自分と他人はちがう
自分と他人は違う。あたりまえのことである。寅さんも言っているではないか。「おれが芋食ってお前が屁をするか? 俺とお前はちがうんだよ」
「わかる」ということの意味を本当にわかったのは、この「自分と他人は違う」ということを理解したときだ。もちろんそのわかり方には無限の階梯があって、私などほんの一皮めくった程度のわかり方だ。しかし一皮めくるというのは二次元の視点から脱して、三次元への視点を獲得するということで、世界がガラリと変わる。
そのことを教えてもらったのは森本哲郎という人の本による。
しばしば「誤解」という。誤解というなら誤解ではない正解というのがあるのが前提だが、本当にそんなものが必ずあるものだろうか。他人は自分とは同じように考えないものだ、ということを本当にわかったところから相手を知り、理解することがはじまる。
「相手が誤解している」のだから悪いのは相手だ、という考え方が横行していてしばしば不愉快になる。自分がそうでないように気をつけているのだができているだろうか。対話には相手をリスペクトする(敬意を払う)ための作法が必要だということはそういうことだろうと思っている。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 傾国の美女(2024.12.10)
- 留守にしていると寒い(2024.12.08)
- 不快な理由(2024.12.05)
- ふてくされるにもほどがある(2024.12.04)
- 自分の本性(2024.12.03)
コメント