視点の違い
李克強の急死を悼んで献花の列が絶えないと報道されていた。その人たちの内心に、中国経済を李克強が担っていたら良かったのに、という思いがあるのではないかと、西側の報道陣は読み解いている。今、若者の失業率が非常に高く、不満がたまっていることと関連させて、再びの天安門事件発生を密かに期待する専門家もいる。思えば1989年の天安門事件は、鄧小平が失脚させた胡耀邦が心臓発作で死去したことがきっかけになっている。
これについて、先般取り上げた遠藤誉が『李克強の死と、天安門事件を招いた胡耀邦の死との違い』という新しい記事で持論を展開している。この記事で、鄧小平時代からの中国の権力闘争の経緯が詳述されていて、胡錦濤からどうして習近平へ権力が渡されたのか、整合性のある見立てが述べられており、李克強の退陣は失脚ではないことが協調されている。
天安門事件のあった1989年はベルリンの壁崩壊の年で、同時に東ヨーロッパの民主化のうねりの起きた年であり、中国の若者が中国も民主化するのではないかという熱い期待を持った年だった。胡耀邦を追悼する若者の行動に趙紫陽が共感したことがそのうねりに力を与えた。しかし鄧小平はそれを許さず、趙紫陽を失脚させた。その後の経緯は天安門事件についてのいくつかドキュメントでご存じだろう。
ソビエトですら崩壊したのに、中国の共産党政権はは存続した。さらに一国二制度だった香港ですら中国の体制に組み込まれてしまった。
いま中国の国民に民主化を求める気持ちがどれだけあるだろうか。国が豊かであれば民主化する必要があると思わないのではないか。つまり天安門事件当時と現在の中国は背景が全く違うのである。だから李克強を悼む献花がいくら多くても天安門事件のような盛り上がりにつながるということもないだろうと私も思う。
遠藤誉は政治的な視点から権力闘争を分析し、習近平政権の反腐敗の旗印の根拠を解釈し、外交部トップの秦剛や軍部のトップの粛清を論じていて、それが必然であるとしている。それと李克強とは無関係だという判断である。
さはさりながら、経済という面からの視点で考えると、彼女の見立てとは違う様相も見える気もしている。世の中は政治だけで動いているのではない。明らかに経済的舵取りについて習近平はうまくやっているとは思えない。国民が豊かな生活を維持できないことになれば、様相はガラリと変わるのではないかという気がしている。その変わり目の象徴が李克強の死であった、などと後世に記されないとは限らないと、つい妄想してしまう。
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コメント
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お早うございます。
いつも楽しみに記事を読んでいます。
今日から新システムの始まりです。
これからもよろしくお願いします。
投稿: マーチャン | 2023年11月 1日 (水) 11時44分
マーチャン様
ココログがなくならない限り、ブログはつづけたいと思っています。
それでも読んでくれる人があまり減れば意欲はなくなりますけれどね。
こちらこそ引き続きよろしくお願いします。
投稿: OKCHAN | 2023年11月 1日 (水) 11時49分