世話になった人の夢を見た
明け方、東京の営業所に在籍していた三十代前後に世話になった得意先の人(ある工場の責任者)の夢を見た。無口で、たまに口を開くと厳しい言葉を発するので、多くの出入りの商社の人やメーカーの人はその人を怖がっていた。愛想を言う人間が大嫌いで、偏屈でとりつく島がない人だと言われていた。どういうわけか私はその人を最初から恐いと思わなかった。喋りたくないから黙っていて、話したいことを考えているのだろう、とわかったので、二人で黙っていることも多かった。それが気に入ったのか、可愛がられた。家も比較的に近くて、歩いて三十分くらいだったので、ときどき寄らせてもらったりした。
それから四十年になるが、今でも年賀状の交換はつづけている。一回り年上なのだけれど、数年前までは海外にも行き、スキーも楽しんでいることを伝えてくれていた。さすがにもうスキーも海外旅行も行けなくなったよ、というのが今年の年賀状だった。特に大きな病気もしていないようだから、夢に見たのはたまたまだと思っている。
そろそろ年賀状を買わなければ。あわてなくても売り切れる心配はなさそうだけれど。
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