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2023年10月 2日 (月)

カラスの勝手でしょ!

 他人が刺青を入れようが、鼻ピアスをしようが、本人の勝手で、当人に対してとやかく言えることではない。しかしそれが当人の勝手であるように、それが私には好ましいものに見えないと言うことも私の勝手であろう。

 

 私が子供のとき、近所に刺青のおじさんが二人いた。独りは若いころ香具師を仕事にしていたらしいが、親から詳しいことを聞いていないからわからない。その一番下の息子は私と同い年でおとなしい子だった。手先が器用な刺青のそのおじさんは、頼むとちょっとした家の補修や家具の直しなどを手早くこなした。私の母もそういう形で小遣いを渡して融和的関係に努めたのかも知れない。そういう技術をどこでおぼえたのか、いまなら想像がつく。夏など肌脱ぎになると刺青が露わになる。肌が黒い人だったから、子供心にも刺青は汚らしく見えた。

 

 その弟も刺青をしていたが、これは途中で痛みに耐えられなかったのか、筋ばかりの中途半端なものだった。その一番下の息子は私の弟と同い年で気のいい人懐こい子だった。

 

 その暮らしぶりや人間性を見ていたから、私には刺青に偏見がある。偏見を持ってはいけないといっても子供心に染みついたそういうものは消しようがない。もちろんまともな人の方が多いところではあったけれど、そういう人たちもいるところだったから、両親はそこからいつか離れたいと願っていたようだ。だから子供たちをすべて大学にやって一段落してから、父の退職金や貯金をはたいて土地と家を購入して引っ越した。

 

 安易に刺青を・・・いまはタトゥーなどというからさらに安易になるようだが・・・入れるということが私には好ましいものに思えない。

 

 鼻ピアスにも偏見がある。人間が自分を飾るというのは本能的なものらしいから、鼻ピアスなどがその一つの方法なのだろうということは理解できる。しかし飾るのは美しさや勇ましさを誇示するものであると認識しているので、あれが美しさを誇示することに繋がるよりも、醜さにしか見えないのである。そういうものは時代によって変化する。日本だって古代には顔面に刺青をしていた、と魏志倭人伝には記されている。またみんなが美しいと思うような時代になれば、それは美しいものになるのだろう。さいわいなことにその時代には私はもういない。

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コメント

現在はどうか知りませんが、私が子供の頃、郷には刺青をした男性達が大勢いて刺青というものに今のような偏見がありませんでした。土地柄です。
男性の多くは義務教育を終えればすぐに遠洋漁業などの漁師として船乗りになる人が多かったのです。
海が時化て運悪く落ちた場合時間が経てば個人の特徴などわかりにくくなる・・・。そういう時の為刺青が役に立つ・・・というのです。で、海で仕事をする男性は刺青をするという事を聞いたことがあります。

今の刺青はほとんど身体のアートが目的でしょうね。
鼻ピアスというのには偏見があります!あれは日本人大方の顔には向かないと思う。。。

おキヨ様
刺青はともかく、鼻ピアスは牛の鼻輪を思い出しますね。
鼻というのはよくよくそれだけ見るとおかしなもので、そこへ人の視線を集めようという気持ちが分かりません。
人がするからするのでしょうし、はじめにつけた人は、これでもどこかの馬鹿が真似するだろう、と思ってはじめた気がします。
ルーズソックスやガングロ、ズリ下げたズボンなど、ここまでおかしなものでも、はやらせて楽しむ連中がいるのだろうと思います。

 こんにちは。
オキヨ様のコメントで外国船の船乗りの多くが刺青をしていた事
思い出しました。学生時代、夏休みは外国船舶でアルバイトしておりました。
全く豪華でない船でしたので上半身裸で働く船員が多かったです。

紀元前のミイラ、アイスマンはピアスと刺青の両方があった事で有名ですね。
身体の穴から、皮膚から病と言う悪魔が侵入しないようにピアス、刺青を
施したと言われていますが・・
今の医療では、ピアスは「MRI撮影検査」が不可です。
刺青は身体の部位次第でしょうか。
これも近い将来、対応機器が開発されるのでしょうね。

むう様
正しいとか正しくないということを言いたいわけではなく、自分の美意識によれば、ということを書きました。
そういう美意識は自分の経験やおかれている時代、地域によって大きく違います。
私の覗いている窓はそういうもので、それがほかの人にとってはちがうものだ、ということを、自分の感覚を見直すことで再認識したりしています。
最初から何でもOKと言うほど柔軟性がないものですから。

 再ツブ失礼いたします。
私自身、物事を好きか嫌いか、面白いかつまらないかでしか捉えられなくて
正否を申し上げたつもりは全くありません。
伝わらないコメント、ごめんなさい。

むう様
申し訳ないのはこちらです。
自分の感じたことを書いただけなのに、ときに正しいか正しくないかということにこだわるコメントをもらうことがあって、そういうものに対する防衛的な意味があってわざわざいらぬことを書いてしまいました。
むう様がそういうことを書いていると思ったわけではありません。
せっかくコメントをいただいたのに、もし不快に思われたら本当に申し訳ありませんでした。

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