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2023年11月

2023年11月30日 (木)

能登へ行く(3)空を飛ぶイルカ

能登の宿は能登島にほど近い国民宿舎。予約を入れたときには気がつかなかったが、よく見たら一度泊まったことのある宿だった。

柿のフルコースを頼んでいたので、焼きガキ、カキフライなどさまざまな料理でカキを楽しむ。焼きガキを焼いて食べるときに右手の指先をやけどしてしまった。幸いたいしたことはなかったので助かった。飲み放題も頼んだので、酒を飲まない弟の嫁さん以外はみんな酩酊した。酔って熱いものを扱うときは注意が必要だ。みんな良く焼くのが好みで、本音を言えば私は生に近い方が美味しいと思うが、みんなに合わせた。そのほうが安全ではある。大満足。

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翌朝の部屋の窓からの景色。オーシャンビューである。見えるのはカキ棚だろう。夜、雨が降ったようだが爆睡したので気がつかなかった。

近いので能登島に渡り、のとじま水族館を見に行く。魚を撮り出すときりがないので眺めるだけにする。大水槽がいくつかあるので見応えがある。ジンベエザメの泳ぐ大水槽は特に見ものである。

イルカのショーをみんなで見に行く。

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最初のご挨拶。呼ばれると声を出す。

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お姉さんの合図で立ち泳ぎを始める。

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飼育員の合図で、そろって空を飛んだ。イルカショーが動物虐待だなどと言われるけれど、どう見てもイルカたちは喜々として演じることを楽しんでいるように見えた。

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アシカショーもあったが、ユーモラスで見とれていて写真を撮り損ねた。

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横になってお腹を見せてくれた。

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これはアザラシ。

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仕上げに見たイワシの大群の水槽。どうしても魚を見ると食べることを考えてしまう。

このあと近くのガラス美術館前の道の駅に立ち寄り、さらに氷見の道の駅でお土産と昼食を食べる。焼き鯖ずしとますずし、ぶりずしなどを四人で分け合って食べた。美味であった。

能登へ行く(2)

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輪島の港にあるキリコ会館に行く。キリコは夏祭りに使われる大きな灯籠で人間が担ぐ。能登独特のものである。むかしはとても大きなものが多かったが、今は電線だらけの街中では身動きできないから小ぶりになった。私はむかし、珠洲の知り合いの家に寄せてもらい、見たことがある。灯籠だから夜のものである。

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大きなものは2トンもあって100人以上で担いだらしいが、今は400キロくらいのもので20人とか30人で担ぐのがふつうだという。

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回廊式になっていて、上から見ることも出来る。

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輪島から少し先の白米千枚田を見に行く。日が傾いてきた。

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稲がないシーズンオフには、夜は棚田を縁取りしたライトアップがある。

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棚田のすぐ裏手から海を見下ろす。

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ここの海は青く美しく澄んでいるのだが、日が暮れかけてそれを実感できなかったのが残念。

このあと曽々木にある窓岩(チラリと見た)や、塩田村を見られる道の駅に立ち寄って塩作りの様子を見た。日が暮れる前に見附島を見たかったので、半島を横切って急ぐ。

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見附島、通称軍艦島。先日の能登地震で少し崩れた。

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空をよく見たら虹のかけらが浮かんでいた。

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目をこらせば立山連峰が見えるではないか。

宿へ急ぐ。

能登へ行く(1)

25日に弟夫婦と妹が千葉からやってきた。私も千葉生まれ、千葉育ちである。気がついたら名古屋が終(つい)の棲家(すみか)になっていた。東名高速は工事などでとても渋滞したそうである。用意した簡単な料理で酒を飲みながら旅のスケジュールを打ち合わせる。心配していた天気はなんとか保ちそうだ。車は弟のボックス型の新車で行くことになった。結局、全行程を弟が運転した。

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翌朝、七時頃出発。今回は一宮から名神高速に乗り、米原から北陸道を行くことにする。向かうのは能登・輪島。北陸道の南条のサービスエリアで休憩。恐竜がいた。動く。

弟は安全運転なのでスピードをあまり出さない。私はもっとずっとスピードを出すので反省する。ただ想定の時間より余分にかかるし、女性はサービスエリアなどに立ち寄るといろいろとユックリするのでなかなか思ったペースで進まない。私はせっかちなのである。

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金沢の手前の徳光パーキングで日本海を眺める。このへんまでは空には雲がかかっていた。冬の日本海の風情である。

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振り返れば雪山になった白山がはっきりと見えた。曇っているけれど空気は澄んでいるようだ。

金沢東インターで北陸道を降りて、国道8号線を走り、のと里山海道に乗る。長く続く砂浜を左手に見ながら快適に走る。私たち兄弟は九十九里に近いところで生まれ育ったので、こういう砂浜にはなじみを感じるし、弟の嫁さんは静岡の美保の生まれだから同じようなものだろう。

能登の西側の海岸は南側は砂浜だが、途中から能登金剛と呼ばれる断崖の続く景勝地になる。その中の巌門(がんもん)というところに立ち寄る。

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真っ暗な穴の階段を降りると、こういうところへ出る。この奥から出て来た。天井が低いのでうっかりして頭をぶつけてしまった。

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外へ出るとこういう場所に出る。車を降りたときには雨が降りそうな空だったのに、このあたりで晴れてきた。雨のために傘を持ったが、傘を用意すれば雨は降らず、大丈夫だと思うと雨に降られる。傘は雨よけか。

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こういう潮の出入りする洞窟もある。

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高台に登ればこんな景色が見られる。膝が少し痛くて階段が辛いし、息も上がるが、こういう景色がご褒美だ。

時間が押してしまい、輪島の朝市には間に合わない(昼までである)。輪島の港にあるキリコ会館に立ち寄る。それは次回に。

2023年11月29日 (水)

好天の城

千葉から弟夫婦と妹とがやってきて、四人で北陸へ小旅行をしてきた。

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昨日、帰り道で立ち寄った郡上八幡城。

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本日午前中に見に行った名古屋城。

このように望外の好天で城を見ることが出来た。

連日、夜は弟と飲み、昨晩も我が家で飲んだので、さすがに胃腸がくたびれた。

一日目は能登、二日目は能登と宇奈月、三日目は郡上、本日は名古屋を見物した。

詳しい報告を書く元気がないので、明日から改めて最初から順を追って旅の報告をするつもりである。

弟たちもくたびれたろう、無事に帰ってくれることを祈っている。

無事帰着しました

昨夕、能登、そして宇奈月の旅を終えて無事に帰着しました。
昨晩は娘が来て、夕食の支度をして待っていてくれ、みんなで旅のはなしに花が咲きました。
娘と妹は久しぶりの再会です。
私は土産の酒を開け、弟は少し飲んだだけで疲れて(今回の運転はすべて弟でした)ダウンし、私は飲みすぎていつも以上に酩酊しましたが、とても幸せな気分でした。
今日は弟夫婦と妹は帰りますが、午前中に名古屋城を見に行く予定です。
この時期は天候が悪いことの多い北陸なのに、奇跡的に好天に恵まれました。
旅の詳しい報告は後ほど報告します。

2023年11月28日 (火)

タイ(5)

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MRTに乗って市場へ行く。

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MRTは冷房が効きすぎていて寒かった。

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慣れてきたら海外にいる気分ではなくなっていた。

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市場に入る。

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もちろん本物ではない。

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椰子の実ジュース。期待したほど美味くなかった。このあとのんだクラッシュアイス入りのスイカジュースの方がずっと甘くて美味かった。

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バンコク街頭寸景

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焼いているのはバナナ。皮ごと焼く。焼くと中はとろりとして甘い。

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ハッポン通りの夜の準備が始まった。

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夜はにぎやか。

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中は人でごった返している。

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通りの横の店。国籍不明。

おまけ。

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2023年11月27日 (月)

タイ(3)

金色が一杯。

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暑さと金色で頭がクラクラしてきたのでしばらく涼しいところで休んだ。

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なんとなく雲行きが怪しくなり、

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このあとスコールが来た。

おまけ。

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とても大きな寝釈迦像。これも金ぴか。

タイ(2)

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チャオプラヤ川を渡って王宮方面の観光に行く。

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渡し船の乗り場へ向かうところ。このときは渡り板の上は歩けたが、水が多いときはもっと水位は高いらしい。

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降りてくる人と入れ替わる。

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近いからすぐつく。

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こんな風に一生懸命塔を支えてくれている。

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見上げれば遙か彼方にてっぺんがある。昔、どんな風にこの塔を立てたのだろうか。

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いろんな塔がある。どれがどれだかもう思い出せない。

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孫悟空の親類がいた。

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おまけ。

タイ(1)

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東南アジアには、タイ、ベトナム(北と南の二回)、シンガポール、インドネシア(主にバリ島)の計五回行っていて、一番最初に行ったのがタイだった。

写真はついたばかりの夜のホテルのロビーで撮ったもの。

翌朝早く目覚めたので、友人のF君と近くの公園まで散歩に出かけた。

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夜明け前だからまだ薄暗い。

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人々が動き出した。

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夜が明けてきた。

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朝の体操。

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水のある風景は好い。

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青年はなにを眺めているかというと、

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オオトカゲ。そこら中にいた。

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南国の風景。

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帰り道。まだ店は開いていない。突き当たりの高架はMRTの駅。

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ホテルの部屋から見下ろす。向こうの通りが夜は露店街になるハッポン通り。

2023年11月26日 (日)

日光(3)

金精峠を見上げる場所からの景色。

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見下ろせば湯の湖。

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霧が晴れたばかり。

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こういう地肌の出た山の景色が好き。千葉県生まれであまりこういう景色を見ていないからかも知れない。

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前にも別の時期の丸沼の写真を掲載した。ルアーのラインがなんとか写せた。

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湖岸に残った赤い色。もうすぐ冬だ。

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おまけ。

日光(2)

竜頭の滝の写真。流れ落ちる水の激しさを感じていただければありがたい。

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竜頭の滝を見る時は、上の駐車場に停める。滝を眺めながらどんどん下へ降りていくのだが、帰りの登りがこのごろは辛くなってきた。

日光(1)

日光には何度も行っているが、今年は紅葉の時期を過ぎていた。以下の写真は2006年の秋にいったときのもの。華厳の滝、男体山、中禅寺湖など。

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2023年11月25日 (土)

丸沼湖畔

奥日光、群馬県側の丸沼の湖畔の風景。丸沼からはロープウエイに乗って日光白根山へ行くことができる。ロープウエイから丸沼が見下ろせるが、湖畔へ行く人は少ない。

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湖畔にあるホテル、環湖荘。一度だけ泊まったことがある。

吹割の滝

吹割(ふきわれ)の滝は北関東へ行くときによく泊まる老神(おいがみ)温泉からすぐ近い。日本のナイアガラなどというが、スケールの違いは如何ともしがたい。しかしながら、ほかで見ることの出来ない独特の景観で美しい。これは2012年に訪ねたときの写真。

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あまり歩かずに見に行けるし、とにかく滝をすぐそばで見られるのが好い。その代わりあぶない。一度は訪ねる値打ちがあると思う。

弟はやはり自分の車で行こうという。買い換えたばかりの新車を心ゆくまで運転したいのだろう。幸い北陸は明日明後日とも雪は降らずに傘も差さずに済みそうだ。雨さえ降らなければなんとか写真は撮れる。明日は能登・輪島周辺を走る。報告は帰ってから。今晩は兄弟で軽く酒盛りする。

書いておく

 今日、午後に弟夫婦と妹がやってくる。気を遣う必要などないのだが、それでもあまり汚らしいところを見せるのは恥ずかしい。一通り片付けたけれど、もう少しきれいにしようと思う。風呂とトイレは磨き上げた。これから晩の食事の支度もしなければならない。明日は朝早くから北陸へ出発するが、多少は飲みながら旅の予定のことなどを肴に歓談したいではないか。すでに予定表は作成済みである。

 

 いつもは小さなノートパソコンを持参してその都度旅先からブログを投稿しているが、今回は四人での歓談を楽しむために持参しない。だから数日は書きためたものを朝七時、十二時、午後五時の三回、自動的にアップすることにした。コメントをいただいたものは、帰宅して一人になったら必ずご返事するので、遅れるのはご容赦いただきたい。その間のものは過去の旅の写真である。ブログを始めたのは2011年からなので、それより前に撮ったものはブログに載せていない。そういうのを主に選んである。眺め跳ばしていただければ幸いである。

2023年11月24日 (金)

初めての台湾(4)

台北へ行ったら必ず見に行くところ。

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中正紀念堂の蒋介石像。衛兵交代のセレモニーが見物。

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総統府。

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故宮博物館。

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おまけ。

もう少し丁寧に

 ブログを見ていただいている人の数が、あまり減らずにいることが望外の喜びである。私も一定の方のブログを拝見しつづけている。お気に入りには五十人近く登録しているが、定期的に拝見しているのは二十人くらいか。以前はけっこう丁寧に読んでいたのに、最近は読み方が少し雑になっていて、申し訳ないことだと思っている。もう少し丁寧に読まなければ。

 

 楽しみに読んでいたのにココログから移ってしまった人も少なからずあり、残念である。交流はコメント以外にとりようかないのが歯がゆい。どんな方が読んでくれているのか、今はコメントをいただいていない人についてはさっぱりわからない。仕方のないことだとは思うが、コメントをいただければ、早い遅いはあっても必ずお返しするように心がけているので、どんなコメントでも好いからいただけるとありがたい。そのときに、もしブログをしておられるのならブログ名を添えていただければ拝見したいと思っている。

茶葉を混ぜる

 泌尿器系に慢性の耐性菌が棲みついていて、泌尿器科の医師から菌や菌の死骸を貯めないように、水分摂取を心がけて常に洗い流すように言われているので、コーヒー、お茶、紅茶、ときには中国のウーロン茶、プーアル茶などをせっせと飲んでいる。

 

 お茶は淹れ方で味が違う。女性が淹れる方が美味しいのはどういうわけだろう。弟の嫁さんは静岡生まれだから上手い淹れ方が身についているのかも知れないが、妹が淹れても美味しいし、娘が淹れても同じお茶なのに美味しいのである。不思議である。

 

 

 お茶は使い切ったら新しいお茶を茶筒に入れて飲んでいたが、ふと思い立って、使い切らずに残ったところへ新しいお茶を混ぜてみた。なんとなく単独より美味しい気がした。それ以来茶葉を混ぜて飲むことにしている。ステンレスの密封性の高い小ぶりの茶筒を愛用していて、そこに二種類または三種類の茶葉を混ぜて入れてある。適当である。茶好きには混ぜるのはあたりまえのことらしいが、それなりに理屈があるようだ。お茶は奥が深い。とはいえ適当では却ってまずくすることもあるだろう。

 

 残った茶葉はもちろん冷蔵庫に密封してしまってある。

2023年11月23日 (木)

初めての台湾(3)淡水

台湾の合弁会社に出向していた先輩に連れられて台湾郊外の淡水へ行った。台北市内を流れる淡水河が東シナ海に流れ出す河口の街である。

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当時は出来て間もなかった淡水の駅。台北から地下鉄(MRT)に乗ればそのまま一時間で行ける。途中で有名な北投(ペイトウ)温泉へ分岐する。朝早かったので人がいない。

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河口の風景。ゆったりした気分になる場所だ。確かこの頃、陳舜臣がこの淡水に別宅を構えていたと聞いた。住みやすいところなのだと思う。

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河口で獲れた魚介類を食べさせてくれる店のようだ。

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先輩は紅毛城を案内したいという。そこへ向かう途中にこんな朽ちかけた住宅があった。一目でこれが台湾統治時代の日本人の住居だとわかった。

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紅毛城。最初、オランダかここを統治した。それを奪い返したのが鄭成功であることは有名だ。その後、こんどはイギリスが統治した。この建物はイギリスが建てたものらしい。

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今もきれいに残されている。中を見ることも出来る。

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こどもに声をかけたら写真を撮らせてくれた。左を歩いているのは先輩。

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繁華街の方へ回る。看板がにぎやかだ。

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こういうところで食事をしたかったが、昼食は台北で食べた。

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うるさい人混みはあまり好きではないが、こういう市場のにぎやかさは好きだ。どこの国でも機会があれば市場をみてきた。

予想以上に

 週末に弟夫婦と妹が千葉からやってくる。私のところに泊まり、みんなで能登と富山を回る予定だ。弟はつい最近車を買い換えた。現役時代は通勤用にプリウスを、そして孫達も連れて、大人数で出かけるためにワゴン車を使っていたが、ワゴン車が先に寿命で廃車に、そしてプリウスもそろそろ、ということで、ふたたびハイブリッドのワゴン車を購入したのだ。

 

 冬も走り回るからと、すでにスタッドレスに換えたという。だから今回はその車で走り回ろうというのだけれど、弟は雪道を走り回った経験があまりない。千葉はほとんど雪が積もらないからだ。しかし今年は予想以上に寒波の襲来が早く、第二波の寒波が週末にくるという。前回の寒波も11年ぶりという積雪をもたらした。だからその新車は置いておいて、私の車(もちろんスタッドレスに換えてある)で北陸へ行く方が良いかな、と思っているのだけれど、弟はその気になっているだろうし、荷物も大きな車の方が乗せやすい。なにしろ女性は荷物が多いからなあ。

 

 慣れない車で雪道を走るのは私も自信がない。来てから相談してみよう。

 

 三人がくるために部屋を片付け、ふとんを用意して、と思いながらぼんやりしていたが、ようやく昨日からスイッチが入り、シーツを洗ったり、蒲団乾燥機にかけたりし始めた。みんなが来た晩の食事をなににするか、考えなければ。こんなに早く北陸が冬モードに入るとは思わなかったなあ。

見出しから

 NHKの受信料収入の総額が、四年連続で減少しているという。直近は前年度比で0.5%の減少だというから、なあんだ、と思った。あたかもテレビ離れ、NHK離れがすすんで受信料収入が減少したみたいな見出しだけれど、人口減少率とそんなに大きく違うわけではないではないか。

 

 人口減少はもちろん生まれる人が少なくなっていることによるが、生まれるよりも死ぬ方が多いから人口は減少しているのであって、しかも高齢者ほどテレビを、そしてNHKを観ているのだから、その高齢者がこの世から退場すれば受信料収入が減少するのはあたりまえではないか。それより私はこれしか減少していないことの方に驚かされる。まだ本格的なテレビ離れがすすんでいないのだろう。とはいえ、たぶん民放の視聴者の減少ははるかにNHKより多いと思う。

 

 国民に五兆円をばらまいても八割が貯蓄に回ってしまい、経済効果はほとんどない、などという見出しを見た。ばらまきは消費増加につながらない、という見立てであろう。それはそうかも知れない。でもそれはけっこうなことではないか。そもそもばらまきは消費拡大のためにするのか、生活が苦しいと感じている人に対して補助をするためのものか。

 

 経済効果期待が優先するから、いつもなんとなく国民から白い目で見られるのだ。まずゆとりを国民に持ってもらうということを看板に掲げれば、素直にありがたく配られたお金を頂戴するはずだ。もしそれが貯金に回るのなら、それだけ困っていないということで、それならそれでけっこうなことだ。困っているのに八割を貯金に回したりできないのだから。それに本当に困っていれば消費に回るはずで、それはそれでけっこうなことだ。貯金に回って効果が期待できない、という言葉には、国民に対する不信といささかの傲慢さを感じてしまう。

2023年11月22日 (水)

初めての台湾(2)

宿から台北市内の散策に出かけた。

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台北市内で撮った最初の写真。どこに行ってもスクーターがたくさんならんでいた。

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ぶらぶら歩いていたら公園に出た。しばらくしたら方角がわからなくなった。ガイドブックを見て方向を確認していたら、おじいさんが近づいてきて、どこへ行きたいのか、と訊く。近くにあるはずの道院を指さしたら丁寧に教えてくれた。もちろん日本語である。ああ、日本語が通じるのだと、嬉しくなった。そして台湾の人はとても親切であることも知った。このあとバスに乗ったりしてもたいていなんとかなった。

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道教の寺院。工事中だった。長い線香に火をつけて、みんな熱心に拝んでいた。

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中心街は別として、にぎやかそうな通りでも上はあまりきれいとは言いがたい。大きな通りのビルでも掃除なんてしていないのだろうなあ、と思えた。

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こういうアーケード式の通りがたくさんある。ここは何もないからふつうに通れるが、シャッターが開いて店舗が営業しているところはさまざまなものが通りに出されているので、すり抜けたり跨いだりしないと行けない。ときにはそこに椅子と卓を出して食事をしていたりする。これが台湾だ、と感じてしまった。

乳糖不耐症

 牛乳が好きなので常備している。グラタンでもシチューでも牛乳がないと困る。ただ、好きなのに一気飲みするとすぐ腹が緩くなる。乳糖不耐症というやつかと思う。スーパーにはいろいろな牛乳が売られていて、加工乳は別として安い銘柄が三種類あり、そのうちの一つをいつも買っていた。

 

 そのうち二つが値上げされた。一番値上がりしたのが私がいつも買っている銘柄で、だから試しに値上がりしない銘柄のものを買った。なんとなく薄く感じたが、体調などで味は変わって感じることもあると思い、二本目三本目と買い続けたら、やはり私には薄く感じる。そうして今までいつも買っていたものをふたたび購入すると、はっきり濃く感じて美味しい。

 

 味の違いはどういう理由かわからないが、値上がりを受け入れて今までの牛乳にしようと思う。

 

 最近、卵でも同じような経験をした。少し安いからと選んでいたものが大幅に値上がりしたので、少し高い卵(今はほとんど変わらなくなった)にしたら、殻がしっかりしていて味も濃い。卵掛け御飯の味が違う気がする。せっかく口にするものなら、わずかな値段の違いにこだわらず、美味しいものを選ぼうかと思う。今まで味なんかあまり気にしていなかったけれど、食べる量が減っている分、少し味にこだわってもいいかと思っている。安いけれどまずいものをたくさん食べるより、少し割高でも美味しいものを少し食べる方が満足感がある年齢になった。いろいろ較べたいものがあるなあ。

世話になった人の夢を見た

 明け方、東京の営業所に在籍していた三十代前後に世話になった得意先の人(ある工場の責任者)の夢を見た。無口で、たまに口を開くと厳しい言葉を発するので、多くの出入りの商社の人やメーカーの人はその人を怖がっていた。愛想を言う人間が大嫌いで、偏屈でとりつく島がない人だと言われていた。どういうわけか私はその人を最初から恐いと思わなかった。喋りたくないから黙っていて、話したいことを考えているのだろう、とわかったので、二人で黙っていることも多かった。それが気に入ったのか、可愛がられた。家も比較的に近くて、歩いて三十分くらいだったので、ときどき寄らせてもらったりした。

 

 それから四十年になるが、今でも年賀状の交換はつづけている。一回り年上なのだけれど、数年前までは海外にも行き、スキーも楽しんでいることを伝えてくれていた。さすがにもうスキーも海外旅行も行けなくなったよ、というのが今年の年賀状だった。特に大きな病気もしていないようだから、夢に見たのはたまたまだと思っている。

 

 そろそろ年賀状を買わなければ。あわてなくても売り切れる心配はなさそうだけれど。

2023年11月21日 (火)

初めての台湾(1)

少し前までは、ブログに書きたいことが書ききれないほどあったものだが、このごろはなにも浮かばないことも多い。無理に書くこともないのだが、だからといって書かずにいると一気に頭が働かなくなって空っぽになりそうなので、習慣としてつづけたい。埋め草にたくさん出かけた旅行で撮った写真をランダムに掲載したいと思う。

最初は初めて行ったときの台湾。ツアーではなく知り合いの伝手で自分で飛行機のチケットを手配して出かけた。台湾には三度出かけている。

着いた晩に行った夜市が思い出深い。

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きらびやかなのは媽祖の前だから。

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媽祖の中はキンキラキンだった。

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日式大阪焼きというのはお好み焼きのようなものだった。夜市には臭豆腐の臭いが立ちこめ、このときは食べる気がしなかった。次に行ったときには食べて美味しいと思った。豆腐を発酵させていて独特の臭気がある。

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夢のようなめくるめく異世界の感じだった。この頃はま打台北市内の夜市は大小合わせて六カ所、ということだったが、今は十数カ所になっているらしい。但し、露天ではなくなった夜市もあるから風情は少し変わった。

感覚の違い

 羽生弓弦の離婚については多くの人が痛ましいことだと感じたようで、海外もそのニュースを痛ましいものとして捉えているようだ。和田アキ子がそのような捉え方に疑問を呈したとネットニュースに書かれていた。最初からこういうことになることがわかって結婚したはずで、いまさら騒がれたことを理由にするとはおかしいというのだ。

 

 離婚は当人達の問題で、他人にはうかがい知れない理由もあるだろう。しかしマスコミの報道ぶりは過剰だったように見えた。私から見ればかれらは常軌を逸している。以前から芸能リポーターは醜業だ、とこのブログにも書いてきたが、芸能人ならその醜業の徒とうまくつきあうのも仕事の内、というところもあるのだろう。和田アキ子はそのことを言っているのだろうが、羽生結弦の相手は芸能人ではないし、有名人と結婚することに多少の覚悟はあったはずだが、常識を超えた異常さには家族ともども堪えられなかったのだろうと、誰もが推察できたから痛ましいと感じたのだ。和田アキ子が羽生結弦の結婚相手だとしたら、と彼女は考えたのだろう。しかし結婚相手は和田アキ子本人ではないふつうの人なのだ。

 

 和田アキ子の想像力は芸能界という世界の内にあって、世間の常識を理解できなかったのか、またはあえて異を唱えることに自分の存在をアピールしたかったのか。彼女はときに正論を吐いてみせることで人気の一端を支えてきたが、こんかいは正論とはとても思えない。しかし思う人もいるだろう。それが芸能リポーターを支えるエネルギーで、似たようなことがつぎつぎに起こるだろうと思うと恐ろしい。

空費とまではいえないが

一一昨日から、『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、『Gのレコンギスタ』全五部作の一部と二部を観た。『シン・ゴジラ』を観たのは二回目。面白いからまた最後まで観てしまった。これはある意味で不可抗力の災厄とどう向き合うのか、というテーマの物語で、『日本沈没』で小松左京が書きたかったことにほとんど重なるなあ、と思って観ていた。日本の特撮もずいぶん良くなったのを実感する。やはり怪獣ものには日本は一日の長がある。

 

 『シン・ウルトラマン』は映画が大好きな斎藤工が顔は無表情ながら、たぶん喜々として演じていたように見えた。嫌いではないのだが、斎藤工は斎藤工の地が出過ぎて、俳優としてはいまいちだと思う。ほかの作品でもそう感じさせられることが多い。長澤まさみがなんだかよくわからない役回りで出ていて、この映画をヘンテコなものにしてしまった。彼女のせいではないが、残念だ。『Gのレコンギスタ』のGはガンダムらしい。装甲機動兵の話でアニメである。富野由悠季が総監督のアニメだが、進展がユックリなので、当然のことながら全部観ないと全体がわからない。

 

 おおむね時間つぶしした、時間を空費した、という気がするが、それなりに楽しんだからそれで好いではないかとも思う。しなければならないことがあるときほどそういうことが増えてくる。

2023年11月20日 (月)

債務危機

 NHKBSの『混迷の世紀』というシリーズを、テーマを選んで録画して観る。『世界"債務危機"は止められるか』という番組はいろいろ考えさせられた。物が足らなくなるとそれを買い占めて値段をつり上げ、利益を上げるというのはよくある手口だが、足らなくなくても数量が限定されているものなら同じ手口が通用することを中国はレアアースなどで実行して見せている。大金持ちやそのものをほぼ独占している者にとっては常套手段の儲け方で、しばしば経済を破壊する効果がある。経済に張り付いていたはずの道義を剥ぎ取ればこういうことになる。こうして富は偏在する。

 

 先般このブログで世界の金が超大金持ちのところへどんどん流れ込み、金の流れが滞っていると書いた。世界はリーマンショック後の経済立て直しのために金融緩和を行い莫大な金を市場に流し込んだ。その金は投資の形で新興国に流れ込み、ふたたび大金持ちのところへ流れ込んだ。コロナ禍やウクライナ戦争で物流が滞り物不足になったから、世界は一気にインフレとなり、それに歯止めをかけようとして金融引き締めを行ったから、新興国への金の流れは突然消え去り、かれらは厖大な債務を抱えて途方に暮れた。

 

 現在債務返済不履行でデフォルトとなった国はガーナ、スリランカなど三国、ほかに債務不履行危機の国が三十数カ国あるという。今大統領の決戦投票を行っているアルゼンチンはデフォルト寸前である。アルゼンチンはすでに前にデフォルトを経験している。

 

 しかしどこの国の国民も、自分の国がデフォルトであるかその寸前であることの意味を理解することができない。デフォルト回避策は税金を引き上げて一生懸命はたらき、借金を返すように努力するしかないのだ。しかしそれは辛いことだから、為政者がそれを強いれば反撥する。騒ぎ立てる。今スリランカやガーナでなにが起きているか、たびたび報道されているとおりである。

 

 世界はそういう国の借金を一時的にしろ棚上げにして健全な経済に立ち直るように指導しなければならない。そうでないと借金は社会不安を生み、世界をさらに混迷に落とし込んで全体に悪影響が出る。だから手立てを講じなければならないのだが、大金持ちのところには唸るほど金はあるのに、国家はおおむね借金だらけである。甘い顔ができるゆとりはない。そこで抜け駆けして覇権を目指す国がある。こうしてIMFと中国との暗闘が行われている。

 

 中国は物不足状態をつくり出して利益を上げるのではなく、金そのものを不足させることで利益を得ようとしているように見える。究極の非道義的な商売だと思うが、今は誰もそれに歯止めがかけられない。みんな中国の自滅を密かに願うだけである。その怨念は案外恐ろしいと・・・思いたい。

それくらいなら

 なにも悪いことをしていないように見える岸田内閣の支持率がどうしてか下がりつづけている。岸田首相本人が間違ったことをしているのなら、正して支持率の回復を図ることができるが、正すものがないと手の打ちようがない。だから野党も突っ込みようがない。そのうえ与党の支持率が下がっても、野党は支持率があがっているようでもない。

 

 私は岸田首相に好感が持てない、それはその話し方が嫌いだからだと繰り返し書いてきた。国民の声に真摯に耳を傾けます、聴きます、といい、丁寧に説明しますといいながら、誰の言うことを聴いているのかさっぱりわからず、丁寧な説明など聞こえたためしがない。それなのに本人がそのつもりならどうしようもない。

 

 そろそろ岸田おろしがはじまる、と予測する向きもあるが、専門家でなくてもそう思うだろう。不信の目で見ていれば、海外で他国の指導者と会ったときになにを聴き、何を話しているのか不安になるのはとうぜんで、国民に対しても不十分なのに、海外できちんとものを言っていると誰が思えるだろうか。

 

 代わりは誰かいないのだろうか。次はさらに悪くなったりしないといいのだが・・・。カリスマ性などなくても、するべきことをひとつひとつきちんとやり、それを説明できる人ならそれで好い。それくらいならいないはずはないと思いたい。

限度

 気力の量が波のように増減する。ほかの人のことはわからないが、たぶん誰にでもあることだろうと思う。朝起きたとき、前向きの気分の日とどんよりしているときとがあって、年齢とともに波の振幅が小さくなるとともに全体のレベルが低下していくようだ。

 

 ガザ地区へのイスラエルの攻撃をみていると、いたたまれない気がする。いくら何でも、と思う。先にハマスがテロ攻撃をしたのだから反撃する、というのは心情的にわからないことではない。パレスチナ問題の歴史的な経緯から、どちらにより正当性を感じるのかというのは理屈である。そういう理屈を超えて、攻撃されて多数が殺され、人質に取られればそれに反撃するのは、理屈を超えて致し方ないと思う。

 

 しかし一人のハマスを殺すために十人、または百人のガザの十人を殺すという状態が止めどなく続いているというのは見るに堪えない。ものには限度というものがあるのではないかと思う。今は感情ではなく、理屈でガザの住民が殺されつづけている。理屈で語るから国連でもこの虐殺が止められない。理屈というのはときに恐ろしいものだと思う。こどもが死ぬことにも理屈がついてしまうらしいからだ。私は理屈ではなく感情で、いくら何でもやり過ぎだと思う。

 

 『カラマーゾフの兄弟』の中で兄弟で神学論争をする場面がある。こどもすら殺される状態を許している神とはなにか、そもそも神など存在しないのだ、とイワンはいう。イスラエルはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地があるところだ。そしてその三つの宗教の神は唯一絶対の同じ神さまである。それなら神は最も近くでこの戦いを見ているのではないか。それなのにガザの住民は見殺しにされている。もしそれでも神が存在するのなら、その神さまはすでに人間を見放しているということなのか。

2023年11月19日 (日)

驪山への旅

 奥野信太郎の随筆を読んでいる。『驪山への旅』という文章で、西安や西安郊外の華清池について書かれていて、大好きな西安が思い出された。最後の部分を引用する。

 

 西安では日本人がめずらしいので、かれらはしきりにぼくたちをじろじろみていた。楊貴妃の蓮花湯(れんかとう)の跡には、特に楊貴池という名前がついている。もちろん今では誰がはいってもかまわない。さっそくその楊貴池にとびこんでみた。タイルばりの独用浴室で、白居易の「温泉水滑カニシテ凝脂ヲ洗ウ」という蓮花湯の幻からはおよそ遠のいたものではあるが、泉質はいかにも柔らかく、「温泉水滑カ」にうそ偽りはないとみた。但し少しぬるすぎるのが難といえば難といえよう。

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 私が二度目に子供たちと西安へ行ったとき、この楊貴池は上から眺めるだけで、はいれなかった。

 

 ここへきてみるとぼくたちは楊貴妃で頭がいっぱいなのだが、現代中国人にはそれよりも西安事件の方が印象が強いらしい。それはもっともなことである。この温泉の管理人みたいな男が、その事件の当時兵隊として張学良の下ではたらいていたとかで、それが手ぶり身ぶりよろしく蒋介石が捕まったときのありさまを話してくれた。ぼくはそれを聞きながら、こうして何十編何百編同じ話をくりかえしてゆくうちに、だんだん尾ひれがついていって、いつしかそれが一篇の芸能的物語となるのではあるまいかなど、その男のせっかくの武勇談には少し気の毒なような空想に耽った。

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 私が行った時も、楊貴妃そっちのけで西安事件の話ばかりする共産党のガイドがいて、苦情を言ったことがある。

 

 ぼくたちがお茶をのんだ部屋が蒋介石の起居していたところだという。あれから二十年にもなろうというのに、ガラス窓の弾痕と、かれのベッドがまだ大切に保存してあった。かれが逃げ出してとうとう捕まったという裏山の小亭もやはり今ではここの名所の一つになっている。世上一般名所旧跡発生の経過も、大方これと大同小異のものにちがいないだろう。この辺は柿の名産地だ。ぼくは浴後、蒋介石の寝ていたベッドの横でしきりにその柿の味を楽しんだのであった。

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 裏山というのが驪山である。

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気象予報士

 気象予報士には好感の持てる人が多い。どうしてだろうと思っていたが、テレビに出ている人というのはとにかくけたたましい人が多いのに、気象予報士にはそういう人がいないからだと気がついた。仕事柄そういう必要がないからで、本質的にけたたましくないかどうかは知らないが、やかましいのが嫌いなので結果的に好感につながっているようである。

 

 ことほど左様に最近のテレビは必要以上にハイテンションでやかましい人が多い。特にスポーツ関係はうるさい。スポーツ選手も解説者もアナウンサーもバカ声を出し、金切り声を上げ、絶叫する。スポーツを見るのが嫌いになったのは、このやかましさにも大いに原因がある。

 

 芸人はもともとハイテンションにならないとできない商売らしいから、そのやかましさは多少我慢しなければならないと思って芸を楽しんでいたが、そのやかましさを差し引いたらあとは空っぽ、という芸人ばかりが増えている。やかましさが芸だと勘違いしているのだろうか。

 

 酔っ払うと声が大きくなり、同じことを繰り返す。酒を飲まない父や母にはしばしば「やかましい!」と叱られた。しらふには酔っ払いはうるさいのだ。

2023年11月18日 (土)

年越しに

 ストーブは出したが、炬燵はまだ据えていなかった。ようやく今日それを据えたのは、炬燵を据えるとなるとその周辺を片付けて掃除をしなければならないからで、つい先延ばしにしていたのだ。出しては読み囓り、そのままになっていた本の山を、まず選別して数冊だけにする。それだけで半分済んだようなものだ。掃除機をかけ、炬燵を据えて座り込む。なんと心地よいことよ。

 

 本の山がないとなんとなく寂しい。つい本棚の本を眺め回す。引っ張り出したのは奥野信太郎の本だ。奥野信太郎に出会ったのは東洋文庫の『随筆北京』という本で、東洋文庫に収められた日本人の書いた中国に関する随筆では、この『随筆北京』、そして石田幹之助の『長安の春』、青木正児(まさる)『江南春』の三冊が私の宝物で、読み切っていない本の多い東洋文庫の中でこれらだけは二度も三度も読んでいる。読んでいると陶然とするほどすばらしい。

 

 奥野信太郎の随筆をもっと読みたくて、福武書店版の『奥野信太郎随想全集』全六巻、別巻一巻を揃えた。こちらもすべて一度ならず読んでいる。こちらの全集にも『随筆北京』が収録されているが、東洋文庫版は旧漢字旧仮名遣いなのに、福武版は新仮名遣いになっているのが残念だ。幸い独特のふりがなはそのまま残されているからかろうじて我慢している。書かれた時代の空気はその時代の言葉で書かれていないとその良さが半減してしまう。文庫本の中にはひどいのがあることを高島俊男もこき下ろしていた。特に言葉の註がひどいのが多い。どうでもいいものに註があり、知りたいところには註がないことがある。その点、東洋文庫の註は必要なところに本文より多いほどあって、読みでがある。

 

 年末はもう何十年も紅白など見ないで静かに本を読んで過ごす。今年の年越しはこの奥野信太郎の随筆を楽しむことにしようと早くも決めた。

映画 ラッキー

 忘れられないであろうすばらしい映画を観た。2017年制作のこのアメリカ映画は、なぜか12歳以上の年齢制限がある。暴力シーンもベッドシーンもないのに・・・。しかし、この映画に年齢制限をつけるとしたら、65歳以上指定にするのが好いかもしれない。それ以下ではこの映画の良さが本当にわかるというわけにはいかないだろう。人の人生、そして死に向かう不安というものをリアルに描いた映画として傑作といっていいと思う。

 

 独り暮らしの老人の生活が淡々と描かれているだけで、物語らしい物語はない。それなのにじっと見入ってしまう。挿入される音楽、その歌詞がまたすばらしい。主演は名脇役のハリー・ディーン・スタントン。この映画が完成した2017年に91歳で亡くなっている。つまりこの映画は彼の遺作である。ほかにも隠れた名優達が出ていて映画に血を通わせ、深みを持たせてくれている。

 

 この映画の主人公ラッキーは、私である。たぶんこの映画に没入できて、すばらしい映画だと感じとることができる人はみなこのラッキーは自分だ、と思ったにちがいない。エンドクレジットともに流れる歌を聴き逃してはいけない。この歌は主人公を演じたハリー・ディーン・スタントンに捧げる歌なのだから。とにかく心に残る映画を観た。

寝そびれて

 昨日、ようやくガスファンヒーターを出した。まだそれほど寒いわけではないから部屋はたちまち暖かくなる。風呂上がりにぬくぬくして音楽をかけながら本を読んだりしていたら寝そびれた。このところ早寝早起きが習慣になっていたのに崩れてしまった。眠れないのでそのあと囲碁ゲームなどを楽しんでいたから眠気がますますなくなって、気がついたら三時を過ぎている。さすがにくたびれて横になったら、たちまち眠ることができた。

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 本を読んだり映画やドラマを観ていると、つい手持ち無沙汰で口さびしいので、安い大袋のナッツ類をぽつりぽつりと食べてしまう。散歩もしているのだが、気がついたらせっかく目標まで落ちていた体重がどんどんリバウンドしている。豆を食べ、お茶やコーヒーをせっせと飲むからとうぜんの成り行きだ。硬いものを囓るから、また歯に来ている気配だ。

 

 山は雪らしい。そういう季節ではあるが、夏から短い秋、そして一気の冬というのは身体がついていけない。北陸あたりに年内にもう一度くらいでかけたいと思っていたら、妹が能登へは行ったことがないから行きたいという。そういうわけで来週末に弟夫婦と妹と四人で能登へ行くことにしている。この時期の北陸は天気の良い日と悪い日とが交互にやってくる季節である。サイクルが美味く合えば良いが・・・。

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2023年11月17日 (金)

凋落と格差

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 現代の金持ちは桁違いの富を稼いでいる。その金持ちは貯めるだけ貯めて使わないから、世界はなかなか景気が良くならないのだと思う。金は世の中を回ってこそ金であって、どこかへ貯め込んでは役割を果たさない。大金持ちも寄付したりそれなりに使っている、という反論もあるかも知れないが、儲けた金の一割二割り使ったところで貯まる方が多ければ使ったともいえまい。半分以上、できれば八割九割使ってもらいたいものだ。いまは金持ちが金を使わずに国家がせっせと使っている。国家は金持ちではないから使う方が多くて、いまや国家で借金のない国というのはほとんどないだろう。 

 

 若いころ、世の中が良い方へ進んでいるのなら、格差は減少していくのかと思ったが、格差はどう見てもどんどん拡大しているように見えるのはどうしたことか。単純に考えれば悪い方へすすんでいるということだろうか。よくわからない。

 

 会社に入ってすぐの若いころ、韓国の賃金は日本の何分の1、中国は20分の1、なんていわれていた。そういう国と製品の価格勝負をしたら、かなうはずがない、と得意先がよく嘆いていた。そうしてさまざまな業種が消滅し、多くの中小企業が倒産廃業し、そうならなかったところは人件費の安い韓国や中国に進出していった。次第に日本から雇用が喪失していったが、その分だけお年寄りが退場していき、ついには少子化によって就業者そのものが減ったから雇用の喪失はあまり目立たなかった。人件費が減ることで企業は自動的に利益確保がしやすくなり、雇用維持の名目で賃金は据え置かれつづけた。日本は最盛期に稼いだ貯えでぬくぬくと過ごしてきた、というのは少し前のブログに書いたことだ。

 

 気がついたら韓国の賃金はほとんど日本と変わらなくなり、中国の賃金も追いつきつつある。つまりそれらの国が豊かになりつつあるということで、日本がその分豊かではなくなっていくのはとうぜんのことだ。

 

 アメリカが日本の豊かになることに激しく反撥して、理不尽な規制で日本をとことんいじめ抜いたのはその時代に生きた人間の記憶につよく残っているはずだ。日本が豊かになればアメリカはその分豊かさを失うのはとうぜんのことで、それが今は日本が標的ではなく、中国が標的にされているということだろう。中国が豊かになればアメリカの豊かさが損なわれるのは、もともと中国や発展途上国の貧しさをくいものにしてアメリカが豊かだったのだから、とうぜんの流れである。そのことがアメリカにはどうにも理解することができない。そういう意味では愚かな国だと思う。

 

 米中首脳会談で、習近平はWIN-WINの関係、などと言ってのけたけれど、中国とアメリカがともに勝つならどこかが負けるだけのことだ。そうでなければ勘定は合わない。巨大な人口を抱える中国が、そしてこんどはインドが豊かになれば、世界の富は平準化に向かうだけで、とうぜんアメリカは相対的に豊かでなくなり、凋落するだろう。

 

 格差が拡大することと豊かさの分散平準化が同時に起きているこの世界がどうなるのか、私のざる頭では見通しが立たない。

ぼくの父は・・・

 物忘れがひどいことは、ときに幸いである。

 

 高島俊男『広辞苑の神話』(文春文庫)という本を読了した。『お言葉ですが・・・』シリーズの第四巻で、一章一章を味わいながら読み進めているので時間がかかる。この本の本文の一番最後に 

 

 My fathar is my mother.

 

というもじり英語が紹介されている。どういう意味か考えてみて欲しい。最後に答えを書いておきます。

 

 この本はもちろん再読か、もしかしたら三回目かも知れない。読んだ尻から忘れるから、初めて読むように面白い。

 

 ひとつひとつの章に連想したことや考えたことを書いても好いくらいだが、それではきりがない。この中で『江戸博士怒る』という章と、それに関連して続く『タイムスリップ少年H』という章がすこし心にグサリときた。時代小説の時代考証がでたらめすぎるといって、三田村鳶魚がそれらをとことん槍玉に挙げて批判したという話である『江戸博士怒る』は、その次の『タイムスリップ少年H』を書くためのマクラである。

 

 山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』をとりあげて、それに大いに共感し、歴史や記憶についての高島俊男の考えを書いているのである。もちろんそのたたき台になっているのは妹尾河童の自伝小説『少年H』である。妹尾河童(せのおかっぱ)は舞台美術家でエッセイスト。『河童が覗いた』シリーズなどのエッセイに彼自身のイラストが挿入されていて、その精緻なイラストを眺めているだけでも楽しい、そういう人である。

 

 『少年H』は神戸で生まれ育った妹尾河童が戦時中の少年時代に体験したこと、感じたこと、考えたこと、そして神戸が空襲を受けて焼け出されたことなどが思い出すままに書かれている。私もこの本を読んだ。降旗康男監督で映画化もされていて、水谷豊、伊藤蘭が少年Hの両親として出演している。

 

 この本をとことんこき下ろしているのだ。たしかに戦争批判、日本批判、世相批判が少年の素直な目から語られているのだが、実はそれはすべて現代の自分がその時代の少年Hの中にタイムスリップして語られているだけではないか、というのである。まさにその通りで、そういう本である。戦時中の少年Hが本当に見て感じたものが語られてこそ自伝ではないかというわけで、これでは少年Hや父親だけが神さまのように賢くて、その他時代に流されている人はすべて愚かだったかのようだ。

 

 しばしば物語はそのように語られる。しかしそのことによってその時代そのものの記憶が著しく変形されてしまうことは果たしてどうなのだろうか、という指摘は私も同感するところである。この本を読んでいる私はそこまで問題意識を持たずにそのまま読んでいて、それはそれで好いけれど、しかし同時にそういう批判的な視点も持たなければならなかったということも思わされて心にグサリときたのである。

 

最後に答え
 ぼくの父はワガママです。

オーディオブック

 アマゾンとプライム契約をしていて、音楽のストリーミングをするのに重宝しているが、オーディオブックの契約をしきりに勧めるメールが送られてくる。たしかに耳で聴くだけで本が読めれば重宝なようにも思えるが、私は本は印刷物で、つまり紙の本で読むことにしているのでオーディオブックを聴くつもりはない。行きつ戻りつ、読むスピードを速めたりゆっくりにしたり、しばし反芻のために紙面から離れたり、という読み方をするので、オーディオブックにはなじまないと思っている。そういう操作はできるのだろうが、その操作をすることそのものが煩わしい。哀しいことに新しいことがなかなかできにくくなっているのだ。それに私の好む本は漢字の多い本が多くて、オーディオブックではその漢字が頭に適切に思い浮かぶかどうか疑わしい。漢字の言葉は同音異義語が多くて、使われる漢字の意味から文章を読むというところも大いにあるのだ。そういうことを考える必要のない本もあるだろうが、そういう本はたいていが私の好みではない。

2023年11月16日 (木)

政治家

 岸田さんが日中会談を期してアメリカに飛んだ。もちろんそもそもの渡米の目的は日中会談ではないが、できれば習近平と差しで会談したいとして、最終の詰めに入っているという。いま日中にはさまざまな懸案があり、首相がなにを優先的に伝えたいと思っているのか知りたいところだが、あとで報道されるだろうから、それを待つしかない。ただ、国民どころか同じ党内の人に対しても自分の意をきちんと伝えているように見えないのに、習近平にいったいなにを言えるのか心配しているのは私だけではないだろう。代わりになにか手土産を差し出すつもりかも知れないが、後々日本の国にとって不利益になるようなことではないことを願っている。

 

 BSフジのプライムニュースを見ることが多い。以前はすべて見ていたが、いまは選んで見る。見るのをやめたり、録画して見たとしてもすぐ途中で消してしまうことが多いのが、日本の政治家の出るときだ。特に野党の政治家の場合は、我慢して聞く忍耐が続きにくい。私と意見が違うから、というのは最大の理由ではない。その語ることばに現状認識とその問題点、それに対してなにを優先的になすべきだと思っているのか、ということを筋道立てていうことが出来ない人がしばしばいるからだ。問題の原因は与党であり、その非をならすのが正義だ、というパターンばかりで、聞き飽きたのだ。人に聞く気をなくさせて、自分の言いたいことを伝えられなければ政治家としては失格だろう。

陋巷にあり

 前回のブログに関連して。

 

 陋巷にあり、というのは、論語の中で孔子が弟子の顔回を評して、語った以下の言葉から採られている。

 

 子曰く、賢なるかな回や、一簞の食(し)、一瓢の飲、陋巷にあり。人はその憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。

 

 有名な一節なので、多くの人が言葉も意味も知っていることだろう。あえて手許の加地伸行訳を以下に引用する。

 

老先生の評価。聡明である、顔回は。その食物はわずか、飲み物もわずか、そして貧乏な裏町暮らし。ふつうの人ならそのつらさに堪えられない。ところが、顔回は、そこにある楽しみを改めない。(その楽しみを知るとは)聡明だな、顔回は。

 

 小説の酒見賢一『陋巷にあり』全十三巻は私の宝物である。登場人物たちはこの物語の中でリアルに映像的に生きている。それなのに私の印象では、主人公の顔回だけは茫漠としている。そのことに最初少し戸惑ったのだが、実は顔回に感情移入して、読者自身が顔回になって読むのがこの物語の読み方なのだと勝手に考えることでおもしろさが倍増した。それが正しい読み方かそうでないかは知らない。

 

 それでよかったのかどうか、もう一度読み直したい気がしている。こんな面白い本はないので、是非読んでほしい。

酒見賢一

 作家の酒見賢一(さけみけんいち)が今月の七日に亡くなっていたことを知った。59歳の死(呼吸不全)は早すぎる。好きな作家で、出会いは『陋巷にあり』という、孔子の最愛の弟子である顔回が主人公の小説だ。もちろん孔子もほかの弟子達も登場する。古代における言葉の力というものをこれほど感じさせてくれる小説はない。全十三巻というこのシリーズの新刊が出るとすぐ読み、次の刊行を待ちわびた。

 

 そのあとにデビュー作の『後宮小説』を読み、『墨攻』、『周公旦』を読み、買っておきながら読まずに積んであった『泣き虫弱虫諸葛孔明』全五冊を最近読み始めたばかりだった。まだまだこの人の本が読めるものと思っていたのになんたることかと思うけれど、もう昔のように夢中になって一気に読めなくなってもいた。ともに残念なことだ。

 

 『墨攻』は、日中韓の合作映画も作られて、もちろん観ている。とても面白い映画だった。

 

 この人の小説は、中国を舞台のファンタジー小説といういわれ方をする。たしかに『泣き虫弱虫諸葛孔明』も史実を軸にしながらかなり奔放に書いている。「ほんとうの孔明は、こんな人じゃなかったと思う」と著者自身が書いている。

 

 中国風の架空の舞台でファンタジー小説を書いている(そうでない本もいろいろ書いているが)仁木英之も好きな作家で、私は中国が好きで(現実のいまの中国は好きとはいいがたいが)ファンタジーが好きなのだ。

 

冥福を祈って合掌。

2023年11月15日 (水)

「漢奸」と英雄の満洲

 ちょっと中断していた、澁谷由里『「漢奸」と英雄の満洲』(講談社選書メチエ)という本を読了した。

 

 著者が本書を書いた本意が、あとがきに記されている。たいへんわかりやすいので以下に引用する。

 

 まず本書全体が意図したのは、歴史における公私領域の一体化した理解、ということである。人間の公的活動は私情に動かされることもあるのだが、前者は記録に残りやすく後者は残りにくいので、その因果関係が従来の歴史学の枠組みだけでは見えてこない。なおかつ歴史は世界・国家情勢、また後世から考えた政治的合理性だけでは理解できない。推測を自制しつつも筆者が試みたのは、個人の私情をふまえた、人間的な近現代史である。近現代史にもこうした内在的理解、人間理解が可能であるとわかれば、日本人における歴史認識のハードルは下がるのではなかろうか。

 

 このような歴史記述の手法は、いままで歴史小説家がしてきたもので、学術的な記述ではひたすら私情の部分は排除される。だから面白くないことも多い。おもしろさは歴史学の目指すところではないとはいえ、そのために見逃している真実もあると思う。

 

 この本では「張作霖と張学良」、「張景恵と張紹紀」、「王永江と王賢湋」、「袁金鎧と袁慶清」、「于沖漢と于静遠」の五組の父子が章立てして取り上げられている。聞いた名前もあり、初めて識る名前もある。親子ともども少なからず満州国に関わった人たちであり、満州国が夢と消えた後の国民党時代、さらに共産党中国という時代に彼らの運命がどうなったのか、極めて興味深い。その動向が明らかなものもあり、行方が定かでない者もある。

 

 彼らの運命は、そのまま近現代の中国を知る一つの窓口でもある。たまたま浅田次郎の、『蒼穹の昴』から『中原の虹』へ連なる一連の中国のシリーズが頭の中に舞台を提供してくれていて、ここに取り上げられた人たちがそこでうごめいている気がした。興味のある人(少ないかも知れない)にはとても興味深く読める本だと思う。

熾火のぬくもり

 無理に引き上げていたテンションが、小旅行から帰ったら反動で大いに下がってしまい、なんだか世の中すべてが悲観的に見えている。しばらくゆっくりしたらネジを巻き直さないといけない。

 

 日本も高度成長期の燃えさかる火が消えてから、その熾火の中でぬくぬくと過ごしてきたように思える。夢をもう一度、と景気浮揚を政治家達はうたいつづけたが、日本全体が熾火の中で楽に暮らしつづけて、新しい火種から火をおこすのを怠ってきた。企業経営者も、火が盛んだったときにアメリカから冷や水を浴びせられつづけた無力感から、また頑張ってもどうせだめだ、という経験が頭にこびりついてしまったというところもあるだろう。

 

 成功体験を語るだけのお年寄りと、熾火の中でぬくぬく生きてきた人たちは、気がついたら自分たちが他の国の人たちよりも貧乏になっていることに気がついてしまったけれど、ではどうしたらいいのか分からない。子どものときから悪いことはすべて他人のせいと教えられ、思い込んできたから、誰かに頼ることしか思いつかない。それを見越しての、なにかあれば金をばらまくという政治家達を許してきた。政治家達のふところから出た金ではない。国民が汗して働いた金を集めてただばらまいているだけで、ばらまいたらとうぜん足らなくなるから税金を上げるだけであることにみんなが気がつきだした。岸田首相はわかりやすいから、それを教えてもらったのである。

 

 熾火もそろそろ消えそうである。これから寒くなりそうだ。

だめだ、こりゃ

 神田副大臣の辞任を受けて、岸田首相が閣議の席で「こういうときだからこそ、一致団結して信頼回復に努めなければならない」と指示を出したそうだ。支持率が下がり続けているから、危機感から語られた言葉だろうと思う。前後に何を言ったのかわからないが、この言葉だけが指示されたとすると、このひとはやはりダメだなと思った。

 

 営業で、売り上げを上げなければならない、とだけ言う上司がいたらそれは指示のようで指示ではない。売り上げを上げなくて良いという選択肢は普通はないのであって、指示というのはそれに従うことで売り上げが上がるような具体的な目標なり、方法、手順、問題点の改善の指摘があって初めて指示である。

 

 信頼回復するにはどうしたらいいと思うか、それをよくよく考えた上の方策を指示しなければ、支持率は上がるわけがないことを岸田首相は分かっていないのかも知れない。ほんとうはみんなに教えてもらいたいのかも知れないが、それも訊くことができないのかも知れない。もし誰かが提案して、それを実行して上手くいかないと、案外こういう人は上手く行かないのを提案した人のせいにしかねないと・・・そこまで人は悪くないか。

 

 岸田首相は、見た目からだけ言えば、悪い人ではなさそうである。そういう人はしばしば正しいことを言う。ここでいう正しいことというのは反論のしようのないことである。「戦争をしてはならない」とか「信頼を回復しなければならない」という言葉に反論の仕様はないだろう。そのためになにをするのか、中身がなければ絵に描いた餅である。

2023年11月14日 (火)

バラバラ

 世界は互いに関係があり、最悪に突き進みそうでもどこかでつなぎ止める力が働いて修復にすすむ、などと、まことに根拠のない楽観的な世界観を持っていた。これは戦後に受けた教育が私の意識の根底にあるからだろう。しかしそのようなつながりが実はほとんどないのではないかと思えてきた。世界はただバラバラなのではないか。そして戦争を体験した人たちは世界には何でもあり得るのだという世界観をもっている人が多くて、最初からもっと悲観的だ。

 

 私の母などが生きていていまの世界情勢を見たら、明日にも大きな戦争が起こるかも知れないと言いそうだ。火事の火の手が一つ二つなら消しようもあるが、あちらでもこちらでも火の手が上がり、さらに新たな火の手が上がりそうなのがいまの世界情勢に見える。もちろん火の手とは戦争である。火事の燃料は怨嗟だ。

 

 大きな力を持っている国の指導者達が、不思議なことにどこも頼りなく見える。つまり火の手を消す消防員の役割を担いそうな人が見当たらない。どんどん火が拡がって収拾がつかなくなり、燃え尽きてしまえばもう燃えなくなる、という状態が妄想の中に見えて来てしまう。

 

 原因と結果を歴史や地政学、経済から読み解く試みがいろいろされて、それらの断片を聞かされてきたが、それらをかき集めても、これからどうなるのだろうか、という予想がまったくつかない。もともと無力であるから、ますます無力感ばかりを感じてしまう。こうなると、とにかく巻き込まれないことを祈るしかない。 
 どんなものも滅びる。宇宙だって熱死という滅亡状態へ向かっているのだという。人間も人類の滅びに向かっているのだろうか。いささかテンションが低くなっていて、ニュースを観ていたら悲観的になってきた。今より良くなるのがむずかしいのなら、せめて悪くならないようにしてくれるとありがたいのだが、それが期待できないから岸田さんの支持率がどんどん低下しているのだろう。この人は格別に頼りなく見えてしまうなあ。そう思う人がますます増えているのは実際に頼りないからなのだろう。

 なんだかこどもの作文みたいになってしまった。いつもそうかも知れない。

最後ではなかった

 眼は左右とも問題なしで、これが最後の診療かと思ったら、三ヶ月後にまた確認の検診をしますとのこと。適正なレンズを装着して視力を測ったら、左右とも1.2が見えた。手術後は1.0だったからすこし良くなった。いま常用している眼鏡はすこし度数が強いので、適正な眼鏡を作る方が良い、とのことで次回にもう一度視力を測り、眼鏡用に診断書を書いてもらうことにした。次回は二月。これで私の今年の病院診察はすべて完了した。

 

 病院の行き帰りは寒いかと思って温かい格好をしていったら、思いのほか汗をかいてしまった。体重が少し増えていたのは、ほとんどが水分だったということだろう。せいぜい汗をかいて水気を抜いて、できればついでに脂肪分もつられて減ってくれるとありがたい。

 

 軽く昼食を摂って午後には妻の病院へ行く。本日はこちらの用事がメインだ。院長の用事はなんだろう。どんな書類を書かされるのだろう。面倒なことでなければ良いのだが。できれば早めの支払いも済ませてしまおうか。公的書類のために必要な診断書は月末しかできないというから、妻との面会はそのときにすることにしようと思う。私の楽観的な想像では、いろいろ病院の不祥事が続いたので、お役所がそれをなくすためと称して面倒な確認書類を病院や患者、そして家族に押し付けてきているからではないかと思うのだが。役人というのは、面倒な負担を押し付けて仕事をしたことにするのが得意だからなあ。偏見でなければ良いが。

 

 マイナカード作成も、あたりまえの人にはどうということでもないけれど、それができない人に対しては七めんどくさいことが申請する本人に代わって行おうとする人に押し付けられそうで、妻のマイナカード作成をしないでいる。そもそもどうしたらいいのかがよくわからない。そういうことに対する想像力がなさ過ぎるのがお役所仕事のような気がする。これも偏見か。

初めて暖房を入れる

  暑さよりは寒さに多少強い。それでも今朝は一段と冷えたので、エアコンの暖房を入れた。まだ炬燵は出していないし、ふだんは暖房はガスファンヒーターなのだが、それもまだ出していない。

 

 今日は午前中に最後の眼科検診。目薬ももう一種類だけしか残っていないので使い切れば点眼も終わる。それが済んだら、午後には妻の病院へ行く。院長から電話があって打ち合わせがしたいから時間をとるように言われたのだ。いま病院は政府の指導で長期入院をしにくくなっていて、転院を薦められるのかと思ったら、そうではなさそうである。でも、わからない。いくつか急いで書類を書いてほしいという。なにが必要なのか少々心配だが、話を聞かなければわからない。

 

 昨晩は具の種類をすこし余分に入れた豚シャブで温まり、今朝はその残り汁でうどんを食べた。数日の間、飲み続けだったので酒は控えた。でも温まったからすぐ入眠し、まあまあよく眠れた。

 

 病院から帰ったら、炬燵を出そうと思う。

2023年11月13日 (月)

くたびれた

 弟の家を朝出発し、我が家に向かった。少し早めに出たので都内通過では混んではいたけれど、それほどひどい渋滞には遭わなかった。ところが用賀を過ぎて東名に入ってから集中工事の箇所が続き、自転車より遅いのろのろ運転になった。海老名を過ぎたあたりでやっと普通に走れるようになった。

 

 そのあと御殿場を過ぎたあたりから雨。次第に激しくフロント硝子にたたきつけるような雨で、トラックの水しぶきで視界が悪い。途中すこし眠気を感じたのでサービスエリアでちょっとだけ仮眠した。もちろん富士山は見えない。

 

 新東名の岡崎東あたりで空は一転して晴れ渡った。名古屋に近づき、豊田ジャンクションを過ぎて東名に移るころからいつものように車の数が増えてくる。あともう少しだと思うから、つい急ぎたくなるところをあわてずスピードを控えて慎重に運転した。

 

 昼過ぎ、早めに我が家に到着したけれど、いつも以上にくたびれた気がする。しばらくなにもする気が起きずにぼんやりする。やはり体力気力の衰えを実感する。無理をしないようにしなければ。すこし片付けて買い出しをして、今晩は小鍋で温まろうと思う。

 

 明日と明後日は用事があり、ゆっくりもしていられない。今日は早く寝よう。

草木ダム

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国道122号線、通称わたらせ街道は、日光から足尾を通り、栃木県から群馬県の大間々へ下っていく。

大間々で東は桐生へ通じ、西は赤城山へ続く。せせらぎ街道は足尾までは神子内川、足尾から先は渡良瀬川となる川に沿っている。その渡良瀬川をせき止めて作られているのが草木ダム。駐車場で樹の間からダム湖を望む。

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展望台があって、そこからダム湖である草木湖を眺めおろす。湖面に雲が映る。

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湖面は静かで、上下対称の不思議な景観を見ることが出来た。

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山を眺めあげる。

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駐車場に観光バスが入り、子供たちがぞろぞろと降りてきた。

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ダムの人が小学生達をダムの中に案内するようである。私も一緒にダムの中に入ってみたい。

このあと友人と会食したことはすでに書いた。翌朝弟の家へ走ったのでこれで今回の旅の報告は終わり。

昨日は弟のところへ妹と、弟の娘の家族が集まってにぎやかに会食した。久しぶりに昼間から酒を飲み、好い気持ちになった。今日はこれから名古屋に帰る。

2023年11月12日 (日)

足尾

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足尾にはこの十年あまり毎年立ち寄っている。日々寂れて歴史が消滅する様を観続けてきた。

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足尾といえば渡良瀬川鉱毒水公害で、古河鉱業と田中正造が思い出される。私が大好きな志賀直哉の祖父もこの足尾銅山に関係している。

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土日祝日しか見学できないのでいつも扉の閉まったところしか見ていない。

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なかなか瀟洒な西洋館らしいので、いつかは見たいと思っている。

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すぐそばに馬頭観音がある。銅山の鉱石を馬が運んでいた時代もあったらしい。

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渡良瀬川にかかるむかしの橋。いまも人は渡れる。

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以前はこういう社宅がたくさんあった。以前はテレビの音などが聞こえていたけれど、いまは静かなので誰も住んでいないのだろう。

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こうやってつぎつぎに社宅は片付けられているようだ。

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車を置いた場所のそばには最後の紅葉が見られた。

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河原まで降りて橋を見上げる。

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わたらせ渓谷鉄道が停まっていた。足尾の駅はすぐそばだ。

旧道で足尾の街中を通ったら、猿が道路を悠々と横切り、人家の境の塀の上を歩いて行った。もう棲み分けはなくなっている気配であった。

湯の湖

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湯の湖の湖畔の駐車場に車を置いて散策する。雨が一時的に止んだ。

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ほとんどの落葉樹は木の葉を落としていたがそれでもこういう紅葉の残り物もある。

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赤い実をたくさんつけて、遠くから見るとまるで紅葉の散り残りのように見えた。

雨がまた降り出した。

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青空だったら湖面ももっと美しいのだが。

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初夏などはボートが沢山でて、釣りをするのを見ることが出来る。

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もうシーズンも終わりで、静かだ。このあと女性三人組に、遊歩道から湯滝に行く道を尋ねられた。私は歩いたことはないが、行った人の話を知っていたので彼女たちの見ていた地図と実際の遊歩道の場所を伝えた。元気そうな女性たちだ。雨に降られなければ良いが。

金精峠を越えて

老神温泉から国道120号線を片品方向へ向かい、金精峠を超えて奥日光へ行く。あいにくの雨模様で、暗い。

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前日リンゴを買ってあったが、ここで買い足す。

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金精峠を越えてすこし降りたところに展望のきくところがあったはずだが、見当たらない。以前工事をしていたから、拡幅されて車が停められなくなったのかも知れない。さらに下ってから停められるところがあったので停めたが、木々があって眺望がきかない。湯の湖と男体山。

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こんな風景がちょっと好い。

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男体山。湯の湖まで行くと見えなくなる。

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見上げれば木の間越しに金精山。

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さらに下ったところ。湯の湖が近い。カメラが濡れないようにタオルでくるみ、撮るときだけタオルから出す。暗い。

これから湯の湖を見に行く。

今朝方、ちょっと気味の悪い夢を見た。特に体調が悪い事もないのだが疲れているのだろうか。弟と昨夜は控えめに飲んだ。弟が北海道産のゲンゲを買ってくれていた。とてつもなく大きい。煮付けで食べたが、たしかにゼラチン質のぷるぷるで、ゲンゲの味がしたが、あまりに大きい。違う種類の深海魚だろうか。

今日は妹もやってくる。今月末に名古屋を拠点にどこかへ行く計画を立てる予定。

2023年11月11日 (土)

千葉にいる

昨晩の酒が残って二日酔い気味だったので、朝はチェックアウトギリギリまで休んでから出発した。

北関東自動車道に乗り、そのあと東北道を走る。東京に近づくにつれて、反対方向の下りは所々渋滞していたが、上りはまったく渋滞もなく気持ちよく走れた。川口から外環状線を走れば、いまは高谷ジャンクションまで一気に行くことができる。そこから東関東道に移れば弟の家まで遠くない。

昼過ぎには到着して、弟夫婦と歓談する。

土産に老神温泉の近くで買ったリンゴと、髙山の地酒その他を持参した。これでユックリさせてもらってご馳走と酒をいただくのだから申し訳ないようである。

さあこれから今晩も酒盛りだ。

八ッ場ダム

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八ッ場ダムの横からダム湖を見る。向こうに架かる橋は八ッ場大橋で、対岸はダム建設で移転した川原湯温泉郷。移転前の川原湯には泊まったことがある。

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こんな展望台がある。

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八ッ場ダム。建設中の時に見たときはとてつもなく大きなダムに見えた。

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湖面に逆光が燦めく。

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ダムの上にはけっこう人がいた。

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のぞき込む。轟音が聞こえる。

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放流中ということであった。

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水煙が凄い。迫力満点である。

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水が美しい。

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こんな風に水が噴き出している。

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紅葉の盛りはすでに終わり、山は枯れ葉色になっている。

二杯余分

 綸言汗の如し、といわれる。皇帝は無謬であるからその言葉は絶対的に正しく、訂正ができない、という意味だ。私は皇帝ではないし無謬でもないが、発した言葉、人に聞かれた言葉はなかったことにできない。聞いていないようで必ず人は聞いていて、しかもおぼえているものだ。だから酒を飲んで好い調子で喋るのはたいがいにしておかないとならない。

 

 昨晩友人となじみの店で美味しい酒を飲んだ。いつも飲み過ぎるししゃべりすぎるので、酒は控えめに、そしてすこしは人の話を聞くように、と気をつけていた。しかし聞き上手の友人が横にいて、前には美女三人がいて、いろいろな話題を楽しげに話しているのでつい自分もその中に加わりたくなる。気がつくといつものように格好をつけた言葉を発している。酒を控えるつもりでいても、飲むペースというのは変えられないもので、すぐグラスが空になる。友人がめざとく気がついて、もっと飲めとそそのかす。

 

 気がつけばいつものようにいらぬことを喋り散らし、冷酒をすくなくとも二杯ほど余分に飲んでしまった。もっと飲み過ぎたかも知れない。酒は恐ろしい。そして友人や美人と飲む酒はうますぎる。

2023年11月10日 (金)

あがつま湖

あがつま湖は八ッ場ダムのダム湖である。そのほとりに八ッ場ふるさと館という道の駅がある。すぐ横にダム湖を跨ぐ不動大橋が架かっている。向こう岸へ行けば不動大滝を見ることが出来るらしい。Ⅰキロ足らずのようだが、滝までは行かなかった。

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ダム湖と紅葉。

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湖岸を臨む。

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ダム湖に沈んだ木々が立ち枯れている。

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この橋まで行ってみる。

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橋の上からの眺望。

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すこしアップする。

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ここから近い、妙義山のような岩山。粘性の高い溶岩でできているのだろう。

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湖面が美しい。

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このあと八ッ場ダムそのものを見に行く。

瀬戸の大滝

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道路のすぐ横に滝が流れ落ちているのが見えた。

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車を停めて見に行く。右手の崖の間で、ここからは見えない。

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水量はそれほどでもないが、なかなか美しい。

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眺めていたらすこし虹らしきものが見えた。

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たしかに虹なのだがはっきりしない。

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これが精一杯。

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滝の全体。落差60メートルというからそこそこだ。

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落下口を見上げる。瀬戸というのはもともとは背戸だったらしい。背戸は家の裏手とか集落の裏手という意味だそうだ。

このあと八ッ場ダムを見に行く。

嬬恋迷走

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嬬恋の、国道145号線を東に向かって走る途中に、田代湖という湖があるようなので、湖畔で休憩しようと脇道に入った。ナビでは林のすぐ脇に湖があるはずなのだが、まったく見えない。湖よりもだいぶ高いところを走っているようだ。からまつはほとんど落ち葉になったあとだ。

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開けたところに出たが、何にもない。

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こういう道が延々と続き、どちらを向いているのか分からないので見えている山がなんという山かもわからない。

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高原の農地の中を走っているようだ。

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嬬恋キャベツは有名だ。収穫が終わったあとのようだ。畑の脇でぼんやりする。

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湖に出られそうもないのでもと来た道を引き返す。湖の東側を走ったけれど、西側を回れば湖に出られそうだ。しかしもう行く気がなくなった。こういうことはしばしばある。訪ねそびれるというのも一つの置き土産か、などと負け惜しみを言う。

2023年11月 9日 (木)

姨捨から

早起きしたのに出発が七時前になってしまった。残り物を無理した平らげたためか、腹が緩くなって、文字通りふんぎりがつかなかったのだ。小牧から東名に乗り、すぐに小牧ジャンクションで中央道へ移る。トラックが多いうえにいま集中工事中なので一車線のところが多く、スピードが出ない。岡谷ジャンクションでこんどは長野道を走る。車は快調。姨捨(おばすで)SAで休憩。

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姨捨のサービスエリアは標高616メートル。

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霞んでいるけれど天気は好い。

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見晴台の写真と比べる。

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長野の街。

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ここは「田毎の月」の棚田で有名なところである。また鉄道の日本三大車窓のひとつとしても有名。外気温14℃だったが、日差しがあるので快適。

更埴ジャンクションでこんどは上信越道に移り、上田菅平インターで高速を降りる。ここから北上。菅平口からは鳥居峠を越えて嬬恋方向ー向かう。急カーブで急坂の道だ。

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途中で山がきれいだったので撮る。

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反対側の足元は渓流。田代湖というところに立ち寄ることにする。

このブログは

 このブログは出発前に書いた。今日は長野回りで北関東へ走る。天気はこれから下り坂らしい。長野から北関東への紅葉をすこしくらい見られるかと思っているがどうだろうか。今晩はなじみの老神温泉。老神温泉は、母が親友と来ていたところで、母の希望もあって生前は何度か連れてきたところだ。当時は家族風呂がいくつもある小さい民宿温泉のようなところで一緒に風呂に入った。一緒に入っていても目を離すとあぶない。きわどいこともあった。

 

 いまはその宿ではなくて、朝夕がバイキングのホテルに泊まる。ビールも酒も飲み放題であるから、ありがたい。食事はそれなりである。バイキングの食事会場はさまざまな人がいろいろな姿を見せてくれるので、それを眺める楽しみがある。昔のようにたくさん飲んでたくさん食べることはできないので、宿は持ち出しではないはずだ。こちらも元を取ろうという気はなくなっている。

 

 翌日は古くからの友人と飲みながら歓談する予定である。なじみの店で気心の知れた人たちと飲む。至福の時間である。もうバカ酒は飲めないから、調子に乗らないように注意したいと思っている。

中国近代史の断片

 西安郊外の華清池は唐の時代の皇帝の避寒地であり、白居易の『長恨歌』に

 

 春寒うして浴を賜う 華清の池、
 温泉 水滑らかにして 凝脂を洗う
 
と歌われた、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場所である。

1010-184 華清池にある小さな高楼、湯上がりに涼みながら楊貴妃が月を眺めたかも知れない

 そして同時にここは、蒋介石を張学良(張作霖の息子)が拉致した「西安事件」の場所でもある。これによって国民党と共産軍が協同して日本と戦うという国共合作がなり、日本は中国大陸での野望が頓挫することとなる。

0403124_20231108105201 蒋介石かひそんでいた場所の窓硝子に残る、そのときに撃ち込まれた拳銃の弾孔

 東北を支配していた張作霖が関東軍によって爆殺され、日本の中国での権益拡大の弊害を取り除いたはずが、まったく裏目に出たのだ。もともとの無理があったところに目先だけしか見えない行動の積み重ねが日本を泥沼に落とし込んでいく。

 

 浅田次郎の『中原の虹』全四冊の半分は主に張学良に関するものである。その張学良が百歳まで台湾で生きたことを知った。いま読んでいる澁谷由里『「漢奸」と英雄の満洲』(講談社選書メチエ)による。この本の帯には、その浅田次郎が賛辞を寄せている。

 

 満洲国に関わった五組の親子二代の人物が取り上げられ、満洲国とはどんなものだったのか、同時に中国の近現代史とはどんなものだったのかが人物の運命とともに読み取れるようになっている。

 

 中国共産党一党独裁の現代中国がどのように建国されたのか、その原点を知るためには中国近代史を知らなければならない。それは同時に日本の歴史とも大きく重なる時代でもある。読みやすい陳舜臣の『中国近現代史』は残念ながら四巻のみで未完である。いろいろな本で断片的に読んでいるが、私の頭の中では全体がきちんと配列されていない。今回読んでいる本はそういう意味でそのつなぎになりそうだ。

2023年11月 8日 (水)

イギリスから来た男

 『イギリスから来た男』は1999年のアメリカ映画。スティーヴン・ソダーバーグ監督、主演はテレンス・スタンプである。刑務所に収監中に娘の死の知らせを受け、出所して死の真相を知るためにイギリスからロサンゼルスにやってくる。

 

 娘はすでに交通事故による死亡として処理されているが、酒を飲み、しかも麻薬も摂取しての事故というのが男には納得できない。彼自身は放埒な人生を送り、刑務所に服役を繰り返してきた男だが、娘はそのような父親を少女のころから激しくいさめつづけてきた。そういう娘だからついには愛想をつかせてアメリカに移り住んだのだ。そんな娘が飲酒運転や麻薬摂取などあり得ない。

 

 そうして彼は、娘が交際していた有名な音楽プロデューサーにたどり着く。演じているのはピーター・フォンダ。彼が娘の死に関係していることを確信した男は、行動を開始する。

 

 フラッシュバックが多用され、シーンが細かくカットされて、さらに台詞も繰り返されたりする。普通の、ストーリーを追うだけの映画ではなく、ちょっとしゃれた前衛的なスタイルの映画で、映像もなかなか好い。こういう映画は嫌いではない。高いレンガの壁の前を男が通り過ぎるシーン(繰り返しあらわれる・刑務所の壁の象徴か)に『バクダッド・カフェ』という映画を思い出した。

 

 何よりテレンス・スタンプが絶品である。じっと見つめる眼。寡黙でほとんど表情が変わらない。今回は、私の好きなクリストファー・ウォーケンにちょっと似て見えた。その男の中でなにが燃えているのか、それがいくつも挿入される説明のない回想シーンで観ているこちらに次第に伝わってくる。男の若いときのシーンは、テレンス・スタンプ自身の出演した映画の過去の映像が効果的に使われている。テレンス・スタンプを初めて観たのはパゾリーニの『テオレマ』という映画で、これは忘れがたい。それ以来ずいぶんたくさん彼の出演した映画を観てきた。

 

 テレビでは決してこういう作品は作れない。映画の素晴らしさを実感する。といいながらテレビで録画を観ているのだけれど。

気持ちが好いので

 今日は快晴の秋空。窓を開け放って空気を入れ換え、洗濯日和なので洗濯し、トイレ掃除をし、流しを磨き上げた。午後は泌尿器科の定期検診だ。以前は病院まで往復で五千歩くらいあって好い散歩でもあったが、いまは四千五百歩にも満たない。歩幅が大きくなっているのだ。歩数を稼ぐために、帰りはすこし回り道をしようか。

 

 切り取って挿しておいた植木鉢のネギは大半が順調に伸びて新芽も出ている。朝顔も本葉が大きく開いている。ニラはまだ本来の元気がないが、いまにジャングルのように繁茂するだろう。鉢受けの皿に水がたまるのでこまめに捨てる。もう季節からいって蚊の繁殖はないと思うが念のためであり、習慣づけである。これから季節は冬に向かう。朝顔は小さくても、そして一輪でも花が咲くと好いのだが無理か。なんだかわからない芽もいくつか伸びている。バジルの種の残りか性の強い松葉ボタンの生き残りか。

 

 こういう快適な日がもっと長く続くと嬉しいのだが、ちょうど好い陽気の期間というのはまことに短い。人生も似たようなものか。好い時期はまことに短くはかない。それに季節は繰り返しめぐるが、人生は一度きりだ。替わりに本や映画で別の人生の切れ端を疑似体験している。

先ず隗より始めよ

 首相や閣僚を含む国家公務員特別職の給与を増額する法案が提出されることに対して、野党が反対を表明したそうだ。この法案は、一般職の国家公務員の給与増額に伴うものだという。

 

 世界にはこういう特別職の仕事に対して極めて低い報酬しかない国もあるし、もっと高額のところもあって、それぞれにそれなりの理由があるようだ。観念的には、低い報酬でボランティア的にするものであるのが理想であるように思われるだろうが、その責任の重さを考えれば高額であっても目くじらを立てなくて好いではないかという気もする。

 

 公務員はまじめにやるとかなり仕事がハードだとわかってきたのか、いまは有能な人はもっと高い給与の方に就職してしまうようになっているという。天下りや手厚い退職金が問題視されて、公務員として頑張るインセンティブが少なくなったのだろう。

 

 物価高で庶民が苦しんでいるのに、お手盛りで給料を上げるとはなにごとか、と野党は反対しているらしい。たしかにお手盛りはいかがかと思うが、それが常識を越えたものなのかどうかがわからない。野党はたぶん上げるどころか下げるべきだ、といいたいのだろう。ケチくさいなあ。

 

 先ず隗より始めよ、という。給料をあげろ、と企業経営者に頼むのなら、公務員の給料をまず上げるというのは、手順としてあって好いと私は思う。その代わりその給与に見合う分の仕事はしてもらうということだ。特別職も同様だろう。野党がその仕事に見合う仕事もしていないのに給与を上げるなど言語道断、というのなら、わからないことはない。

 

 しかしどうも自分がもらえないから嫉妬で反対している部分や、国民のそういう気持ちを代弁したつもりの反対にもみえる。

2023年11月 7日 (火)

映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

 2018年のイギリス・アメリカ映画。ファンタスティック・ビーストシリーズは『ハリーポッター』シリーズのスピンオフであり、五部作となる予定だそうで、今回観たのは第二部にあたる。第一部はだいぶ前に観た。少し前に第三部がWOWOWで放映されたので、それを観る前に第二部を観ておこうと思ったのだ。第四部(来年制作予定らしい)と第五部はまだ制作されていない。もちろん私は『ハリー・ポッター』シリーズはすべて観ている。

 

 ハリー・ポッターよりも時代がだいぶ前(70年前)に遡っている。後にホグワーツ魔法学校の校長となるダンブルドアがまだ若い。見覚えのある顔なのでよく観たらジュード・ロウであった。そして宿敵となるグリンデンバルドはジョニー・デップが演じている。本来は能力が互角のダンブルドアがグリンデンバルドと戦わなければならないのだが、それができないわけがこの第二部ですこしだけ明かされる。そのために魔法動物使いである主人公のニュート(エディ・レッドメイン)が活躍しなければならないのである。

 

 例によって尻切れトンボで第三部の『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』へと引き継がれていく。養老孟司はファンタジー物語が好きでよく読んでいるけれど、しばしばこういう話は長いのが難だ、とぼやいている。それでも十年がかりで十冊とか二十冊という本を読み続けるのだからよほど好きなのだろう。だから五部作の映画なんてどうということはないのだ。第三部をいつ見ようかな。

虫歯ではなかった

 昨晩から未明にかけて雨風が強く、北側の部屋の寝室の外側の、工事用の足場がギシギシ鳴るのが聞こえた。幸い今朝になって雨風とも治まった。歯の痛みは昨日昼ころからあまり感じられなくなって、これで歯医者へ行くのは早計だったかと思い出していたら、未明に疼痛がして、そのことでほっとしたりした。

 

 朝、歯医者へ行く。私の説明を聞いた医師は歯を診て、これは虫歯ではありません、知覚過敏による痛みです、とのこと。かみ合わせが少しずつ狂っているために痛みのある歯に強い圧力がかかって神経に触り、痛みを起こさせているらしい。ということでその歯を削り、研磨してそのあと濃厚フッ素を塗ってもらった。

 

 すでに神経まで皮一枚なので、またひどい痛みが起きるようなら神経をとらなければなりませんが、歯の延命のためには神経はとりたくないですね、と先生はいう。一か月後に経過を見て判断しましょう、ということで来月初めにふたたび診察する。

 

 そうか、夜中に歯が痛かったのは歯を食いしばっていたために圧力がかかって神経に触っていたのだ。そうしてリンゴなどの酸味のあるものを食べたりするから知覚過敏が起きていたのだ。虫歯だと顎下のリンパ腺が腫れて熱をもったりするけれど、そういうこともなかった。虫歯ではなくて知覚過敏だとわかれば対処のしようもある。治療に通う必要もなく、安心して出かけることができるとわかってほっとした。

ビーチホテル

 北欧サスペンスドラマ『ビーチホテル』(2022年スウェーデン・ノルウェー)全八話を二日かけて観た。
北欧のミステリーは大好きだから期待して観始めたが、なかなか話が進展しない。家族関係が丁寧すぎるほどに描かれていくのでそれについてはとてもよくわかったのだが、山場らしい山場が少なくて、思わせぶりな伏線がどんどん積み重ねられていくばかりですこしイライラする。

 

 海岸にある二つのホテルのオーナーには昔からの確執があって、その片方のオーナーの祝賀会に呼ばれたもうひとつのホテルのオーナーが会場で急死する。もともと心臓に持病があったのだが、死因はその薬の過剰摂取によるものと判明する。そして警察は捜査の結果(というほど捜査もしないのだが)犯罪性なしと判断する。

 

 両方のホテルの家族は微妙に人間関係が入り乱れていて、複雑なのである。さらに撹乱要因になる人物が何組か、意外と重要な役割で関連してきて、なにが起こるのかと興味が湧き出すのが四話目以降くらいか。そこで途中から行方不明になっていた女性が水死体で発見される。しかし警察はなにをしているのやら、のんびりしていてちっとも真剣に捜査している気配がない。かえって外部からの情報がもたらされて初めて聞き込みをはじめる始末で、そんなことくらい警察は自分で調べろよ、といいたくなったりする。

 

 例によって人と人とが目と目を見つめ合っただけでたちまち肉体関係に陥ったりするのは北欧ドラマの定番で、相手に婚約者がいたり、特定の恋人がいるのを承知でどんどんそういう関係が起こっていく。性的な快感を求めるのはかまわないが、それが見え見えであれば傷つく人間がいることがわからないのだろうか、などと考えてしまう。彼らは鈍感なのだろうか。逆にとても敏感で感情的にも見えるから不思議だ。それでも本来の関係にすぐ戻れそうになったりまた裏切ったりと忙しい。私の勝手でしょ!という生き方はけっこうしんどいと思うのだけどなあ。

 

 さすがに七話目くらいから伏線の回収がはじまり、最終回の八話目ですべてが明らかになって、と期待して観ていたら、突然お話は終わってしまった。ほとんどなにも解決しないで終わったのである。そんな馬鹿なことはないので、とうぜんつづきがあるということであろう。参ったなあ、続編が放映されたら観るべきかやめておくべきか、悩ましい。暇ではあるし、このドラマ自体におもしろさもあるのだが・・・。

2023年11月 6日 (月)

人混みを避ける

 むかしはそれほどでもなかったけれど、いまは混雑しているところへ出かけるのが嫌いである。乗り物の混雑がいやだし、行列する、なんていうのもいやだ。祭りでも紅葉でも一ばん好い時期に見ようと思えば混雑に出会うことになる。だから紅葉などは朝早くに出かけて、人が集まりだしたころには引き上げるという見方をしている。

 

 今年のハロウィンは渋谷だけではなく、どこも大混雑のバカ騒ぎがなくて、だから目立った事件がなかったようで幸いであった。混雑が混雑を呼ぶ、というのは、その混雑を見てきた、と人に言うのがすこし晴れがましいというところにもあるように思える。話題のものを見たと自慢したいのだろう。つまり混雑を生んでいるのは自分自身でもある。

 

 思わぬところに人が集中してしまい、それによって悲惨な事故になる例を見せられている。もともと混雑が嫌いだからますます混雑するところへは行きたいと思わなくなってきた。だから人のひしめく祭りや観光地を見る機会がほとんどなくなった。別にそれで何の不都合もない。中国の観光地で観光客がひしめいている様を見ると、ああ、あそこも行った、ここにも行った、と思い出しながら、その頃はあそこまで混雑していなかったから、好いときに行ってよかったなあと思ったりしている。

 

 外国人観光客が増えてきたのを実感していたので数年前から京都めぐりはやめている。バスを利用して移動することが多かったから、渋滞による混雑で時間が無駄になるのがいやになったのだ。代わりに二三年、奈良をすこし歩いた。これからは滋賀県をすこし重点的に歩こうと思う。インバウンドも好いけれど、混雑はかなわない。

そろそろという矢先に

 マンションの修繕工事でとじこめられていて、足場が目の前に組まれていたのでベランダへの出入り自由だから不用心でもあるので長い外泊は控えざるを得ない日々が半年以上続いていた。ようやく南面のベランダ側の足場が取り外されて明るくなったところで、久しぶりに北関東の友だちを訪ね、そのあとその足で千葉の弟のところも回って酒を酌み交わそうと思い立ち、宿を予約したり弟に連絡したりして予定を立てた。

 

 今週泌尿器科の定期検診があるので、それが済んだら週の後半に行くつもりなのだが、そろそろという矢先に歯が疼きだした。未だ激しい痛みではなくて、忘れていられる程度なのだが、少しずつ痛みが増す気配がある。出かけた先で痛みがひどくなったらたいへんなので歯医者に予約を入れた。今日は満杯で、もしいっても長く待ちそうだが、明日の朝一番に空きがあってそれならユックリ治療できるという。明朝八時の予約である。それで頼んだ。

 

 そうこうしていたら、玄関外の壁面や天井の塗り替えをしたために、玄関扉の塗装も一部塗り替えが必要で、来週初めに我が家の塗装を予定していると連絡のチラシが入った。ドアの内側も塗り直すところがあるというので、在宅しなければならないが、その日はまだ帰っていない。もう出かける予定を立てたので、変更の依頼をした。なんだか出かける気持ちモードにはいったところに水を差された気分がする。そう言えば妻の医療費補助のための書類更新をする必要があって、もうそろそろ病院で診断書をもらう必要もある。頼んではあるのだが、できたという連絡がない。

 

 出かける前にきちんと片付けられると好いけれどなあ。 

揚げ足とり

 私には人の言葉尻を捉えて皮肉を言う癖があった。母親はそれをひどく嫌がったから、次第に気をつけるようになったが、本質は変わらない。面白いことに自分がそうであるのに、他人がそうだと激しく腹が立つもので、ほとんど人が気づかないときにも、それを敏感に感じてイライラしたりする。

 

 いまの世の中は、皮肉屋の私よりも強力な揚げ足とりがたくさんひしめいていて、誰かの言葉にいちいち難癖をつける。とても私はかなわない。いまの時代はレトリックというのが通用しない時代のようだ。それは正義の時代で、同時に無教養の時代でもある。ああ、また言葉尻を捉えられそうだ。

2023年11月 5日 (日)

リスキリング

 社会が必要とする仕事の重要度は時代とともに変わる。そこに配置される人間は時代の変化にしばしば追いつかず、不要なところに多く、必要なところに少なくしか配置されない事態となる。その時代の変化がますます早くなっているうえに少子高齢化が進んでいるから、アンバランスも大きくなっているようだ。

 

 政府はそのアンバランス解消を進めようと呼びかけている。そのためには異業種への転職が必要であるから、そのための能力を持たせるためにリスキリングの仕組みを作っていくのだという。仕事に必要な技能を学び直して新しい仕事にむくような人材育成をするということらしい。

 

 まことにもっともなことで反対するつもりはないが、万人とはいわないものの、リスキリングをしようと思う人がどれだけいるのか大いに疑問に思っている。必要な人が必要なだけの数、リスキリングをすると期待するのは大いに空想的なのではないか。積極的にリスキリングするような人はたいていほんの一握りで、彼らが社会を支えていることは間違いないが、大多数は時代の趨勢に流されていくことしか出来ないものだ。

 

 それなら人の足りない場所の給与を不必要なところより高くしていく方がはるかに良いのではないか。むかしはひとりでにそうなったものだが、どういうわけか世界一社会主義国である日本では、それがスムーズに行われないから渋滞が起こるのではないか。たとえば補助金を出すからとして管理介入をしている介護や保育の現場では、料金の上限を決めていて料金を上げることを許さないから必然的にそこで働く人の給与は上がらない。給料が上がらなければ有能な人ほどどんどんやめていくし、ほかでは使い物にならなかったような人が安易にその仕事に就くことになって問題が頻発してしまう。規制の厳しいところほど不思議なことにブラック企業が入り込む。競争原理がはたらかないからだ。さまざまな報道がそれを裏書きしているではないか。

 

 監督官庁が補助金を権益のようにつかみつづける仕組みに、なにか本質的な問題があるような気がしている。なんでも規制撤廃、などとは思わないが、時代の変化への対応を妨げているのはそういうところにあるのではないか。リスキリングより優先することがあるような気がするので、このわかりにくい言葉でお茶を濁そうとしか聞こえないのだ。リスキリングという言葉が好きではない。

地図を貼る

 トイレの、座ったときの左側面に長いこと中国の大きな地図を貼っていた。中国語の簡体字による地名表記、そしてその読み方がカタカナで書かれていた。たいていはわたしにも日本式の地名と照合できる。そうして中国の主な地名を中国式にどう言うのかおぼえた。その地図もずいぶんくたびれたし、中国にはもう行かない、と決めた後に剥がした。そのあとは分県地図を貼っている。これから旅に行きたいとか、いってきたという場所の地図を貼っている。少し前は島根県や岡山県、そのあと富山県、いままでは福井県を貼っていた。滋賀県、岐阜県、京都の位置関係を見ることが出来たが、こんどは滋賀県に貼り替えたところである。

 

 一昨年くらいから、二三ヶ月に一度近江を訪ねている。きっかけは梨木香歩の『冬虫夏草』という本で、そこで愛知川沿いに遡って、本で読んだ地名の場所を歩いた。そこで目についた湖東三山も一寺づつ拝観に行った。そうしてそれほど遠方ではないのに、琵琶湖以外はほとんど知らなかったが興味深いところであることを知った。神社や寺を中心に地図で見て興味を持ったところを調べて愛車で走り回る。コロナ禍で思うほど行けていないけれど、あらためて地図を丁寧になぞると、見たいところがたくさんある。これらはみな日帰りで行けるところがありがたい。

 

 次はどこを訪ねようか。湖南三山あたりか。前回歩かなかった、初冬の朽木宿を歩くことにしようか。

RRR

 『RRR』は2022年のインド映画。ド派手なテレビCMでその一端を見た人も多いだろう。正直インド映画の絢爛豪華、歌と踊りが入ったにぎやかさはあまり私の好みに合わないと思っていた。しかもむやみに長い。この『RRR』も三時間である。

 

 ところがこの映画を観ながら元気になった。いつのまにか、かすかではあるか、踊りに合わせてからだが動いてしまう。盛りだくさんな内容が怒濤のように押し寄せてきて、押し切られてしまい、三時間があっという間であった。インド映画恐るべし。とにかく完成度が高い傑作映画だった。

 

 20世紀初頭のイギリス統治にあえぐインド民衆が立ち上がるまでの虐げられた様子が描かれていて、統治していたイギリス人の暴虐ぶりもふんだんに描かれている。踏まれても蹴られても立ち上がる姿に、インド人は疲れを知らず、不死身だと思わされる。面白かった。それはこの作品の手柄だろう。別の映画の時は最後まで見られなかったから。

2023年11月 4日 (土)

効率性

 集中して本を読めば、それほどむずかしい本でなければ一時間に80ページから100ページ読むことができる。読書に充てる時間を一日四五時間取れさえすれば毎日一冊は読める勘定になるが、たとえそれ以上に時間があってもせいぜい二日に一冊くらいしか読めるものではない。同様に時間もあり、映画やドラマが好きでも、一日四時間も五時間もテレビを観ていることは出来ない。

 

 リタイアして年金暮らしなら時間はたっぷりあるのだが、それでも好きなことですらそれほど効率よく時間が使えないものだ。それならほかの時間はどうしているのか。雑用があるといっても知れているので、たいていはぼんやりしている。人生なんてそんなものだと思っている。

 

 営業だった現役時代を思い出しても、立てた一日の行動スケジュールをすべてこなせたことはまずなかった。ではそれほど密なスケジュールだったかといえば、けっこうスカスカだったのだ。人間の生産性なんてこんなものだと自ら笑っていた。有能と無能の差なんてわずかな積み重ねの違いだけだったような気もする。

 

 世の中はIT時代になって、生産性向上、効率性重視がますますすすんでいるらしい。ゆとりのようなものがどんどんそぎ落とされていったときに、果たして本当に生産性は上がるのだろうか、と疑問を持っている。労働意欲というのは管理すればあがるというものではない。そして労働意欲が高められたとき人間はより能力を発揮するものだ。スポーツだってそうだと思う。

 

 日本の生産性が低いとか、以前より落ちている、などといわれるのは、管理主義がすすんだ結果ではないかなどと、もともと怠け者の私は考えてしまう。お隣の中国では日本よりも管理主義が徹底されていくことで生産性は上がるか下がるか、それが見物だと思う。  
 器械での監視や管理がすすむことが進歩発展なのかどうか、人間の生きやすさから見れば明らかに悪い方向に向かっているのではないか。

『西の魔女が死んだ』

 『西の魔女が死んだ』は梨木香歩の同名の小説を原作とした2008年の日本映画。不登校を決断した少女が、山中で独り暮らしをしている祖母の元で過ごした一夏の経験が描かれる。祖母は若くして独りでイギリスから日本に英語教師としてやってきた。そして同じ学校の教師だった祖父と結ばれた。その娘が少女の母である。

 

 冒頭ではその夏の二年後、祖母の危篤の報を受けて、母と車で祖母の元へ向かう少女の姿から描かれる。その車中でその夏の体験が回想されていく。

 

 端正で毅然とした英国人の祖母は、祖父の死後も独りで自然の中で暮らしている。都会ではなく自然の中での山の暮らしを愛しているのである。少女はあるきっかけから密かに祖母を魔女だと信じ、自分も魔法を使えるようになりたいと思う。そして魔女になるための修行がはじまる。それはあたりまえの日常を自ら前向きに、自分の仕事として生きるということだった。多感な少女は自分自身を見つめ直し、自然を見つめ直していく。

 

 やがて祖母の元を去らなければならないときが来る。哀しいことにそのタイミングで祖母と少女は衝突してしまう。きちんとした別れの言葉、祖母からもらった愛情への感謝の言葉を伝えることなく二人は別れ、二度と少女は祖母の元を尋ねることがなかった。

 

 人生にはかけがえのない時間があり、そして取り返しのつかない後悔があり、それらを体験することで成長する。そういうことを、美しい自然と祖母と少女とのやりとりから静かに教えられる至福の時間をこの映画はもたらしてくれる。祖母役のサチ・パーカーがとにかくすばらしい。

 

 梨木香歩は大好きな作家で、小説もエッセイも含めて十冊以上読んできた。もちろん梨木香歩のデビュー作であるこの『西の魔女が死んだ』も読んでいる。梨木香歩に出会ったのは、『家守綺譚』という小説で・・・などと語り出すとキリがないほどの思いが溢れて止まらなくなるのでこれまでとする。

 

 祖母は寂しかっただろうか。寂しかっただろうが、同時に少女が自分の人生に正面から向かう力を得たことを信じ、愛し続けることで静かに微笑みながら二人で過ごした日々を懐かしんでいただろう。二人で過ごせたことこそが彼女の宝物だったのだから。

 

 私も、可愛がってくれた母方の祖父母に、おとなになってからめったに会いに行くことがなかった。そのことがずっと悔やまれていたけれど、たぶん祖父母は私が元気でいることをただ喜んでくれていただろうと、いまは思えるようになっている。私もそう思っているから。

2023年11月 3日 (金)

流しで洗い物をしながら

 食事後の調理器具や食器の洗い物はなるべく早めにするように心がけている。放置すると億劫な気持ちが固定化するからだ。とはいえ独り暮らしだし、いくつも料理をするわけではないから、たいてい洗うものは十点くらいのものだ。十分とかかからずに済む。よほど大人数でなければ、それが二倍三倍程度だし、取りかかれば手間はあまり変わらない。

 

 食器の片付けをしなくていいからとパックのままで出す、とか、甚だしいのはそもそも料理をしないで外食だけで済ます、などというのを聞くと、どれほど料理や後片付けがたいへんな作業だと思われているのかと首を傾げる。そう言えば、夏木マリという人は嫌いではないけれど、あの『ウーバーイーツで好いんじゃない』というCMは嫌いだ。せっかく食事の支度をしようとするのをとどめて出前の取り寄せを勧めるというのが、さも姑の優しさみたいに思わせているつもりかも知れないけれど、私はそう受け取れない。

 

 それぞれの人にそれぞれの役割があって、それを固定化しろとはいわないけれど、誰かがしなければならないなら自分がするしかないか、と引き受ける人が好きで、それを、誰かがしなければならないとしても、なんで私がそれをしなければならないのか、という考えは嫌いだ。大げさに言えば、どうも日本の衰退の根底にそんな考えの人が普通になったらしいことがあるような気がする。すべきことを引き受けるのも責任をとるのもすべて自分以外の人、というのも情けない。私は横着者だから、面倒なことはきらいだが、しなければならないときはするしかないと思ってそうしてきた。

『椿三十郎(2007)』

 黒澤明監督、三船敏郎主演の『椿三十郎』とほぼ同じ脚本で、森田芳光監督、織田裕二主演で再映画化した。同じ台本だから配役の違いが際立つことになる。どうしたって黒澤作品と比較されることになる。比較すれば多少辛口になるのは致し方ないところで、やはりできあがりには雲泥の差がある。何より殺陣の迫力が、三船敏郎と織田裕二では違いすぎる。刀の重みと凶暴性がまるで違うのだ。織田裕二の揮う刀は竹光のように軽く見えてしまう。

 

 だからといってこの映画が面白くないわけではない。格が違うというだけで、これだけ見れば良くできている。若侍たちの筆頭格は松山ケンイチで、これは合格。黒澤作品では加山雄三だった。若侍たちの中に鈴木亮平がいて、ほとんど台詞を与えられていないのが当時の彼のポジションを思わせる。それでも一生懸命演じていた。

 

 国家老の奥方を中村玉緒、娘を鈴木杏が演じていた。おっとりゆったり話すように演技指導されていたのだろう、そこそこ良かった。前作では入江たか子と団令子で、品の良さではやはり前作の方が上。こうして較べていくとあまり良い評価ができなくなってしまう。何より不満なのは、幽閉された国家老役が黒澤作品では伊藤雄之助で、その茫洋とした演技は絶品だったが、これが藤田まことというのがどうもいけない。顔が長ければ役にかなうというわけではないのだ。もっと頼りなさそうに、おさえて演技しなければぶち壊しである。

 

 ラストの決闘シーンは工夫が感じられるが、わかりにくい。そして黒澤作品では血しぶきのすごさが話題になったが、森田作品には血がない。あえてなしにしたのだと思うが、これがリアリティを損なっているのは否めない。

丁寧に読む

 むかしは目についたほかの人のブログをお気に入りに入れておいて、けっこう丁寧に読んでいたものだったが、いつのまにかその読み方が雑になっていた。

 

 いいねやツブができなくなって、すこし気が抜けた気がしていたが、気を取り直してまたほかの人のブログを丁寧に読み始めた。できれば読みましたよ!と相手に伝えたいところだが、コメントを書くほどでもないと伝えようがないのが残念だ。

 

 お気に入りに入れたつもりがきちんと入っていなくて、探し直した人もいる。それでも読める数にも限りがある。世界がすこし狭くなった気がしている。

2023年11月 2日 (木)

人質

『人質 韓国トップスター誘拐事件』は2021年の韓国映画。誘拐されるトップスター役を、本人のファン・ジョンミンが演じている。この俳優は見たことがある気がするが、最近あまり韓国映画を観ていないのでよくおぼえていない。

 

 日本の映画も最近はかなりハードなバイオレンス映画を作るが、韓国の方が強烈さでは上回る。冷酷な犯罪集団に誘拐された有名俳優が、能力を駆使して脱出を図るのだが・・・。この犯罪集団というのが冷酷で同時に狂的で、人を傷つけることをなんとも思わない連中である。冷酷だが冷静ではないのでさらに恐い。

 

 映画の出来がいいのは、最後のほうになると見ているこちらが主人公の気持ちに完全に同調してしまうことでよくわかる。ああ、これで虎口を脱した、と思ったらまたとらわれ、倒したと思った相手がふたたび襲ってきて、という経験を重ねれば、相手を完全に倒しきらなければならないと思う。

 

 そういう意味ではけっこう恐い映画である。物語だけではなく、世の中にはこういう連中がいると思うとなお恐い。

私はバカだから

 バカは、私はバカだから、とはいわない。自分がバカだと気づけないのがバカだから。

 

 数日前のプライムニュースにゲストとして元外務官僚だった宮家邦彦と思想史家の先崎彰容が呼ばれていた。面白い組み合わせだった。面白いというのは、あまり同じ枠組みとしてならぶ人たちではないということである。世界の紛争についてリアルで語る宮家邦彦と、哲学的に思想史的に捉える先崎彰容の言葉がかみ合わない。ファクトと歴史的タイムスパンを伴う言葉はちがうものだからだ。

 

 そこで宮家邦彦は先崎彰容の言葉に、一度ならず繰り返し「私はバカだからわからないけれど・・・」と前置きを置いてから持論を語っていた。

 

 宮家邦彦がバカだと思う人はあまりいないと思うし、そのことを宮家邦彦も自覚しているはずだから、ちょっと嫌味に聞こえた。つまり、先崎彰容のいうことは理解するつもりはないとの表明に聞こえたのだ。なぜなら私はバカでありわからないというのは「理解するつもりはない」という意味の言い訳であろう。

 

 先崎彰容の言葉は表面上の言葉の裏にさまざまなものを含めているので、まず聴き取ってから、すこし頭をめぐらせて咀嚼してからでないとわからない。テレビ的な、直観で語る言葉を直観で聴くことに慣れていると、先崎彰容のような言葉を聴くのは七面倒くさく聞こえたのだろう。

 

 思い出すのは、元自民党の重鎮で、ご意見番でもある伊吹文明が、プライムニュースで先崎彰容と同席して、彼のいうことを瞬時に理解して適切に答えを返していたことだ。引退しても頭脳の明晰を維持しているらしい。

不安

 今朝のニュースで、不安が身体的な症状にまでおよぶ不安症について報じていた。不安症が増えているといいたいようであった。多分そうなのだろう。精神科の医師は、診察を受けに来る人は一部で、七割くらいの人は不安症を抱えて治療も受けずに苦しんでいるといっていた。うつ病よりも多いかも知れないとまでいうので驚いた。しかも若者の不安症が特に増えているというのだ。

 

 与党の議員も野党の議員も繰り返し繰り返し「安心、安全」を約束しているのにどうしたことか。約束は守られていないではないか。たしかに気候変動による災害の増加や感染症や戦争や犯罪のニュースを連日みせられていては、誰にでも不安が生ずるのはとうぜんであろう。その不安が高じて心身に異常を来したら苦しかろうとも思う。その苦しさを緩和するための精神医療が必要であることは理解する。

 

 しかし不安症の苦しさを伝えることで不安を煽ってどうする、という気もすこしする。不安を持たずに生きている人間などほとんどいないと思うのだが、誰にでもあるその不安を不安症へと安易に結びつけて考えない方が良いだろう。傾向と病気を混同すべきではない。

 

 身体を鍛えることができるように、心も多少は鍛えることができるのは、自分が経験して実感している。イヤな思いや辛い思いを経験して乗り越えたとき、その経験の前とあとで、多少は心が強くなっているものである。鈍感になっていると言われるかも知れないが、鈍感ではなく強くなっているのだと思いたい。子どものときからそういう経験を多少はしておくことが、おとなになってイヤなことにたえられることは誰にでも理解できることだと思うが違うだろうか。

 

 若者の不安症が増えている、などといわれると、彼らに特別の不安要因があるかのようだが、不安に対する耐性ができていない、そういう鍛えられるようなことのない育ち方をしてしまった、という風に、つい考えてしまう。これでは「イマの若い奴は」という年寄りの繰り言か。不安のない世界など今までなかったし、これからだってないだろう。それならその不安とともに生きるしかないではないか。私だって不安をいっぱい抱えている。このブログに泣き言を書くことで多少救われてもいる。

2023年11月 1日 (水)

生息領域

 連日、熊をはじめとした獣の害が報道されている。いままでは単純に獣たちの生息地域に人間が浸食していったからだ、というように言われてきた。たしかにそうであろうし、太古から人間とほかの動物とはその生息地域を争ってきて、人間がどんどんその生息域を拡げていったことは事実だろう。

 

 しかし最近の状況は違うような気がする。人間が動物の生息区域を浸食することは少なくなっているのではないだろうか。少子高齢化による人口減少、その結果としての地方の過疎化が進み、限界集落が急増している。つまり人間の生息区域が後退しているのだ。そこへ獣たちが侵入している。過疎地に野菜や果物が人間によって細々と栽培されていれば、獣たちにとってはそれが自分たちのもののように見えてしまうのではないか。すでにその境界領域は判然としていないのである。

 

 獣たちが人間を恐れない、というのは不思議ではなくて、すでにそこは彼らの生息領域だと考えているからで、縄張りを侵すものとして牙を向けるのだろう。そしてその彼らの逆襲には歯止めがない。その境界をあらためて彼らに認識してもらうためには、多少強硬な手段を執らないと、彼らの生息域拡大は止まらず、被害は更に増えるだろう。すでに保護すべきは人間に変わりつつあるのだと思う。

自分の国

 世界の国々の多くが多民族国家だが、その多民族はいま暮らしている国を自分の国と認識していて、ある民族だけの国だとは考えないのが普通だ。しかし世界には流浪の民族がいる。ロヒンギャがそうだし、クルド人がそうで、そこに暮らしながらその国に受け入れられていないと自他ともに思っているようであり、実際に迫害も受けている。

 

 かつてはユダヤ人もそうだった。流浪の民は迫害され、次第に人数を減らし、消滅しそうだが、ユダヤ人は却って拡大した。迫害に耐え、鍛えられ、ついにはナチスによる大虐殺という惨禍をうけ、第二次世界大戦後に、迫害をした国々の贖罪の気持ちがイスラエルという国家を作ることにつながった。流浪の民だったユダヤ人は自分の国を持ったのである。代わりに建国されたイスラエルに住んでいたパレスチナ人は自らの住む場所を失った。すでに建国されたものをふたたびなかったものにすることはできない。こうして永遠の紛争の場所が発生した。

 

 アメリカで、そしてヨーロッパでふたたびユダヤ人が迫害されはじめたというニュースが散見されるようになった。もともと人種差別の対象だったものを理性で押さえ込んでいたのが、いま公然と差別を行使する口実ができたと思う人がいるようだ。パレスチナ人に成り代わって正義を行っているつもりかも知れない。

 

 イスラエルは、ハマスの追討のためとして、パレスチナのガザ地区を殲滅するつもりに見える。それがイスラエルの存続のための戦いだと主張したいだろうが、それが世界に散らばり残るユダヤ人への迫害を生み、しかも自らが行っているパレスチナ人虐殺が、見方によってはナチスに似てきていることに気がついているだろうか。イスラエルの存続を危うくする前に停戦をするべきだと思う。

視点の違い

 李克強の急死を悼んで献花の列が絶えないと報道されていた。その人たちの内心に、中国経済を李克強が担っていたら良かったのに、という思いがあるのではないかと、西側の報道陣は読み解いている。今、若者の失業率が非常に高く、不満がたまっていることと関連させて、再びの天安門事件発生を密かに期待する専門家もいる。思えば1989年の天安門事件は、鄧小平が失脚させた胡耀邦が心臓発作で死去したことがきっかけになっている。

 

 これについて、先般取り上げた遠藤誉が『李克強の死と、天安門事件を招いた胡耀邦の死との違い』という新しい記事で持論を展開している。この記事で、鄧小平時代からの中国の権力闘争の経緯が詳述されていて、胡錦濤からどうして習近平へ権力が渡されたのか、整合性のある見立てが述べられており、李克強の退陣は失脚ではないことが協調されている。

 

 天安門事件のあった1989年はベルリンの壁崩壊の年で、同時に東ヨーロッパの民主化のうねりの起きた年であり、中国の若者が中国も民主化するのではないかという熱い期待を持った年だった。胡耀邦を追悼する若者の行動に趙紫陽が共感したことがそのうねりに力を与えた。しかし鄧小平はそれを許さず、趙紫陽を失脚させた。その後の経緯は天安門事件についてのいくつかドキュメントでご存じだろう。

 

 ソビエトですら崩壊したのに、中国の共産党政権はは存続した。さらに一国二制度だった香港ですら中国の体制に組み込まれてしまった。

 

 いま中国の国民に民主化を求める気持ちがどれだけあるだろうか。国が豊かであれば民主化する必要があると思わないのではないか。つまり天安門事件当時と現在の中国は背景が全く違うのである。だから李克強を悼む献花がいくら多くても天安門事件のような盛り上がりにつながるということもないだろうと私も思う。

 

 遠藤誉は政治的な視点から権力闘争を分析し、習近平政権の反腐敗の旗印の根拠を解釈し、外交部トップの秦剛や軍部のトップの粛清を論じていて、それが必然であるとしている。それと李克強とは無関係だという判断である。

 

 さはさりながら、経済という面からの視点で考えると、彼女の見立てとは違う様相も見える気もしている。世の中は政治だけで動いているのではない。明らかに経済的舵取りについて習近平はうまくやっているとは思えない。国民が豊かな生活を維持できないことになれば、様相はガラリと変わるのではないかという気がしている。その変わり目の象徴が李克強の死であった、などと後世に記されないとは限らないと、つい妄想してしまう。

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