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2023年8月 1日 (火)

自分とは何か

 養老孟司の『「自分」の壁』(新潮新書)という本を開いたら、彼が自分をどう見ていたのかが書かれていて、思うところがあった。この本の帯には「”自分探し”なんてやめなさい」とある。私もそう思う。しかし今どきの若い人はそもそも自分の存在そのものを考えるなどということはしなくなっているのかも知れない。そういう疑問を抱くこともないのだろう。なぜなら「自分こそすべて」だから。

 

 昔、芥川竜之介(たぶん)か誰かの文章で読んだけれど、自分の子供のころの写真を見て、そのときの自分の気持ちを思いだし、自意識過剰な自分を自嘲し、そしてそれがおとなになっても全く変わっていないことになんとなく嫌な気持ちを感じていることを記していた。なんとなくその気持ちが分かるような気がしたことがある。

 

 「自分探し」というからには、自分が存在していることは確信し、ただその自分がどこにいるのか不明確な気がして不安だ、ということなのだろうか。「我思う 故に我あり」である。このブログに繰り返し書いているけれど、私は自分を基準点としての点のような存在として考えていない。ファジイなものとして捉えている。私は世界を観る。自然、そして社会を見て感じる。感じて考えて認識する。そのとき、捉えた個別のものを自分の中に位置づけをしていく。世界の地図をつくっていく。誰もがしていることだと思う。

 

 それらの個別のものと自分との相対的な関係が自分自身の位置を定めていくのだと思う。そうして沢山のものと自分との関係を見直したとき、自分の位置はそのたびに違うのだと思う。拡散はしないけれど点にもならない。そのファジイな、あるかたまりの中に自分がいるのだと思う。だから自分を知るためには世界を知らなければならない。関係を知らなければならない。世界を知ることで結果的に自分がなんとなく見えてくるのであって、もし自分探しがしたければ、ものを知ることに努めなければならないと思っている。

 

 日常を離れれば自分を発見できるかも知れない、というのは幻想なのだと思うけれど、発見する人もいるらしい。

 

 今日これから北へ向かって旅に出る。いままで見えなかったものが一つでも二つでも見えたらいいなと思っている。

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コメント

あれほど好きだった旅が老いて出来なくなってしまった私、以前にも増して貴ブログの旅を拝見する楽しみが募っています。お気をつけて~~!✋

おキヨ様
独りで走り回れるのもいつまでか分かりませんが、せいぜい楽しんできます。

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