『闇の中の夢想』
このところ本が気持ちよく読めている。そんなことをわざわざいうのは、この数年、読書スランプが続いていて、読みたい気持があるのに読書への集中力が湧かず、読むスピードが著しく低下しているからだ。それでもときどき猛烈に読めてしまうときもあるから、加齢による衰えというよりも、オーバーヒートのせいのような気持もしている。読む意欲が減退したのではなく、昂進しすぎて気が散って集中できないようなのだ。だから集中力が低下したな、と思ったら別の本に読み替える、という読み方にした。一冊一冊は遅々として進まないものの、いつかは読み終わるもので、それに、読みかけの本も最後になると加速して読み進められる。
一冊が一気に読み進められるときは、却ってオーバーヒートがおさまっているときだと気がついた。いろいろ試行錯誤して読み方を自分なりに納得したので、昨年暮れから自分の調子に合わせて比較的に好いペースで読めているというわけだ。
朝日出版社のレクチャーブックシリーズの一冊、映画学講義と題して作家の埴谷雄高と小川国夫が対談したのがこの『闇の中の夢想』という本である。あとがきによれば、二人の対談は四日間続けられたそうで、前半は年齢が二十歳ほど歳上の埴谷雄高が主に戦前の映画を語り、リバイバルでその一端を知る小川国夫が合いの手を入れながら拝聴するという対談になっている。四日間の対談の後半は戦後の映画で、主客交替したらしいが、この本は前半の対談のまとめである。
古いスチール写真が収められていて、画版リストが添えられているものの、対談のどの部分と照合しているのかがよくわからない。なにしろ映画大好きな私でも戦前の映画についてはほとんど映画雑誌や映画好きの作家の随筆などで知るのみなのであるから。だから無限に繰り出される、作品、監督、俳優、脚本など映画全般についての博覧強記の埴谷雄高の繰り出す情報はすさまじく、圧倒されてしまう。自らを痴呆老人などと自嘲するが、こんなに記憶力が鮮明でどこが痴呆なものか。それとも好きなものの記憶は最後まで維持されるということなのだろうか。それなら有難いことだ。
知らないことだらけで、ここでとりあげられた映画を観る機会もほとんどないだろうが、二人の映画に対する熱愛がこの本を読了させてくれた。
何でもないシーンが鮮明に記憶に残る、という経験が語られているが、私もそういうことがいくつかある。自分だけのそういう記憶は貴重なもので、案外自分自身を形成している大事な要素かも知れない。
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