不安定であることの不安
私は世界が不安定に向かっていると感じているが、もともと世界とはこういうもので、だからことさらに不安を感じる必要はない、なるようになっていく、などという人もいて、その楽観的な考え方に驚く。いままで大丈夫だったからこれからも大丈夫と思えれば、今現に自分に災厄がなければ不安をおぼえることはないのだろう。
世の中がどうなっているのか知るためにニュースを見る。観るテレビ番組はほとんどニュースだ。まず世界がどうなっているのかの断片をBSの海外ニュースやネットで観て、それから国内のニュースを観る。国内のニュースを報じるマスコミは脳天気すぎていて、いかにもなにごとかありそうに報じながら、内実は上に書いたような気楽さが感じられる。それはそういう報じ方を望む日本の国民の意に沿うているのだろう。
アメリカには理念が在る、とアメリカは言い、それを信じた振りをする国々で西側諸国は成り立っている。だけれど本気で信じているのは日本だけだろう。そのほうが楽だからだ。そのアメリカは理念を押し通さずに、実は自国の利益でものごとを判断する。過去からずっとその繰り返しだ。ウクライナでもイスラエルでも、本気で対処してきたと言えるのかどうか。そのことによって、無理が通れば道理は引っ込む、という世界が現出し、ますます不安定化していると私は思うがどうなのだろう。
中国は不動産大手の破綻だけではなく、ついにシャドーバンキング大手の破綻へと波及してきたようだ。中国経済は危機的状況だという専門家がいると思えば、この程度のことではびくともしないという専門家もいて、なにが本当かわからない。中国の行動を不愉快と感じているので、危機的状況だと思いたいからそう見えてしまう。世界各地で金をばらまいて高利貸しのようにその回収で自国の覇権を拡大しようとしている。時代劇の高利貸しが借金のかたに無理やり一切合切をむしり取ろうという図式を見てしまうのは想像力過剰か。
不安定な世界がさらに不安定になれば崩れてしまう、などと観念的に考えて不安に感じるのは心配しすぎなのだろうか。
« 映画『窓辺にて』 | トップページ | 久しぶりに »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 傾国の美女(2024.12.10)
- 留守にしていると寒い(2024.12.08)
- 不快な理由(2024.12.05)
- ふてくされるにもほどがある(2024.12.04)
- 自分の本性(2024.12.03)
« 映画『窓辺にて』 | トップページ | 久しぶりに »
コメント