テレビはせっかち
昨晩のプライムニュースを観ていて、1.5倍速で見ているのに元外務官僚の東郷氏の語り口にまだるっこしい思いがした。同じ時間内に語る内容が極めて少ないと感じたのだ。テレビは限られた時間内に的確に語るべきことを語ってくれないとイライラする。だから東郷氏の老化を憐れんだところもある。私もしばしば会話中にときどき言葉に詰まって無駄な時間を食うことが増えたと感じているからだ。
テレビはせっかちで、せっかちなのはテレビであるけれど、それは見ている人がせっかちだからそうなっているともいえる。だからもたもたした話し方しかできない人は、テレビのゲストに呼ばない方がいいなどと考えた。だがそう感じながら、待てよ、と思った。話を聞く、ということがこの頃おろそかになっているのは、そのせっかちさの故ではないのか。聞くのではなく、聴くというところまで相手の話を聞いているのだろうか。人は大事なことばかりを語るわけではない。語ったことの全体の中にだいじなことがすこしだけ、またはバラバラにあったりするのだ。
そのせっかちなテレビはしばしば一般人にマイクを向けて、市井の人の意見を聞いたりする。不思議なことに、本当にだいじなことを的確に語る人はまずいない。海外の、特に欧米の放送では、きちんとした意見を語る普通の人を当たり前に見る。これは日本人がおとなになっていく過程で自分の意見を話す訓練が足らない証拠なのだ、などと考えていた。しかしそうなのだろうか。
日本のテレビ局は、そういうきちんとしたことを語ったものは取り上げないことにしているのではないか。意識して無意味な、感情や好き嫌いだけで考えているものばかりを取り上げているのではないか。そういうものこそが一般市民の意見なのだ、とマスコミは考えているのかも知れない。だから見ているこちらはそういう市民へのインタビューにはイライラし、こんなもの聞くだけ無意味だ、時間の無駄だ、と感じてイライラする。
テレビはせっかちな視聴者に過剰なCMや番宣の嵐を浴びせてますます時間の無駄を強要する。まったくおかしなことで、テレビ離れがどんどんすすむのは当たり前だなあと思う。仕方がないから多少はマシな番組は録画し、無意味な部分は跳ばしていくという見方をするしかない。リアルタイムでなければ、ほとんどCMは見ることがない。スポンサーはそれに気がついていないのだろうか。
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