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2024年2月26日 (月)

俊寛僧都

 『平家物語』巻の一の後半で、鹿の谷(鹿ヶ谷)での平家打倒の謀議が行われる。実際の兵力も、戦いの作戦もない粗略なものだったが、それが密告によって清盛に知られてしまう。首魁とされたのは大納言藤原成親で、さらに息子の少将成経、平判官康頼、俊寛僧都などをはじめ、多数が捕らわれた。巻の二では、清盛の息子の重盛の赦免の懇請や、成経を女婿とする平教経などの助命嘆願もむなしく、大納言藤原成親は殺され、成経、康頼、俊寛の三人はそろって絶海の孤島の鬼界ヶ島に島流しとなる。そして巻の三では高倉天皇の中宮徳子(後の建礼門院・清盛の娘)の懐妊出産を期に、大々的な恩赦が行われる。そして藤原成経と平康頼は平清盛によって赦免状が下されたのだがそこには俊寛の名は記載されていなかった。

 

そのくだりを一部引用する。
赦免船が船出するところである。

 

 既に舟出(いだ)すべしとて、ひしめきあへば、僧都乗ツてはおりつ、おりては乗(ッ)つ、あらまし事をぞし給ひける。少将の形見には、よるの衾(ふすま・夜具)、康頼入道の形見には、一部の法花経をぞとどめける。ともづなといておし出(いだ)せば、僧都綱にとりつき、腰になり脇になり、たけの立つまではひかれて出づ。たけも及ばずなりければ、舟に取りつき、
「さていかにおのおの、俊寛をば遂に捨てはて給ふか。是程とこそ思わざりつれ、日比(ひごろ)の情も今は何ならず。ただ理をまげて乗せ給え。せめては九国の地まで」
とくどかれけれども、都の御使(おつかひ)、
「いかにもかなひ候まじ」
とて、取りつき給へる手を引きのけて、舟をばつひに漕ぎ出(いだ)す。 僧都せん方なさに、渚にあがり倒れふし、をさなき者の、めのとや母などをしたふやうに、足ずりをして、
「是乗せてゆけ、具してゆけ」
と、をめきさけべども、漕ぎ行く舟の習ひにて、跡は白浪ばかりなり。いまだ遠からぬ舟なれども、涙に暮れて見えざりければ、僧都たかき所に走りあがり、沖の方をぞまねきける。
(後略)

 

とくに注釈なしでもその情景はわかると思う。

 

 確か謡曲に『俊寛』という曲があったはずだと思って調べたら、四番目物に、まさにこの情景が描かれたものがあった。ワキが赦免舟の御使で、シテが俊寛となっている。確証はないが世阿弥作とされているようだ。わたしは、想像にあまりあるけれども、ついこの俊寛の心持ちに感情移入してしまうのだ。

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