メモ
手許のメモの片隅に
「グローバリズム 競争相手が退場しても楽にならない世界」
と書いてある。
たぶん、日本の酪農の危機的状況を報じたドキュメントを観たときに記したものだろう。
同じようなことを繰り返して申し訳ないが、五十年ほど前に、私が新人として繊維産業の工場に営業回りをはじめたころに実感したことと、この酪農の危機的状況に共通するものを感じた。
その頃日本の繊維産業は衰退をはじめており、生き残りをかけて同業者同士が血みどろの戦いを繰り広げていた。企業には採算ラインというものがある。それを割り込めば赤字になって経営は成り立たない。こどもでもわかることである。ところが明らかに採算を割ってでも競争に勝ち残ろうとする企業が必ずいる。結果的に共倒れが続出した。日本の繊維産業は多くが分業形態だったので、生産ラインの一部が減少すれば全体が生産に支障を来していく。
下請けの廃業倒産で支障を来した委託企業からしばしば聞いたのが、「そこまで追い詰められているのならもう少し値上げを受け入れたのに」という言葉だった。いま日本の酪農の危機がこのまま推移すれば、たぶん生乳や国産の畜肉は供給不能になって行くにちがいない。飼料などの高騰で採算が合わずに廃業している業者が続出しているからだ。
大手メーカーやスーパーは顧客が値上げを嫌い、このままでは需要そのものが減少してしまう、という口実の元に生産者に不採算を強いている。結果的に供給元を根絶やしにすることになるだろう。「そこまで困っていたなら・・・」とあとで言うにちがいない。
冒頭のメモは、目先の競争相手との戦いを生き抜いても、実は競争相手が日本の外に、つまり世界にあるのだからという意味だ。それがグローバリズムというものだ。安いものが海外で生産できるのならそれを購入すれば良いと考え、産業そのものの衰退消滅を放置した。つまり見殺しにしてきた。それが正しいグローバリズムというものだと思ったのかも知れない。
その海外から調達できるはずのものが、中国やインドなどの爆発的な需要拡大によって調達できない事態になりつつある。世界が不安定化することで、グローバリズムそのものが破綻しつつある。そのときにあわてて自国で供給を・・・と思っても、一度失われたものは簡単には回復しないのだ。
日本はデフレ時代がずっと続いてきた。コストを人件費削減でカバーしてきたから給料が上がるはずはない。研究開発費を削り、投資を控え、人件費を削って、価格を上げずにいて、結果的になにが残ったのか。残すべきものが失われつつあるという事実だ。値上げは悪だ、という大衆迎合してみせるマスコミは、そもそもなにも生産していない観念の世界に生きている。
少子化だってその結果だといえないことはない。国を挙げての人員削減である。そんなことを考えたりした。
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