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2023年12月28日 (木)

演劇と詩

 奥野信太郎の本から、演劇と詩についての面白い一節を引用する。

 

 中国の芝居というものは大きく分けて、北曲、それから南曲と二つに分けることができると思います。
 北曲と申しますのは文字に現れております通り、北方系の演劇ということになりますが、これが起こってきたのは、宋の時代にその兆しは見えたのでありますけれども、その次の元の時代になって、俄然勃興したのであります。漢史、唐詩、宋文、元曲ということを申しましたが、この元の時代の戯曲というものは中国文学のやはり代表的なものの一つと見ていいのではないかと思います。これは世界的な現象でありまして、だいたい演劇が非常に盛んな時には詩が衰える。詩が衰えている時には演劇が盛んになる。エリザベス王朝時代にはシェイクスピアなどという人が現れて、演劇が盛んになりましたけれども、詩の方は衰えた。フランスでもラシーヌ、コルネーユ、モリエールなどという演劇が盛んな時には詩の方が衰えている。
 これはどういう訳か、たいへんむずかしい問題になってまいりますが、中国ではこの元という時代、その次の明という時代は非常に演劇が盛んであった。元の北曲、それから明の南曲というのですが、元、明と、そういう戯曲が盛んだった時代は詩は衰えております。これはつまり、戯曲というものは広い意味においての詩と理解して差しつかえないと思います。だからそういう、つまり人間の詩情、詩的パッションというものが演劇という形で発散する場合と、純粋詩という形で発散する場合と二通りあるのではないかと思います。これはいろいろその当時の社会的条件がそういうふうにさせるのだとわたくしは考えております。

 

 このあと、どうして元の時代に演劇が盛んになったのか、考察が述べられるがここまでとする。カルチャーやサブカルチャーから歴史を見るというのもひとつの歴史の見方であって、人間を、よりリアルに見るように思う。歴史は権力闘争だけではないのだ。

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コメント

中国における演劇と詩の歴史的な相関は初めて知りました。
それが当時のヨーロッパ文化にも及んでいたとは!
翻って日本の中世、近世はどうだったんでしょうね?
探求心をそそります。
あとびっくりしたのは(Wikipediaによれば)奥野信太郎が
鉄幹とともに明星派を主導した与謝野晶子門下の歌人だったということ。
晶子が中国文化に傾斜したというのは寡聞にして存じませんが
いろいろと調べたいことが増えました。
ご紹介ありがとうございます。

ss4910様
中国の文化状況がヨーロッパにおよんだということではないと思います。
地域を越えてそういうことが同時期に起こることはしばしばあるもので、これもそういうことではないでしょうか。
奥野信太郎は大学教授でありながら学術論文はほとんど書かずに、もっぱら随筆の形で文章を書き残しました。
中国だけではなく、日本のことでも多くの名随筆を残しています。

≫中国の文化状況がヨーロッパにおよんだということではないと思います
これはその通りですね。私の勇み足です。
それにしても中国の演劇と詩をめぐる奥野信太郎の慧眼には感服しました。

ss4910様
奥野信太郎の中国の演劇についての知識は、ブログにも書きましたが、他の追随を許さないほど深いものがあります。
『随筆北京』(東洋文庫)という本を読むとそう思います。

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