『地球の尻尾を摑む』
年内に手持ちのものを読みきろうとしているレクチャーブックシリーズの一冊、人類学者の青木保と作家の青野聰の対談本『地球の尻尾を摑む』を読了した。副題というか、対談のテーマは文化人類学講義である。冒頭に、青木保の『タイの僧院にて』という本が話題になる。青木保は研究のためもあって、自らタイで僧侶となり僧院で半年暮らすという体験をした、その生活を書いた本である。巻末にその一部の文章が引用されていて無性に読みたくなったが、こうして手を広げて果てしがないことも承知しているので、いまは取り寄せるのを我慢している。
代わりに棚に列んでいる昭和文学全集に青野聰の小説が三編ほど収録されているので、読みやすそうな短いものだけでも読んでみようかと思っている。また、レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』も引用されている。こちらは若い頃わかりもせずに読んだ記憶があるが、読んだことだけ覚えていて内容の記憶は皆無である。これはほかでも度々言及されている本で、いつか読み直したいと思っている。持っていたはずの本はどこへ行ったのだろう。処分したのだろうか。
青野聰のあとがきの文章から、はじめの一部を引用する。
文化人類学では人間の営みのすべてが研究の対象になるそうである。今日は空気の薄い高地、明日は熱帯のジャングル。耳にはモーツァルト、眼にはスパイ小説。左手に計算機、右手に未発表の原稿用紙一万枚の論文・・・。様々な土地に住む人々の文化を、角度こそ違え、同じように人間に関心を持っている者を刺激せずにはおかない形で言葉化する文化人類学者を、僕は現代の学問のヒーローのように思ってきた。
美しき貪欲。青木保さんはまさに文化人類学者だ、何でも知っている。問いかければ、たちどころに、やや早口で整然と答えてくれる。知の領域に日々咲く花を、見栄えのしないものから派手なものまで等しく眼を配っている。(後略)
青野聰も若い頃、十数年世界を放浪して、「日本に帰国しても海外亡命者であり続けることは可能か」(by加藤典洋)などと評されている作家なのである。共通の知見、グランドを持つ二人が打てば響くようなやりとりを楽しく重ねていることがこの本を読んでいるとよくわかる。
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