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2024年2月 2日 (金)

私は変わる

 アイデンティティということばがいまはごく当たり前に使われる。哲学的には自己同一化、と訳される。それより先に私はアイデンティフィケーションという言葉を英語の課題図書によって知った。辞書を見ると、自己同一化作用とあった。何のことやらわからない。そのあといくどもこの言葉に出会うことで、アイデンティティを確立することかな、とおぼろげに理解した。自分は自分であり、他のひととは違うということの認識でもあり、自分が確立して常に同一であるからこそ他を一定に認識できることかと思った。

 

 アイデンティティが統合されていないから統合失調症という病名がつけられる。むかしは分裂症といった。統合失調症はある専門家によれば、距離認識の病だ、という。どういうことかわかってくると、なるほどと思うようになった。精神科の病の特徴的な症状が、そこにいない人や存在しない人の声が聞こえるという幻聴である。相手がはるかに離れているのに聞こえるというのは距離が混乱しているからだと考えることができる。空間だけではなく、時間的な距離も混乱しているからすでに死んだ人の声すら聞こえてしまう。そして相手の思っていることが相手の言葉として聞こえてしまう。もちろん相手がそう思っているかどうか分からない。

 

 だから人はアイデンティティを確立しなければならないのだ、というのが西洋的な考えである。自己と他者を峻別し、個人を至上のものとし、そこから世界を把握しなければならない。そう迫られるから、若者は自分がまだ自己確立不十分だという不安に駆られて自分探しを始めるというわけだ。個性尊重、自分だけの花を持てと言われる。個性とはなんなのか、よく考えるとわかったようでわからない。何しろ自分自身だってよくわからないのだから。

 

 自己確立してもう確固として変わらない自分が存在するという確信に疑問を投げかけるのが養老孟司だ。自分は変わるではないか、という。身体だって変化する。一年前の自分といまの自分がどれほど変わったか、高齢化すればいやでもわかる。心や知性、認識の問題だ、などと言われたって、私など本を読んで「なるほど」と思う度にものの見え方が変わっている。私は変わる。とうぜん意見だって変わる。全然自己確立なんてしていないのか、それとも自己確立などと言う言葉がそもそも幻想なのではないか、などとこのごろ思うようになった。

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コメント

アイデンティティ・・・流行り言葉のように、いつでもどこでもお目にかかる言葉に感じますが、私にはいまだに意味のよく分からない言葉。そういうとき、昔の人は「日本人なら日本語を使え!」と言いました。
私はこの”アイデンティティという言葉を自分では使えません。この言葉が出てくると”日本語を使え!”と思わず言いたくなるクチ・・・。
でも貴ブログで”わからないことがあったなら辞書を引く”を教わりました。夫と兼用の立派な辞書がある!のに…デス(-_-;)
ホントに辞書を引く、という事をしてないなぁ・・・。

おキヨ様
辞書を引けばわかると言うことでもないですが、自分の間違い、思い込みに気がつけると云う事は有ります。
辞書もすべて正しいということではないようですが。

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