なんべん読んでも
未読の本が積んであって、さらに何冊か新しく本を買い込んでいるのに、いま奥野信太郎『中国文学十二話』というなんべんも読んだ本をまた読んでいる。なんべん読んでも面白いのは、書かれていることがきちんと頭におさまっていないからだ。ざる頭は哀しいが、なんべんも同じものを楽しめるという効用もある。
これは奥野信太郎が昭和39年に、各月一回十二ヶ月にわたってNHKFMで行った『朝の講座』を弟子に当たる村松暎が編集して本にしたものである。村松暎があとがきに書いているけれども、この講義をほとんどなにも見ないで行ったというから奥野信太郎の頭の中にはどれほどの知識が詰まっていたのか、はかりしれない。
まだ半分ほどしか読んでいないが、今年中には読み終わるだろう。奥野信太郎はとくに中国の戯曲に詳しい。その発祥、発展の経緯、種類と特徴についての位置づけのたしかさは、たぶん他の追随を許さないのではないか、などと勝手に思っている。なにしろ戦前戦後の実際の演劇も知り、多くの俳優とも交流があり、関連の調査も繰り返し行っているからだ。そのことは『随筆北京』に詳しい。
今回特に詳読したのは唐の時代の詩、いわゆる唐詩についての概括的説明である。初唐、盛唐、中唐、晩唐の四期に分けて代表的詩人とその特徴の違いをわかりやすく説明してくれている。私もちょっとしか知らないながら、好きな詩人や詩はある。今回特に記憶に残ったのは、晩唐の女流詩人の魚玄機のことで、この魚玄機については森鴎外が中編小説に書いている。読み直してみようと思う。そういえば、中唐の詩人李賀について、難解だがロマンチシズムがあり、泉鏡花が愛誦していたという話なども泉鏡花を違う視点から眺めることができて嬉しい気がする。
こうして本によって読書欲を励起されるのはとてもありがたい。書評本が好きなのはそれが理由でもある。
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