一日一本
リタイアしたら、映画を一日一本見て、本を二日に一冊くらい読めたら好いなと思っていたけれど、実際にはせいぜい月に映画を十本、本は三日に一冊がせいぜいである。毎日が日曜日なのにどうしてこれだけかと思うが、やはり映画を見るにも本を読むにもそれなりのエネルギーが必要で、夢中で見て、夢中で読むので、疲れるのである。若いときはそんな疲れは感じなかったけれど、やはり歳である。でも同時に歳のわりにはそこそこだとも思う。
面白そうだと思う映画を、主に契約しているWOWOWのプログラムから選んで録画している。本数はすなわち時間をためることでもあり、過剰にあっても消化しきれないのに、つい録画本数が多くなるのは生来私がケチだからだ。さすがにそれがわかってきて、いまは月に十本くらいにおさまって、消化と録画がバランスしている。つまり過去にためたものはなかなか見ることができていない。しかも見やすい軽いものから見るから、どっしりと腰を据えてみたいものほど後回しで、傑作らしいのを見そびれているのもあさましい。
本の方は、以前は娯楽本、時代小説やミステリー、SFなどが多かったが、いまは評論、歴史書、昔の紀行文、古典などが多いから、当然それほど読み飛ばせるはずもなく、冊数ではなく内容だと見極めている。もうつまらない本を読む余裕はないのだ。それにしても同じ本を二度三度読む。それはいろいろ読んでいるうちに知らなかったことを知ることで、以前見えなかったものが見えてきて、繰り返し読むほどにその世界が明るくなるからだ。たくさんも読みたいし、深くも読みたい。それには人生は短すぎるし、それにつけても、過去どうしてあのように無駄に生きたかと悔やまれたりしている。
『平家物語』巻の二を読み終えて、巻の三に入った。俊寛に関するくだりが、子供の時にも強く印象に残ったが、いま読んでひとしおである。次回はそのことについて。
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