過ぎたるは
過ぎたるは及ばざる如し、という。埼玉県の自民党県議連が提出していた虐待防止条例は、そもそもは虐待を防止するという目的を持ったものだったのだろうが、その適用範囲を拡げすぎて世論の反発を招き、提出取り下げせざるを得なくなった。
なにを虐待と考えるかの基準は人によって違うが、大多数の人が納得するものであるべきなのに、意見が分かれたり、適用が現実的とは思えないものまで含んでいたので、本来の目的を見失っているものととらえられてしまった。
何より問題なのは、その虐待の定義に当てはまるものを見たら、通知の義務を負う、という項目だろう。見て見ぬ振りはしないように、といいたいのかも知れないけれど、何やら相互監視のススメみたいにも受け取れてしまう。私もそれを自慢そうに語る提案者の言葉に反発を感じたものだ。たとえば子供が留守番していたら、それを見たものは当局に連絡しなければならないというのであるから、異常である。日ごろ不快に思う隣人の行動を、正義の名の下に告発する材料になりかねない。
親がゴミ出しに外に出ている間、子供がひとりで家にいたら虐待に当たる、などというのはどう考えても異常な適用基準であろう。それなら親は子供が家にいるときは外に出ることができないことになってしまう。
虐待をなくそう、という目的のために提出した法案が内容が妄想的なお粗末なものであったために、結果的になくすべき虐待を防止することができにくくすることに繋がりかねない。修正して提出しても批判の嵐にさらされてしまうのが目に見えるようだ。過ぎたるは及ばざるが如しということだ。
埼玉県というローカルな場所の話ではあるが、自民党は案外と大きなダメージを受けたような気がする。現実の家庭や家族の実情と乖離した感覚であることを露呈したことになったからだ。つまりなにもわかっておらず、頼りにならない、と思われただろうということだ。それすらわかっていないかも知れない。
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