもなら東関道に入れば流れ始めるのに、千葉までずっと渋滞だった。
弟夫婦にあいさつし、仏壇の両親に線香をあげる。肌寒い。弟と伊豆で立ち寄るところを打ち合わせる。今日の渋滞の様子から、当日は少し早めに出発することに決めた。
昨晩、いつも以上に寝付けなくて、今朝はずいぶんゆっくり起きることになった。それでも睡眠は充分。朝食を摂って支度の最終チェックをする。出かける時の興奮を伴うときめきがいささか少ないのが残念だ。体調が損なわれると精神力も低下するようだ。それでも走り出せば気分も変わり、気持ちが開けてくると期待する。
外は小雨。来週、弟たちと伊豆へ出かける日は雨の予報だったが、次第に雨は降らないという予報に変わりつつある。私の念力が及び始めたようだ。晴れになるようにさらに念力を強める。伊豆へ行くのは十年ぶりだ。
いつもどこかの電燈を消し忘れていたりするから、忘れていることがないか確認をして、さあ出発だ。今日はこまめに休憩を取るようにしよう。
脇に山積みにした曾野綾子の本を置いて飛ばし読みしている。ということでまたまた曾野綾子の本から。
人口一万人に対して必ず何人か、泥棒、交通違反、放火、アメリカなら銃の乱射といった特殊な犯罪に手を染める人びとがいるのだが、国家の中にも、あらゆる理由の下に、他国に侵入する理由を見つけるのに平気な国がある。日本人が平和を望めば他国は侵入しないというのは、「私が健康ならば、あなたも病気にならないわ」というのと同じくらい、幼稚な発想と言わねばならない。
国民全体がものごとの発明や生産に興味を持たず、ただ商品を右から左に動かすことで金儲けをするか、あわよくば偽物を作って暴利をむさぼろうというような国民が多い国と較べれば、日本が進取の気性に富み、発明や工夫に興味を覚え、しかも勤勉で正直である国民性を有していることは、本当に国家的幸せの理由なのである。
確かに以前はそうだったかもしれないが、どんどんそうではなくなっている気がする。損得をもとにした価値観が蔓延して、それ以外にだいじなことがあることが見えなくなっているのではないか。誰が悪いのか。自分が悪いのである。誰かのせいにすることばかりを正義と勘違いしている自分が悪いのである。
世界の中で、日本はもっとも平和で安心して暮らせる国だと私は思っているが、その日本がどんどんそうでなくなっていく。私がこの世から退場するまでは、なんとかそれほどひどくならないでいて欲しいと願うばかりである。あとのことは知らない。
ちょっとしたことを大げさにふれまわる人、隣近所のうわさをして歩く人を金棒引きという。少し前にそのことは書いた。現代はその金棒引きが商売になる。商売になるだけではなくて、それに喝采するバカ者たちによって国会議員にだってなれてしまう。人は自分が矢面に立って迷惑を蒙るのを恐れて我慢している。そうしてあることないことをふれまわっているうちに人の恨みを買うのは当然の成り行きで、その恨みを恐れて海外に逃げ出した。
国会議員のなすべき役割を行使しなければ議員の資格を失うことは国会の法律で定められていて、その役割は海外にいるままでは行使できない。議員を失職したと同時に大きくなった恨みのかたまりが彼を恐怖に陥れたようだ。彼は金棒引きで稼いだ金でそのまま海外で悠々自適のつもりのようだった。しかし日本国は彼が日本に戻らなければ彼のパスポートを失効することを通告した。
彼は日本人であるという根拠を失い、根無し草になる。根無し草でも悠々自適ができるのかどうか。自分は日本という国に保護されている日本人であるという自覚が彼にあったと思われない。根無し草になって初めて日本という国について考えているだろうと思うが、もしかしたらまだかもしれない。
昨日のBSフジのプライムニュースに出席していた元外務官僚でオランダ全権大使を努めたことのある東郷氏が、岸田首相のウクライナ訪問に批判的で、特に虐殺のあったとされるブチャを訪問しない方がよかったと述べていた。理由は、ロシアとウクライナの言い分が異なるからだという。そういう係争のある場所には行くべきではないそうで、東郷氏は報道されている虐殺の映像に偽装があると見ているようだ。
確かに被害人数など、被害者側が盛ることはあり得ると思われるが、ロシア側の主張するような全面的な偽装だという主張は、さまざまな報道を見聞きする限り無理があるように思う。東郷氏はもともとロシア・スクールとみなされていて、ロシアの立場に立つところがあるが、いまの国際情勢の中での日本の元外務官僚として、このようなロシア寄りのことばは聞いていていかがかと思われた。
ふと日本軍が行ったという南京虐殺を想起した。日中戦争はどのように理屈をつけようとも明らかな日本の侵略戦争であり、南京で多数の市民が殺されたらしいことは否定しようとしてもできないと私は思っている。便衣隊といって、兵士が軍服を脱いで市民に紛れ込んでいたものを探しだし、殺していったという事実はあったようで、そのときに間違って市民も殺されたと言われる。また、略奪も少なからずあったのも事実のようだ。ただし、その数は中国によって十倍百倍に盛られているだろうことも想像できる。
とはいえ、盛られていたから事実はなかったということは出来ないのである。ブチャでも盛られた事実があったかもしれないからといって、虐殺そのものがなかったかのようにいうのは納得できないことである。いまさらロシアに配慮する東郷氏の姿勢は奇異としか見えない。
私は岸田首相のウクライナ訪問を、行く前はあまり積極的に支持しなかったけれど、今回は絶妙なタイミングで行くことになったことは瓢箪から駒とはいえ、結果的によかったことを認めざるを得ない。番組でも言っていたけれど、習近平がプーチンの招待でモスクワに行ったニュースがいささか霞むことになったからである。もしかしたら、習近平にとってもありがたいことだったかもしれないとも思っている。習近平も、世間的に分の悪そうなプーチンにあまり肩入れしていると見られたくないらしいから。
母子が傘を差して通り過ぎるのがベランダから見える。雨が降り出したようだ。今日は終日雨のようだから、散歩はお休みだ。囲碁の迷勝負が面白くて何番も打ち続けているうちに、頭の中が囲碁の死活でいっぱいになってしまった。本を読んでいてもドラマやドキュメントを観ていても、盤面が邪魔をして集中できない。やや中毒症状になっているのでクールダウンが必要だ。
何かに捉われると思考が狭められて頭が空回りする。たいていこういうときはどこかへ出かける。さいわい来週は小旅行の予定だ。本当は今日にでもちょっとドライブすると好いのだが、雨では景色も楽しめないから、撮りためた写真でも眺めて思い出にふけろうかと思う。
曾野綾子の本から
最近は「年寄りを尊敬しない社会」に怒る老人もいるようだが、年を重ねたから敬われるなんて理由は何一つない。私も八十歳を過ぎた年寄りだが、年寄りの中に「高齢は資格だ」と本気で思っている人がいるのは不思議でならない。
年寄りは、年を重ねてきたので経験も豊富なら、度量もあり、寛容の徳も知り、自分を犠牲にできる。だから「年寄りを敬う」という慣習が社会でごく一般的に受け入れられてきたのだと思う。年寄りが自分から「敬え」などと要求するのではなく、若者の目から見て尊敬できるから年寄りが敬われるのだ。
それなのに「習慣として年長者を敬え」というのは、最近流行りの、すぐ相手の弱点を数え上げて「謝れ」と要求する人や、その謝罪の場面を眺める趣味の人に似ている。
謝罪を声高に要求する人は、「誰かに謝らせた」ことに満足するのだろうが、「謝れと言われたからそうする人」に謝ってもらって何が楽しいのだろうか。でも、そういう愚かな人は、常にどこの国にもいるから不思議なものだ。
こういう風に上手いこと書けると好いなあ。
午後、重い身体を無理に立ち上がらせて散歩に出る。今日は病院周回コース。通院の時は病院までで診察があるからひと息入れられるが、今日は病院に用事がないのでそのまま帰ってくる。少し遠回りしたのでかろうじて五千歩達成。途中でやはり散歩らしきおじいさんとすれ違う。よたよたと足取りがおぼつかない様子で一生懸命歩いている。私も他人から見たらあんな風なのだろうか。身につまされる。
曾野綾子の本を読んでいると、人間は体が健康なうちは働け、と繰り返し書いている。歳をとったからといって甘えてはいけないというのはその通りだろう。働くというのは社会にとっての役割をきちんと努めよ、ということだろうと勝手に解釈する。私は、すくなくとも自分のことは可能な限り自分でするということでよしとすることにしている。これは甘えかなあ。
弟から電話があり、体調を整えるために早めに千葉へ来てゆっくりしろという。甘えさせてもらうことにして、週末に向かう。車は、私の車が一番大きいので、私がメインに運転することになる。留守を娘に頼んでおかなければならない。特に急ぎの何かがあるとも思えないし、マンションの組長の仕事も、もう特に残っていないはずだ。
小さな伊豆のガイドブックとドライビングマップを引っ張り出して、泊まるところや周辺の観光地を眺めて、いきたいところをセレクトし、ナビにいつでも打ち込めるようにデータをまとめてプリントアウトした。今日は良い天気なので、昼から少し周辺を歩くことにする。明日から雨だ。来週には雨が上がって欲しいがどうだろうか。
ドラマや映画を観る気がしないし、本を読む気もしない。しかたがないので音楽を聴きながら囲碁ソフトでパソコンと対戦。二勝二敗。待ったをすれば三勝一敗だったかもしれない。この囲碁ソフトはかなり無理筋の手を打ってくる。その無理をきちんと咎められるかどうかが勝負の分かれ目になる。無理を通されてしまうのは不愉快だ。世の中にはそんな無理を平気で押し通す輩が横行していてうんざりする。せめて囲碁くらいはその無理をきちんと懲らしめたい。そのためには感情的にならないことだ。勉強になるなあ。
来週は弟夫婦と妹と四人で小旅行に行く。その妹から電話があった。妹は私のブログを読んでいるから私が体調不良だったことを承知している。「大丈夫?」と気遣ってくれた。それよりもリハビリ中の義弟が大腿骨を骨折したという。そちらの方がはるかにたいへんだ。それでも義弟はとうぶん動けないので、旅行には差し支えないという。お彼岸なので、明日弟のところへ立ち寄って両親に線香を上げ、それから病院へ行くそうだ。一難去ってまた一難。寝たきりにならないと良いけれど心配だ。
今晩は茄子の味噌炒めと、ウインナと残り野菜たっぷりのスープ、それに茹でたブロッコリ。ひさしぶりに野菜が多い。健康第一。旅行に備えて体調を万全にしたい。
今日はどんよりした曇り空。午後も曇りだが、ところによりにわか雨が降るというので、午前中に散歩に出かけた。本日は息子と娘が通った中学校までの周回コース。入学式卒業式、三者面談などで何度も行った。その頃は歩いて15分ほどだったが、いまは20分かかる。
きれいに咲いたモクレン。
ツバキも負けじと咲いている。
小粒の金柑がなっている。金柑は好きなので、採って食べたいけれど我慢した。
途中に芸大があり、その庭あった銅像。
校舎の壁面。
中学校が見えた。南側は田んぼや畑が残っている。むかしツクシや芹を取りに来た。ツクシがちらほら見えたが採らず。というより今日は散歩初日の時のように体が重く、激しく疲労して汗が噴き出してきた。もう少し足をのばすつもりだったが中学校をぐるりと回っただけで引き返した。帰ったら五千歩にわずかに届かず。着替えしてシャワーではなく腰湯につかって疲れと汗を流した。少し休もう。
お前は気が利かない子だ、と親に言われたことがある。見た目ではその通りだろうなと思った。しかし気がついていないわけではないのに気がつかないかのように手を出さない自分だということも分かっていた。親もそれに気がついたのか、呆れて何も言わなくなった。ある時期から、そういう横着さは結果的に自分にあまり得ではないことが分かってきた。しかし人間というのは不思議なもので、横着だと思われている自分をにわかに変えるのは照れくさくもある。
大学に入って周りが私を知らない人たちばかりであるのを機に、自分の性格を変えようと思った。本質的な自分があるとすれば、もしかしたらそれは変えることはできないかもしれないが、見かけは変えることができるかもしれないと思った。大学の寮に入って、交友関係を積極的に増やし、寮の役割を進んで引き受けたりした。みな、もとの私を知らないからそういう社交的で積極的な人間であると見てくれていたと思う。
端っこや後ろの方が好きだったのを、一番前の真ん中に位置するように心がけたりした。そういうことを積み重ねて、いつのまにか無理なく自然にできるようになったころ就職し、高校生までの自分では信じられないことに営業職についた。人前で話すこと、歌うこと、売られた理不尽には相応のお返しができるような人間になった。人間として善くなったのか悪くなったのか分からない。
リタイアして緊張感のない生活になり、次第にメッキが剥げてきて、もともとの自己中心的性格の自分が顔を出し始めている気がする。その自分を見る自分がいるうちは良いが、それが見えなくなったら怖い。人に迷惑をかける。それが認知症に対する恐怖の理由だと思う。父は九十歳過ぎまで生きたが認知症ではなかった。父にあやかりたいが、こればかりは自力ではどうしようもない。
久しぶりに会った妻は、相談員から聞いていたほど痩せもして居らず、前回会った時よりも若返って見えた。相変わらずこちらの話は聞こえていてもほとんど心には届かず、こちらが訊いたことについて自分のペースで勝手にしゃべっている。
私に退院の段取りを再三訪ねるが、それを決めるのは医師だからといったら、それもそうねという。たぶんあとで医師に対しては、私が強く退院を希望しているから退院をさせてくれ、というはずだ。医師もそうですか、とはいわないと思うが。
子供たちのことについて水を向けたが、残念ながら反応らしい反応なし。念頭にないのだろう。私の両親の死んだことを知って驚いている。何度も伝えているが忘れているのだ。三十分ほどで看護師から「このくらいで。また来て下さい」と言われる。終わって帰宅したらどっと疲れがでた。今日は少し余分に飲むつもりである。
本日八日目の散歩コースはコッツ山周回コース。歩き始めはいつも股関節がギクシャクするが、歩いてしばらくすると体が温まり、歩きがスムーズになっていく。木津(こっつ)用水はむかし農業用水と、木曽から犬山と名古屋との舟運にも使用されてきたが、いまは整備されて合瀬(あいせ)川と呼ばれている。
合瀬川と桜並木。まだ桜はほとんど咲いていなかった。土手の向かい側、桜並木のずっと先がコッツ山。
それでも探せば咲いている花もある。
これがコッツ山。公園になっている。人工の山である。ここが中継点で、ベンチで一休みする。
公園のすぐそばの桜が一番咲いていた。
近くの歩道橋の上からだと、西に伊吹山、北東に木曽御岳が遠望できるのだが、今日は霞んでいてよく見えなかった。
このコースはコッツ山公園が対角点になる四角形を歩くことになり、いびつな長方形で、帰り道は二割ほど長くなる。軽く七千歩を超えるのだが、今日は帰り道を斜めにショートカットしたので、七千歩にはわずかに届かなかった。
昨日に続いて今朝も快晴。気温はやや低めか。本日は午後、妻の病院へ行き、ずいぶんひさしぶりに面会する予定だから、散歩は午前中に済ませないといけない。妻の様子は相談員から聞いているけれど、ずいぶん体重が減ったということだ。身体の具合が悪いということではなく、もともと肥満気味だったのが普通に近くなったということだから心配ないという。歳をとったように見えるかもしれない。お互い様だが。
会った時に何を話そうか、いろいろ考えるけれど、一番知りたいのは自分の子供たちについてどんなふうに考えているのかということだ。前回会った時にはほとんど子供たちのことについて興味がない様子だったことに情けない思いがしたが、今回もそうだろうか。
体調は薄紙を剥がしていくように、しかし着実によくなってきている。少しだけ飲んでいる晩酌の味が、ようやく以前のように美味しく感じられるようになってきたのが嬉しい。
半疑問話法という話し方がある時期から頻繁に使われ出した。最後に語尾を上げて同意を求めるごとく話す話し方で、むかしはなかったように思う。私はこの話し方が好きになれない。そう思う人が少なからずいると見えて、ひところからみれば少なくなっているように思うが、いまだに絶えることがない。聞き苦しいと気がつかないのか、気がついても癖になっているのかもしれない。女性に多い。
あれはどこかの国の人の話し方のまねだろうかとも思うが、よく知らない。同意を求める、というのは穏やかな言い方で、不快を感じるのは、同意を強いているように聞こえたり甘えたりしているように聞こえるからで、とにかく変な話し方だと思う。
子供を産み育てるのは負担だといい、その負担があるから子供を産まないのだという。それが少子化の原因なら、その負担を軽くすることは少子化対策になる。そういうわけで、岸田首相はその負担を軽くするための方策をいろいろ立てるようである。
私は事情があって自分の二人の子供が小学生のころから、男手ひとつで育てることになった。いろいろたいへんなこともあったけれど、それが負担で子供がいなければ良かったなどと思ったことは全くなかった。子供たちが勝手に育ってくれたから、かなり手抜きができたということもある。それでも心配することは山のようにあった。
子供を育てるのはたいへんであるけれど、かけがえのない存在として、いてくれて嬉しい存在であることはそれ以上である。たいへんだ、たいへんだ、負担だ、負担だ、と世間、特にマスコミは言いすぎる。子供のいることの喜びがその声にかき消されてしまっているのではないかと感じるのは私だけだろうか。こういう考え方感じ方は女性差別なのだと言われかねないのが現代の世の中で、それこそが少子化の原因なのだと思うがどうだろうか。
少子化は思想の問題だ、と私が思うのはそれが理由である。岸田首相は、子供がいると得になりそうだから子供を作ろうなどと思う人がいると思っているのだろうか。まず子供がいることのありがたさを皆が思い出さないといけないだろう。自分だってそうして生まれてきたのだから。子供の声がうるさいから児童公園をなくさせるような時代風潮が少子化の原因なのだ。どうしてそれが分からないのだろう。
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝(たから)子にしかめやも
山上憶良
今日は雨。夕方までには上がるという予報だが、散歩に出かけたいから早めに上がって欲しい。冬を耐え抜いたベランダのニラやネギは元気よく復活している。体調回復中の私も見倣わなければ・・・。とはいえ、美味しくいただくことになるのだけれど。
ミシェル・ヨーがアジア人初のアカデミー賞主演女優賞を受賞した。中国映画は一時期よく観たから、彼女もたびたび拝見している。最初に彼女の名前と顔を覚えたのは『グリーン・ディスティニー』という映画だった。この映画で観たチャン・ツイィーがチャーミングだったので、そのほうが忘れがたい。
冤罪事件の真相は「神のみぞ知る」だが、冤罪を糺弾されるのは捜査に問題があったからであろうと思う。しかし冤罪が確かであるのなら、その事件の真犯人は逃げおおせているということであり、そのことをみな忘れているように見えるのが気になる。
雨が降り出す前に本日も散歩した。かろうじて五千歩をクリア。病み上がりだったので、最初の日などはふらふらしたけれど、今日はそのときよりもしっかりと歩けた気がする。かもめ様から、三日坊主の意味は三日に限定されないという指摘をいただき、なるほどと思った。三日ではなく、四日や五日でやめてももちろん三日坊主にはちがいない。こうなるととうぶんやめるわけにはいかなくなる。そういう意味の励ましをいただいたのだと思う。
少しずつ料理を作るようになり、酒も飲み始めたら、体重が少しずつ増え始めた。リバウンドしないように、注意しないと元の木阿弥だ。
そういえば散歩で立ち寄った神社の桜のつぼみがかなりほころんでいた。日曜日には咲き始めそうだ。少しハードな散歩コースに、川沿いの桜並木がある。来週にはそこを歩くことにしよう。春だなあ。
1983年のこの映画の原作者は北方謙三。彼のファンだから若いころに原作も読み、映画は貸しビデオで観た。金を貯めてヨットが買いたいという夢を持って働く若者が、トラブルに巻き込まれながら自分の矜持に生き、ついには破滅していくという映画で、主演を水谷豊が演じていた。ドラマの『相棒』シリーズを楽しんでいて、この映画のことを思い出し、以前録画してあったのを引っ張り出してひさしぶりに観た。若者の顔が試練を乗り越えていくたびに変わっていく。なよなよした青年が次第に研ぎ澄まされたナイフのような凄みを帯びていく様子をみごとに演じていた。
この映画に出演している顔ぶれがすごい。懐かしい顔ぶれでもある。ヒロインは甲斐智恵美、刑事役で夏木勲、本田博太郎、小林稔侍、ほかに財津一郎、草笛光子、田中邦衛、島田紳助、阿藤海、平田満、小池朝雄、絵沢萌子など、もっといるけれどきりがない。
財津一郎の怪演が光る。島田紳助は嫌いだけれど、この映画では自らの弱さにボロボロになって死んでいく若者を全身で演じていて、下手くそながら訴えるものはあった。この顔ぶれで、絵沢萌子なんて知らないだろうなあ。ヤクザ映画なんかによく出ていた。そういえば監督は工藤栄一で、原作にない彼なりの独自の美学をこの映画に盛り込んでいて、そこは好き嫌いが分かれるところかもしれない。
韓国の尹大統領が来日して、日韓関係がにわかに好転しているのは喜ぶべきことなのだろう。韓国の、前の大統領の日本に対する行動の数々は、日本人の私としては理不尽に見えたから、相対的に尹大統領が好日的に見える。しかし尹大統領がそういう人であるからといって、あの反日が主流だった韓国が、にわかに好日になったとはにわかに信じがたい。岸田首相以下、前のめりに国を挙げて宥和に舵を切っていることに危惧を感じる。関係改善に向かうしかない韓国の事情があってのことで、事情が変わればいつ変節するか分からないのが韓国であることを忘れないでほしいものだ。
ガーシーなどという男が、国会議員の資格を失って根無し草になったようだ。有名人をもてはやしながら、同時にそれを妬むというのが人間というもので、その有名人のあることないこと書き散らして暗部に働きかけて、一部の人間の喝采を浴びていたのがこの男なのだと私は理解している。力があるものを毀損することが快感だというのは醜い心情だと思うが、それに気がつかない人もいる。そのガーシーという男をそそのかしていた男たちもいると今朝の報道で言っていた。
おそらくガーシーはこれから追われ追われて根無し草の悲哀を実感することになるのだろうが、それがあたかも被害者であるように見てしまう人というのもいるだろう。報道が続くから勘違いする人もいるので、もう彼の報道はやめて欲しい気がする。追いかけるから注目を浴びるのだ。
医者には体力は平常の八分くらい元に戻ったと言ったが、少し散歩すると六分か、よくて七分くらいというところのようだ。月曜に病院に行ってから毎日歩いている。二回にわけてでも、なんとか一日五千歩ずつ歩いた。四日目の今日も歩いたから三日坊主ではない。身体が重いし、身体のバランスもなんとなく悪く、少しよれている。歩いているうちにマシになってくるだろうか。明日と明後日は雨らしい。止み間があれば少しだけでも歩くつもりだが、そうでなければ神様のくれた休養だ。
今日の散歩は本屋周りコースで、このコースは高くつく。結局帰りには四冊ほど本を抱えて帰ることになった。
強敵の囲碁ソフトとの対戦の勝率が二割から三割に伸びた。なんとか対等になって定先でなく互先で打ちたいものだ。まだ待ったをしてしまう。相手は決して待ったをしないのに恥ずかしい。
曾野綾子の本を片付けるために読み直していて、いま四冊目の『老境の美徳』という本を読んでいる。その中の文章の一部、
2013年2月の関東地方の大雪の時、あちこちで、「孤立した」村落があったとしきりに報道された。
確かに停電すればとにかく寒くて辛いものだが、ニューに登場した女性の高齢者が、おそらく食料にも不自由していたのだろうか、「これからは行政がもっと早く除雪をして閉じ込められないようにして欲しい」と話していたことにびっくりした。そんな人任せの贅沢を言えるのか、という思いだった。
だが日本ではこういう場合、驚異的に早く道を開けてくれる。半月も一月も道が通じないなんてことはない。だから、やや過疎地域に住む人たちは、常に一週間かそこらの食料の備蓄は、自分でしておくのが常識だと私は思っている。
テレビに映ったその女性は、私とほとんど変わらぬ年齢だった。おそらく戦時中のものに不自由した時代もご存じだろうに、すぐ打開策を国に求める、こういう姿勢を見る時、私たちは戦争から何を学んだんだろうと思ってしまう。
以下、さまざまな自助の例や、東日本大震災の時の話などを挙げて行政に求めるばかりの甘えを批判している。
私は曾野綾子の意見におおむね賛同するが、その論点についてはさまざまな意見があると思う。立場や状況によってさまざまな場合があって、いちがいに言い切れないこともあるから、反論はいくらでもあるだろう。この文章を読んで考えたことはそのことではない。
「戦時中に不自由した時代をご存じだろう」という部分で思いだしたことがある。確かに戦時中は戦況が悪化するとともに、ものがなくなっていって不自由したが、本当に困ったのは戦争が終わった後だったと母が言っていたのだ。特に食べ物に困ったという。家族で手分けして農家に着物などを持って行って、米と交換してもらった話などを聞かされた。かさにかかってずいぶんひどいあしらいを受けたようだ。
当時の農家は自給自足的な暮らしをしていたから、食べるものには困っていなかったという。ひどい話だと私は素直に思っていた。同時に日本中全ての人が空襲で焼け出されて食うに困っていたわけではないことも知った。曾野綾子の観た高齢の女性も戦時中や戦後に必ずしも苦労してはいないのかもしれない。過疎地に暮らしていたくらいだから、同じ時代に生きていたとしても、活かすべき経験がないかもしれないのだ。他人の苦労は苦労ではない。
曾野綾子がしばしば反撥されるのは、彼女の経験を経験として感得することができなかったり、理解できないひとたちで、それは立場や経験の差によるところもあるのだろう。彼女は彼女の立場と経験のもとに正直に書いているだけで、私はたまたまそれがわかりやすく読めている。
文明とは、自分ではなく、他者がどう思うか、と考える余裕のあることだ。もちろん、推測したことが当たっているとは限らない。しかし、間違っていようとも、推測するという姿勢は、文化の尺度とかなり一致している(by曾野綾子)。
文明と文化という言葉が区別なしに使われている気はするが、言っていることはよく分かる。子どものときに、相手の身になって考えるように教えられたことを思い出す。それが出来るのが大人だと思ったが、いま教えが自分の身についているかどうかは自信がない。
曾野綾子がこのことを書いたのは、アフリカなどでその日生き抜くこと、その日食べるものが手にはいるかどうか確かではないような生活では、文明などは意味をなさないということ、余裕がなければ他人のことを考えることなどできないという現実を見て来たからだ。
衣食足って礼節を知るという。衣食は足りたけれどその前に礼節が廃れたと思ってしまうのは悲観的すぎるだろうか。
Amazonから、異常な注文が検知されたからアカウントを停止するという通知がここのところ繰り返し送られてくる。停止解除にならないために以下に連絡してアカウントを更新せよという。カード会社から、異常なアクセスがあったからカードの使用が停止されます、との案内が来る。以下のところに連絡をして下さいとまことしやかな連絡先が添えてある。
どちらもたいてい迷惑メールに分類されるが、ときどきそこから洩れて受信メールに入ることもある。迷惑メールだからおかしいと思うし、消去して無視していても特段何も問題はない。カードは使えるし、Amazonも注文ができている。
こちらはひたすら防衛のために注意するだけだ。専守防衛あるのみである。不愉快がたまっているので、敵基地攻撃能力が欲しいと思うこのごろである。
金(かね)は必要なときに必要なだけ持っていないと困る。必要最小限あればいいと悟れれば良いが、世の中は欲望を喚起する情報にあふれていて、余分に欲しいと思うのが自然だ。何か欲しいときに金が必要だから金が欲しいはずなのだが、いつのまにか金そのものをあつめることが目的になったりする。金融だ、為替だというのがいつのまにか金で金を売り買いすることになって、ものやサービスとは無縁の世界が出現していて、私などの理解を超える。
ヤミバイトなどという恐ろしい連中がいて、小金をもっているという情報が伝わると金だけではなくて命まで奪われかねない。たくさん持っていても自慢できないのが金というものらしい。
世の中は、アメリカ仕込みで全て金に換算できるという価値観が浸透しつくして、問題はなんでも金で解決できるとみなが思い込んでいる。いまや教育問題も少子高齢化も金で対策しようとする。岸田首相は打ち出の小槌を振り続けて満面の笑みを浮かべている。金を振りまけば海外との関係はより良くなると信じているようだ。私が彼に好感を持てないのは、その話し方もあるけれど、何でも金に還元する考え方を感じてしまうからだ。
先崎彰容の本を四冊ほど読んで感じた(考えるところまでまだ至っていない)ことは、いま必要なのは思想ということだ。思想とは価値観の基礎になるもので、そこを見直さない限り、いま起こっている問題の多くが根本的に解決できない。
若いころ、デラシネということばにあこがれた。根無し草という意味である。社会のしがらみを振り切り、一人で生きていくということで、放浪を伴うようなイメージを抱かせることばでもある。しかし、みんながデラシネでは社会は成り立たない。社会が機能しているからこそデラシネが可能なのだといまなら分かる。
ところがいつのまにか放浪を伴わない心のデラシネがあたりまえになった。地域にも会社にも帰属意識を持たない。そもそも家族そのものが帰属するものだという意識すら薄れつつある。とうの昔に核家族すら解体して、個人が砂粒のようにバラバラに生きている。
個人主義が至上で絶対的な価値として認識され、他人との話が通じなくなってきた。個人の損得と快不快が価値判断の基準となり、他者は無関係になってきたように見える。ではどうしたらよいのか。答えは考え方を変えること、つまり価値観の見直しにあると先崎彰容は書いているのだと思う。困難なことである。
ポピュリズム、ポピュリストについて、先崎彰容の本に言及があった。
ポピュリストは、国内の人びとを「汚れなき人民」vs.「腐敗したエリート」に徹底的に二分する。対立が鮮明になることが、ポピュリストが望む状態である。
人びとを動員すること自体が目的なので、特定の信条をもつことはなく、自由主義であれ社会主義であれ、イデオロギーの保守と革新などかまわずなんでも受け入れる。ハンエリート的衝動は、政党や官僚制などの政府組織の批判となり、「普通の人びと」が正義なのだと主張する。
私は韓国のろうそく革命や、トランプ旋風を想起する。
ポピュリズムは民主主義の必然的な帰結だという学者もいるし、歪んだ反転だという学者もいる。
わたしは「正義の味方」にしばしば辛口であるが、それがポピュリズムに見えたからだ。私はリーダーのシュプレヒコールに唱和する大勢の大衆というのに寒気を感じてしまう。
自分探しといったって、いま現にここにいる自分以外にどこに自分がいるというのだろう。確かに自分のことは自分では見えないということはあるかもしれない。そういう自分を他人の目で見るということはときに必要だろう。他人の目になるためには、他人のことを知ること、他人は自分とはちがう人間であることをまず知らなければならない。他人も自分もおんなじだ、などという考えから抜けられなければ、他人の目で自分を見ることなどできるはずがない。
外部との関わりからしか自分を見直すことはできないのだ。
カーナビもあるし、スマホのナビもあるのだが、やはり地図が欲しい。地図を見ながら車で走るコースをなぞり、どこに泊まるか何を見に行くかを考えるのが好きだ。私はツーリングマップルという、バイク乗りの人用の地図を愛用している。詳細でかつ情報がとても多い。旅行ガイドよりも役に立つ。五年以上古くなると買い換える。五年過ぎたものが何冊かあり、ちょうど2023年版が3月18日に出版されるらしいので、予約手配した。地図もけっこう高いが、それ以上にその地図で楽しめるのでいいのだ。
妻の入院している病院から、普通に対面で面談できるようになりました、という連絡をもらった。ずいぶん久しぶりだが面会に行くことにして、来週に予約を入れた。何を話したらよいかよく分からない。あんまり会わないでいたらまずいだろうというだけのことで会うことにしただけで、会いたいわけではない。娘と行くことも考えたが、まず一人だけで会って、その様子を伝えてからにすることにした。
今月の会合も終わり、回覧板を回してほぼ今年度のマンションの組長としての仕事は終わった。半年ごとにささやかなお手当が出る。本が二冊ほど買えるのはありがたい。コロナ禍だったので、夏祭りや運動会などのイベントがなくて、例年のお仕事の三分の一くらいしかしていないのにお手当をいただくのは申し訳ないようだ。新年度の役員は引き受ける人がいたようで、抽選などにならないで済んだ。ひと安心した。
毎日歩くことを心がけようとあらためて思う。病み上がりなので、まず一日五千歩くらいを目標にするつもりだ。今日は病院への往復だけで五千歩歩いたので目標達成。続けていくうちに一日一万歩くらいにしていきたいが、いつも思うだけだ。しかし今日の血糖値の高いのには自分ながら驚いた。このままだと命を縮めてしまう。本気で毎日歩こうと思う。
今日は休酒期間終了を言祝いで、少しだけ酒を飲む。徳島の先輩の送ってくれた美味しい日本酒がまだ飲みかけなのでそれを飲むつもりだ。つまみは生のミズダコを売っていたのでそれを炙って食べる。それとホタルイカが安かったので小さなパックを買った。早く夜が来ないかなあ。
運気のように、上昇して好いものも数々あるけれど、血糖値は上昇して欲しくない。その血糖値がこの数年来ないほど上昇していた。食も細って体重も減り、酒もほとんど飲んでいないのにどうしたことか。とはいえ、なんとなくそういう予感はしていた。
雨の中を歩く病院への道は遠かった。しばらく歩いていていないから足取りがことのほか重く感じる。病院に着いたら異常に汗をかいていた。体温は正常。血液検査でうまく針が刺さらずに二度刺し直された。初めてのことである。看護婦はうろたえて、血管は分かりにくいというほどでもないのに申し訳ありません、と謝る。却ってこちらが恐縮した。私に見とれたのだろうか。
女医さんは眉間にしわを寄せて「いけませんねえ」と言った。発熱し、薬をいろいろ飲んでいたりすると血糖値が高くなることはないではないらしい。今回はすぐに薬を増やしたりしないことにして、その代わりに連休明けそうそうに血糖値を測定して、今後どうするか決めましょう、とのことであった。体調が回復したのなら、散歩で良いから意識して身体を動かすようにしてみて下さいと指示された。
診察も早め、薬局も早めに済んだので、昼前に帰宅することができた。
糖尿病の定期検診の日なので、朝一番で出かける。血液検査を早めに済ませると結果も早く出るから、診察が早めに受けられるのだ。六時ごろ、窓を揺らす強い風の音で眼が覚めた。まだ雨は上がっていない。雨の中を病院まで二十分歩くのはかなわないので早めに上がるように少し前から念力をかけてみたのだが、通じなかったようだ。傘を差して出かけるのはずいぶんひさしぶりのことだ。
昨日の六角精児の『吞み鉄本線日本旅・長野』を観ていたら、無性に酒が飲みたくなった。もちろん昨晩から今朝までは検診前で酒も食事も禁止だ。それにこの三週間ほど、ほとんど(二回ほど飲んだ)酒を飲んでいない。今晩は、だからひさしぶりに酒が飲めるのが楽しみだ。体調不良で食も細っていたから、体重は前回検診時より三キロくらい少ない。血糖値はどれほどだろうか。
「みなが平和を望めば、世界平和は達成できる」、と本気で思う人が日本にはたくさんいた。最近の日々のニュースを観てずいぶん減ったと思うが、それでもまだたくさんいるようだ。テレビのひな壇のおばさんがそういう空念仏を唱えるのをときどき見聞きする。マスコミはそういう「いい人」が好きなようだ。
世界では、「平和はいいものだが、永遠に現世では達成できない悲願だ」、と思うひとが普通のようだ。そのほうが人間として成熟しているのかもしれない。そう見切るところから、それでもどうしたら戦争にならないようにすることができるのか、と考えることができる。
たぶんプーチンも金正恩もゼレンスキーも、問われれば「平和を望んでいる」と答えるにちがいない。
波はあるけれど、比較的に本が読めている。読み飛ばした本の付箋部分を読み直して、考えたこと感じたことを書き残しておく。
ニヒリズムとは、たんなる虚無主義・退廃的な気分を指すのではなく、ある価値感が否定され、その虚偽を暴くこと自体が目的となることだ。つまり「手段が目的になる」ことである。(先崎彰容が佐伯啓思の『資本主義とニヒリズム』を引用したものの要旨から)
悪を正すという目的のための否定、その「手段」としての否定が、「目的」と化してしまって否定が否定を生んでいく。否定と批判はしばしば真面目な正義に裏打ちされている。自らの正義に疑問を持たない人を啓蒙することは極めて困難である。
私が正義の味方にしばしば懐疑的なのは、彼らが相手の言い分を聞くことができないように見えるからだ。相手は悪であり、敵である。否定こそが正義である。分断の世界の原因はここにある。そこには肯定か否定かの二者択一しか許されていないように見える。
先崎彰容は「否定と暴力の心情、何かを引き摺り下ろすこと自体に快楽を感じてしまう現代社会の病」と記していた。
眠りについたのに、二時間足らずでおかしな夢を見て眼が覚めてしまった。名古屋の地名が頭に浮かぶのだが、それがどのあたりだったかがどうしても思い出せない。それがわからないと困ると思って一生懸命考えている。それが異様に苦しい。苦しいと言うより不安がとてつもなく膨らんでいくのだ。それで眼が覚めた。
眼が覚めてみればすぐにその場所が分かった。地下鉄駅のどこを降りればいいかも思いだしている。少し安心する。トイレに行き、口をゆすいで水を飲む。もう眠れない。以前は眠れないなどということはめったになかった。もし眠れなかったら、眠れないのをさいわい、本を読んだ。そこでそのまま本を読む。
先崎彰容の日本論三部作、『違和感の正体』、『バッシング論』、『国家の尊厳』(三冊とも新潮新書)をついに読了した。書いてある、ものの見方考え方は、分かるところと分からないところ(引用されている本が多数あり、それらの位置づけがなかなかできていない)があるけれど、おおむね賛同できるものだ。まだ頭の中がこなれていないので、しばらく咀嚼し、ねかせて発酵させてからブログに書くことにする。
それでも眠れない。
小説でない個人の本で五十冊以上蔵書のある人が何人かいて、そのうち曾野綾子(彼女は小説家だが、小説はほとんどない)、養老孟司、内田樹を合わせると優に二百冊を超える。読んでいない本はない。これを半分以下に減らそうと思う。減らすために片端から読み直して、それからさらにあとで読みたくなるだろうものだけ残すことにする。
押し入れに積んでいるもののうち、新書を引っ張り出し、出版された順に並べ直してまず五十冊あまりを積み上げた。あるはずの本がなかったりする。どこか別のところに隠れているのだろう。三人の本を一冊ずつ選び出して、付箋をつけながらとっかえひっかえ読み始めた。夜が明けてきた。
読み飽きたので横になる。こんどは夢も見ないで眠り、いま起床した。
早めに昼食を摂ったあと、午後歯医者に行った。一番不快な口内炎はかなり治まっているが、その代わりに今までになく知覚過敏の傾向が現れている。先生は、歯を食いしばっている兆候が強く見られるとおっしゃる。確かに悪夢ともいえる不快な夢を見て目覚めることがしばしばあり、そのときには顎が痛い。歯を食いしばっていたなあ、という実感は感じていた。歯ぎしりしていたかもしれない。
いまは新たに歯の神経を処置しなければならないようではないので、このまま定期的に様子を見ていくことにしましょうとのこと。口内炎の塗り薬を処方してもらう。口内を清掃し、歯間を磨き、フッ素を塗布して終わり。次の診察はひと月後。
体がだんだん元に戻りつつある気はするが、それはいかにもゆっくりである。しばらくいいかげんにしていた流し周りを掃除し、トイレ掃除、風呂掃除をして、蒲団乾燥機をかけて、アールグレイを飲んでひと息入れた。晩にはグラタンでも作ることにしようか。
歴史についての竹内康浩氏の言葉のつづき
どの時代であれ、どこの地域であれ、そこに営まれる人間の歴史は寝まさに人間それ自身の中から出てきたものとして、揺るがぬ意味を持つ、ということである。さらに付け加えると、それは決して過去のすべてがいまの私たちにとって等価値のものであるという意味でもない。繰り返してはならぬこと、まねしてはいけないこと、はっきり言ってよくないことはいっぱいある。「評価」は別の論理であり、「実践」ならばさらに別の論理によってなされなければならない。
しかし、あらためて考えてみると、これまで歴史上に存在したありとあらゆることで、それが誤謬としてそして本当に絶対にいけないことであるとして「克服された」という事柄は、むしろ少ないのではなかろうか。「いまの自分たちはそれを選ばない」という形で、選択肢からはずしたに過ぎないというのが実際のところではなかろうか。だからこそ、武力の行使も、民族や国籍の差別も、一般論としては誰しも良いと思わないにもかかわらず、国家や共同体の行う選択肢からは消え去ってはいないのである。いや、消え去るどころか、ますます逆説的重みが増しているように思える。
いまは、「自ら選び、責任を持つ」時代である。今後の世の中がどのようになるのかは、ひとえに私たちの「選択」にかかっているのであり、それゆえに責任も私たちにある。そのことを全ての人が確かに自覚しているであろうか。かつて地球上で起こったさまざまな悲劇が今後も起こるとすれば、最早その責任を少数の狂信者に押しつけてすむということはない。道具や技術の発展ではない、まさに人間それ自身に発展はあるのか、仮にあるとしてもそれは技術の発展のように後ろ向きにならないものであるのか、確信を持てる人ははたしているであろうか。確信が持てないなら、どうすればモテるようになるのか、それは何も歴史学だけの課題ではない。人間ならば誰もが考えなければならない課題である。
この本が出版されたのは2002年。著者の危惧したようなことがこの21世紀に次々に起こっている。絶望したくなる時代だからこそ、何が起きているのか視るために、歴史を見直す必要があるのだと思う。
将棋の藤井聡太五冠は愛知県瀬戸市出身なので、全国ニュースで報じられるようなときには名古屋のローカルニュースでも取り上げられるから、たびたび見ることになる。AI将棋で鍛えられていることが彼の強みのようだ。天才というのはいるものだ。謙虚な様子は人間的にも好感が持てる。
私は将棋は動かし方を知っている程度で、小学生にも勝てない。ただ、囲碁は大学時代に先輩から教えられたし、寮で多少は揉まれたので、ざる碁程度は打てる。現役時代は同程度の人としばしば打つ機会があって、互いに勝ち負けにこだわるけんか碁に明け暮れたものだが、今は相手がいない。しかたがないからパソコンを相手にときどき打つ。これもAIと言えばいえる。
古い囲碁ソフトでずっと打ってきたが、弱い。相手の打つクセも分かってしまったので、めったに負けない。相手に二子か三子か置かせれば良いのだが、それだと面白くない。ついにはどれくらい勝つかということに快感を感じるだけの碁になってしまった。そこで昨年ちょっと強い新しいソフトを買ったのだが、これがとてつもなく強い。強い、普通、弱いの三段階あり、互先で強いに設定すると歯が立たない。普通でも分が悪い。ただし、弱いに設定すると、相手が見落としとしか思えない手を打つときがあり、それも気に入らない。
そういうわけで、普通にして私が定先の設定で打つ。勝率は二割くらい。それがこのごろ三割くらいになってきた。ちょっと腕が上がってきたかもしれない。ただし、待ったを二、三回させてもらう。とにかくけんか腰のきつい手を打ってくる。ちょっと甘い手を打つとボロボロにされる。その代わり無理筋の攻め方をしてくる傾向があるので、それを見逃さずにいると必ずチャンスが来る。勝つときはボロ勝ち、負けるときは投了という攻防がくりかえされている。
このごろぼんやりしていると頭の中に碁盤が出て来て勝手に死活を争っている。覚えたてのころに戻ったみたいだ。本日は一勝一敗。
詐欺グループに名簿が出回っていて、本当かどうか知らないが、特に喜ばれる名簿が一度詐欺に引っかかったことのある人の名簿だという。そういう人は却ってだましやすいのだという。不思議に思うが事実だそうだ。
岸田首相は外務大臣時代に、不可逆と謳って合意した慰安婦問題が韓国によってほぼ反故にされた。GSOMIAの合意も、発効直前に一方的に停止された。こういう目に遭ったのだから、次の約束にはほかの人よりも慎重になるのかと思ったら、手放しの喜びようである。こういうのを人が好いというかもしれないが、それよりもどうも軽佻浮薄に見えてしまう。私は人が悪いのだろう。
相手の歩み寄りを歓迎するのはかまわないが、もう少しじっくりと重みのある対応をして欲しい。調子に乗って後に禍根を残す約束をしたりしないように気をつけてほしいものだ。日本では約束は守らなければ信用をなくすのだから、できない約束などしては国民に迷惑がかかる。危ういなあ。
口内炎の飲み薬は効いているといえば効いているというところだが、痛みが軽減して楽になっているものの完治しない状態が続いている。熱いものも冷たいものも沁みる。もともと知覚過敏気味の歯も一緒になって沁みるからうっとうしい。口内の清潔を保つ努力を続けながら、口内炎の飲み薬の連用を止めた。
発熱はない。しかし食事が気持ちよく摂れないので今までになく小食になっている。体重が目標体重より二キロ近く減った。つまり定常状態より四キロぐらい少ない。こんなもの飲み食いを元に戻せばすぐ戻ってしまうが、来週糖尿病の定期検診なので、このままの体重を維持することにする。とにかく栄養価の高いものを努めて食べるようにしている。
徳島の先輩が五月半ばに名古屋へ来るので会いたいという。もちろん二つ返事で了解し、その前後の予定は立てないことにする。囲碁の強い先輩なので、一局お手合わせすることになるだろう。駅前に碁会所があるので、そこで打つか、我が家においで戴くか決めなければならない。我が家に泊まるよう言ったのにホテルに泊まるそうだ。たぶん夫人も一緒なのだろう。
今月末に弟夫婦や妹とまた旅行に行くので、それまでに体調を万全にしたい。たっぷり時間があると思ったら、恢復が遅々としていて、不安になってきた。散歩でもして体力を取り戻したいけれど、花粉症の心配もあり、疲れるとまた微熱が出そうな気がしている。ほんのその辺を歩くだけでもと思い、二千歩あまり歩いた。変な汗が出たので下着を着替えた。
今晩は雨。温かいのでニラの鉢にニラの新芽が一斉に出始めた。冬を耐え忍んだネギも水をやったら新芽が出始めた。強いなあ。
竹内康浩氏の歴史に対する考えに共感するところがあったので、以下に書き残しておく。
歴史を学ぶこと・研究することの意味は多くの人に共通でなければならないとしても、歴史に何を求めるかは個人に任されるところが多い。道を誤らぬための人生上の教訓を求めるのでもよい、自国に対する誇りを求めるのでもよい、歴史の中にはさまざまな種類のものが期待できるし、多くのものが得られるであろう。しかし、そうした字部なりの期待・希望に合わせるために歴史の法を都合よく改めようとする、ということが以下に愚劣で結局は無意味であるか、これまで述べた例でも充分であろうかと思う。一般に過去を美化する傾向が政治的主張と関係して現れることがよくある。しかし、過去の栄光というものは、それが確かに事実であろうとも、そして如何に大きいものであったとしても、現在も未来もそれによって救われるものではない。いまを生きるすべての人にとっての課題は現在であり未来である。それは今後の営為、課題として自分たち自身のこととして負っていくほかはない。過去にどれほど偉大な先人がいようと、よみがえってわれわれを救ってはくれない。同じことをまねようとするのでも、実践するのは現在の私たちなのであってしかも、あらゆる状況は先人の時と異なっているのであるから、最後の主体的判断はやはり私たち自身が行わなければならないのである。
また、思想史の上から言えば、人間はより良いと判断したものを、みずからの主体的な意志の選択によって採ってきたはずである。各個人の人間としての尊厳を自覚したのち、平等を掲げて身分制を破壊し、自由を掲げて抑圧からの解放を成し遂げてきた。そうした流れの中で、いったい私たちは、何を誇りとするのか、何を恥じるのか、その基準となね認識は充分に明らかになってきた。植民地支配の上に成り立った見せかけの繁栄を、いまや誰が「ベル・エポック」と呼ぼうか。他人を虐げての繁栄など、私たちの時代にあっては「恥」以外の何物でもあるまい。また、自分が他人を虐げていることに無頓着なくせに、自分が受けたと感じた「傷」には過敏に反応して声高に相手を責めるような醜態も、今後は拒否あるのみである。
「一般に過去を美化する傾向が政治的主張と関係して現れることがよくある」と書かれているけれど、一般的ではないであろう「過去をことさらにおとしめる」傾向も「愚劣で結局は無意味」だと思う。
さらにもう少し書き残したいところがあるが、それは回をあらためることにする。
日本の女性の、男性に対しての経済的、社会的、政治的格差の評価が、先進国中最低で、世界全体でも低位にあるという。その評価は私には心外なことに思われるが、テレビで見聞きした女性が一様に「そんなこといまさら言われなくてもその通りではないか」と話していたのを聞いて、そうなのか、と考えさせられた。
女性でない私には、日本での女性の格差感に実感を持つことができていないということのようだ。人はその能力と働きによって正当に評価されるべきであるという考えに私は同意する。それが正しく評価されていないと女性の多くが感じているということなら、それは正されなければならないのは当然だ。
日本の女性もこれから主張することは主張し、女性であることを甘えの理由にすることを自発的に拒否しなければならないから、けっこうたいへんだろうな、と思う。こういう言い方も失礼なのだろうなあ。
先月後半に体調を崩してから、ほとんど映画を観なかった。昨日ひさしぶりに、認知症のために引退が伝えられたブルース・ウィリスの映画を二本(『キル・ゲーム』、『ミッドナイト・キラー』)観た。『キル・ゲーム』はある種のサバイバル・ゲームものでそこそこ面白かったが、出来のよい映画とはいえない。もう一本の『ミッドナイト・キラー』は展開がゆっくりすぎてついて行けず、途中で見るのをあきらめた。最後まで見たらたぶん面白かったかもしれないが、それだけの忍耐力がいまはない。
今日はなんと朝から立て続けに四本も観てしまった。おかげでブログを書く余裕がなかった。一本目は『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』(2012年アメリカ)。この映画は十年ほど前に、海外在住のブログ仲間の方が「面白かった」とブログに書いていたので録画していたのだが、観る機会がなかった。ようやく観て、なるほどたいへん出来の良い映画だと納得した。映像がとにかく鮮やかで幻想的で美しい。もし観ていない人は探してでも観る値打ちがある。
二本目は『トランセンデンス』(2014年イギリス・中国・アメリカ)。ジョニー・デップ主演のSF映画で、ジョニー・デップが演じる科学者は物語の前半で死んでしまうが、ずっと登場し続ける。こういうタイプの、記憶をすべてコンピューター上にコピーすれば、本人の意識を再現できるというSF映画はたくさんあるが、矛盾の多い陳腐なものが多い。その点この映画はまあまあ許容範囲か。ちょっと哀しそうなジョニー・デップだからこそ成り立つ映画といえるかもしれない。
三本目は『日々是好日』(2018年日本)。原作は森下典子、監督・大森立嗣、出演・樹木希林、黒木華、多部未華子ほか。この三人は大好きな女優たちなので、観るのを楽しみにしていた。静かに淡々と話が進んでいく。「お茶」の世界の奥深さ、人間の感性の繊細さ、生きていくということ、そして人と人とのかかわりの大切さなど、しみじみと考えさせてくれる作品だ。期待通りの映画だった。
四本目は『山の音』(1954年日本)。川端康成の小説を映画化したもの。監督・成瀬巳喜男、出演・原節子、山村聡、上原謙、長岡輝子ほか。原作をきちんと読んでいないけれど、映画では描き切れていないそれぞれの登場人物たちの心理は読み取ることができる。原節子の演じる菊子の舅(山村聡)への思慕、そしてそれは無意識の舅の思いの反映でもあり、同時に死の影でもある。それぞれのおさえた演技の中に登場人物たちの情念が燃えている。おさえにおさえたものが吹き上がるとき、解放が訪れる。見方によれば、『家』からの女性の解放ということが表現されていると言い得るかもしれないが、私はそういう解釈まではしたいと思わない。
H3ロケットの打ち上げが失敗した。今回こそ成功して欲しいと多くの人が願っていたことであろうし、私もそれを強く願っていたけれど、なんとなく失敗するのではないかという強い不安が同じぐらいあった。失敗は成功の母というきれいごとで済ますわけにはいかず、その責任をきちんと明らかにしなければ、ふたたび三度(みたび)の失敗をしかねない。今回の落胆感は日本人の気力をかなり阻喪させた。
これは関係があるのかないのか不確かなことだが、「三菱」という名前の会社がどうも信頼に欠けるような気がしている。三菱自動車の不祥事、三菱電機の不祥事、そして三菱重工のジェット機の生産断念など、グループの会社そのものに何か問題があるのではないか、などと思うのは私の妄想なのだろうか。
先日読んだ外山滋比古の『惰性と思考』の帯に「脚下照顧という生き方」とあった。
先崎彰容の本を続けて読んでいる(いま三冊目)が、そこに政治学者の山口二郎が安保法制反対、原発反対の国会前のデモの先頭に立ち、演説したことばについて記している。「阿倍に言いたい。お前は人間じゃない!たたき斬ってやる!」と彼は発言した。報じられた映像を私も見て覚えている。その少しあとの政治討論番組に参加した先崎彰容は、番組のなかでその点に話がおよんだときの司会のジャーナリストのことばに「違和感」を感じたと書いている。
そのジャーナリストがあとで山口氏に話を聞いたところ、「悪気はなかった。周囲の興奮した雰囲気に気分が高揚し、思わず正義の味方として発言してしまった」と、彼のことばをにこやかに語り、悪意はなかったのだから大目に見てやって下さい、という主旨の説明で話を収めた。
そのことを記したあと、当時民主党政権の官房長官だった仙谷由人が自衛隊を「暴力装置」だと発言したことを取り上げている。それが同じ過ちから発しているのではないか、と筆者は考えた。その理路は本(『バッシング論』)を読んでもらわないといけない。
大正時代に朝日平吾という青年が安田善二郎を暗殺した事件があった。安田善二郎はあの東大の安田講堂を寄付した財閥の総帥である。暗殺事件を起こした朝日平吾の人生は挫折の連続立ったという。彼は当時の日本社会を格差の広がった恵まれない者と財閥とに分裂した社会と捉え、国家改造運動に身を投じた。そしてその運動の資金を強引に安田善二郎に申し込んだ末の凶行だった。「たたき斬ってやった」わけである。
この行動が引き金となって、十八才の青年中岡艮一は平民宰相原敬を暗殺した。直接的に朝日平吾の斬奸状に影響を受けたことが明らかになっている。
私が強く記憶しているのは團伊玖磨の『パイプのけむり』のなかで、祖父の団琢磨が暗殺された前後のことを書いたエッセイである。
安倍晋三元首相は凶弾に倒れた。犯人が元統一教会により不遇となり、その怨みを安倍晋三に向けたことが理由と報じられた。そのとき安倍晋三は殺されても仕方がない面もあると考えた人が信じられないほどたくさんいるらしいことを感じて、私は恐ろしさを感じている。
山口二郎は間接的に日本中に影響を与えたし、そのことの恐ろしさをマスコミは毛筋ほども関連させて考えることができていないように見える。そのことこそが恐ろしいと先崎彰容は危惧していて、全面的に私も共感するのだ。足元をちゃんと見つめ直さないと、日本はますます危うくなるのではないか。
風邪はたぶんもう治っていて、熱は下がっているが、鼻水が止まらない。ふだんは鼻をかむなどということはないが、ティッシュが欠かせない状態で、うっかりすると見苦しい状態になっている。歯のバランスがまだなんとなく落ち着かず、口内を噛む。傷口から口内炎になってしまい、持続する痛みが不快でたまらない。喉がイガイガしてときどき咳が出る。いろいろなことでよく眠れないから睡眠不十分でつい昼にうたた寝してしまい、またなんとなく体がだるくなってくる。そのうえ、足がまた頻繁につるようになった。
一度に退治したいと思い咳止め、口内炎の薬、睡眠改善薬、こむら返りや筋肉のけいれん用の薬を揃えた。しかし飲み合わせというものがある。いろいろな薬は個別に飲んでいるときはいいが、一緒に服用すると副作用が強まることがある。丁寧に薬の説明書きを読むと、案外してはいけない飲み合わせがあるのに気づく。医者が処方しないとあぶないのだ。
これはひとつひとつ治していくしかない。歯は歯医者に任せるしかないし、今回は薬の処方はない。痛み止めは残っているが、今のところ必要はない。最も不快な口内炎の治療を優先することにする。飲み薬を買ったので、昨日から飲み始めて、飲んでしばらくするとかなり楽になるが、半日するとまた痛む。今日中におさまってくれるとありがたいのだが。
口内炎予防アドバイスが薬の注意書きに載っている
1.栄養バランスのとれた食事を心がける
2.夜更かしや不規則な生活をしない
3.ストレスや疲労をためないようにする
4.アルコール、たばこ、刺激物を控える
5.ガムやアメなどで唾液の分泌を促し、口中の乾燥を防ぐ
6.食後は歯磨きして口のなかを清潔にする
なるほど、納得である。
志賀直哉の小説は、創作小説と心境小説に大別されると少し前に書いた。この『鵠沼行』は心境小説に分類される。心境とは、ここでは志賀直哉自身の心の状態、主に快不快のことで、それが自分自身から発し、それが外部の人間に影響し、志賀直哉に反響してくる。そのことでさらに彼自身が不快を感じるということになる。彼の初期の『或る朝』がまさにそういう小説で、この『鵠沼行』さらに『和解』までの一連の小説はそういう心境小説である。
いまは全集の中に収められたものを読んでいるが、その本の冒頭の口絵が志賀直哉の実家の縁側に一族二十人あまりがそろって撮った記念写真である。彼は長男で、彼の実母は彼が幼いころに病で寝込み、小学生のころに病死する。だから彼は祖父母に預けられて育てられた。その後父は再婚し、義母には子供がたくさんできたので、彼には腹違いの弟や妹がたくさんいる。
この『鵠沼行』では周りのものが志賀直哉に気を遣っていることが痛いほど分かる。それでもとにかく気を取り直して総勢十人を引き連れての鵠沼行となる。さらに鎌倉の親類も後で集合し、会食は総勢十四人であることが書かれている。
どうしてそのような心境小説が面白いのか。面白いから面白いのであって、それを面白いと思わなければ志賀直哉は読めないとしかいいようがない。そうして次第に彼自身が心理的に成長して、社会的な配慮ができるようになるとともに、そのことでさらに苛立ちを内向させていく。彼の小説を読んでいると、それが手に取るように分かるのだ。自分自身を冷徹に見つめている自分自身がいるということであろう。
引き続き先崎彰容「ナショナリズムの復権」から
あらためて、この困難な現代社会で、ナショナリズムとは何なのか。
ナショナリズムの復権とは、いったい何なのだろうか。
たとえば国家を考えるうちに、高坂正堯(1934~1996)は次のように思った。国家には三つの要素がある。「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」この三つがからまりあって国家はできあがっている。そして戦後の日本は経済成長=利益の体系だけを国家目標とし、一方で力の体系はアメリカの軍事協力にゆだねてきたのだった。
そして価値の体系を置き去りにしてきたのである。
価値の体系とは、私たち自身の生き方や死に方について考えることである。生死をどう理解し、どう処理してきたか。ここから国家のあり方について考える際、出発するということである。文化や伝統という擦り切れたことばからは出てこない重みが、そこにはある。
私たちは、日本人の死生観と倫理観を、戦後、一切無視してしまった。それを重大な問題だとも思わず、いま、経済や政治の混乱に踊らされ日本再生などと言っている。それは過剰なまでに心躍るおしゃべりなのだろう。活気に満ちた話もできるだろうし、愛国の気分すら感じるのかもしれない。しかしその背後に、問い続けなければならないことがある。
(中略)
日本は今後も国際競争を余儀なくされ、経済成長を求めるレースに参加し続けるし、また参加せざるを得ない。つまり利益の体系のレールの上を否応なく疾走し続けねばならない。そして場合によっては、競争力を確保するために原発の稼働も行わねばならない。また一方では外交への対応に迫られ、今後、武力保持のあり方を廻って、戦後のあり方を見直す時期がくるし、憲法の改正もせねばならない。つまり力の体系とは何なのか、どういう力を保持すべきかを考えねばならない時期が必ずやってくる。
これらはすべて、近代に不可避の事態なのであって、日本も強いられてせねばならないことである。だが何のために?それはみずからの価値の体系を守り抜くためにだとしか言いようがない。激しい国際情勢の変化、普遍的イデオロギーの席巻の中にあって、この国の国柄を護っていくためにやむを得ず私たちは利益を求め、力を追求する。だから利益の体系も力の体系もそのための手段に過ぎないのであって、目標それ自体ではあり得ない。経済再生、原発稼働の是非、武力と核兵器の保持に至るまで、すべての具体的問題の判断は結局、私たちが何を善とし、悪とみなすか、何を「正しい」と考えるかという価値の体系に支えられているのだ。
ナショナリズムの核心はそこにある。
この文章が書かれたのは、この本の出版が2013年の6月であるから、それ以前であり、著者が東日本大震災で被災してまだ二年足らずであった。彼の眼前にはがれきの山と、たくさんの死者の霊がまざまざと見えていたにちがいない。それを念頭にこの文章は記されているのだ。その時点で、まさに現在ただいまの事態を思わせるような考察をしていることに驚きを禁じ得ない。
寝床に入ってもすぐに眠れない。眠くて寝床に入ったはずなのに、蒲団に入るとかえって目が冴えてきたりする。ふつうは静かに音楽を聴くことが多いのだが、ひさしぶりに落語が聴きたくなった。ささやかな落語CDのコレクションから六代目三遊亭圓生の一枚を選ぶ。といってもコレクションのほとんどが圓生である。圓生は先日なくなった円楽の、その先代の円楽の師匠である。
『お七』、『転失気』、『大山詣り』が一枚に収められている。
『お七』は、口の悪い男にいつも言い負かされている男に赤ん坊が生まれ、そこへその口の悪い男がやってきて、いつものように散々ににからかわれてしまう。悔しがる男は女房に知恵をつけられ、相手の男にも赤ん坊が生まれ、その赤ん坊がお七という名の女の子だと知って、仕返しに出かけていく。しかし相手の男の方が一枚も二枚も上手だから、先回り先回りされて仕返しにならないでかえって虚仮にされる。最後の最後にようやく言いたいことをいえて溜飲を下げるのだが・・・。
江戸は男女比が偏っていて、女が極端に少なかったから、この少し反応の遅い男にキビキビして賢い嫁さんがいることが妙に嬉しい。たぶん聞き手もそういう気持ちを持っていたと思う。この嫁さんもこの男が相手にやり込められることはとうぜん予想していただろうが、それでも嬉しそうに帰ってきた亭主を見て嬉しい気持ちになった気がする。
『転失気』は、知ったかぶりの和尚が知らないといえずに見栄を張ったために恥をかくという話で、よく知られている。話の中でも語られるが、転失気とは貝原益軒が『養生訓』の中で屁のことをこう書いていたということに由来する。今回初めてそれを知った。さらに、本来は『転矢気』が正しいらしい。この矢は糞のことだという。それなら理屈に合っている。
知識はたくさんあれば賢いというものではなくて、考えるための材料である。本当の知的な人というのはそのことが分かっているから、知らないことは知らないと言い、人に訊くことができる。知ったかぶりはそういう意味で自分にみずから限界を作ってしまう愚かな行為だ。こころしよう。テレビを観れば何でも知っているかのような人びとがしたり顔で何やらしゃべっているのを見る。
『大山詣り』は、自分が悪くて懲らしめられたのを根に持って、えげつない復讐をするという話である。髷というものの大切さを知らないと、この男の復讐心もわかりにくいかもしれない。それにしても町内会の男たちがそろって出かけて遊山するという文化が廃れて久しい。私のこどもの頃には町内会で日帰り乃至一泊旅行に毎年行ったものだった。社内旅行もふつうにあった。
今はそういうものがほとんどなくなったようだ。地域なり帰属組織のそういう交友というものが失われたことの意味がどれほど大きいのか、日本人は気がついていない。
超ベストセラー『思考の整理学』で有名な外山滋比古(1923-2020)先生の軽いエッセイ集。枯淡の境地に入った著者が、日々の出来事、自分の見たまま感じたままを記している。すらすらと読めてしまって、何も感じなければそれだけのものである。ただ、書かれた時期が明記していないので、それぞれが何歳のときに書いたものか分からず、ずいぶん長い間のものがあつめられている気がする。感慨の背後が見えにくいのが残念だ。
老境が健康で生活に困らないことの境遇にあれば、このように平穏な暮らしを味わえるのであろう。何しろ先生は長命だった。読みかけのままどこかに行っていた本が出て来たのでもう一度読み始めたら、一気に読み終えてしまった。あやかりたいものだ。
読んだ本の肝と(私が)思う部分を引用して遺しておく。まず、先崎彰容『ナショナリズムの復権』から
歴史とのつながりを失ったとき、私たちは場当たり的な価値を世界すべてに通用する「普遍的価値」だと信じては裏切られる。日本という国家は「空洞」で、戦後の場合、その空白にアメリカの価値観が入り込みその場を穴埋めし、つかの間の安心を得ることが続いてきた。だがそれは、自らを普遍だと主張するアメリカのせいばかりではないのであって、「みずからとは何者なのか」、「みずからの所属する国家とはどのような価値観を有する国柄なのか」--こういう問いかけをしてこなかった戦後日本こそ、問題なのだと江藤(江藤淳)は思ったのである。
そうして民主主義は、批判されるべき際たるものだと江藤は思った。この国では民主主義はせいぜい、装いをあらためた全体主義しか生み出さない。それを防ぐにはナショナリズムしかない。
(中略)
江藤が個人と国家がつながっていると言うとき、彼が主張しているのは、時間の積み重なりこそナショナリズムには必要不可欠だということである。長い時間の中には死者たちが隠れ息づいている。そのことばを参考にすれば、戦後日本が翻弄されて続けてきた価値観は大転換を余儀なくされ、落ち着きを取り戻すはずだ。
この起点をもとに先崎彰容は、意見の対立するであろう人びととの対話と説得を試みようとしている。絶望ではなく、希望を持っているのは、彼が東日本大震災という自分の体験をみずからの思索の力に変え、それを乗り越えてきたからである。耳を傾ける値打ちがあると思う。
ずいぶんしばらくコーヒーがあまり飲みたいと思わなかった。ようやくその気になって少し薄めに入れたコーヒーを飲んだ。もちろんうまい。刺激の強いものが欲しいと思えなくて、いつもはたっぷり使う香辛料もほとんど使わない。カレーも食べたいと思わない。一時的にそういうことはあったけれど、こんなに長い間つづいたのは初めてかもしれない。
多少頭が働き出したらしく、本が読めているが、空回り気味になっていて、歯ごたえのある、少し考えさせるような本がちょうどいい。ただし持続力が恢復していないので、一時間と読み続けられず、そのあとぼんやりと書いてあったことをざる頭に引っかかったわずかなものだけ引っ張り出して反芻したり、ただぼんやりしている。ドラマはともかく、映画を集中して観る気力がまだなくて、全然映画が観られない。もう少ししたら、ただ楽しむだけの映画の、あまり長くないものから観始めたいと思うが、いまは本を読むほうが楽である。
『ファンタジーランド』というアメリカ史を読んでいたら、参考にしたくて森本あんりの『反知性主義』(新潮選書)という本を引っ張り出した。トランプ現象のとき、この『反知性主義』というのがよく口にされた。しかしテレビで物知り顔に批判的に『反知性主義』を語っていた人たちのいう『反知性主義』と森本あんりの『反知性主義』はちがうのではないかと感じていた。しかしそれがどう違うのかうまく掴めていなかった。そうしたら、いま並行して読み始めた先崎彰容の『違和感の正体』(新潮新書)で森本あんりの『反知性主義』について言及があり、どうして私が違和感を抱いたのかが解りやすく説明されていた。
知性主義も反知性主義も、アメリカに独特のものであって、アメリカという国の成り立ちと宗教観なくして論ずることは意味がない。日本で使われているのは、ただ、馬鹿か悧巧かを論じているばかりで、そのときに、自分は馬鹿かもしれないと絶対に考えないというある意味で逆説的に愚かな確信のもとに語られていたので違和感を感じたのだ。そもそも「反知性主義」とは、知性を疑うということであるのだから。
全然関係がないと思っていた本が、自分にとって関係していくことの不思議にちょっと嬉しいような楽しいような気持ちになっている。まあ私が選んで読んでいるのだから、あたりまえといえばあたりまえなのかもしれないが、私にはそういうつもりがなかったから不思議に感じる。
竹内康浩『「正史」はいかに書かれてきたか』(大修館書店)という本を読んだ。副題は『中国の歴史書を読み解く』というもので、著者が大学で中国の歴史書について講義したノートをもとに、「史学史」というものを一般向けにわかりやすく書いたものだ。
この本は以前から棚にあった。この出版社の「あじあブックス」シリーズの本を買い集めてあったものの一冊だ。飛ばし読みはしてあったが、丁寧に読んだのは今回が初めてである。読んだきっかけは先般読んだ宮城谷昌光の『三国志』で、一般に小説の三国志は正史の『三国志』ではなく、『三国志演技』をベースにしていることから、正史というものについて少し確認しておきたかったからである。
中国には正史と呼ばれるものとして一般的に二十四史が選ばれている。正史はそれ以前の王朝が滅びた後、後代の王朝が公的に編纂するというのが一般的である。ただ、正史とされているが私撰と呼ばれるものもある。『史記』などはそのひとつだ。ところで中国の歴史書の数は膨大で、清朝乾隆帝の時代に『四庫全書総目録』に収められているものだけで合計2134部、38224巻という。もちろん散佚したものはここに含まれていない。中国は歴史を書き残すのが好きなのだ。
正史の最後は『明史』で、次の王朝の清の時代に編纂された。その清のことを記した『清史』は書かれたことは書かれたが、内容がお粗末すぎて正史に価しないとして正史として認められていない。
史学史といえば、日本では内藤湖南の『支那史学史』を嚆矢とするが、未読である。いつか読みたいと思っている。正史は歴史書ではあるが、歴史を事実のままに書いたものとはいいがたい。当然それを書いた時点での時代の制約に捉われているから、書けることと書けないこと、書かなくていいことを書いたりされている。それらを読み解くのが「史学史」という学問のようだ。
今回読んだ本では『歴史』というものを学ぶ意味について、著者の熱い思いが語られていてなかなか好い読後感を持った。そのことについては長くなるので、次回に文章を引用して遺しておこうと思う。
スキャンダルネタをおもしろおかしく報じるジャーナリズムに腹が立っている。たいてい加害者よりも被害者の方がそのジャーナリズムから被害を受けているように見える。なぜそのような事態になったのかを報じるという名目で被害者のあることないことを書き立てる。それを読者あるいは視聴者へ真実を伝えるのが役割だなどとうそぶく。
私はかねてからこの世の醜業の最たるものと思っているが、その醜業が商売として成り立っているのはわれわれが成り立たせているのであることにたまらなく虚しさを感じてしまう。
金棒引きというのは卑しい行為だとこどもの頃に母親に教えられた。その金棒引きの実例がしばしば我が家の縁側に座り込んで、あることないこと喋り散らしていた。人の悪口に同意するわけにも行かず、否定もできない。母は感心したように初めて聞いたような顔をしてうなずくことしかできない。なぜなら金棒引きに嫌われると、よそで何を言われるのか分からないからで、恐ろしいのだ。
いまはその金棒引きが以前より増えているような気がしている。金棒引きはときに正義の顔をしている。
昨夕歯医者に行き、ようやく二本目の処置をした。神経を抜き、消毒をしてセメントで固めた。これで硬いものはべつにして、たいていのものは右側でもかめるようになるはずとのこと。ただしセメントが固まるまで待たねばならないから、晩飯は柔らかめのものだけにした。あとは右下の一本をどうするかで、来週事後の様子を見てから決める。このまま様子を見続けるか、この歯も処置するかだ。もう面倒だからこの歯も処置してしまいたい気もする。変な食べ方をしていたから口のなかを噛むことが時々あり、口内炎気味になってうっとうしくてたまらない。
たまに微熱気味のこともあるが、ほぼ平熱に戻った。しかし鼻づまり、鼻水はなくならず、時々喉が痛くて咳が出るし、くしゃみも出る。風邪の居残りに花粉症が被さっているのだろうか。温かくなってきたが、あえて暖房で室温を上げて体力の回復をしている。水分補給もたっぷりしている。酒はほとんど飲んでいない。飲みたいのだけれど・・・。早く元に戻りたい。
著者はナショナリズムは誤解されていると考える。いくつもの誤解についてそれをひとつひとつ根源的に論破していくのだが、最大の誤解は、ナショナリズムとは全体主義であるというもので、それは全く違うどころか、相反するものであることがこの本の主張の最大の眼目である。
著者は東日本大震災で被災し、避難者用住宅で暮らす日々を送った。その眼で見た荒廃した国土は、彼にはまさに太平洋戦争が終わった後の日本とオーバーラップして見えていた。どうしてそのように感じられたのか、それをひとくちにまとめることは不可能で、それはこの本全体を読まなければ理解できない。その思いを先哲のさまざまな思索を繙き、読み取り、関連させて行く作業がこの本を生んだ。
取り上げられている先哲とは、ハナ・アーレント『全体主義の起源』、吉本隆明『共同幻想論』、柳田國男『先祖の話』、江藤淳『近代以前』、丸山真男『日本政治思想史研究』、とその関連の思想家の著作であり、それらが著者によるどのような思索の果てにそれぞれ位置づけられていくのか、それを辿るだけでドラマチックである。
本を読んで思索するということとはどういうことなのか、そのおもしろさを教えてもらったが、もし若い時にこういう本に出会っていたら、吉本隆明ももっと意味のあるものとして私に残ったと思い、残念である。時間は取り戻せない。出来の悪い頭を持って生まれたことを嘆いても始まらない。
この本を読んだことで、先崎彰容という人が保守の論客として何をベースに語っているのかということが多少分かった。ほかにも本を取り寄せているので、引き続き読む進めるつもりである。
へそまがり爺さんは、好き嫌いが多い。キムタクも嵐も嫌いだから、キムタクが信長を演じた新作映画の興行収入が伸びていないという話や、嵐の誰やらが主演する大河ドラマが、局を挙げての異常な番宣攻勢にもかかわらず、思ったほど視聴率が伸びていないという話を見聞きすると嬉しい。ファンの人には口惜しいだろうと思うが、どうして好きなのか私には分からないから、別にかまわない。
多くの人たちが無理に盛り上げようとする姿に『裸の王様』を連想してしまう。価値あるものを見ることが出来ない私の目が曇っているかもしれないのだが、私には王様の輝く衣装が見えないのだからしようがないのだ。
志賀直哉を初めて読んだのは、教科書に載っていたこの『清兵衛と瓢箪』だったと思う。小説の神様といわれる志賀直哉の短編は記憶に残り、それ以来文庫本で志賀直哉の小説を買い集めて読んできた。志賀直哉には長編小説は『暗夜行路』の一編しかなく、それも長編というよりも関連した短編を積み上げたような書き方である。本質的に志賀直哉は短編作家なのだ。短編小説と長編小説には明確に違いがあり、その違いについては臼井吉見が論じていて分かりやすいが、いまは置いておく。
志賀直哉の小説は、この『清兵衛と瓢箪』のような創作小説と、自分自身の心境小説の二種類があって、若いころは創作の方が面白いと思っていた。創作小説の傑作といえば、私は『剃刀』を挙げる。物語の映像的であることは恐ろしいようだ。
何回目かの『清兵衛の瓢箪』を読んで、冒頭に物語の顛末の後の清兵衛の様子が述べられていることにまた気づく。毎回気づいて忘れている。そうして読み終われば、この一文は冒頭に置くしかないと思う。清兵衛の能力に本人も周りも誰も気づかないことが、損得でいえば損で、惜しい、などとさもしく感じたりするけれど、そもそも清兵衛は何かに夢中になることこそが幸せなので、教師や親の、道徳の皮を被った理解できない、またはすることのできない苛立ちなど、さほどの不孝でもないのだ。
世間というもの、大人というものの欺瞞性が清兵衛の純粋さであらわになるのだが、そのことに誰も気がつかないで世の中はなにごともなく過ぎていく。それを冒頭の一文が示しているのだ。
国会で、野党の維新の党の議員が「なぜ林外相はG20に行かないのか」と非難していた。昨日、参議院の予算委員会での林外相への質問は一つだけ。答弁は約一分だったという。この非難は維新の党だけのものなのか、立憲民主党や国民の党も同様なのか。自民党はどうなのか。議員が反対したから出席できなかったと思い込んでいたから不可解である。
どうやらG20の外相会議に行った方がいいと思う国会議員の方が大勢だったような気配を感じる。ではどうして出席を断念したのか。内閣は全員そろって国会に出席するのが「慣例」だからだそうだ。慣例がすべてに優先するという判断が岸田内閣の判断であるようだ。
慣例優先は、世の中がどうなっていようがなにも考える必要がないから楽でいいのだろうなあ。国益なんか関係ないのだろう。
岸田首相のウクライナ訪問は国会会期中であってもかまわないという。いつ行くかも国会で事前に了承をとらなくてもいいという。しかし林外相の、インドでのG20の外相会談への参加は国会開催中であり、そこへの参加は国会軽視だから行ってはならないらしい。
軍備拡充より、外交で問題解決に努力せよといつもいう口で、だいじな外相の会合に参加するなという。代わりに外務副大臣が行った。国会答弁を外務副大臣が行って、外相会合に外務大臣が言ってなぜ悪いのか。平和が大事だから外交重視せよといいながらどうしてこういうことになるのか分からない。
与党にも外務大臣は行くべきではないという意見があったようで、それもよく分からない。この世界情勢の中では、外相の参加は必須であり、首相命令で行くよう指示することはできないのか。そのあとで首相が得意の「丁寧な説明」をすればいいだけではないのか。
勘ぐれば、林外相はハレの場でリップサービスが過剰になる傾向があるから、そうならないようにしたのかもしれない。特に中国やロシアに融和的な言動をして誤解を招きかねないと心配されているのだろうか。
茹でガルの話はもちろん知っていたが、この話は百田尚樹氏によって、平和ボケした日本人のたとえに使用されて有名になった。いま読んでいるカート・アンダーセンの本に、そのことに言及してさらに註釈がなされていた。
実際のカエルは、鍋の湯が熱くなる前に跳び出す。しかし、カエルにまつわるこの決まり文句が生まれるきっかけになったとされる19世紀の実験では、カエルは茹だって死んでしまう。それもそのはずで、この実験では、カエルの苦しみを最小限にするため、カエルの脳を事前に摘出していたという。現代のアメリカ人も、合理的な思考ができないという点で、このカエルのようなものである。
何らかの事前処置を(不断に)受けていることに気がついていないのは、アメリカ人だけではないと思う。快適なぬるま湯の先に何があるのか、少しは知ろうとしないとあぶない。
いま読んでいる『ファンタジーランド』はある種のアメリカ史であるが、この本のテーマについて、著者のカート・アンダーセンはこう書いているので忘れないようにここに記しておく。
なぜ私たちはこんなふうになってしまったのか?
それが本書のテーマである。この問いに簡潔に答えるなら、それは私たちがアメリカ人だからだ。アメリカ人は、自分が望むことならどんなばかばかしいことでも信じられる。自分の信念には、ほかの人の信念と同等かそれ以上の価値があり、専門家にとやかく言われる筋合いはないと思っている。ひとたびこのアプローチを採用すれば、世界はひっくり返り、因果関係は意味をなさなくなる。信用できるものが信用できなくなり、信用できないものが信用できるようになる。
これは世界全体におよびつつあるような現象にも思うが、それはアメリカが発祥であるのかもしれない。アメリカ発の毒が世界に回りつつある、ということもできる。そのアメリカのそもそもの成り立ちがこの本で詳しく語られていく。知らなかったことだらけだ。そういえばアメリカの歴史なんてほとんど知らない。
私の建国以前のアメリカなんて、『モヒカン族の最期』がベースと言ってもいいくらいのお粗末なものだ。簡単なアメリカ史を読み、さらにせめてトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』くらいは読んでおかないといけないようだ。それにしてもこの本は面白い。
歴史を現代に生きる自分の価値観の善悪で見てはならないと教えられた。その教えが正しいと信じている。しかし、歴史は現代の善悪で見なければならないと教える先生もいた。正義の人であったけれど、不思議なことにそういう人の多くは現代の世界を見るのに善悪の判断を留保する。政治というものはそういうものらしいとおぼろげに理解した。
プーチンロシアのウクライナ侵略が正せない。ミャンマーの軍事クーデターの暴挙が正せない。北朝鮮の金正恩王朝の行為が正せない。ガーシー議員の行動が正せない。旧統一教会が正せない。彼らを正当化する理屈が存在する。理屈は何にでも張り付く。理屈で食べている人たちがいる。そもそも正そうという考えそのものが自分の絶対的正義を盲信しているものなのではないかと自らを疑ったりする。
人間は間違いを犯しやすい不出来な存在であり、なおかつ間違いから学ばない愚かな存在らしい。その上何が間違いかがしばしば人によってちがうとなると、そもそも間違いが正されないのはしかたがないのかもしれない。
ちょっとテンションが落ちてるなあ。
最近のコメント