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2024年2月 1日 (木)

『津軽』

 太宰治の『津軽』を読む。司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズから、『北のまほろば』を新しく紀行ドキュメントにしていたのを観て、その中で太宰治の『津軽』の文章も紹介されていた。五所川原の立ちネブタ、そして太宰の出身地・金木に斜陽館を訪ねたこともある。津軽半島を北上して、竜飛岬にも二度行った。

 

 太宰治の『津軽』は初めて読む。脇に大判の青森県の道路地図帳を置いて、書かれている場所をなぞって読んだ。通ったこと、泊まったことのある場所があるから、位置関係や風景、その雰囲気はおぼろげにわかる。橘南𧮾の『東遊記』の文章も引用されていたりして、再び訪ね歩きたい思いがつのった。

 

 今年は必ずまた行くと心に決めた。

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コメント

太宰の「津軽」を読んだのは40代の頃。
なぜこんなに「津軽」を読んだ年数を鮮やかに覚えているかというと、その頃セミダブルベットを一人で使用していたのですが、文庫本「津軽」がベットの下に落ちてしまいまい、本は部屋の奥の手の届きにくい場所に。。。
夫に頼めば部屋をガチャガチャにされるのが知れていますので文庫本「津軽」はそのまま。別の本を読んでいるうち「津軽」はそのまま忘れていました。
「津軽」をベットの下の埃と共に拾い上げたのが数か月後。この頃には「小説 津軽」への関心はすでに別の本へ。「津軽」は一応まだ書棚にある筈ですが。たぶん完結まで読んでいないのかも。。。それならそれであらためて「津軽」を読み直す楽しみがあります。

他の方は時間が経ってからどれくらい読んだ本の内容をくっきりと思い出すことが出来るのでしょう?
私は読み終わって「あぁ面白かった!」と満足すればそれで気が済みます。

おキヨ様
私はザル頭を自称している通り、読んだものをザルを通すようにほとんど洩れ落としています。
だからザルの目にかろうじて残るものもあり、忘れ去るものありです。
ザルを通すことを快感に感じる変な読み方です。

読んだ本の内容をきれいに忘れてしまう・・・私はこの状態に少なからず不安を持っていましたが、これは老化にあまり関係が無い・・・と思ってもいいのかも知れませんね。思えば若い頃からそうですから。。。
単に私個人の記憶力の問題ですよね?
もういつどうなっても不思議のない年齢、今頃問題にすこと?( *´艸`)
ありがとうございます<m(__)m>

おキヨ様
ホンと一握りのことが記憶に残り自分に影響をあたえる、ということでよろしいのではないでしょうか。
私はそう思っています。

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