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2023年12月

2023年12月31日 (日)

時は流れる

今年もあとわずかな時間で終わる。今年はいつもの年以上ににさまざまなことがあり、なんとなく世界を、そして人類の未来を悲観的に感じさせる年になった。それが一時的なものなのか、来年はいい年に向かうのか。できれば少しでも希望がある年であって欲しいと心から願わずにはいられない。

お粗末な駄文を書き散らしてきた。頭に浮かんでは消えていくことを少しだけでも書き残してみたいと思って書いている。それを読んでくれる人がいることはありがたいことだと感謝している。ざる頭のボケが進むのが少しでもゆっくりになればと思い、来年ももちろん同じようにつづけたいと思っている。ときどきでもいいから覗いていただければありがたく、そして嬉しい。

来年が皆様にとってよい年であることを祈念しつつ、お礼申し上げます。


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川のように、止まることなく時は流れ続ける。

映画『飛べない風船』

 映画『飛べない風船』は2023年の日本映画。東出昌弘、三浦透子主演。東出昌弘はプライベートで非難されることのある俳優だが、演技力については私は評価している。この映画でも、豪雨で妻とこどもを亡くした暗い男を、ただ暗いだけではない、人に気遣われる魅力のある男としてみごとに演じている。

 

 三浦透子は私の好きな田畑智子にちょっと似ている女優で、田畑智子よりも少し人生に投げやりな雰囲気を、ふてくされているような嫌みを見せずに演じることのできる魅力的な女優だ。西島秀俊と共演した『ドライブマイカー』という映画はカンヌ映画祭で受賞し、アカデミー賞にもノミネートされて、彼女も注目を浴びた。

 

 教師として定年まで勤め上げた父親は、母と瀬戸内海の島に移住した。その母は病死し、父親(小林薫)は島で独り暮らしをしている。その父親のもとへ娘(三浦透子)がスーツケースをさげてやってくる。娘が島へ来るのは初めてである。何かがあった様子だが、父親は深く尋ねたりしない。島の人々はそんな娘を温かく迎え入れる。やがて娘はある男(東出昌弘)が妙に気にかかるようになる。

 

 この映画は再生の物語だ。回復がなかなかできないような深い底に沈んだ人間が、さまざまな出会いや出来事によってふたたび生きる気力を取り戻すという話である。それは一つの成長物語であり、新しい自分への脱皮の物語である。男はとらわれの象徴だった黄色い風船を解き放ち、娘はふたたび社会と向き合うために島を出る。結末は甘いものではないが、新しい人生に一歩を踏み出す娘の姿に希望が見える。こういう映画を観ると気持ちが洗われる。

『ジウX』

 目的のためならどんな残虐なこともする秘密組織があり、その全貌はだれも知らない。その闇に対して陽画のように浮かび上がる歌舞伎町セブンという暗殺グループがいて・・・。というジウシリーズの描く世界は、最初から読んでいないとわかりにくいかも知れないが、すでに私にはそのものがたり世界が定着しているので、シリーズ最新作のこの400ページあまりの小説、『ジウX』(中央公論新社)を一気に読了した。

 

 ここでのサブテーマはウイグルなどで中国政府の行っている民族浄化や、中国人が買い占めている日本の土地問題、そしてデジタル侵略だ。それに対する反撥で行う殺人に正当性があるかどうか。あるはずがないし、それでは中国と同様な蛮行になってしまう。

 

 強力な敵に対して無理やり関わることを余儀なくされた歌舞伎町セブンの反撃は果たしてどうなるのか。戦いにはいちおうの結末はあるが、まだまだ物語は続く。

 

 深夜になる前に読み終えたのはよかったのだが、三時前に眼が覚めてしまい、眠れなくなった。だからバーネットの『秘密の花園』を読み始めた。まったく毛色の異なる物語で、両方面白く読めるのが我ながら不思議だ。この調子だと昼間に読み終えてしまうので、もったいないから半分読んだら夜読むために残しておこうと思う。

2023年12月30日 (土)

今年出かけたところ

 コロナ禍の外出規制がゆるんだので、春先からあちこち出かけた。それを以下に列記しておく。

 

三月
 伊豆(弟夫婦と妹で出かけた)
四月
 能登(金沢に用事があって、そのついでで能登に足をのばした)
 山陰、津和野、広島、岡山(山陰を旅して、その足で広島の息子に会いに行った)
五月
 奈良(友人たちと飛鳥を散策した)
八月
 東北(雲母温泉、鳴子温泉、夏油温泉、八戸などを歩く)
九月
 近江(琵琶湖西岸と奥琵琶湖周辺を歩く)
十一月
 長野、群馬(群馬の友人を訪ねがてら信濃地方を歩いた)
 能登、富山(弟夫婦、妹と能登と宇奈月温泉へ行く)
十二月
 九州(日田と柳川をメインに歴史を尋ねた)

 

 そこそこ走り回ることができた。

 

 来年は、近場としては滋賀県、特に近江周辺を丁寧に歩き回りたいと思う。そして北東北を少しゆっくり歩きたいと思っている。弟からは、たぶんまた希望があると思うので、兄弟での旅行にも行くつもりだ。外国人が多い観光地はどちらかといえば敬遠したいので、そうでなくて歴史を尋ね歩けるところを探してみたいと思っている。

多少は年末らしく

 明日の大晦日は雨らしいので、今日、風呂場、トイレ、台所のマット類を洗濯した。今朝は風もなくて穏やかな好天だ。多少は年末らしくと思い、ガスレンジ、流し台、洗面台、トイレ掃除をいつもより少し念入りに行った。フローリングの片付けと風呂掃除は明日にするつもりだ。ゴミ類は総て捨てた。

 

 昼飯を食べて片付けたら、正月用の伊達巻きやかまぼこ、豆類など、おせちらしきものをいろいろと買い出しに行く。雑煮用の食材も揃えておかなければ。今年の三が日は、来るとしても娘くらいだから、エビフライと鶏の唐揚げでもすぐ作れるように用意しておけばいいだろう。スーパーは元旦から営業だから、食べるものに不自由することはない。

 

 予想通り、年末のテレビは私にとってリアルタイムで観たくなるような番組が見当たらない。といって録りためたドラマや映画を観る気にもならない。だから静かな年末を過ごせている。ありがたいことである。雑用が一段落したら、また本でもゆっくり読むことにしよう。

こなもん

 昨晩のは関西などの人から見れば「お好み焼き」とはいえない代物で、市販のお好み焼き粉に大量のネギとそこに釜揚げしらすを加えて卓上の小さな鉄板で焼いて、ラー油と醤油のタレにちょっとつけて食べるという、オリジナルなものだ。まあ自分なりに美味しいと満足したのだからそれでいい。

 

 千葉に生まれてお好み焼きというものを食べたことがなかった。それらしきものを食べたことはあるが、本物とは似て非なるものだった記憶がある。千葉生まれ千葉育ちで、大学は山形で過ごし、西の方にはまったくなじみがなかったのに、成り行きで大阪の化学会社の就職試験を受けることになった。そのときに食べたうどんがうまいことに驚いた。幸い採用されて、大阪で暮らしはじめて、出会ったのがお好み焼きだった。連日会社を引けるとお好み焼きを食べ歩いた。店によって味がちょっとずつ違うのが面白くて、一月近く食べ続けた記憶がある。つきあってくれていた友人が途中で「もう勘弁してくれ」と音を上げた。

 

 中国では、南は米食文化、北は麦食文化といわれる。北では気候や水の関係で米作がむずかしいので麦作であり、とうぜん粉食ということになる。麺類をはじめとして、その粉食のバラエティなことは驚くほどで、青木正児(あおきまさる)の『華国風味』という本などを読めばそれが詳述されている。しかるに日本では、西の方が粉食文化が発展していて美味しい。大阪では「こなもん」と呼ばれていたと思う。

2023年12月29日 (金)

今日こそは

 民放ではあるが、池上彰の時事ニュース解説の番組のスペシャルがあったので録画しておいた。一通りの朝の片付けを終え、読みかけの本を読み終えてから、四時間近いこの番組をCMを跳ばしながら観始めたけれど、もちろん昼でも半分も終わらない。知っているけれど中途半端だったり、知っているつもりでちっともわかっていなかったことを教えてくれて池上彰の解説はとてもありがたい。

 

 むかしまだ池上彰がNHKの記者だった時代、こども向けのニュース解説の番組を担当していたことがあった。父と母が口を揃えてこの番組はとても分かりやすくて為になる、と言ったので、私もできるだけ観るようになった記憶がある。まもなく池上彰はNHKを離れた。番組は次のキャスターが引き継いだが、格段のわかりやすさの違いがあってそれきりになった。

 

 池上彰は確か私と同年の生まれである。そういう意味でも親近感があり、彼の出る番組は、気がつけば録画して参考にさせてもらう。

 

 それを見終えてから、誉田哲也の『ジウX』を読み始める。次第に惹きこまれはじめたところだが、この調子だとまた風呂に入り損ねる。百ページあまり、4分の1ほど読み進めたところで本を閉じた。今日こそは早めに風呂に入り、そのあとビールをお供に、簡単に卓上でお好み焼きでも楽しもうと思っている。新しい白菜も漬けあがったし、野菜スープもできている。

『マリスアングル』

 誉田哲也『マリスアングル』(光文社)を読了した。捜査一課の死神と陰口をささやかれる女刑事、姫川玲子シリーズの最新作である。最初の『ストロベリーナイト』以来、たぶんシリーズは欠かさず読んでいると思うが、久しぶりなので飛びがあるかも知れない。累計で500万部というから人気があるのだ。テレビドラマや映画化もされている。

 

 巻末には決まり文句だが「この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とはいっさい関係ありません」と付記されている。しかしこれくらい皮肉な註釈付記はない。

 

 この警察ミステリー小説のサブテーマは、いわゆる「慰安婦」問題である。朝陽新聞という会社が「慰安婦」問題をでっちあげた吉田証言を事実と認定して、大々的に世間に煽った経緯が背景として語られている。実在の団体と関係ないという付記は、現実がフィクションであることの皮肉をあざ笑っているように見える。吉田証言が事実無根であったことを指摘されながら何十年も誤報を認めなかったある新聞社は朝陽新聞という名ではないから、フィクションだというのは間違いないのであるが、この小説で述べられていることの方が真実であるらしいことをいまは多くの人が知っている。

 

 この問題がさまざまなところに波紋を起こし、日本と韓国にどんな大きな亀裂をもたらし、禍根を残したたかはいうまでもないが、この小説の事件のような個人的な波紋も数多く生じていたかも知れないと思わされる。それによって取り返しのつかないほど傷ついた人が、溜まった怨念をあるきっかけによって暴発し、どのような行動をとるか、それをデフォルメして見せてくれたのがこの小説で、作者はまさにそれを書きたかったのは明らかだろう。

飾る

 何か忘れているような気がしていたが、夕方、日が落ちてからお飾りを買うのを忘れていたことに気がついた。すぐ買いに行ってマンションの玄関外に飾り付けた。29日では「苦の日」で縁起が悪い、31日では一夜飾りで善くない、30日でも善いが、できれば末広がりの28日に飾るのが善いと母は言っていたものだ。お飾りを飾っていると、ちょうどドアののぞき窓をふさぐことになってしまうが、カメラ付きのドアホンにしてあるからそれで来客を見ることはできる。

 

 正月のおせち料理の材料は明日か明後日で好いだろう。娘の亭主の親の具合があまり良くないと言っていたから、たぶん正月は夫婦で四国の実家へ行くだろう。暮れに娘がちょっと寄ってくれると思うが、ゆっくり二人で来るのは少し後になるはずだ。息子は三が日を過ぎてからくると連絡があったので、元旦は一人でゆっくり迎えることになる。それものんびりして好い。

 

 誉田哲也の『マリスアングル』という本を昨晩から読み始めたら面白くてやめられず、徹夜になりそうだったので、あと百ページほどのところで本を閉じた。今日中には読み終えられるだろう。『姫川玲子シリーズ』の最新作で、久しぶりにこのシリーズを読んだが、この作家のストーリーの進行のテンポは私に合うらしくてたちまち物語に没頭できてしまう。お陰で風呂に入るのも忘れていた。ひと晩ぐらい好いか。実は同じ誉田哲也の『ジウシリーズ』の一冊、『ジウX』という本も買ってあるのだ。エンタテインメント本がこんなふうに夢中になって読めるのは久しぶりで、嬉しい。

 

 大晦日には本を読んで過ごす。いつもは時事ものか歴史物を読むが、今年はバーネットの『秘密の花園』を読もうと思って用意してある。

2023年12月28日 (木)

『魚玄機』を読む

 奥野信太郎『中国文学十二話』を読み終えたので、そこに取り上げられていた晩唐の女流詩人魚玄機について書かれた森鴎外の『魚玄機』を読んだ。美人で天才詩人だった魚玄機が、人を殺して刑死するまでの生涯を彼女の詩をいくつか引用しながら描いている。私の読んだのが旧漢字旧仮名遣いのもので、本文はともかく、詩の部分は白文のままだからおぼろげにわかるところもあるという程度にしか詩情が読み取れない。それでも余韻の残る伝記小説であった。

 

 刑死したのは彼女が二十六歳のときで、事情があって道教の観(仏教の寺に当たる)で女道士となっていた。その観の名が咸宜観というので、先日訪ねた日田の広瀬淡窓の咸宜園を思い出したりした。

 

 奥野信太郎の本では、唐詩の話や四大奇書(『水滸伝』『三国志』『西遊記』『金瓶梅』)のこと、さらに中国の怪異譚、『聊斎志異』『閲微草堂筆記』『子不語』のことなどが系統立てて語られている。中国の怪異譚は大好きなので、いろいろ取りそろえていて、上の三つは総て揃えているし、ほかにも数多く本棚にある。ついまた引っ張り出して読みたくなるではないか。

 

 それと、先日立ち寄った下関の壇ノ浦を思い出して、『平家物語』を一度きちんと読んでみたいと思ったりしている。講談社学術文庫で四巻本があるようなので、取り寄せようかどうしようか迷っているところだ。

友人たちに

 毎年、ある酒蔵の新酒会に参加する。私が地元なので常任幹事役を自認している。来年も行われることを確認したので、暮れの挨拶に添えてその案内をメールした。木曽川水系は古くから酒造会社が多く、名古屋へ転勤してきた時から誘われて新酒会に参加してきたから、もう四十年近くになる。その間に出かける蔵もいろいろ替わったけれど、この二十年ほどは同じ蔵に落ち着いた。

 

 誘い合わせる人数も、むかしは沢山いたけれど、いまはずいぶん少なくなった。それだけ親しい人だけ残ったともいえる。常連だったF君がいないのは何より残念だ。以前来たことがあるが、今年は弟を呼ぼうと思う。なにか特別用事がなければ参加するだろう。それと現役の友人にも声をかけてある。いま重い役割を担っているから参加はむずかしいだろうと思うが、もしかしたら都合がつくかも知れない。友人にいつでも会えると思っていても、実は会える回数はそれほどないものだ。こういう機会に会えるのはありがたい。

 

 新酒会に参加するということは無事であるということであるから、それを互いに喜び合いたいと思っている。

演劇と詩

 奥野信太郎の本から、演劇と詩についての面白い一節を引用する。

 

 中国の芝居というものは大きく分けて、北曲、それから南曲と二つに分けることができると思います。
 北曲と申しますのは文字に現れております通り、北方系の演劇ということになりますが、これが起こってきたのは、宋の時代にその兆しは見えたのでありますけれども、その次の元の時代になって、俄然勃興したのであります。漢史、唐詩、宋文、元曲ということを申しましたが、この元の時代の戯曲というものは中国文学のやはり代表的なものの一つと見ていいのではないかと思います。これは世界的な現象でありまして、だいたい演劇が非常に盛んな時には詩が衰える。詩が衰えている時には演劇が盛んになる。エリザベス王朝時代にはシェイクスピアなどという人が現れて、演劇が盛んになりましたけれども、詩の方は衰えた。フランスでもラシーヌ、コルネーユ、モリエールなどという演劇が盛んな時には詩の方が衰えている。
 これはどういう訳か、たいへんむずかしい問題になってまいりますが、中国ではこの元という時代、その次の明という時代は非常に演劇が盛んであった。元の北曲、それから明の南曲というのですが、元、明と、そういう戯曲が盛んだった時代は詩は衰えております。これはつまり、戯曲というものは広い意味においての詩と理解して差しつかえないと思います。だからそういう、つまり人間の詩情、詩的パッションというものが演劇という形で発散する場合と、純粋詩という形で発散する場合と二通りあるのではないかと思います。これはいろいろその当時の社会的条件がそういうふうにさせるのだとわたくしは考えております。

 

 このあと、どうして元の時代に演劇が盛んになったのか、考察が述べられるがここまでとする。カルチャーやサブカルチャーから歴史を見るというのもひとつの歴史の見方であって、人間を、よりリアルに見るように思う。歴史は権力闘争だけではないのだ。

2023年12月27日 (水)

温かい

 寒さには人より強いほうだと思う。この時期でも近場への用足しには裸足に草履式のサンダルで出かける。雨や雪に濡れなければ冷たいとは感じない。

 

 暖房は、朝晩ガスファンヒーターをつけて部屋を暖め、温まったら消してしまう。紺絣のはんてんを羽織って炬燵に入っていれば寒いと思うことはない。それでもそろそろセーターを着ようかと思って薄手のセーターを引っ張り出して着たら、温かい。

 

 わずかなことで体感というのはずいぶんちがうものだ。これも部屋そのものが外気と遮断されて暮らせているからだろう。昔の人は外の気温とあまり変わらない部屋で、火鉢だけで過ごしたのだからたいへんだっただろうと思う(私が子供のころはそれがあたりまえだった)。思えば現代でもそういう生活を余儀なくされている人たちがいるのだ。安易に自分の不幸せを嘆いてはバチが当たるだろう。

なるべくつけない

 かねがね観たいものがないときはテレビをつけないようにしようと思っているのだが、ついスイッチをオンにしてしまう。本を読んでいるときはほとんど物音が耳に入らなくなるので、テレビがついていても意味がない。例年のことだが、年末になって特別番組だらけになると、うるさいばかりでさらに観たくないものばかりになってしまう。だからあらためてテレビはしばらく録画したものを観るだけにしようと思っているが、さてできるだろうか。

 

 すでに原因が明らかになっているのかも知れないが、これを書いている時点では私はまだ知らない。どうでもいいことだけれど、不思議な事件の話である。例の高島屋の壊れたクリスマスケーキの話だ。数件数十件なら特定の誰かが過失か故意で損壊させたということはありうるけれど、すでに900件も報告があがっているというから、どうしてそういうことが起こったのか、原因が思い当たらない。そもそも箱に入れて冷凍させた時点で壊れていたのか。こういうことは原因が判明してみると、なあんだそういうことだったのか、と思うことが多いが、年末のミステリーとしては面白い。

 

なんべん読んでも

 未読の本が積んであって、さらに何冊か新しく本を買い込んでいるのに、いま奥野信太郎『中国文学十二話』というなんべんも読んだ本をまた読んでいる。なんべん読んでも面白いのは、書かれていることがきちんと頭におさまっていないからだ。ざる頭は哀しいが、なんべんも同じものを楽しめるという効用もある。

 

 これは奥野信太郎が昭和39年に、各月一回十二ヶ月にわたってNHKFMで行った『朝の講座』を弟子に当たる村松暎が編集して本にしたものである。村松暎があとがきに書いているけれども、この講義をほとんどなにも見ないで行ったというから奥野信太郎の頭の中にはどれほどの知識が詰まっていたのか、はかりしれない。

 

 まだ半分ほどしか読んでいないが、今年中には読み終わるだろう。奥野信太郎はとくに中国の戯曲に詳しい。その発祥、発展の経緯、種類と特徴についての位置づけのたしかさは、たぶん他の追随を許さないのではないか、などと勝手に思っている。なにしろ戦前戦後の実際の演劇も知り、多くの俳優とも交流があり、関連の調査も繰り返し行っているからだ。そのことは『随筆北京』に詳しい。

 

 今回特に詳読したのは唐の時代の詩、いわゆる唐詩についての概括的説明である。初唐、盛唐、中唐、晩唐の四期に分けて代表的詩人とその特徴の違いをわかりやすく説明してくれている。私もちょっとしか知らないながら、好きな詩人や詩はある。今回特に記憶に残ったのは、晩唐の女流詩人の魚玄機のことで、この魚玄機については森鴎外が中編小説に書いている。読み直してみようと思う。そういえば、中唐の詩人李賀について、難解だがロマンチシズムがあり、泉鏡花が愛誦していたという話なども泉鏡花を違う視点から眺めることができて嬉しい気がする。

 

 こうして本によって読書欲を励起されるのはとてもありがたい。書評本が好きなのはそれが理由でもある。

2023年12月26日 (火)

なんとか仕上げる

 夕刻までに年賀状をなんとか仕上げた。

 

 朝早くからこの三年間にいただいた年賀状をあいうえお順に並べ直し、ざっと文面を見直し(読んでいるから時間を食う)、一昨年と昨年のものを残して処分した(手紙を捨てるのは忍びないが、取っておいても仕方がない)。残した葉書とつきあわせて住所録を整理し、宛名だけまず印刷した。

 

 じつはその前に、年賀状についてのデータなどが入れてあるデスクトップを起動したのだが、久しぶりに起動したからなのか動作がおかしい。しばらくしてフリーズしてしまった。仕方がないので電源を落として再起動し、いろいろチェックをかけてなんとか問題なく動くようになったのだが、それに二時間くらいかかってしまった。どうして急ぐときにこういう意地悪をするのだろう。怒りを覚えたが、なんとか感情を抑え込む。文面についてはいつも私は写真がメインなので、写真を選ぶだけで半分以上完成である。一部だけ自筆で書き込みをする。

 

 今年はいつも以上にずいぶんやっつけ仕事になってしまったけれど、とにかく終わってほっとした。郵便局に出しに行ったついでに買い出しをする。スーパーの棚は正月用の食品があふれていて、客もあふれていて、にぎやかであった。年末も押し詰まったことを実感した。

 

 明日からぼちぼち大掃除でもはじめることにしようか。おでんもなくなったことだし、今夜は簡単な鍋物にするつもりである。

最も嫌い

 岸田首相を30年前の宮沢喜一首相と比較して論じている記事を読んだ。リクルート事件以後、自民党の信頼が大きく揺らいだときには大蔵大臣で、自身のリクルート問題で追及を受けている。ほとぼりが冷めた後に首相になったのだが、そのときの状況とそれに対する優柔不断な態度がいまの岸田首相ととよく似ているという記事である。

 

 そういえばあのときには自民党の若手議員達が、党の存亡に関わるとして宮沢首相の家に押しかけて談判したことを思い出した。あのときにはまだ自民党には熱い若手がいた。いまの自民党の若手の、いるのかいないのかわからない態度はまことに嘆かわしいものがある。

 

 英語が得意であること、財務官僚として自分が知能抜群であると思っていたところなどが、みるからに鼻について私は歴代首相で最も嫌いな人物である。とにかく迎合迎合で、日本の国よりもアメリカを優先してものを考え判断する人であり、ある意味でアメリカの指示に従って日本のバブル崩壊の引き金を引いた人物といえるかもしれない。さらにあろうことか天安門事件の後まもなくして江沢民と結託して天皇陛下の中国訪問を、多くの反対を押し切って強引に推進した人物でもある(背後には金丸信がいた)。親米親中ではなく、媚米媚中の人物といっていい。結果的に日本の衰退堕落を進めた人物だと私は確信している。その確信は偏見かも知れないが、それはたぶんこれからも変わることがないだろう。

 

 政治能力の評価は別として、人間として好きになれない、ときには嫌悪する筆頭が宮沢喜一で、それに岸田首相が比較されていることで、なるほどたしかにそうだという気がした。

好きな時代劇ドラマ

 藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』は、彼の数多くの作品の中で最も好きなものだ。BSフジでは北大路欣也が主演でドラマ化していて、過去のものを含めてこの暮に一挙に全六回で放送してくれている。昨日は最初の二作品が前後編の形で放送されたのを観た。一度観たものだけれど、大いに楽しめた。出演する俳優も好い。とくに寺田農が好かった。

 

 だいぶ前にNHKでも連続ドラマ化していて、そのときは仲代達矢が主演していた。このときのかたせ梨乃は好かった。毎週楽しみに観ていた記憶がある。

 

 主人公が隠居したての初老の男というのが、この歳になるとその主人公のさまざまな思いに共感できて一入(ひとしお)思い入れを感じるというところがある。

 

 舞台は藤沢周平が作り上げた海坂藩という東北の藩であるが、これが彼のふるさとである庄内の、庄内藩とオーバーラップするのは、かれがその風景を想定して描いているから自然なことであろう。私の父の生まれがその近くであるし、映像に使われている最上川の流れ、遠望される月山や鳥海山は私にはなじみのある懐かしい景色でもある。

 

 ところで、しばらく前の『英雄の選択』で、幕末の庄内藩が取り上げられていたのを興味深く観た。奥羽列藩同盟で、会津藩が降伏した後も最後まで勤王軍に抵抗した庄内藩について、それを指揮した酒井玄蕃という人物を取り上げていた。庄内藩の藩主はもともと徳川四天王のひとり、酒井忠次を祖とする。酒井玄蕃は藩主の酒井家の分家筋に当たる。

 

 酒井家といえば、三方領地替えという幕府の無理筋を酒井藩の領民が挙げて抵抗し、その命令を撤回させるという前代未聞の事件があった。このことは藤沢周平も『義民が駆ける』という作品で詳細に描いている。それによって酒井家は明治まで、いや明治の時代も庄内の殿様として存続した。そのことも藤沢周平の庄内藩についての思い入れに深く関わっているのだと思う。

2023年12月25日 (月)

『小公子』

 小学生のときに繰り返し読んだバーネットの『小公子』を六十数年ぶりに読み直している。角川文庫の羽田詩津子という人の新訳版だ。七十三歳の爺さんが、子どものときに読んだ気持ちに戻って、セドリックの愛らしさに感動しながら読んでいる。むかし読んだときのように、母親のエロル夫人の素晴らしさにあこがれながら読んでいる。

 

 この小説はドリンコート伯爵と、その孫のセドリックの物語のようだが、実はドリンコート伯爵と、息子の嫁であるアメリカ人のエロル夫人との対決の物語だと思う。対決といったって物理的に戦うわけではないが、「がさつで無教養なアメリカ女」という偏見で考えていた彼女が、いかにすぐれた女性であるか、そのことを本当に伯爵が理解したとき、伯爵は真に変わる。変えられることで彼は錆びついた厚くて重い鎧を脱ぐのだ。

 

 1849年にイギリスに生まれ、一家でアメリカに移住したバーネットの、アメリカに対する思いがそこにこめられているのは明らかだ。エロル夫人の優しさと筋の通った強さは、現代から見れば時代遅れなのかも知れないが、私にとっては理想の美しい人に思える。いまアメリカ女性のどれだけがこの女性のような美意識を持ち合わせているだろうか。それ以上に日本の女性はどうだろうか、などと時代錯誤の爺さんは思う。こんな風だからむかしの女はだめなのだ、といわれるのだろうな。

なにもしたくない

 なんだかネジが切れたみたいになにもする気がしなくなった。掃除をしようと掃除機を出して部屋の表面をなで回したが、片付けが不十分なままだから気分がすっきりしない。だからといって片付けをする気にならない。今日が年賀状が元旦に着くための期限だとは承知しているが、まだ文面に使う写真を選んでいる段階で、今年出したりもらったりした年賀状の整理すらできていない。やらなければと思いながら、今日になってもやる気が起きない。やらなければ、と思うことほどやりたくない。

 

 今日午後は、妻の病院での今年最後となるだろう面会に行く予約をしてあるが、これは約束だから、したいとかしたくないとか言っても始まらない。前回、院長からあまり具合がよくないと聞いているので気分は重い。

 

 どうも今回の九州への旅で上げたテンションが一気に開放されてはじけた状態になったようだ。こういうときはエネルギーが溜まるのを待つしかない。しなければならないことをしたくないときは、しなくて良いことをしたくなったりする。しばらく迷走することにするか。

2023年12月24日 (日)

ランキング

 最近のネットニュースでは、やたらにランキングをつけて見せるものが目につく。しかもそのランキングを試しに見てみると、ほんとかいな、と思うものが多い。もしそれが実際のアンケートの結果としてのランキングなら、そのランキングに票を投じた人の価値観を疑いたくなるが、それは私の価値観が一般の人とは違うということなのだろうか。それならそれでかまわない。

 

 考えてみれば、ランキングをつけるとそれを見てくれる人が多いということでもあるのだろう。それはどういうことかと考えてみれば、他人の評価を参考にする人が多いということで、つまり他人の評価を当てにして自分の判断材料にしようとする人が多いということなのだろう。

 

 芸能ネタが多いし、そもそもそれがなるほどと思えたり、参考になったことがほとんどないのであるから、これからはランキングがどうのこうのというニュースは原則としてパスすることにした。

 そういえば今晩はクリスマスイブであった。一人でクリスマスを迎えるのをクリぼっちなどと言うらしいが、ずいぶん昔からずっとクリぼっちなので、いまさらなにも思うことはない。以前はショートケーキくらいは買ってワインなど飲んだりしたこともあるが、今日はおでんで一杯飲むだけだ。クリスマスを口実に少し余分にいただくことにしようか。ワインはある。おでんにワインは変かなあ。

年末の楽しみ

 本日の日曜日に行われる恒例の高校駅伝が、私の年末の楽しみである。いつからかスポーツにほとんど興味が持てなくなったけれど、この高校駅伝と年始めの箱根駅伝だけは、ほかのことはまったくしないで心をこめて観る。

 

 読みかけていた曾野綾子の『夜明けの新聞の匂い』を読了した。曾野綾子のエッセーをたくさん読んできたけれど、これが原点ともいえる。つまり彼女のエッセーは同じテーマが繰り返し形を変えて語られているところがあるので、この一冊を読めば総て読んだのと同じといえないこともない。もちろんプロの作家だから同じことを違う形で書いている。だから同じであり、しかも違うのでまた読めるのだ。

 

 同じこと、というのは、世間で起きている事件というのはニュースだけれど、過去にも未来にも似たことが起きているという意味で同じだ、ということである。それらについて、曾野綾子という同じ作家が考えを述べるのだから、同じになるのはあたりまえのことである。この本で書かれている文章は、辛辣であり、厳しい。それだけ伝えたいことがよりこちらの胸に強く響く。曾野綾子のエッセーを読むならどの本がいいか、と問われたら、この一冊を薦めればいいと思った。
 
 同じことといえば、自民党の問題も過去繰り返し行われてきたことで、新しいけれど同じことだともいえる。政治とは・・・などという前に、そもそも人間というものは、という気持ちがしている。

きりがいいので

 私は1950年(昭和25年)生まれで、きりがいいので西暦の何年、といわれるとすぐ自分のそのときの年齢がわかるので都合がよい。1980年の、といわれれば、ああ自分が30歳のときか、とすぐその時代を実感的に連想できるのだ。

 

 NHKBSの『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』の第三シーズンは日本である。1960年代から1990年代を十年ごとにその時代のサブカルチャーをたたき台に語っていく。まさにリアルタイムで私が子供から大人に、そして社会人として生きた時代をサブカルチャーから回想することができるのだ。第三回が終わって、次回は第四回の1990年代である。

 

 第一シーズンはヨーロッパ、第二シーズンはアメリカだった。世界の現代史を実感するのにサブカルチャーから眺めるというのは具体的で、たいへんわかりやすくてありがたい。現代史は自分がその中に存在しての歴史ということが感じられる。とくにその時代の映画が取り上げられると、半分以上はリアルタイムで観ているものなのでそのときの思いが甦る。

 

 ところが、自分自身が最もその渦中にいた日本についての話が、却ってアメリカやヨーロッパよりも少し遠いものに感じたのは不思議なことである。あまりに自分と近すぎて相対化できていない、歴史としてみることができないということなのだろう。それは過去ではなく、まさに私自身にとっての現在(いま)だからか。

2023年12月23日 (土)

かき揚げ

 宿で出た天ぷらが上品すぎてものたらなかった。そのことを思い出したら(私はそういうことを思い出すのだ)天ぷらが食べたくなったので、今晩はかき揚げを作ることにした。ふつうに天ぷらを揚げると作りすぎてしまう。かき揚げだけなら大丈夫だろう。むきえびにたっぷり刻んだネギを加えてかき揚げを作る。今晩はそれで一杯。明日は天丼、そして天ぷらうどんか天ぷらそばで食べきれるくらいにする。ついでにおでんの具材も買ってきたので明日昼からコトコトと煮始めれば、明日の晩からしばらくはおでんを楽しめる。これも作りすぎないようにしよう。

 

 男の独り暮らしは同じものを何回か食べ続けられるようでないとやっていけないのだ。

AI知能

 NHKの『人間の知能は作れるか?』というドキュメント番組を興味深く観た。AIは厖大な言語情報を用いて、次を予測することから言語を発する。情報がどんどん多くなれば、その知能はどんどん優れたものになるのはたしかだけれど、では人間のようになれるのか。

 

 養老孟司が繰り返し書いているように、脳は身体の一部である。人間は身体の体験を脳に伝え、経験として蓄えていく。知能とはそういう体験に裏付けられた知識のネットワークだ。身体が知能を作っているのだ。ところがAIには、その体験が裏打ちされていない。なにしろ身体がないのであるから。

 

 番組では、いま、AIの研究は情報処理だけではなく、体験をさせることで知能を発達させる試みに取り組んでいることを伝えていた。体験を取り込むための身体を持たせようとしているのだ。体験は情報か否か。

 

 AIは人間のような知能を獲得できるのか。もし獲得してさらに進化したとき、世界はどうなるのか。進歩は幾何級数的に進む。案外そう遠くない未来にその答えが見えてくるかも知れない。

 

 ところで、情報としての知識の優劣を競うかのごとき現代の教育というものの意味が、おざなりではなく、本当に問われる時代に来ていることを教育者は知らなければならないように思う。そういう競争を勝ち抜いて官僚になった人間がその教育のあり方を決めているのだから、危ういことだ。

寒い

0403818漢の長城の端

 朝早くに眼が覚めたけれど、寒くて起き出す気にならず、寝床で喜多郎の『敦煌』や『シルクロード』の音楽をかけて聴いていたら朝寝をしてしまった。音楽を聴きながら子供たちと訪ねた敦煌や莫高窟、鳴沙山、玉門関の景色が頭に浮かぶ。

 

 マンションも次第に全体が冷えてきたようで、室温が次第に低くなってきた。なんだか喉が痛く感じるのは、いびきをかいたからなのか、それとも呼吸器系の疾患だろうか。場合によって白いものがちらつくかも知れないという予報だったが、その気配はないようで、今朝も快晴だ。

 

 旅先で連日の美食と普段以上の飲酒が続いたので、体重が思った以上に増えてしまった。胃袋が大きくなってしまったのか、帰ってからも食べる量が多くなって、我慢できない。せいぜい身体を動かそうと思うが、寒いから散歩に出るのも億劫だ。つい録画してあった番組などを眺めながら炬燵でぼんやりしている。

 

 白菜を漬けた。同じ半把が少し前よりずっと大きくてしかも安いのはありがたい。すぐに水があがる。昨晩漬けたから、食べ頃は明日くらいからだろうか。漬けるたびに塩加減や漬かり具合が違うのは不思議だ。正月まで素食と酒の量を減らすことで緊縮財政をつづけることにする。多少は旅の費用の補填になるだろう。

2023年12月22日 (金)

来週ならガラガラ

 昨日妻の病院に連絡したら、今週は面会予約が一杯だという。その代わり来週はガラガラだそうだ。押し詰まる前に面会しようとする人が多いということだろうか。来週でも良いですよと言われたが、支払いが遅くなるのは嫌いなので、今日は支払いだけしてきた。暮れであり、週末ということもあり、道路はいつも以上に渋滞していてだいぶ時間を食った。

 

 薬屋で腰痛膝痛用の薬を買って、それでもらったクジが一等に当たり、2000円分の商品券をもらった。ただしあらたになにか薬を買わないと使えない。いまなにを買おうか考慮中。足がつるときの薬と胃腸薬がまだ少し残っているけれど、商品券には使用期限があるし、この際だからそれを買うことにしようか。変なときに当たりが出てしまったからこれで久しぶりに買った宝くじは期待できないだろうか。それともついているから大口当選があるだろうか。当たるかも知れないと思うのが楽しいのだなあ。

 

 それにしても、ダイハツのお粗末さは日本の衰退の象徴に見える。こういう話が頻繁に明らかになっているのは情けない。全く違うように見えて、ビッグモーターの不祥事も同根のような気がする。無理難題を押し付けることが経営者の手腕だなどと勘違いした結果だろう。無理を押し付ける、給料を抑えたりリストラで収益を確保する、設備投資は冒険であって、いまは耐え忍ぶときだ、などと会社の拡大発展の足を引っ張ってきた経営者たちがそこら中にいて、よく考えれば東京電力の、すべき安全対策を怠ったのも同じ経営感覚だろう。そういう経営者たちが有形無形の日本の資産を食い潰して楽をしてきた。

 

 日本が衰退に向かっていることは、誰の目にも明らかであって、それが政治のスキャンダルともリンクしているということか。これから社会を支える人たちの苦労が思いやられる。

代価

 いま何冊か並行して読んでいる本の一つに曾野綾子『夜明けの新聞の匂い』(新潮社)がある。曾野綾子のエッセーを読み始めたきっかけになった本で、初版は1990年。久しぶりの再読である。この本で彼女のものの見方や価値観に共感するものが多いことを知り、そのあと彼女の本をずいぶんたくさん読んできた。だから影響も受けている。

 

 その本の中の一節。

 

 旅行は必ず危険が伴う。旅行だけではない。総てのものは、出費、労力、疲労、時間の消費、心労などの代価を必要とする。危険もまたその代価の一つである。代価を払わない人は何一つ手に入れることができない。それが高いものか安いものかを判断するのは、その当人以外にない。
 だから、危険の要素のない生活をしろ、というのは、本当の意味で生きるな、というに等しい、と私は思っている。

 

 まことにその通りだと思う。車で遠出することもそれらの代価を伴う。その代価よりも得るものが多いかどうか・・・。私は大いに得るものが大きいと満足している。

物語のものがたり

 旅行に本を十冊ほど持参したが、結局読み切ったのは養老孟司の『なるようになる』と、梨木香歩の『物語のものがたり』、そして宮城谷昌光の『諸葛亮(下)』の三冊だけであった。一冊は葉室麟の『曙光を旅する』で、これは一種のガイドブックとして拾い読みした。

 

 梨木香歩の『物語のものがたり』(岩波書店)は『秘密の花園』や『赤毛のアン』など、彼女が読んだ本についての読書エッセーのようなものである。バーネットの本は『小公子』しか読んだことはない。『小公女』はアニメを見て読んだ気でいるが、原作とは違うだろう。『小公子』は大好きな話で、こども向けのものを何回も読んで本がほとんどバラバラになりかけた。だから『秘密の花園』について詳述した梨木香歩の文章を読んで、読みたくなってしまった。

 

 文庫本の『秘密の花園』と『北原白秋』をアマゾンで取り寄せることにした。

2023年12月21日 (木)

人見知り

 子どものときから引っ込み思案で、人前で話すことや、ましてや修学旅行のバスで歌うことなど大嫌いだった。営業という仕事に就いたのは成り行きで、仕事となれば致し方ない。だから人に自分から話しかけるのはあまり得意ではない。それがこの歳になってようやくあまり苦にならなくなった。わからないことは訊く。あまり愉快でないリアクションがあるのは三回に一回くらいで、大半は親切な答えが得られる。三回に一回にダメージを受けなくなったということか。

 

 相手を選んで声をかけているので、世の中は善い人が多いなあと思える経験ができることが多い。このごろは迷っている人などを見かけると、こちらから教えたりするようになった。我ながら変われば変わるものである。こちらがおじいさんだと、若い女性もあまり警戒せずに受け答えしてくれる。歳をとるのも悪くない。

 

 誰だって人見知りはするもののようで、自分だけではないらしいことにようやくこのごろ気がついた。

洗濯日和

 朝は曇りがちだったが、昼前から洗濯日和の好天。雪国の人には申し訳ないようである。旅の前半はけっこう温かかったので汗をかいた。着替えたものが思った以上にたくさんあるので、二回に分けて洗濯した。午前中にちょっとした来客。用事はすぐ済んだ。

 

 今回の旅ではほとんど土産らしい土産を買わなかった。土産は娘にちょっとだけ買った菓子と写真だけである。息子からアールグレイ(紅茶)が送られてきた。留守中に配達があったのだが、再配達させてしまい、申し訳ないことであった。

 

 妻の病院に、支払いと今年最後の面会に行なければならないが、午後にもちょっと用事があるので明日行くことにする。

 

 ある程度片付けて出かけたのだが、帰ってからいろいろ散らかしたので雑然としている。そろそろ大掃除もしなければならないし、年賀状も書かなければ・・・。髪が中途半端に伸びた。床屋にも行きたい。

 

 少し年末のせわしなさを実感しはじめたところである。

あちらは雪か

 昨日、夕方早くに無事今回の旅を終えて我が家に帰着した。泊まっていた出雲湯村温泉から日本海回りで帰ることも考えたが、それだと二時間ほど余分に時間がかかる。少し気になることもあり、どこにも寄らずに大阪経由で帰ることにした。松江へ出て、そのあと米子道、中国道、名神高速と走り、この日は480キロほど走行。今回の旅の全走行距離は2300キロほど。久しぶりの2000キロ超えだ。

 

 一週間外に出ていると、定常状態に戻るのに少し時間がかかる。雑用を二つほど片付けて、今日はドライデーにしようかとも思ったが、運転の緊張を緩めるにはやはり酒がいる。一人焼肉をして少しだけ飲む。そのあと爆睡。今朝の目覚めも悪くない。

 

 天気予報を見ると、私が訪ねたあたりは今日から雪らしい。雪も好いけどな、などと思ったりしている。

2023年12月20日 (水)

下関おまけ

赤間神宮周辺をウロウロした。

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壇ノ浦が朝鮮通信使の上陸場所だったとは知らなかった。

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なんの像なのだろうと思ったら、

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平家物語の冒頭の部分の文章が刻まれている。像は安徳天皇を抱く二位の尼か。

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少し歩くと唐戸市場に至る。市場大好き。

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中は広い。少し見て回る。

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絵皿でも売っているのかと思ったら・・・フグ(下関ではフク)の薄造りであった。

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マンホールもフグ。

遅くなるので下関をあとにする。下関にはあらためて一度ゆっくり来てみたい。

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ひたすら中国道で東へ向かう。ガソリンが心許ないが、中国道にはガソリンスタンドのあるサービスエリアがほとんどない。途中で冬用タイヤの検問があった。もちろん私の車は大丈夫。途中休憩したパーキングエリアには雪があった。今シーズン初めて雪にさわった。

幸い自動車専用道路を降りて、宿の少し手前でガソリンスタンドに寄ることができた。いまは地方でスタンドを探してウロウロすることが多い。

宿についてすぐに温泉に入る。極楽極楽。

赤間神宮と壇ノ浦

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18日朝、次の宿の奥出雲への距離をナビで調べたら、400キロ弱あるではないか。急いで出発する。

そのまま宿まで直行しようと思ったが、いかにももったいない。地図を見たら、いつか行こうと思っていた下関の赤間神宮が目に入った。この神社の前の海は壇ノ浦で、この神社はここで入水した安徳天皇の御霊を祀っている。

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例によって車を駐めるところを探してウロウロした。結局だいぶ離れた市営駐車場に置いたが、神社の参拝者用の駐車場がすぐ近くにあったのだ。歩いていたら春帆楼の看板があった。春帆楼と言えば日清戦争後に伊藤博文、陸奥宗光と李鴻章が講和条約を交渉したところではないか。

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見上げると高台に日清講和記念館が見えた。

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そのすぐ隣が赤間神宮である。竜宮城みたいな建物は、安徳天皇を抱いて入水した二位の尼が、「竜宮城へ参りましょう」と言ったと伝えられているからだろう。

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けっこう人がいる。

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参拝してから中を覗く。

 

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巫女さんの姿は好いなあ。

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本殿を臨む。

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前の海が壇ノ浦。

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向こうが門司、先ほど渡ってきた関門橋が見える。

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対岸は目の前であるが、潮の流れは速い。

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この海底に落ちた三種の神器を探すのは困難だろう。結局草薙剣(くさなぎのつるぎ)は失われた。おお、今いる奥出雲はおろちの里である。日本武尊が八岐大蛇を退治したときにその体内から得られたというではないか。ここはたたらの里であり、鉄剣は宝剣でもあったということか。

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時代も空間も超えた遙か彼方を思う。

川風冷たい柳川川下り

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一番先に乗船し、舳先に陣取る。舟には靴を脱いで乗る。青い台の下は火鉢を入れた炬燵になっている。

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さあ、出発。柳川と言うくらいだから柳がある。蘇州の運河めぐりの時を想いだした。

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広い川からお城のお堀に入る。

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こういう狭い橋の下を潜っていく。私の乗ったコースでは、全部で11の橋を潜る。船会社は四社あり、コースも大回り中回り小回りとさまざまらしい。私の乗ったのは中周りコースで、三柱神社前から立花邸御花まで。

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こちらは橋を見上げ、向こうは舟を見下ろしている。

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こちらがのんびり進む間に別の舟が追い越していった。こちらの舟にも数人中国人がいて、向こうの舟はすべて中国人らしかった。船頭も説明のしようがない気配で静かだった。こちらの船頭はにぎやか。

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こんな風に低いところをくぐり抜ける。水位が上がるともっと狭くなると言う。

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方向によって風が冷たく吹いたり穏やかだったりする。とにかく風が冷たい。

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ここに舟を着けて、頼めば甘酒やアイスクリーム、揚げ餅などを頼める。

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水深は1~2メートルで、魚が沢山いるそうだ。見えているのは四つ手網。

 

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アオサギ。あまりじっとしているので置物かと思ったら、船頭が「本物です、生きてます」と言った。

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待ちぼうけの歌碑。これも白秋だったのか。

このあと立花邸御花の目の前に舟が着いた。終点である。身体が冷え切った。

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うなぎ屋はいくつもあるが、昨日ここにしようと決めていた店にはいった。二階から見下ろす。向かいにもうなぎ屋。

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待つことしばし、頼んだせいろ蒸しを食べながら前を通る舟を見る。この舟は小回りコースの舟だと思う。

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少し歩いたあと、橋のガラスの絵を見る。このあと駅前までバスで戻った。

そのあと宿から車で「むつごろうウランド」というところへ向かう。有明海のそばにある。建物があったので中に入ったら「なんのようですか?」と言われる。なにも展示しておらず、研修施設なのだということであった。こちらも向こうもびっくり。有明海は堤防がめぐらせてあって見ることが出来ない。少し走ったが海を見る場所がわからなかったので宿に戻った。まあまあ柳川を堪能できたので満足した。

2023年12月19日 (火)

柳川・三柱神社

17日の朝、歩いて15分程度だろうと見当をつけて三柱神社に向かう。寒い。手袋は用意していたが、マフラーがないから首元がスースーする。

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この前にも書いたが、柳川はうなぎ屋が多い。

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駅前から右折して小さな川を越える。二つ川と言うらしい。

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さらに少し行くと川下りの乗船場がある。このときには寒いからとても乗る気にならないと思っていた。

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三柱神社の鳥居。三柱とは立花宗茂の義父である戸次道雪(立花道雪)、その娘・誾千代(ぎんちよ・宗茂の妻)、そして立花宗茂のことである。それぞれに逸話の多い人物で、知りたい人は葉室麟の『無双の花』をお読みいただきたい。面白いです。

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参道。

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参道の横に護国神社がある。

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神社前にある庭園がよく手入れされていて美しい。春や秋はもっと好いだろう。なにしろ寒い。

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幻か。

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樹が好きである。

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仮の拝殿。本殿などはいま修復再建中。

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白い山茶花。これも大きな木だった。

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帰り道、参道横に紅い鮮やかな色を見た。

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寒いながら空が明るくなり、通り過ぎかけたけれど、結局舟下りをすることにした。舟の中央は炬燵になっていた。一時間以上乗るという。料金1800円。ここから昨日の立花邸御花の前まで行く。トイレが保つかなあ。

申し上げなければならない

岸田首相が、「さまざまな疑念がもたれていることは遺憾であり、謝罪が必要だと申し上げなければならない」とおっしゃった。いつもこの人はこういう言い方をする。

「たいへん申し訳ありません、謝罪いたします」とどうしてふつうに言うことが出来ないのだろう。

こういう言い方が、だんだん彼を嫌う人が増える理由だろう。

いま出雲湯村温泉というところにいる。今回の旅で初めて温泉に泊まった。ゆっくり疲れをとって、明日、我が家に帰る。寒いので今日は一日宿でのんびりするつもりである。あたりには少し雪が積もっているところが見える。明日はまた雪が降り出すらしい。このあたりは八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説の地であり、たたらの地でもある。宮崎駿の『もののけ姫』を思い出してもらいたい。以前泊まったことのある奥出雲多根自然博物館(博物館に宿泊できるめずらしいところ)はこのすぐ近くである。

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宿からの今朝の眺望。

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雪がある。

もう一日英気を養い、明日は大阪経由ではなく、日本海回りで帰ろうかと思う。少し疲れが回復したのだ。

次回はとことん堪能した柳川についてもう少し報告する。

北原白秋生家と記念館

北原白秋といえば柳川を思い浮かべる人が多いだろう。水郷ともいわれる。水路や掘り割りが張り巡らされ、むかしは飲み水に使えるほど澄んでいたそうだ。その水は有明海に流れていく。逆流や溢水を防ぐために大きな水門があり、調節を行っている。

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白秋生家。北原家は造り酒屋だった。のちにこの一帯に大火があり、この造り酒屋も一部を残して焼失した。その後、北原家は衰退していった。

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ここに座る人たちが想像できれば空間が生きてくる。

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番頭の食事処。使用人の食事処もこの奥にあった。番頭は別に食べていたのだ。

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ここを訪ねた人たちの色紙がたくさんあったが、芸能人が多い中で、遠藤周作、内田康夫、永六輔の色紙が目についた。浅見光彦に柳川の舞台の作品があっただろうか。初期のものは大半読んだが、読んでいないか忘れたかした。

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ザボンが実際になっているところを初めて見た。

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生まれ育った昔の実家にもこういう縁側と庭があったので懐かしい。Dsc_0362

こういう土蔵がたくさんあったのだろう。

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奥が白秋記念館になっている。まずビデオで白秋の生涯についておさらいをした。何度も結婚しているのだ。最後は眼底出血でほとんど見えなくなっていった。1942年、57歳で死去。

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有明海は近い。

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誰かが立っていた。

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なんだか頭がぼんやりした状態で白秋の記念館をあとにした。お堀めぐりの舟が出航する。小雨交じりなので雨合羽姿である。柳川に来たら是非乗りたいけれど、雨ではなあ。

まだすこし早いけれど、歩きくたびれたので宿に入ることにする。

夜、店を探して歩き回り、おかけで魚の美味しい好い店を見つけることができた。

2023年12月18日 (月)

白秋詩碑を探す

立花邸御花から白秋の詩碑を目指す。

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このあたりを何度往復したか知れない。

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柳川といえばドジョウのイメージだが、いまはウナギらしい。このうなぎ屋にはこの日の翌日に入って食べた。辺り一帯にウナギを焼く匂いがただよっている。

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右手の神社は水天宮。

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地図によれば、この辺りに詩碑があるはずなのだが、よくわからない。

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この大神宮の中に入ったら、ようやく見つけることができた。雨はほとんど止んできた。ありがたい。しかしそれとともに気温が下がりはじめた。

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詩碑をしめす石碑。

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これが探していた詩碑。

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碑面。帰去来の詩である。いいなあ。

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神社の別のところに詩の一節があった。最後は白秋の自筆の揮毫。

満足して白秋の生家と記念館に向かう。

立花資料館

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立花資料館は御花に併設された立花家の武具や茶道具、人形などが展示されている資料館。ここの館長は知り合いだから声をかけなさい、と廣瀬記念館の館長からいわれていたけれど、恥ずかしいし、ことさらお願いすることもないので失礼した。立花宗茂など、代々の立花家の品々が展示されている。

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さまざまな鎧兜。

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こちらは変わり兜。

刀剣類は刀が一振りだけ展示されていた。

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茶道具。

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ひな飾り用の什器。小さいけれど精巧に作られている。

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貝合わせの貝と貝桶。

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御所人形。

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御所人形は拝領人形だったのだ。

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ここに書かれた御所人形に先行する嵯峨人形の裸嵯峨。

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こちらは賀茂人形。

丁寧に拝見させていただいた。満足して北原白秋ゆかりの場所へ向かう。歩いてそれほど遠くない。

ひな飾りとさげもん

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一回奥のさげもんの部屋を見に行く。こういうぶら下がっている飾り物のことを「さげもん」というようだ。

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みごとなひな飾りとさげもん。

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ひな壇下の人形が愛らしい。

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なにかお話ししているようだ。

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さげもん。

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お内裏様。

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きれいだ。

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一通り西洋館内は見たので、資料館に向かう。

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あらためて外から西洋館を見る。まだ小雨が降っている。

2023年12月17日 (日)

柳川藩主立花邸御花

柳川へ行ったら、必ず見るべき場所はこの立花邸御花である。大名屋敷から伯爵邸へ、その7000坪の敷地の邸宅と庭園は見応えがある。

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最初は北原白秋記念館へ行こうと思ったのだが、駐車場がうまく見つけられずにこの立花邸御花の近くへ駐めることになった。ご覧の通りの雨降りなので、西洋館の御花と立花家の資料館を先に見ることにした。

チケットを買うと、まず西洋館の二階から庭園の松濤園を眺めるよう勧められた。

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二階へ上がる。ここからテラスへ出ることができる。

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みごとな庭園が見下ろせる。

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テラスの横を見る。

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後でこの建物へ行く。

テラスをぐるりと回って裏手を覗くと、

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お堀が見下ろせる。

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先ほど見えていた建物の二階に上がる。

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クリスマスの飾り付けらしい。

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豪華な応接間。

このあと少し飾り物やおひな様を見る。

日田・大原八幡宮

今朝は福岡県の柳川にいる。昨晩から急に寒くなり、今日は白いものがちらつくという予報だったが、今のところなにも降ってはいない。

昨朝は、日田で一番大きな神社の大原八幡宮に詣でた。

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二礼二拍手して一礼する。拝礼していたら神社の人に「おはようございます」と声をかけられた。

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この神社は大きな木がたくさんあって、古い神社だとわかる。

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駐車場側の入り口だと正門とは違うところから入ることになる。

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長く長く生き続けてなにを考え、なにを見てきたのだろうか。

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本殿を横から見る。

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脇社がならんでいる。

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これが正門。

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神馬。

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神牛。

立派な神社の神聖な空気を浴びて邪気を払うことができた。傘を差すほどではないけれど霧雨が降り続けている。これで日田をあとにする。

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日田から柳川に向かう。自動車専用道路で走れば分けないが、九州を感じるために地道を走ることにする。霧雨が次第に本格的な雨に変わっていく。柳川まで約70キロ、途中、久留米を通過する。

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久留米市内に入る十キロほど手前から渋滞。事故でも工事でもない。恒常的な渋滞のようだ。「ゆとりゆっくり  ゆずりあい」の文字がむなしい。ずいぶん時間を食ったが、今日は移動距離も少ないのでゆとりである。

柳川は立花宗茂ゆかりの地であり、同時に北原白秋のふるさとでもある。

耶馬溪・青洞門

思いのほかの好天になったので、日田から中津方向へ足をのばし、耶馬溪(やばけい)を見に行く。十数年前にはじめてきたときは、中津を拠点に国東半島や耶馬溪を見て回った。耶馬溪は深耶馬渓とか裏耶馬溪とかを見たのだが、青洞門(あおのどうもん)は通過してしまって、みていない。

青洞門といえば菊池寛の『恩讐の彼方に』でよく知られている。

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耶馬溪の絶景。

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青洞門の説明。

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この洞窟が青洞門。あとでここを通ってみた。

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橋が架かっているので渡る。川は山国川。

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橋の上からの眺望。

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どうしてこういう地形ができたのだろう。

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岩が岩に被さり押しつぶしたかのようだ。

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どうしてこんな屹立した岩ができたのだろう。

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対岸に渡り、見上げる。

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東郷平八郎が耶馬溪を新三景と讃した碑。

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はるか遠くの山も、こんな様子をしている。いわゆる日田往還と呼ばれた道の耶馬溪町周辺ではそこら中に見ることが出来る。

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絶景を堪能して、トンネルを抜けて日田に帰った。夜、雨。飲み屋を出て、雨に降られながら帰った。

2023年12月16日 (土)

念願の咸宜園を訪ねる

当時日本一といわれた学塾、咸宜園(かんぎえん)を訪ねる。開塾は広瀬淡窓。多いときは一年に230人の新入塾を受け入れていた。6~7年で学を修めるのがふつうなので、常に千人前後の塾生がいたことになる。

咸とはことごとく、宜はよろしいという意味である。塾生は入塾時にすべて平等であり、身分は問わない。その代わり成績によって進級する。いつまでたっても進級できない者もいたようだ。入塾生は全国からやってくる。幕府や藩や寺から優秀な者が選ばれて来ることが多い。束脩(学費)は年二分(一両の半分)。それで足りるはずがないので、その補填を廣瀬家がまかなっていた。評判が評判を呼び、全国から入塾者が集まった。

明治になって閉塾するまでに約五千人が学んだ。大村益次郎や高野長英が有名だが、明治政府や医学、教育界に貢献した人たちも多い。

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入り口。

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建物は十以上あったようでとても広かった。全寮制。

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こういう建物の跡があちこちに残っている。

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ぐるりを回る。この建物は再建修理されたもの。

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別の建物を見に行く。あとでこれが広瀬淡窓の接客や入塾者を受け入れる場所だと教えてもらった。

教えてくれた方は「つまりこれは校長室みたいなものです」とおっしゃった。

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この左手奥で、スーツ姿の人が竹ぼうきで庭掃除をしていた。

声をかけたら「時間があるなら少し説明をしましょうか」といわれ、座敷に上がるように促された。

それか30分以上、システム、教育理念などについての詳細な説明をしていただいた。葉室麟もたびたび訪ねていたようで、彼にも説明をしたという。「ほとんどご存じのことばかりのようでしたが、あるところからくわっと目を見開いてこちらを見つめました」といった。「休道の詩」という広瀬淡窓の漢詩を説明したときだという。広瀬淡窓は、その詩を侵入塾者の胸に向かって打ち込むように聞かせたそうだ。

そういって説明してくれたのは廣瀬資料館の常務理事で館長の中島さんだ。詩の意味の説明のあと、私に向かって、朗々とその漢詩の詩吟をうたった。私の胸にも届いた。

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お願いして写真を撮らせてもらった。後ろの紙のパネルなどは私に説明するために引っ張り出してくれたもの。本当にありがとうございました。お蔭で訪ねた甲斐があって、忘れられない思い出となった。

日田・豆田町を歩く

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御幸橋を渡って豆田町の御幸通りを歩く。

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建物に統一感がある。

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中心部へ至ると人通りが増える。中国人の団体も多かった。にぎやかなのですぐわかる。

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こういう風景が好いと思う。

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小鹿田焼(おんたやき)というのが日田にはある。ちょっと好いなあと思う皿があったが、荷物になるのであきらめた。このとき少しくたびれていた。

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こういう店は覗きたくなる。

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ぐるっと回って、これは上町通り。

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ここでなにか買おうと物色したが、いまひとつ買いたいものが見当たらず。

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高台が月隈城址。

次回は、私が日田で最も訪ねたいと思っていた咸宜園。

日田を歩く

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昨朝の宿の窓からの景色。朝七時を過ぎていたが暗い。夜中雨が降って、路面は濡れている。今降っているのかどうか判然としない。

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別の方向。日田は山が近いのだ。

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宿はこの日田駅のすぐ近く。Iがない。日田に愛がないというわけではないだろう。

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日田は『進撃の巨人』の諫山創の出身地。

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雨が降らないうちに咸宜園を見に行く。咸宜園については別途報告する。壁が蔦でアートのようだ。この先のガード下を潜れば10分あまりでつく。

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咸宜園を見たあと、前日の豆田町に向かったのだが、方向を間違えて30分以上遠回りし、汗だくになった。この日は異常に暑かったのだ。そうこうしているうちに空が晴れてきた。これは月隈公園。月隈城の城址である。

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花月川。ここを渡れば豆田町に至る。花月川は三隈川(筑後川)に合流する。

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これが昨日見学した廣瀬資料館。

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路地を挟んでまだ廣瀬家の邸宅は続いている。

豆田町については次回に。

2023年12月15日 (金)

広瀬記念館

日田は、豊前、豊後、筑前、筑後、肥後の各地に境を接し、大山川、玖珠川、筑後川、山国川などによって四方に通ずる、古くからの交通の要衝であった。(廣瀬資料館のパンフレットより)

豊臣秀吉はここを直轄の支配地とし、徳川幕府も一時は譜代藩の領地としたが後に天領とした。つまり代官支配としたのである(後に郡代)。代官支配というと黄門様に出てくるような悪代官を想像するが、実は有能で清廉な人物が幕府から選ばれて赴任するので、悪代官はほとんどいなかった。天領は大名支配地よりも税金が安いことが多いので、人々は暮らしやすかったし繁栄した。とくにこの日田は豊かな場所であった。

廣瀬家は掛屋を業務としていた。掛屋は幕府や拡販の公金の出納・管理を行っていた。つまり金融業である。日田商人は流通を握り、商業を担うとともに代官所と各藩の公用を取り次ぐ役目を持ち、そのうちの最も有力な商人が掛屋となった。日田の掛屋は求めに応じて九州各藩に貸し付けを行い、莫大な利益を得ていた。この貸金を「日田金」といった。

廣瀬家五代目の廣瀬三郎右衛門(号・桃秋)の息子として生まれた広瀬淡窓は将来病弱で、学問を志すことにして家督を継がずに六代目を弟の久兵衛に託した。この広瀬淡窓の名前は承知していたが、詳しく知ったのは葉室麟の小説による。以前から日田を訪ねたいという思いが強くなり、遠路やってきたのだ。

廣瀬資料館は廣瀬家について、そしてそれとともに日田天領についてのことを知るための場所である。

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廣瀬家住宅。壁は漆喰の白壁を上塗りしない質素なものだったという。写真ではわからないが雨が降っている。ときどき強く降った。

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邸内あちこちに、小さいけれどよく手入れのされた庭園がある。

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広瀬淡窓。学者であり、学塾の咸宜園(かんぎえん)を開いた。咸宜園には日本全国から多くの塾生が集まり、全国に散っていった。かれらは後に明治の世を支える役割を担った。

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妹の秋子(ときこ)。病弱な兄の淡窓を親身で看病した。後に宮廷に仕える。すぐれた女性だったのだろう。

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廣瀬家六代目を継いだ久兵衛。淡窓の咸宜園を支えたのは彼であり、また日田天領の繁栄もかれが支えた。

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邸内から庭を臨む。

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淡窓の座右の銘。身を低く持し、心は高く持つ、という意味かと思う。

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淡窓の英彦山(ひこさん)を讃する詩。健は淡窓の本名。

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掛屋の帳場。

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両替は金融業の掛屋として大事な仕事だった。

周辺は御幸通り、上町通りなど見所が多いのだが、本降りの雨なので少しだけ歩いたけれど早々に宿へ向かった。翌日再チャレンジして写真を撮るつもり。さて天候は・・・。

倉吉寸景

倉吉の少し高台に市役所や博物館、民族資料館があり、運動場や体育館、さらに散策するような公園が整備されている。明治時代に、皇太子だった大正天皇が来られて、それを記念してここに広い公園が作られたのだそうだ。打吹公園(うつぶきこうえん)という。ここに車を置いて公園を少し散策した。

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ここに羽衣の池という小さな池がある。倉吉を舞台にした寅さんの映画があり、このあたりで撮影したシーンがあるそうだ。シリーズはすべて揃えているのであとで見直すことにしよう。

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羽衣の池の由緒書き。天女伝説に由来するらしい。

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倉吉は横綱の琴櫻の出身地らしい。記念館があり、その前に車を置くことができる。ここのほうが白壁土蔵群に近い。

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好い顔をしている。実際の琴櫻に似ていないことはない。

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打吹流しびなとある。像から見て、人型ではなく、雛を書いた板を流したのだろうか。

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用水のところどころに大きな鯉がいる。水が豊かなのだろう、澄んだ美しい流れである。

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カエルもいて、日向ぼっこしていた。

倉吉の白壁土蔵群

燕趙園のある湯梨浜は隣町なので倉吉までは近い。最初、倉吉郊外の見所といわれる寺へ行ってみたのだけれど、なにほどのこともなく、チラリと眺めただけで市内へ戻った。土蔵群を見る前に博物館と民族資料館に立ち寄ろうとそちらの駐車場に行ったのだが、展示の多くが準備中、となっていて、雰囲気的にお客は受け入れたくありません、と感じられたので、見るのをあきらめてそこに車を置かせてもらって土蔵群へ向かった。

標識はあるのだがわかりにくい。それらしきところをウロウロする。

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おお、これがそうらしい。こんな風景、見たことがあるようなそうでもないような。

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脇の川は玉川というのだ。

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日差しのあるところと日陰のコントラストが強くて写真を撮るのがむずかしい。

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ということである。

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車でなければこういうところでちょっと試飲をお願いするのだけれど・・・。

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こうして振り返ればたしかにみごとといえる。

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赤瓦の建物は全部で十八軒あるようだ。私がよく行く津和野は赤瓦だらけだ。山陰は赤瓦が多い。赤瓦でなければ北陸と同様黒い塗り瓦である。雪が降るからだろう。雪が滑り落ちやすいし、水もしみこまない。

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白壁土蔵群を堪能してから少し周辺をぶらつく。その写真は次回に。

2023年12月14日 (木)

九州は遠かった

いまのビジネスホテルは大浴場がついているところが多いのでありがたい。昨晩は食事メインでお酒を少し、のつもりがなかなか適当な店がなくて、倉吉駅周辺を探し回った。本来の繁華街は駅周辺ではないようだ。お蔭で一日の歩数は一万を超えた。

夜はくたびれて風呂に入らずに即討ち死に。朝早く目覚めて大浴場に行く。さっぱりして早めに朝食を摂り、八時過ぎには出発した。目的地の大分県日田をナビに入れるとなんと570キロもある。到着は四時前の予測。

走りに走った。九州は遠いなあ。少し飛ばしたので三時過ぎには淡窓旧宅に到着。広瀬淡窓(ひろせたんそう)の記念館だ。あとでそこを撮った写真とともに広瀬淡窓については説明するつもりである。

関門橋をわたったら小雨がパラつきだし、次第に雨脚が強くなり本降りとなる。九州道はとても車が多い。なんとなく追い越し方のマナーが悪い車が多いように感じた。雨の道はこわいからゆっくり走る。日田まで切れめなく自動車専用道路が続いているのでありがたかった。日田へついても雨は降り続いていて、豆田町の観光街路も雨。それでも人が沢山いる。狭い道を車が行き交い、観光客が沢山いるから活気はあるが歩きにくい。雨なので豆田町は明日また行ってみることにする。明日は咸宜園(かんぎえん)がメインだ。

リタイアした翌年に国東半島、耶馬溪、阿蘇山などを走り回り、耶馬溪からの道で日田は通過したことがある。そのときにいつかゆっくり来ようと思っていた。その念願が叶ったのだ。あしたは晴れなくてもいいから雨は止んで欲しい。今日も駅に近いビジネスホテルなので、晩飯はなし。ひと息入れたら駅周辺を散策して一杯やるつもりである。雨はいやだなあ、良い店があると好いなあ。

倉吉の報告が後回しになるけれど、明日朝掲載します。いつもこうやってどんどんずれていく。

燕趙園

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もう行けない中国が懐かしくて、たくさん写真を撮ってしまった。残りの一部を掲載する。

ごらんのように快晴。

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それなりにちらほらと人はいる。併設された中華料理店ではそこそこ混んでいたので、あちこちら散らばっていたのだ。中華料理店は街の食堂の雰囲気で、悪くなかった。大声の中国のおばさんがひとりで奮闘していた。

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こんなのも中国らしい。

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高いところの亭から見下ろす。

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イベントで雑技団を見ることが出来るが、それを待ってみていたのではほかへ行けなくなる。

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孔子がいた。ほかに孟子もいて、

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孫子もいた。みなリアル。

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西王母と八大仙人。

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一番高いところにいるこの若いのが西王母。

天気は好いけれど風か冷たい。身体が冷えてしまった。倉吉へ向かう。見所といわれる白壁土蔵群を見に行く。

中国地方の中国

京都から見て東側を東国、西を西国と言っていたのだろう。それが西国が九州のことを言うようになり、その間を中国というようになったのではないか。国としての中国と、昔から呼び習わされていた日本国内の中国地方とは、よく考えるとまぎらわしい。もともとは国としての中国のことは中国と呼ばずに唐(から)の国といっていたので<むかしは問題なかったのだろう。

その中国地方に中国の庭園がある。

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昨日とは違った方向から。

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燕趙園(えんちょうえん)の入り口。入園料500円を払うと、中国服を着たお姉さんが飛んできて、簡単に園内の回り方と見所の説明をしてくれる。

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渡されるパンフレットの中にこれと同じ地図が入っている。この庭園は山陰八景の一つである東郷湖という湖の畔に立てられている。庭園の向こうは海ではなくて湖だ。

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入り口近くの小さな建物でこんなお出迎えがあった。

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庭園のあちこちに山茶花が咲いている。中国はこういう石が好きである。

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こういう回廊を歩いていると頤和園を思い出した。スケールが違うのは致し方ない。

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中国で撮った、といって見せたら、中国に行ったことのない人は信じるだろうか。

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これが東郷湖。案外大きい。

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壁の透かしから湖を望む。

中国が嫌いな人には何でわざわざこんなところを見に行くのだ、といわれそうだ。

中国の名園と言えば、蘇州の拙政園が第一といわれる。息子と二人で見に行った。ガイド付きのツアーだったのでせかされてゆっくり観られなかったのが残念だったが、聞いていた以上にすばらしい庭園だった。そういうものが記憶にあると、こういうところを見ることで甦るのだ。

2023年12月13日 (水)

無事倉吉に到着

大阪を通らずに倉吉へ行きたいと思い、遠回りだが、敦賀、小浜、舞鶴を経由して走った。一車線のところはあるものの、ずっと自動車専用道路だから快適に走る。小浜舞鶴道路が全通しているのでそのまま福知山周辺で地道に出て、山陰海岸へ向かってもよかったのだが、ナビは吉川(よかわ)から中国道を指示するのでそれに従った。途中から鳥取道へ移る。鳥取道はトンネルだらけだ。

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途中で何度かトイレ休憩した。トイレだけの小さなパーキングで眺めおろしたときに撮った写真だが、なんというところで撮ったのか忘れた。あたりまえの景色なのに、白内障の手術のあとにはこういう景色がとても好い景色に感じるようになった。日本の里山っていいなあと思う。

鳥取を通過し、倉吉の手前の湯梨浜にある中国庭園『燕趙園』に立ち寄る。地図を眺めていて見つけたのだ。

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まるで中国で見た庭園の景色のようだった。それもそのはず、鳥取県と中国の河北省が友好を記念して協同で造った庭園で、材料はすべて中国から持ち込んだ本格的な庭園だ。詳しい写真は整理して明日の朝紹介する。ここに併設されていた中華料理店で遅い昼食を摂る。そのあと倉吉へ行き(近い)白壁の町並みを散策した。

500キロ近く走ったので、くたびれた。とにかくひと汗流してからちょっと一杯やらないとクールダウンできない。なので本日の報告はこれまで。

自分と他人はちがう

 自分と他人は違う。あたりまえのことである。寅さんも言っているではないか。「おれが芋食ってお前が屁をするか? 俺とお前はちがうんだよ」

 

 「わかる」ということの意味を本当にわかったのは、この「自分と他人は違う」ということを理解したときだ。もちろんそのわかり方には無限の階梯があって、私などほんの一皮めくった程度のわかり方だ。しかし一皮めくるというのは二次元の視点から脱して、三次元への視点を獲得するということで、世界がガラリと変わる。

 

 そのことを教えてもらったのは森本哲郎という人の本による。

 

 しばしば「誤解」という。誤解というなら誤解ではない正解というのがあるのが前提だが、本当にそんなものが必ずあるものだろうか。他人は自分とは同じように考えないものだ、ということを本当にわかったところから相手を知り、理解することがはじまる。

 

 「相手が誤解している」のだから悪いのは相手だ、という考え方が横行していてしばしば不愉快になる。自分がそうでないように気をつけているのだができているだろうか。対話には相手をリスペクトする(敬意を払う)ための作法が必要だということはそういうことだろうと思っている。

さあ出発

 これから長駆、西に向かう。通ったことはある、というところと、まったく初めて、というところばかりに行く予定を立てている。泊まるところはすべて初めてのところだ。あまり盛りだくさんにしないつもりではあるが、いちおうネットで立ち寄り先を調べておいた。準備万端、とは言いがたいが、いちおう用意はできている。

 

 今晩は鳥取県の倉吉に宿を取った。もっと西へ行くので、ここでひと息いれることにしている。

 

 さあ、出発だ。安全運転だ。

 世の中はみな師走で忙しいというのに、自分だけ脳天気でまことに申し訳ない。

2023年12月12日 (火)

忙しくする

 今月のカレンダーに書きこむような用事は何もなくなった。歯医者、眼科、糖尿病内科、泌尿器科の定期検診はすべて来月である。妻の病院は支払いだけ行けばいい。全くのフリーになったので、自分で忙しくすることにした。

 

 明日からちょっと遠出をする。思い立ってすぐに、宿の予約はすべて済ませた。どこへ行くのかは、行った先からの逐時の報告をするつもりである。半分は初めてのところで、いまからワクワクしている。さあ、走りまくるぞ。

 

 あっ・・・そういえば年賀状が未だだった。なんとかなるだろう。

テロリスト

 イギリスBBC放送が、ハマスをテロリストと報じないのは間違っているとして、政界やユダヤ系の人々、そしてそれにシンパシーをもっている人たちから激しく非難されているらしい。

 

 ハマスがイスラエルを攻撃し、人質を取ったという行動だけを見れば、たしかにテロであり、ハマスをテロリストと見なすことができる。しかしそのあとの、見ようによっては、ハマスの攻撃を「待ってました!」とばかりの過剰な反撃をつづけているイスラエルの行動を見ていると、一方的にハマスをテロリストと断じてしまうことは、全面的にイスラエル側に立つ報道姿勢となってしまうとBBCは考えたのだろう。だから非難に対して迎合せず、テロリストという言い方をしていない。日本のマスコミにはこのような毅然とした姿勢を見ることはない気がする。

 

 イスラエルは弱みを見せればたちまちアラブ諸国に呑み込まれてしまう。イランはそれを承知で、うしろでパレスチナやイエメンのフーシ派などの糸を引いているのだという。しかしイスラエルが過剰な反撃を続け、万をはるかに越える(もうすぐ二万人になりそうだ)一般市民の殺害をつづけていれば、アラブ諸国以外でもイスラエルに反発を感じる人が増えていくだろう。現にそうなりつつある。

 

 怨みは増大することはあっても解消することはなかなかないことは、日本人ならよく承知しているだろう。いまイスラエルは、そしてユダヤ人たちはその怨みを増大させつづけている。その怨みこそテロリストを生むものだ。イスラエルは自国を維持するための戦いで、却って亡国の道に向かっているのではないか。一方的にハマスをテロリストと報道しないBBCは、そういう危惧を理解しているように思う。

ちょっと歩く

 昨日は、このところしばらく歩いていなかったので、高齢者講習を受けた後、自宅に帰らずに名古屋へ行った。講習場所の近くを通る地下鉄は駅を通らない。名古屋営業所時代はこの地下鉄で通っていたので、そのときの駅(丸の内)で降りて名古屋駅まで二駅分歩く。会社のあったあたりには行きつけの飲み屋が五六件あったけれど、そのあたりを眺めても、名前が変わっている店ばかりになっていた。様変わりに、浦島太郎の気分である。

 

歩いて20分あまり。途中にジュンク堂があるので久しぶりに店内を縦覧する。いけない、また鞄に入りきれないほど本を買ってしまった。それでも買いたいと思った本の半分以下である。これでも我慢したのである。

 

 名古屋駅についたら名鉄の前に行列がみえた。そうだ、ここは宝くじ売り場で、よく当たるといわれる売り場なのだ。リタイアしてからは宝くじを買ったのは一度か二度あっただろうか。なにしろ高額当選しても使い道があまり思いつかないのだ。もう世界旅行がしたいと思わないし、これ以上本があっても読み切れないからしようがない。

 

 と思いながら、つい後ろにならんでしまった。当たっても当たらなくても報告はしない。当たった、などと知るとお友達や親類が増えるそうだ。あらためてなにに使うか考えたが、思い当たらなかった。要らないと思うと当たったりするという。当たったらどうしよう。

 

 帰ったら、歩数は7000歩を超えていた。息子から日本酒が送られてきた。正月に飲もう。正月まで保つかなあ。

2023年12月11日 (月)

聞きしに勝る

 予約していた自動車教習所で、高齢者講習を受けてきた。実車指導、視力検査、そして安全運転についての若干の講習があった。実車指導は教習所内を指導員の指示通りに走る。次々に指示があるので、その指示の意味を瞬時に理解して速めに動作しないとならない。前回のときには方向指示の出し方が遅いなどと注意された。今回はそれを意識したので「ベリーグッド、まったく問題ありません」と言われた。みんなに言っているのかも知れないけれど、嬉しい。

 

 今回は総勢で十人あまり、半分以上が八十過ぎであった。75歳以下は私を含めて三人だけで、ヤング組などと呼ばれて、別扱いであった。なにしろヤング組以外は耳が遠いし(その代わり声が不必要に大きくて、くどい)勘違いだらけでやたらに手間がかかる。最高齢の88歳は、明らかに運転不適格に見えた。なにしろ視力検査で「見えない」などと言うので指導員が確認したら、老眼鏡をかけていた。そりゃ見えない。その眼鏡で運転しているのですか、と指導員が呆れ果てていた。それでも訊くと毎日運転しているそうである。わあこわい。あんな人が路上にいるのだなあ。

 

 先日読んだ『不老脳』という本では、運転はできる間はつづけるほうが老化を遅らせられる、と書いてあったけれど、限度がある。ヤング組の私はまだまだ大丈夫、などと自信を持ったけれど、それでよかったのかな。

今月いままでに読んだ本

 現役時代は忙しいときでも年間に150~200冊くらいは読んでいた。仕事柄出張も多く、移動の列車内で読む時間もあったし、酔っていても寝る前に本を呼んでいた。半分以上がエンターテインメント本だから、たくさん読めたということはある。

 

 リタイアしたらすくなくとも毎年200冊以上読めると思っていたら、あに図らんや現役時代とほとんど変わらない。なかなか200冊は超えられない。読む本の傾向が変わり、歴史関係の本や紀行本、随筆、評論などの本を読むことが多くなったこともある。娯楽本のようなペースで読むことはできない。

 

 歳とともに読むペースが落ちている。読むスピードはそれほど落ちていないけれど、集中力の持続する時間が短くなったのだ。今年など、月に五六冊しか読めないこともしばしばあった。今月はそういう意味ではめずらしく好いペースで読めている。

 

月初めから読了した本
 和田秀樹『不老脳』
 内田樹『街場の成熟論』
 養老孟司『老い方 死に方』
 養老孟司『ものがわかるということ』
 曾野綾子『堕落と文学』
 宮城谷昌光『諸葛亮 上』
 酒見賢一『弱虫泣き虫諸葛孔明 第壱部』

 

前月に読みかけたものもある。

 

いま読み始めたり読みかけている本 
酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部』
 宮城谷昌光『諸葛亮 下』
 曾野綾子『夜明けの新聞の匂い』
 井上進『顧炎武』
 村上陽一郎『死ねない時代の哲学』
 養老孟司『なるようになる』
 奥野信太郎『中国文学十二話』

 

急に本が読めなくなったりするから、これからどれだけ読み進められるだろうか。

これから高齢者講習

 来年、運転免許更新なので、事前に高齢者講習を受けておかなければならない。前回は、更新の二三ヶ月前でいいだろうと思っていたら、事故に遭ってしまい入院したのでギリギリになった。予約が取れないところを頼み込んで講習を受けることができたのだが、そのときにはまだ事故から一月足らずだったから身体は万全ではなく、講習場所の自動車教習所への行き帰りだけでくたびれ果てた。

 

 今回は案内が来てすぐに予約したので指定講習期間のほとんど初日にあたる今日である。特に不調ではないので、早く済ませたい。幸い好天とはいえないものの雨には降られずに済みそうだ。というのは前回は雨に降られたからだ。寒さも辛かった。

 

 ここ数日、本がせっせと読めていて、本を読み、本を置いてぼんやりし、という時間の過ごし方をしている。本は読めるけれど出かけるほどの気力はなく、暮れに挨拶に行きたい先輩のところや、友人との忘年会をかねての会食も、したいと思いながら声をかけずにいる。無理はいけないと思いながら気持ちを奮い立たせて動くことも必要だなあとも思っている。

 

 本当は年内に九州あたりに出かける計画も立ててあるのだが、行けるだろうか。

2023年12月10日 (日)

なんたるていたらく

 自民党の政治資金パーティにともなう収支報告違反、政治資金規正法違反問題が騒ぎになっている。法律に、してはいけないとされていることをすれば糺弾されるのはあたりまえのことで、それが何年も慣例的に続いていたとなれば言い訳しようもない。司法の手が入ればいずれすべて明らかになるのだから、事実を認めて潔くごめんなさいするしかないではないか。

 

 結果が見えてきたのにいまだにジタバタしているすがたは見苦しい。集金力のあるところに余分に金が集まり、その金を裏金に使用したらしいということで、金の集まらないところにはキックバックの元手も集まらないから、実力者ばかりが槍玉に挙がるのは致し方のないことだ。清潔に見えるのは、集金力がないからだけかもしれない。

 

 とにかく実力不足でも、クリーンそうな人を立ててこの場をしのぐしかない。古くは三木武夫首相が擁立されたのはそういうときだった。それでもなんとかなりそうな人はいないのか。それにしても岸田首相の危機感のなさは鈍感によるものなのか、そもそもうろたえてしまって、どうしていいか皆目わからないことによるものなのか。どうも後者であるように見える。だからなんの決断もできないし、対策が取れないのだろう。いまはごまかすことに頭を使ってもしかたがないので、これからどうするか考えるしかないではないか。

 習近平はにんまりしているだろう。尖閣、要注意だ。

フェイク

 報道がフェイクに満ちているという。ではフェイクに騙されないようにするにはどうしたらいいのだろうか。

 

養老孟司の本を読んでいたら、こんな下りがあった。

 

 トランプのようにフェイクが大好きで、フェイクをどんどん利用する人がいたとしても、受け取るほうが騙されなければいいんです。政治家からすると、そうした頭が冷えている人たちが一番扱いにくい。フェイクを発信する人の意欲を削ごうなどと、そちらに目線を向けると同じ土俵に立たされてしまいます。周りがそれを情報として受け入れなければ、広がることはありません。関係ないよと、そっぽを向いておくのが一番いいんです。問題はあなたにあるでしょう、ということです。

 

 なまじなにが正しいのか、などと情報をあさるからフェイクにはまる。自分などそれほど正しい判断ができる人間ではないと自覚しているから、怪しげなものには目を向けないようにするしかないのだ。むつかしいけど。人は知りたい情報ばかりを集めるものだ。これは〇、これは×、とはじめから決めて情報を集めても、ほとんど意味はないしなあ。

キャンディーズ

 昨晩はNHKBSでキャンディーズの特集が続いたので、キャンディーズ三昧の夜となった。あの時代にタイムスリップして、しばし年を忘れさせてもらった。思えば彼女たちの歌を聴いていたのは、私がまだ二十代のときであったのだ。それ以後、アイドルの歌を聴くこともなくなったような気がする。

 

 それにしても今回ミキちゃんの美人であることに改めて気がついた。

2023年12月 9日 (土)

歴史の淘汰圧

 集英社の『アジア人物史』というシリーズの月報に内田樹が寄せた文章が『街場の成熟論』に収録されていた。

 

 歴史の風雪に耐えたものだけが生き残り、歴史の淘汰圧に耐えきれなかったものは消えてゆく。よくそう言われる。でも、それほど軽々しくこのような命題に頷いてよいのだろうか。私は懐疑的である。

 

 この書き出しの言葉に私は賛同する。

 

 歴史の淘汰圧は常に正しく、残るべきものは必ず残り、消えるべきものは必ず消える。歴史という審級は過たず残るものと消えるものを判別するという信憑のことを「歴史主義」と仮に呼ぶとする。「歴史は絶対精神の顕現過程である」とか「歴史は真理が不可逆的に全体化していく過程である」 とか「歴史は鉄の法則性に貫かれている」とかいう考え方をする人たちのことを私は「歴史主義者」と呼ぶ。私が勝手にそう命名しているだけで、別に一般性を請求する気はない。そして、これもまた個人の感想であるが、私は歴史主義に対してかなり懐疑的である。
「・・・の時代は終わった」とか「これからは・・・の時代だ」とかいう広告代理店が好む言葉づかいは典型的に歴史主義的なものである。だがThe latest is the best「一番新しいものが最高だ」というのは、少し考えればわかるけれど、まったく事実ではない。

 

 このあと歴史家の役割について考えを述べた後に、司馬遷の『史記』の列伝の冒頭、『伯夷列伝』を取り上げて、司馬遷が「天道は是か非か」 と記したことを論じている。私も歴史主義に対してはこの言葉をすぐ連想する。そしてこの伯夷叔斉のことを記して残した司馬遷の行為こそが歴史家としての役割そのものではないか、という言葉に賛同する。むかしはどうしてこのような人のことを列伝の冒頭に取り上げたのかわからなかったものだ。いまはちょっとだけわかる。

メモ

 手許のメモの片隅に

「グローバリズム 競争相手が退場しても楽にならない世界」

 と書いてある。

 

たぶん、日本の酪農の危機的状況を報じたドキュメントを観たときに記したものだろう。

 

 同じようなことを繰り返して申し訳ないが、五十年ほど前に、私が新人として繊維産業の工場に営業回りをはじめたころに実感したことと、この酪農の危機的状況に共通するものを感じた。

 

 その頃日本の繊維産業は衰退をはじめており、生き残りをかけて同業者同士が血みどろの戦いを繰り広げていた。企業には採算ラインというものがある。それを割り込めば赤字になって経営は成り立たない。こどもでもわかることである。ところが明らかに採算を割ってでも競争に勝ち残ろうとする企業が必ずいる。結果的に共倒れが続出した。日本の繊維産業は多くが分業形態だったので、生産ラインの一部が減少すれば全体が生産に支障を来していく。

 

 下請けの廃業倒産で支障を来した委託企業からしばしば聞いたのが、「そこまで追い詰められているのならもう少し値上げを受け入れたのに」という言葉だった。いま日本の酪農の危機がこのまま推移すれば、たぶん生乳や国産の畜肉は供給不能になって行くにちがいない。飼料などの高騰で採算が合わずに廃業している業者が続出しているからだ。

 

 大手メーカーやスーパーは顧客が値上げを嫌い、このままでは需要そのものが減少してしまう、という口実の元に生産者に不採算を強いている。結果的に供給元を根絶やしにすることになるだろう。「そこまで困っていたなら・・・」とあとで言うにちがいない。

 

 冒頭のメモは、目先の競争相手との戦いを生き抜いても、実は競争相手が日本の外に、つまり世界にあるのだからという意味だ。それがグローバリズムというものだ。安いものが海外で生産できるのならそれを購入すれば良いと考え、産業そのものの衰退消滅を放置した。つまり見殺しにしてきた。それが正しいグローバリズムというものだと思ったのかも知れない。

 

 その海外から調達できるはずのものが、中国やインドなどの爆発的な需要拡大によって調達できない事態になりつつある。世界が不安定化することで、グローバリズムそのものが破綻しつつある。そのときにあわてて自国で供給を・・・と思っても、一度失われたものは簡単には回復しないのだ。

 

 日本はデフレ時代がずっと続いてきた。コストを人件費削減でカバーしてきたから給料が上がるはずはない。研究開発費を削り、投資を控え、人件費を削って、価格を上げずにいて、結果的になにが残ったのか。残すべきものが失われつつあるという事実だ。値上げは悪だ、という大衆迎合してみせるマスコミは、そもそもなにも生産していない観念の世界に生きている。

 

 少子化だってその結果だといえないことはない。国を挙げての人員削減である。そんなことを考えたりした。

並行して読む

 三国志の諸葛孔明という同じ人物を扱いながら、全く違う人物像として描いた本を並行して読んでいる。ひとつは宮城谷昌光の『諸葛亮(上下二巻)』、ひとつは先日亡くなった酒見賢一の『泣き虫 弱虫 諸葛孔明(全五巻)』である。

 

 宮城谷昌光は端正な、おなじみの孔明、酒見賢一はアニメ的な孔明で、関わる人物達の描き方もとんでもなく違う。あまりにも違いながら、しかしながら史実に即しているから、同じ展開になっていくのが面白い。

 

 こんな読み方をしたことはないが、たまたまそういうことになっている。

2023年12月 8日 (金)

受け止めなければならない

 「国民の信頼を損なう事態であると、深刻に受け止めなければならない」と岸田首相は国会の場でおっしゃった。いったい誰が深刻に受け止めるのか、誰に向かって言っているのか、この人はしばしばこのように主語がわからない話し方をする。つまり自分の問題ではなく、他人事なのではないかと思ってしまう。

 

 それとも、深刻に受け止めなければならないのは国民だと言いたいのだろうか。それなら深刻に受け止めることにしようではないか。

無作法と批評性

 内田樹の『街場の成熟論』(文藝春秋)から。

 

 銀行の窓口でも、コンビニのレジでも、信じられないほど無作法な口のききかたをする人に日常的に出会う。

 

 「無作法に振る舞っている人間は正しいからそうしているのである」という推論は間違っている。

 

 ほとんどの場合、過剰に無作法に振る舞っている人間は自分の言い分が論理的には破綻を抱え込んでいることを実は知っている。だからそれを見抜かれぬ為に、相手に考える時間を与えないように怒声を張り上げるのである。

 

 先日、定期検診のために通院している病院で、大声で看護師などに自分の要求を求めている老人を見た。「早く医師の診断を受けさせろ!」といい、「あなたの予約時間はまだ30分先だからお待ちください」と言われても、「何分後になるか医師に確認してこい」、「次は私の番にしろ、私は忙しいのだ」などと喚いている。まだ七十より少し前のシルバーグレイの男で、身なりは尋常、というより少し高級なものを身につけて、見た目は紳士然としているから、いっそう違和感を感じさせる。看護師たちがなにやら怖がっている風なので、よくその目を見て理由がわかった。理非曲直を語る相手ではないようだ。

 

 「過剰な無作法」と精神の混濁は同じものではないか、と感じた。

 

 内田樹はこう若者に語りかける。

 

 若い人たちに申し上げたいのは、「無作法」と「批評性」を混同しないで欲しいということである。

 

 無作法の強度と言明の真理性の間には相関がないということだ。
 
 「批評的でありながらも礼儀正しい語り口」というものがこの世に存在するということである。

 

 マスコミやネットで批評らしきものの言葉の無作法さばかりを目にしていれば、それが「批評」だと思い込んでしまうことはあるだろう。世の中、見聞きするものはそういうものばかり。少し礼儀正しい文章や言葉を探してそれを学ぶ必要があるのだが、まずそれに気づくことができるかどうか。

 

 礼儀とは相手に対するリスペクトから発する。リスペクトを損得でしか考えることができない若者の話ばかり聞かされていて、お節介をする気にもなれない。

五歳児未満

 養老孟司の本(『ものがわかるということ』祥伝社)を読んでいたら、面白い実験の話が書かれていた。

 

 (実験に)参加するのは三歳児と五歳児。舞台に箱Aと箱Bを用意します。
 そこにお姉さんが登場します。箱Aに人形を入れ、箱にふたをして舞台から去ります。
 次に、お母さんが現れます。箱Aに入っている人形を取り出し、箱Bに移します。そして、箱Bにふたをして立ち去ります。
 ふたたびお姉さんが舞台に現れます。
 そこで、舞台を見ていた三歳児と五歳児に、研究者が質問します。「お姉さんが開けるのは、どちらの箱?」
 三歳児は「箱B」と答えます。自分はお母さんが人形を移したことを知っているため、お姉さんも箱Bを開けると考えてしまいます。
 一方、五歳児は「箱A」と答えます。なぜならお姉さんは、お母さんが人形を移したのを見ていないからです。もちろんこちらが正解です。
 三歳児と五歳児は、なぜ違った答えをしたのでしょう。
 五歳児は「自分がお姉さんの立場だったら」と考えました。お姉さんと自分を交換して考えられるのです。
 三歳児には「お姉さんの立場に立つ」ということが出来ません。「人形は箱Bに入っている」ということを自分が知っているように、お姉さんも知っていると思ってしまうのです。
 この他者の心を理解するというはたらきを「心の理論」と呼びます。発達心理学は「心を読む」と表現しますが、私は「交換する」と考えます。かならずしも心を読む必要はなく、「相手の立場だったら」と自分が考えればいいのです。
 この、自分と相手を交換するというはたらきも人間だけのものです。

 

 三菱UFJ銀行に539回の迷惑電話をかけた男が逮捕された。多いときは一日183回、長いときは六時間半におよんだという。
 
 豊島区の陸橋から線路に向けて自転車を投げこみ、走行中のJRの貨物列車と衝突させたとして男が逮捕されたという。

 

 茨城県日立市の市役所と東海村役場に相次いで車で突っ込んだ男が逮捕された。

 

 実験とは直接関係ないが、世の中のクレーマーやモンスターペアレンツ、そしてたまたま目についた上記の事件を起こした人間を見ていると、五歳児に満たない知性の持ち主に思えた。もちろん匿名をいいことに他人を誹謗中傷したりする人間も同類に見える。自分が行ったことが他者にとってどうであるか、それが思慮できないという愚かさという意味で同じだと思う。

 

 正義の味方が正義の名の下に他者を思慮できていないように見えることがあるので、私は市民運動家がしばしば苦手である。

2023年12月 7日 (木)

フレイル

 ここでいうフレイルとはフレイル高齢者のことで、本来、フレイルとは「か弱さ」とか「壊れやすさ」の意味らしい。フレイル高齢者とは、健康寿命を失いかけている状態の高齢者のことをいう。

 

 フレイルかどうかの目安について、いろいろな本や、テレビ番組で知ったことを要約すると

 

1.歩行速度の低下
2.疲れやすい
3.活動性の低下
4.筋力の低下
5.体重減少

 

があげられている。

 

 今年、私は春先に少し寝込んだ。風邪をこじらせたようだ。病院で診察も受けてコロナでもインフルエンザでもないことは確認している。そうして体重が5キロ以上減少し、さらに減少して昨年から較べて6~7キロ少ないまま多少の上下をしながら安定している。持病の糖尿病対策のために散歩を以前よりするようになったとはいえ、意図しているペースとは全く違う急激な体重減少だった。振り返ってみれば、それとともに筋力が衰えて、坂道の上り下りが辛くなり、踏ん張りがきかなくなって些細なことでよろけたりするようになった。尻や腿の肉が落ちた。

 

 散歩のスピードが遅くなったことは以前にもここに書いた。まさにフレイルそのものではないか。

 

 活動性の低下といえば、意欲の低下や抑うつがあげられるそうだ。さまざまなことが面倒になり、人付き合いも減少する。読書量がおち、時間が空費されていると感じている。

 

 そういうことは意識的、または無意識に感じられていたのだが、和田秀樹『不老脳』(新潮新書)や養老孟司の『老い方、死に方』(PHP新書)などという本を立て続けに読んでいたら、きちんと認識されてきた。私はアンチエイジングのためになにかをしたいと思わない。あるがままに自分の老化を受け入れるつもりでいるが、したいこと、し続けたいことはいくつかあるから、それが続けられるように、できることをしようかなと思っている。

起きられない

 今日はドライブに出かけるつもりでどこを走るかスケジュールも決めてあった。しかし結果的にどこにも行かずに録画してあったドキュメントやプライムニュースをぼんやり見ている。起きるつもりの時間に起きられなかったのだ。

 

 昨日夕刻前に散歩して、いつもふつうに歩ける距離を歩いただけなのに身体が重くて歩くリズムが明らかに遅い。どうしたのだろうと自分で怖さを感じた。たまたま不調の日なのか、これからずっとこのように衰えてしまうのか。

 

 風呂に入って汗を流し、晩酌をしてから本を読んでいたら、いつのまにか炬燵でうたた寝をしていた。だいぶ早いけれど、すぐ寝床に入った。心身の疲れも感じていた。夜中に足がつって眼が覚めた。この頃頻繁に足がつる。それ用の薬がそれなりに効くので、辛いときは飲むのだが、こういう薬を飲んでいると次第に効かなくなってくる気がしている。我慢しているうちに収まりはしたがそれから寝られなくなってしまった。

 

 じっとしていればいつか眠れるのに起き出してしまう。静かなピアノ曲を聴きながら囲碁ソフトで何局か遊ぶ。この囲碁ソフトは意地が悪い。ソフトが勝つときは数目差で、私が勝つときは大勝である。自分が勝てないとなるとふてくされて、自殺手を打ってこちらに大勝ちをさせているらしい。ソフトは投了できないようになっているからだろう。さらにソフトは大勝ちしないように、僅差で勝つことにしているようでもある。勝っても負けても口惜しい。こんなことをしていればもちろん眠れるわけがない。

 

 こんなことをしていたので朝起きられなかったし、ブログを書く元気もなかった。以前から考えていたことだが、フレイルというのが現実に自分に起きているという実感がある。そのことはこのあとに書くことにする。

2023年12月 6日 (水)

久しぶりに

 七八年前には、雑誌を含めて月に二十冊ほど本を買っていた。必ずとはいえないが、大方を読むことができた。次第に未読のままになる本が増えたし、経済的にも負担なので、少しずつ買う冊数が減った。コロナ禍もあったから、いまはほとんどAmazonや古書組合からで、合わせて月に五冊程度になっている。手持ちの本の再読再々読も多いので、これでも未読がのこる。

 

 久しぶりに本屋に行った。本棚をざっと見て歩く。さまざまな新刊に、こんな本が出ているのか、と目が行く。気がついたら両手に十冊あまりの本を抱えてレジの前にいた。ほとんど病気である。本屋は鬼門である。

 

 映画が観たい。本も読みたい。ドライブに出かけたい。したいことがあって時間が足らない。最初に読み始めた精神科医の和田秀樹の『不老脳』(新潮新書)という本に、脳の老化は前頭葉を鍛えれば遅らせることができると書いてある。したいことがあるのは前頭葉がまだ衰えきっていないからのようだ。前頭葉は意欲に関係する働きもしているらしい。

 

 日本のミステリー、養老孟司の対談本、そして宮城谷昌光の新刊など、これからせっせと読まないといけない。楽しみで、楽しみがあることが嬉しい。温泉にでも行って、上げ膳据え膳で読書三昧したいけれど、懐具合も考慮しなければならない。前頭葉のためには料理することもよろしいらしいから、上げ膳据え膳はちょっとお預けすることにしよう。

不安定であることの不安

 私は世界が不安定に向かっていると感じているが、もともと世界とはこういうもので、だからことさらに不安を感じる必要はない、なるようになっていく、などという人もいて、その楽観的な考え方に驚く。いままで大丈夫だったからこれからも大丈夫と思えれば、今現に自分に災厄がなければ不安をおぼえることはないのだろう。

 

 世の中がどうなっているのか知るためにニュースを見る。観るテレビ番組はほとんどニュースだ。まず世界がどうなっているのかの断片をBSの海外ニュースやネットで観て、それから国内のニュースを観る。国内のニュースを報じるマスコミは脳天気すぎていて、いかにもなにごとかありそうに報じながら、内実は上に書いたような気楽さが感じられる。それはそういう報じ方を望む日本の国民の意に沿うているのだろう。

 

 アメリカには理念が在る、とアメリカは言い、それを信じた振りをする国々で西側諸国は成り立っている。だけれど本気で信じているのは日本だけだろう。そのほうが楽だからだ。そのアメリカは理念を押し通さずに、実は自国の利益でものごとを判断する。過去からずっとその繰り返しだ。ウクライナでもイスラエルでも、本気で対処してきたと言えるのかどうか。そのことによって、無理が通れば道理は引っ込む、という世界が現出し、ますます不安定化していると私は思うがどうなのだろう。

 

 中国は不動産大手の破綻だけではなく、ついにシャドーバンキング大手の破綻へと波及してきたようだ。中国経済は危機的状況だという専門家がいると思えば、この程度のことではびくともしないという専門家もいて、なにが本当かわからない。中国の行動を不愉快と感じているので、危機的状況だと思いたいからそう見えてしまう。世界各地で金をばらまいて高利貸しのようにその回収で自国の覇権を拡大しようとしている。時代劇の高利貸しが借金のかたに無理やり一切合切をむしり取ろうという図式を見てしまうのは想像力過剰か。

 

 不安定な世界がさらに不安定になれば崩れてしまう、などと観念的に考えて不安に感じるのは心配しすぎなのだろうか。

映画『窓辺にて』

 映画づいている。映画『窓辺にて』は2022年の日本映画。監督・脚本は今泉力哉、稲垣吾郎が主演。観て好かったと思えた映画だった。稲垣吾郎というタレントを、俳優としてすぐれていると以前から思って評価していたが、この映画でさらに評価を高くした。

 

 この映画の良さは静かであることだ。静かで間が多く、必要最小限の台詞が好い。好い台詞が生きるためには俳優の言葉が明晰でなければならない。日本映画にはしばしば台詞が明晰でないためにぶち壊しになっているものが多いが、この映画はすばらしい。

 

 妻の浮気を知りながら、自分が感情的にならないことに奇妙な思いを抱く主人公を、稲垣吾郎が好演している。この映画はある意味で私の苦手な恋愛映画といっていいのだろう。しかし長い映画なのに少しも冗漫な感じがせず、映像も美しい。説明的な部分を極力削って、見ている方が感じることが期待されている。わかりにくい主人公の気持ちが私にはわかるところもあった。こういう気持ちがわかる女性とはたぶん話が合いそうな気がする。

 

 このところあたりの映画が続いていて気分が好い。

 

2023年12月 5日 (火)

映画『愚行録』

 映画『愚行録』(2017年日本)はミステリー作家・貫井徳郎の同名小説を原作とする映画。主演は妻夫木聡。貫井徳郎のミステリーは『慟哭』など、二三冊読んだことがある。読後感の重い小説ばかりだった。この映画の原作は未読。

 

 プロローグでは、バスの座席に座り、ぼんやりしている主人公の姿と、同じバスの中の乗客の姿が丁寧に映されていく。そのバスでのちょっとしたハプニング、そしてバスを降りた主人公であるルポライター(妻夫木聡)が向かった先は警察の拘置所にいる妹(満島ひかり)のところである。彼女は乳児虐待で拘置されたところで、こどもは瀕死状態で病院に収容されている。

 

 彼はいま一年前に起きた一家殺害事件を追っている。犯人が見つからず、事件は迷宮入りしている。夫の友人関係、会社の同僚、さらに妻の交友関係などの人物につぎつぎに面談し、この夫婦の人物像が次第に明らかになっていく。

 

 並行して妹がどうして乳児虐待に至ったのか、それも次第に明らかになっていく。彼はいったいなにを明らかにしていこうとしているのか。それらのバラバラの話が次第に収斂をはじめ、驚くべき真相が暗示される。

 

 人間の根源的な愚行の積み重ねがなにを結果するのか。主人公の原罪も愚行そのものであることに強烈な衝撃を受けるはずだ。気持ちが優しくて気の弱い人にはお勧めしかねるほど強烈であることを承知して観て欲しい。

学ぶということについて

 レトリックという言葉が好きで、私は技巧的言辞、という日本語としてイメージしている。カタカナ語辞典には、文章表現の効果を高めるための技術とか、うまい言い回し、などと書いてあった。そのレトリックを駆使した文章を読むのももちろん好きである。私もそういう文章がすらすら書けたらいいなと思うけれど、試してみると、回りくどい、といわれてしまう。レトリックを使うことで、伝えたいことがわかりやすくならなければ、使うのは却って読み難くなるだけである。 

 

 内田樹の文章を、私はレトリックに満ちたものだと認識している。ぐるぐると思考を回しながら自分の考えを理解させていく。こういうのを「左派系の知識人の言説には胡散臭さがつきまとう」と評する向きもあるだろう。たしかに左派系の知識人特有の言い回しというものがありそうだ。ただ、それがなにを言いたいのかよくわからないものが多く、わかりにくさで煙に巻いているだけのものばかりといってもいい。そんなものは、私はレトリックとは思わない。

 

 これでは本題に入れないのでこれまでとする。

 

 内田樹は「学ぶ」というのは一言で言えば「別人になること」である、という。

 

 その意味を「呉下の阿蒙」という話から説き進めていく。「士別れて三日、すなわちさらに刮目して相待すべし」という言葉を生んだ話だ。私も父からこの話を聞いたことがある。

 

 三国志の時代の呉の国に呂蒙という将軍がいた。勇猛な武人であったが、惜しいかな学問がない。主君の孫権が「将軍に学問があれば」と嘆じたのに発憤して、呂蒙はそれから学問に励んだ。しばらくして魯粛が久しぶりに呂蒙に会ってみると、その学問の深さ見識の広さはかつての彼とは別人であった、という有名な話である。

 

 人間が知的に成長するというのは「別人になること」だという知見は私に取っては不思議なものではない。

 

そこから内田樹は論を展開する。

 

 知的成長ということを現代人は「知識の量的拡大」というふうに考えている。人間としてはなにも変わっていないのだが、脳内の情報ストックが増えている状態を「成長」と呼び習わしている。  

 

 でもそれは「学び」とは違う。学びとは「入れ物」自体が変わることだからである。「刮目」してまみえないと同一性が確信できないほどに人間が変わることだからである。

 

 このあとさまざまに挿話をつづけながら、教育が商取引になってしまった現状を批判するのである。そのことは別の話だが、たしかに教育が商取引になり、消費者としての生徒学生が「学び」を得られずにいることは、そもそもの学ぶということが見失われているからだろうという視点には大いに賛同する。

映画『MEMORY メモリー』

 昨日の車の定期検査の結果はどこも問題なしであった。来年は三年目の車検である。思えば追突事故で愛車をおシャカにされ、危うく私までおシャカになりかけた。コロナ禍の中、しかも新車がなかなか手にはいりにくい時期にようやく私の元へ来た車である。もうそんなに経ったのか、というのが実感だ。部屋の片付け、たまっていた洗濯ものも、穏やかな日和で気持ちよく乾いてくれておおむね片付き、部屋は散らかりながらも居心地の良い、元の独り暮らしのマイペースの状態に戻った。

 

 心が落ち着いたので本も読めるようになったし、映画も観られるようになった。『MEMORY メモリー』は2022年のアメリカ映画。リーアム・ニーソンが演ずる主人公は、アルツハイマー型認知症で記憶障害の暗殺者という面白い役どころ。腕にさまざまなことを書きこんで忘れないようにしながら暗殺をつづけている。こどもは殺さない、という信条を守っているのに、自分が殺そうとしたのがこどもであることを知って依頼に反逆する。そしてそのこどもは殺すな、と依頼者に釘を刺すのだが・・・。

 

 その少女が殺され、彼は静かに激怒する。自らも暗殺者にねらわれ、反撃に転ずる。死を覚悟して行動を開始した彼は依頼の黒幕を突き止めて抹殺しようとする。そこに人身売買組織を追うFBIの捜査官(ガイ・ピアース)たちや彼と行動を共にするメキシコ連邦警察の捜査官たちが絡んで、真の黒幕の正体が浮かび上がってくる。そしてラストにこの黒幕を暗殺するのが意外な人物で、映画全体を締めている。

 

 リーアム・ニーソンが主演する映画はまず外れがない。この映画もテンポ良く話が進行して最後まで楽しめた。それにしても題名が『MEMORY メモリー』というのがイラつく。『MEMORY』か『メモリー』のどちらかにしてくれ、といいたくなる。こういうおかしな題名はしばしばあって、どうでもいいことながら言葉を重ねるその無意味さに腹が立つ。

2023年12月 4日 (月)

勇気について

 内田樹『街場の成熟論』(文藝春秋)という本を読了した。いろいろと思うところがあったので、そのいくつかをブログに残しておこうと思う。最初に『勇気について』という短い文章から。

 

 「いまの日本人に一番足りないものはなんでしょう」と訊かれた(訊かれたのは内田樹である)。少し考えて「勇気じゃないかな」と答えた。
 1950年代の少年に求められた資質はまず勇気だった。

 

 内田樹と私はともに1950年生まれ、知的能力には大きな差はあるが、同じ時代の同じ空気を吸ってきたから、いうことはよくわかる。

 

 勇気というのは孤立を恐れないことだと思う。自分が「正しい」と思ったことは、周りが「違う」と言っても譲らない。

 

 そうして時代が変わり、「勇気を持て」という教えが衰退し、「友情・努力・勝利」が新しい徳目に替わった。

 

 勇気が最優先の徳目であった時代に、それに続く徳目は「正直と親切」であった。「勇気・正直・親切」と「友情・努力・勝利」はまるで違う。
 正直と親切はパーソナルなものである。目の前にいる生身の人間に対して真率な気持ちを向ける、ただそれだけのことである。それはなにかを達成するための手段ではないし、その成果について客観的評価が下るというものでもない。自分の気持ちが片付けばそれでいい。正直に語ったが「嘘つき」と呼ばれ、親切にしたが「不人情」と罵られたというようなことはよくある。人生、そんなものである。
 でも努力は違う。努力したかどうかで事後的に、客観的かつ外形的に検証される。

 

 なるほど、時代はそうやって遷移したのだ。

 私は勇気が足りなかったから、勇気が欲しかった。だから格闘技を身につけて、腕力がつけば勇気が持てると思ったが、違った。おとなになって、いやなことから逃げずに経験を重ねたら、いつのまにか人前でも話せるようになったし、他人と違うことを恐れなくなった。損得でものを考えないように意識できるようになった。勝つことにこだわらなくなった。私がスポーツにあまり共感しなくなったのは、努力することや勝つことにそこまで思い入れができなくなったからかも知れない。 

中国の親切心?

 午前中、歯医者の検診にいく。知覚過敏があるので以前より頻度を上げてメンテナンスをしなければならない。フッ素を塗ってもらうと安心する。「以前よりも丁寧に歯が磨けていて、汚れが少なくなっています、これからも歯磨きを頑張りましょう」とメンテナンスをしてくれた女性に言われた。それにしても、どうして歯を処置してもらっているときには鼻で呼吸がうまく出来なくなるのだろう。とくに息が吐けない。苦しくなったら処置してくれている手に鼻息をかける気持ちになったら少し吐くことができた。むかしよりはだいぶマシになったけれど。

 

 腰痛が治まったりまたぶり返したりしていていささかうっとうしい。マットレスをはずして寝るようにしてみようか。

 

 午後から車の定期点検のためにディーラーへ行く。特に不調を感じるところはないので、たぶん一時間ほどですむだろう。待っている間に読む本として内田樹の『街場の成熟論』を持っていくことにする。最近買った本だ。ついでに、帰りに来年のカレンダーと手帳を購入しよう。

 

 中国の医療関係者が、中国でコロナが爆発的に感染拡大していると暴露した、とネットニュースで見たけれど、NHKはまだなにも報じていない。インフルエンザなどの呼吸器系の疾患が猛威をふるっているらしいから、その中にコロナ患者も多いのかも知れない。そもそもゼロコロナ政策を突然解禁したりすればそうならないことが不思議だと思っていた。中国のワクチンは効かないという話もあり、海外からだいぶ買い込んでいたらしいし、開発もしているというが、まだ間に合っていないのだろう。中国観光に行く気をなくさせるような習近平の反日政策は、日本人にコロナ感染をさせないための親切心からなのか。まさかね。

映画『ボルベール 帰郷』

 随分前に録画してあったこの映画を、私は『望郷』(1937年・フランス)と混同していた。観始めてこの映画がスペイン映画であることを知った。2006年制作で主演はペネロペ・クルスである。

 

 三世代の女性が関わる出来事がつぎつぎに起こって、ついには過去の火事の事件の真相が明らかになっていく、というストーリーが展開する。取り上げ方によってはミステリーみたいなものになりそうだが、ミステリーではない。チャールズ・ブロンソンの出演する名作『雨の訪問者』(1970年・フランス)をちょっと連想した。ヨーロッパテイストというところか。

 

 物語は一体どうなっていくのか予断を許さず、最後まで観客を引っ張っていきながら、最後にはそれなりにおさまってしまう。勧善懲悪ではないところがしゃれている。題名の『帰郷』はペネロペ・クルスの歌う哀切な歌の名で、物語をそれとなく関連させて、なかなか心に沁みる。

 

 最初の、高齢の伯母を訪ねるために出かけるシーンからは、そのあとの展開はまったく予想させないが、見ていると惹きこまれる。面白かった。

2023年12月 3日 (日)

顧炎武(こえんぶ)

 白帝社という出版社の中国歴史人物選という叢書があり、全十二冊の内、六冊のみ所持している。きちんと読んだ本と読み囓っただけの本があり、『顧炎武』という巻だけは手つかずだった。この人は明末、清初の時代(日本でいえば江戸時代の初期)の人で、学者である。詳しいことはこの本を読むまではほとんど知らなかった。この時代のことは同時代に生きた張岱(ちょうたい)という人の本(『陶庵夢憶(とうあんむおく)』)に出会って興味を持っていた。

 

 王朝が変わるということは世界が変わってしまうということで、ましてや清朝は異民族の王朝である。その中でどう生きるのか、自ら選び取っていかなければならない。そのことでその人自身の真価が明らかになる。あっさりと死んでしまう人もいれば、なにごとかをなして名を残す人もいる。自分だったらどうしただろう、と思う。その他大勢の中で埋没して終わるだけか。

 

 個人の人生、生き方と、周辺の人間との関わり、その時代の変遷とが絡まり合い、まるでドラマを観ているように面白い。こういうさまざまな人たちが無数にいてこの世が回って来たのだなあと思う。

 

 我ながら不思議なのは、面白いけれどさっぱりわからないまま読んでいるということだ。沢山の人物が取り上げられていくのだが、顧炎武だけでなくほとんど知らない人ばかりだから、それぞれの役割が理解しきれないまま読み進むしかない。むかしなら人物辞典を一人一人引いてイメージを加えていくのだが、手抜きしてそのまま読み進めている。わからないのはこちらの基礎知識がお粗末だからで、そのことを自覚さえしていれば、わからないことはそれほど苦ではない。

 

 明という時代、清という時代をおぼろげにイメージしながら、世界がこうして変わっても、中国というのはいつまでたっても変わらないとも思う。中国だけではないのだろう。人間というのは、実は進歩などしていないような気がする。 

 

 蛇足ながら、張岱の『陶庵夢憶』は、私が離れ島に一冊だけ持っていっていいといわれたら選ぶ本である。できれば漢和辞典の持参も特別に許してもらいたい。この本は岩波文庫の大判で二冊持っている。一冊は風呂に入って読んでいて少し濡らしてしまい、よれよれになってしまったので、新しいのを買ったのだが、開くのはいつもヨレヨレの方である。そちらには私としてはめずらしく、多少の書き込みがある。

やぶにらみ

 今朝、早めに起きてフィリピン沖の大地震のニュースと津波の警報をテレビで観ていたら、テレビというのは、特にNHKは、津波や地震のニュースが大好きで、延々と同じことを繰り返しつづけていて、世界にはニュースはほかに何もなくなっているようだった。こちらはフィリピンにその地震の被害があったかなかったか知りたいのに、その報道はない。テレビ局の人は地震や津波があると「わーい、これでめんどくさいニュースを流さずにしばらくサボれるぞ」と思っているのではないか、などと、いつものように思ったりした。

 

 昨晩の池上彰のニュース解説の番組で、来年のパリオリンピックでは、ペットボトルなどのプラスチック製品は持ち込みも含めて使用禁止だということを知った。レジ袋の有料化も含めていろいろ思うところはある。たしかにそこら中にプラスチック製品が捨てられていて、その結果として海洋汚染にもつながっている。しかし、そもそもきちんとプラスチックゴミを捨てずに処理すればよかっただけのことで、それができないことを前提にしなければならないことに、人間というのはつくづく愚かだなあと思う。

 

なんべんも書いている言葉
「捨てる人は拾わない、拾う人は捨てない」

いまは他人の命まで簡単に捨てる。

りんご

 苹果がりんごのことであることを宮沢賢治の童話で知った。秋はまず柿をせっせと食べる。りんごが店頭に並び出すとこんどはりんごを食べる。最近のりんごは大きいので、半分ずつ午前と午後に分けて食べる。

 

 11月に北関東に行ったとき、りんご農園でりんごを買った。今年は猛暑の上に雹にあたって、散々な不作だったといい、少し傷がついたものを安く買った。弟のところに持っていったのだが、持って行くには少ないので別のところで買い足した。それの出来が良くなかった。

 

 長野の友人からりんごが送られてきた。毎年送ってくれる。いつも格別大ぶりの美味しいりんごである。箱の中にチラシが入っていて、今年は猛暑のせいで出来が良くなかった、と書いてあった。りんご農家はどこもたいへんだったようだ。

 

 一人ではとても食べきれないので、いつものように娘に分けるために電話した。先日来てもらったばかりだから私が届けようとしたら、亭主に頼んでとりにいくという。半分ほどを持っていってもらった。数日早ければ弟や妹にもお裾分けできたのに、と思った。

2023年12月 2日 (土)

のがれられない

 人は自分の語ったことばや行動からのがれられない。恐ろしいことである。蓮舫女史は「一位でなければいけないんですか」と語ったことからのがれられない。前原氏は八ッ場ダム建設を中断させた言動からのがれられない。それらの言葉は、必死で頑張ってきた人たちへのリスペクトがないことで人々の批判を受ける。

 

 日本がコンピューター技術の先頭を行くためにどれだけの人たちが努力し、試行錯誤してトップの座を維持してきたか。日本が工業的に回復し、成長するために電力がどれほど必要だったか、そのダム建設にどれだけの人々が従事し、技術力を磨き、苦労してきたか。振り返れば水力発電は再生可能な自然エネルギーそのものではないか。

 

 たしかにその周りにむらがる利権によって甘い汁を吸う連中というものは存在するのだろう。しかしそういう連中がいるからというその理由だけで、半ばできかけたダム建設そのものを中断していいのかどうか、それを真剣に考えた上のことばには聞こえなかった。そのことにあまりにこだわるのは、その甘い汁を吸えない立場に悔しさでもあったのだろうか。それは勘ぐりすぎとしても、どちらもマスコミ受けをねらったものにしか見えなかった。

 

 その前原氏が国民民主党を脱党して新党を立ち上げた。むかし多少は期待していたのに、なんたるていたらくか。私はこういう人を信用できない。

久しぶりの名古屋城

名古屋城は毎年一度や二度は訪ねるのだが、コロナ禍前に行ったのが最後で久しぶりだった。弟夫婦や妹はとうぜん私より若いから、旅の疲れも一晩寝れば取れたようで、元気である。私は北陸で土産に買ってきた原酒を飲んで飲み過ぎ、それが残っている上に、旅行ではたくさん歩いたから膝が痛くてついていくのがやっとである。

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いま天守閣は中に入れない。木造再建計画が検討されている。合わせて石垣の積み直しが進行中である。

ちょうど10時から無料ガイドを頼めるというので、四人でお願いした。初老の男性に一時間半たっぷりガイドをしてもらった。名古屋城ではいままでガイドなどしてもらったことがないので、初めて知ったことが多かった。

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隅櫓(すみやぐら)を前景に撮る。

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広大な二の丸庭園を見る。ここには再建された本殿より大きな二の丸御殿があったがいまはない。

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やや盛期を過ぎてはいるが紅葉が美しい。

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石垣の説明を聞く。真ん中の石をよく見れば横に文字が刻まれている。マークや文字は担当した大名のしるしである。

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巨大な鏡石(かがみいし)。権力の象徴。上田城(真田氏)の鏡石や大阪城の鏡石を思い出した。

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本丸御殿。この正式の玄関からは入れない。奥の入り口から靴を脱いであがる。

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各部屋には狩野派の絵が描かれていた。格式による絵や天井、欄間の違いなど、詳細に説明を聞いた。

以前初めて来たときは、人がごった返していて説明もなかったから、ただ眺めただけであった。

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釘隠し。釘は平釘という平たいものである。

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こんな釘隠しもある。こちらの方がもちろん格上。

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廊下と部屋を隔てる襖戸の内側に描かれている絵。あたりまえだが部屋の中からしか見ることは出来ない。たまたまこの日だけ室内を見る特別な通路がしつらえてあり、見ることが出来た。ガイドの人も初めてだと感激して写真を撮っていた。

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ここもふだんは一般公開していない部屋だそうだ。将軍の食事を毒味したあと、運ぶ前に置いておく部屋である。

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最上級の部屋のある場所の、廊下の欄間。写真では途中で切れているが三羽の鳥がいる。

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同じ欄間の反対側。こちらには五羽の鳥がいる。一枚の板の両側を掘ってあるのだ。

長い説明と足元の冷えでトイレに行きたくなるし、座りたくなって困った。ようやく外へ出て、天守閣の説明を聞いてガイドは終了。ありがとうございました。

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最後に天守閣と金のしゃちほこ。

このあと将軍が来たときに使う湯殿などの建物の内部を見学して、城内のきしめん屋で昼食を摂り、帰宅した。思ったより時間を食ったので、あまりゆっくりもせずにみな千葉へ帰っていった。

次は春にどこかへ行こう。

夜、「無事についたよ」、と妹、そして弟のそれぞれから電話があった。

お疲れ様でした。これにて今回の旅の報告終わり。

郡上で踊る

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郡上のお城へは急坂急カーブを登らなければならない。ワゴン車はかなりギリギリだし、落ち葉で滑るので弟は慎重にゆっくりと登った。これが歩いて登るしかないならあきらめたところだ。写真のようにみごとな青空になった。

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天守閣から街を見下ろす。

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小さな城門が見える。

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街を流れる吉田川は長良川の支流。

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ここでみんなで記念撮影をしていたら、突然空がまっくらになり、激しい風とともに大粒の雨が降ってきた。突風で身体が持って行かれそうになり、弟などは石垣にしがみついたほどだ。大慌てで車に戻る。

街中(まちなか)では、空は明るいのにときどき小雨が降ったりしたが、やがておさまった。

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街中のあちこちで、このように天守閣を望むことができる。

街中を少し歩いて宗祇水(そうぎすい)などを見る。

郡上八幡博覧館で郡上踊りを見せてもらう。ただし、見ると必ず踊らないといけない。前に一度見せてもらったときは踊りの審査員もする張ベテランのおばさんと三人の若い踊り子さんだったが、今回は説明の上手な若い女性と見習い風の娘の二人だった。前回はいいかげんに踊ったら先生に叱られたが、今回はまじめに教えられた振り付けを踊った。ただし手ぶりだけ。ステップにはついて行けない。いろいろな踊りがあるが、わかりやすい「かわさき」と「春駒」の二曲を教えてもらった。

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このあとみんなで我が家に帰った。

娘に連絡してあったので、カレーを作って待っていてくれた。娘と妹は母の葬式以来で、久しぶりに会う。

2023年12月 1日 (金)

宇奈月温泉にて

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魚津の埋没林を見てから、この晩の宿である宇奈月温泉に向かう。それほど遠くない。写真はトロッコ列車の駅の裏から見下ろした黒部川の下流方向。この左手が温泉街。

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もう薄暗くなっていたが、遊歩道を少し歩く。猿がぞろぞろと歩いていた。すぐそばをボス猿と思われる大きな猿が通っていった。そのあと林の中から猿声が聞こえた。

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紅葉のシーズンはもう終わり。まもなく雪が山を覆う。トロッコ列車も11月30日までである。翌朝、天候が許せばトロッコ列車に乗ることにする。

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翌朝の宿の部屋からの眺望。ごらんの通り雨が降っている。トロッコ列車は断念せざるを得ない。

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雨の中の紅葉は今年の秋の名残。この天候では北陸はどこも雨だろう。ゆっくり出発し、宇奈月の道の駅に立ち寄る。道の駅に街の図書館と博物館が併設されている。刎橋(はねばし)の愛本橋に関するビデオと、黒部川についてのビデオを見せていただき、そのあと刎橋の二分の一のモデルを見学する。ちょうど展示会が終了したばかりだから、片付け中なので無料でいいです、ということだった。外へ出たら大雨。

そのまま名古屋へ帰るのももったいないので、郡上八幡へ立ち寄ることにする。分水嶺を越えれば雨が止むかと期待したが、郡上白鳥まで雨。ところが郡上のお城に着いたらみるみる空が明るくなった。

山田太一の訃報を知る

 脚本家の山田太一の訃報を知る。報じられている代表作の多くは、私にはあまりなじみがない。よく知るのは『男たちの旅路』ぐらいか。私にはそれよりも笠智衆主演の三部作『ながらえば』、『冬構え』、『今朝の秋』が忘れられない。けっこう若い時に見たのだけれど、老境ということ、そして生と死ということ、家族や人生というものをこれほど身に沁みて教えられたドラマはない。

 

 最初に見たのが『冬構え』で、沢村貞子や金田賢一、岸本加世子も好かったけれど、ほんのちょっとだけ出た小沢栄太郎のひとこと、「いけないよ」、がずしりと胸に響いた。そのひとことに万感の思いが感じられた。『ながらえば』では、宇野重吉の名演が、そして『今朝の秋』では共演の杉浦直樹、杉村春子が好かった。どれも私の中の傑作ドラマリストの上位にある。

 

 冥福を祈る。

能登、そして魚津へ

のとじま水族館などを見たあと、氷見の道の駅に行って昼食を摂ったことは書いた。

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氷見から見た立山連峰。

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どの山がなんという山かはよく知らない。しかしこんなにきれいに見えるのはめずらしい。

氷見から高岡へ、そして国道8号線で魚津へ向かう。魚津から今晩の宿の宇奈月温泉までは遠くないが、その魚津への道が思ったより時間を食った。遠回りでも能越道と北陸道を走った方がよかったかも知れない。

魚津へ行ったのは、みなに埋没林を見せたかったからだ。

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埋没林の根っこ。海中にある。杉である。

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かなり暗いので不気味である。それが好いのである。

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これは引き上げて防腐処理された根っこ。

魚津は蜃気楼でも有名。この博物館にはその説明の展示もあり、ハイビジョンの映像を見せてもらう。私は一度見たことがある。

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魚津からも立山が見えた。

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同じような写真で申し訳ない。日が傾いてきた。急いで宇奈月に向かう。宇奈月の渓谷の写真が撮りたい。

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おまけ。逆光の魚津の海。

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