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2024年3月

2024年3月31日 (日)

六代の君

 『平家物語』巻の十二は少し短いので、一気に読み切った。すでに平家は壇浦で壊滅したけれど、戦後処理が行われていく。頼朝の命を受けた北条時政などによって、平家の血を引く男子は一部の例外を除いて次々に探し出されて殺されていく。幼児であっても容赦はなかった。密告も多数あり、実際に血脈のものではないかもしれない者まで命を奪われていった。人間の醜さがうかがわれる。

 

 この巻では義経が都を追われて落ち延びていく場面も語られる。義経の兄で、平家攻めの総大将だった源範頼も、頼朝の猜疑心によってすでに殺されている。功があることが人望につながり、勢力を持って自分の敵対者になるのではないか、と言うのが頼朝の考え方である。その背景には、貴族政治から武家政治への転換という大事業があり、それには別の権力者の存在は邪魔だったともいえる。平安時代の荘園制度から、次第にそれが形骸化し、院政という不思議な政治手法が続いていた。その集大成が後白河法皇の院政だったが、平清盛によってそれが阻まれた。反平氏の動きはただ源氏再興の思いから起きたものではないようだ。

 

 『平家物語』はそういう政治的な部分はほとんど語らず、ただ栄枯盛衰を語り、因果応報を語る。無常観を語りながらその救いを仏教に求める。冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」という前文の名文が成ってこの物語が成立したともいえる。

 

 巻の十二の過半を、六代の君の運命の物語が占める。六代の君とは、清盛直系の六代御前のことで、清盛の長男重盛、その重盛の長男維盛、さらにその維盛の長男のことである。清盛の祖父、正盛から六代目にあたる。その時十二歳。彼は平家の都落ちに伴われずに、母親と都に残っていた。隠れ潜んでいたが探し出され、北条時政の前に引き据えられる。しかしその時政の前に現れたのは文覚上人であった。文覚は鎌倉の頼朝に願って六代の君を出家させて弟子にするという。

 

 時政の六代の君を伴っての鎌倉への下向が始まる。頼朝が六代の君を殺せというのはわかっている。しかし不憫で殺しかねながらついに足柄に至る。万一文覚が願いを聞き入れてもらったならと望みを持ち続けていたが文覚は現れない。やむなく六代の君を斬ろうとする。そこへ文覚の弟子が早馬に乗って赦免状を届けてくる。

 

 辛くも命が助かった六代の君は都へ帰され、文覚にあずけられるのだが・・・。

 

 頼朝の猜疑心を増幅する様々な出来事が起こる。そもそも頼朝が二位の尼に助命されたから、源氏の再興があり、平家の滅亡があった。六代の君が存命することはその二の舞を生む。こうして結局数年後に六代の君は殺されることになる。はかないことである。

 

 何より哀れなのは、六代の君の母親は、藤原成親の娘であり、藤原成親は鹿ヶ谷の謀議(平家打倒)の首謀者として殺されている。そして夫は平維盛であり、屋島で戦線を離脱して高野山で得度し、熊野詣でしてから入水した。父、夫、そして息子の死という三重の悲劇を体験した女性なのである。そのことを思うと無常感をひとしお感じざるを得ない。

 

 さあ、後は付録ともいうべき『灌頂記』を残すのみ。有名な後白河法皇が寂光院にいる建礼門院を訪ねる場面が描かれる。明日には読み終えられるだろう。

沈黙を畏れる

 うるさいのが嫌いなのに、静かだとついテレビをつけたり音楽を聴いたりする。ものを考えるには静寂が必要だという。それなのに、現代人は音に満たされていないと不安になる人が多いのではないだろうか。現代人はあたかも思索することから逃れようとしているようである。ものを真剣に考えているときには音が聞こえなくなる。そもそも音は必要がない。それでも音を鳴らすのはどうしてかと思う。

 

 若いときに読んだけれど、森本哲郎が思想家のピカートの文章を紹介して沈黙の意味について考えていた。そこでピカートの本『沈黙の世界』を読んだけれど意味がわからなかった。わからなかったけれど、とても大事なことを書いていたように思えてずっと心の隅に残っている。

 

 現代は喧噪の社会で、沈黙というものが何かの欠落ででもあるかのようにそれを音で埋めようとする。会話の中で生ずる突然の沈黙の居心地の悪さは、沈黙が不安をもたらすものであることを象徴する。沈黙は不安を生み、不安を畏れるから沈黙を畏れるかのようである。沈黙は空(くう)であるのか。仏教では空の中にこそすべてがあるという。自分自身のオリジナルはその空から生ずるような気がする。 

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 現役時代、営業職だったので、会話が商売道具であった。相手も沈黙を嫌うので、いかに会話が途切れないように手持ちの話題を抱えているかが勝負だと思っていた。そういう中に沈黙が平気で、沈黙を破ろうとすることに不快を示す人がいた。不思議なことにそのことが会って瞬時に理解できた。私もじつはそうだったからだ。相手が黙って何かを語ろうか考えているときに、私はいつまでも黙って待っていた。長いときには五分以上二人で黙っていたこともある。沈黙の五分はとても長い。行き詰まるようである。

 

 出入りの商社や営業マンには難しい人だと毛嫌いされていたが、どういうわけか私はその人に好かれ、私も一回りほど年上のその人を敬愛していた。その後その人の会社の担当を離れたが、技術的な対応が不十分だったために、結果的に仕事で私の会社が迷惑をかけたりした。それでも私は一回りほど年上のその人と、個人的にも行き来し、四十年以上、未だに賀状のやりとりで互いの消息を交換している。互いの沈黙の交換が、いまの二人をかすかにつないでいるのだと思っている。沈黙の重みというとそのことを思い出す。

平時忠

 平時忠は平清盛の家系とは遠く離れた別の系譜の平氏の一員である。同母の姉が平時子、つまり清盛の妻、後の二位の尼であり、異母妹が後白河法皇の妻・建春門院である。そういう閨閥により、平家の繁栄の中で高い位について朝廷内での実権を振るっていた。しかし平家の都落ちに従って、ついには壇浦でとらわれの身となる。

 

 平清盛の兄弟、息子や孫の多くは討ち死にするか捕虜になって殺されたが、この平時忠とその息子は配流の身となって命を長らえることが出来た(息子の時実の配流先は別)。それには娘を義経に娶せて助命をはかったという経緯もある。それが頼朝の義経に対する不信のひとつの口実になったとも言われる。

 

 その時忠が配流されたのが能登である。能登半島珠洲には時国家があることはご存じだろう。上時国家の邸宅は今回の地震で倒壊してしまったようだ。まことに残念であるが、この時国家は平時国の系譜で、その時国は時忠の子とされているようだ。

 

 いま『平家物語』の巻の十二を読んでいて、平時忠の配流のところであり、能登地震での時国家の倒壊のことを思い出した。

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上時国家玄関。この建物が倒壊した。中は広い。

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由緒書き。

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邸宅内を撮った一枚。

修復は可能だろうか。心配である。

2024年3月30日 (土)

ペラパレスホテル

 映画『ナイル殺人事件』から映画『オリエント急行殺人事件』に思いをいたし、友人とトルコのイスタンブールに行ったときのことを思い出した。

 

 二泊ほどイスタンブールのペラパレスホテルに宿泊した。ここはアガサ・クリスティの定宿で、彼女が『オリエント急行事件』を執筆したのはこのホテルである。このホテルはオリエント急行に乗る乗客が列車待ちで宿泊するホテルだった。イスタンブールは1930年のトルコ革命の前はコンスタンティノープルと呼ばれていた。イスタンブールはそのあとの名称である。このミステリーが書かれたのは1934年であり、すでに街の名はイスタンブールと呼ばれていたはずだ。

 

 そのときの写真をホテルに関連したものだけ何枚か掲載する。

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ペラパレスホテル。

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ペラパレスホテルのロビー。青いシャツはいまは亡き友人のF君。これが彼との最後の海外旅行だった。

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部屋から見たイスタンブールの夜景。

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イスタンブールの夜明け。

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オリエント急行の発着駅に隣接するレストランで昼食を摂った。写真はアガサ・クリスティ。

『ナイル殺人事件(2022)』

 アメリカ・イギリス映画『ナイル殺人事件(2022)』を見た。監督と主演は名優ケネス・ブラナー。前作、アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』に続いてケネス・ブラナーがエルキュール・ポワロを演じている。原作は『ナイルに死す』という題名で、若いころ読んだ。その頃は海外のミステリーを片端から読んでいた時期である。1978年版の映画『ナイル殺人事件』は劇場で見ている。ポワロははまり役と言われたピーター・ユスチノフが演じていた。ミア・ファーローも重要な役どころで出ていたのが忘れられない。

 

 だから私は犯人もトリックも知っているのだが、それでも楽しめた。ゆとりがあるから、その時代背景と人間関係を前よりも詳しく理解することが出来た。ポワロの性格、ただ人を凝視する姿、一見人を寄せ付けない秘密主義、さらに尊大な自己アピールの姿勢の裏にある彼の哀しみをケネス・ブラナーが静かに演じていた。

 

 この映画でエジプトの風景を堪能できるのは、前作と同様である。現地に行った気がする。それも1930年代のエジプトに、である。

屋島、壇浦の戦い

 『平家物語』の巻の十一を読了した。各巻はだいたい240ページ前後だが、この巻だけは長くて280ページあまりある。すでに戦力的には劣勢に追い込まれたとはいえ、水軍の戦闘能力の高い平家は拠点を四国の屋島において源氏軍の来襲に備えていた。暴風雨の中、無謀だと言って止める梶原景時などを押し切って、わずかな舟をもって四国へ押し渡る義経主従たち。わずか300ほどの兵力で四国に上陸して海岸線を西に向かった義経たちは平家の防御戦を突破して屋島へ突き進む。源氏の主力軍が来たと思った平家は慌てて舟に退避する。ここで源氏と平家の強弓合戦が始まる。あの有名な那須与一の扇の的を射貫く名場面が描かれる。

 

 平家は拠点の屋島を落とされてしまい、西へ落ち延びていく。源氏の主力軍が到着して義経軍と合流、壇浦の最後の決戦となる。数多くの平家の武将の死に様が描かれるが、中でも豪勇・平教経の最期は、子供の時からなんど読んでも興奮するところだ。二位の尼に抱かれて幼い安徳天皇は入水する。続いて建礼門院も入水するのだが、沈みきる前にすくい上げられてしまう。建礼門院は安徳天皇の母親、二位の尼は平時子、清盛の妻であり、安徳天皇の祖母にあたる。総大将の平宗盛、知盛などの母親でもある。知盛入水してしまうのだが、宗盛親子は逡巡しているうちに捕らわれてしまう。宗盛はそういう人物であった。

Dsc_0480_20240330075801赤間神宮。安徳天皇の御霊を祀っている。

 二位の尼とともに海に沈んだ三種の神器の行方を必死で探す源氏軍だったが宝剣だけはついに見つけ出すことが出来なかった。

Dsc_0502_20240330075801二位の尼に抱かれる安徳天皇。

Dsc_0503_20240330075801平家物語の冒頭部が刻されている。

 この後、生き延びた宗盛たちは都に送られ、さらに義経に伴われて鎌倉へ送られる。平家追討の行軍中に、繰り返し反目し合っていた義経と梶原景時であったが、すでに梶原景時の讒言は頼朝に繰り返し届けられていて、義経は鎌倉入りをとどめられてしまう。有名な腰越状が書かれるが、頼朝の心は動かなかった。その義経に宗盛親子と、すでに捕らわれて伊豆に幽閉されていた重衡の、都への護送の指示が与えられる。

 

 護送中にいつ斬られるのかおびえる宗盛だったが、琵琶湖まで無事送られて安堵する。しかしそこが宗盛親子の最期の地であった。重衡は都へ送られ、南都の山門に渡される。東大寺や興福寺が平家に反旗を翻したとき、それを焼き討ちしたのが重衡だったから、身柄をあずけられることになったのだ。そこで斬られた重衡の首は山門に釘付けにしてさらされる。討ち死にした平家の武将たちの首も都でさらされる。その妻たちの去就も語られる。
 
 こうして平家はほぼ滅亡するのだが、血脈を継ぐわずかな者たちの処遇、悲劇が第十二巻に描かれていく。

2024年3月29日 (金)

不条理

 世の中がわかってくると、現実世界は理想世界とは違うことをいやでも知ることになる。そもそも理想世界が人によって違うこと、その違いの集積が不条理を生んでいるのだろう。自分にとって理想であることが他人にとっては不快だったり迷惑だったりする。

 

 それにしても、と思う。

 

 ホスピスの問題で生死について考えさせられる。緩和ケアについて、ずいぶんと進んできて、苦痛が幾分かのぞかれるようになったことは朗報だと思う。苦痛の恐怖と死への恐怖は不可分のものだったから、苦痛が緩和されればそれだけ死の恐怖も緩和されることになる。何しろ、誰でもいつかは死ぬのだ。そして、生死を考えるということは人生を考えるということでもあることを、幾多のホスピスのドラマを見て知る。人にはそれぞれ人生があり、かけがえのない家族や友人がいる。その中でどう自分の死を迎えるのか、少しは考えておくことは必要だろう。

 

 ところが現実の世界に目を向けると、ウクライナで、ガザ地区で、メキシコで、ハイチで、それだけではなくそこら中で人が簡単に殺されているのをニュースで見せられる。それらの死者にも人生があり、その人がかけがえがない存在だと思っている人たちがいたはずで、それがいとも簡単に、不要な物のように破壊されている。

 

 これが不条理でなくてなんだというのか。どうしてこんなことになったのか。それとももともと人類はずっとこんなことを続けてきたのか。歴史をひもとくと、どうもそうとしか思えない。それでも曲がりなりに存続しているのはどうしてなのだろうか。不条理な死者の数よりも、寿命を全うする死者の方が多かったからということなのだろう。しかしこれからもそうであるかどうか、いささか疑問に思えるようになってきた。そろそろ人類はもういいか、という神の声が聞こえてこないか。だからといってどうしようもないではないか。

 

 こんな思いが終末論を生む。たぶんさいわいなことに、私は本当の世界の終末を見ないでこの世とおさらばすることになりそうだが、あの世があるならあの世から高みの見物をすることにしようか。秩序は混沌へと向かうのが宇宙の必然らしい。生命こそ秩序の源、生命を破壊することは混沌への必然なのか。

『ジョン・ウィック コンセクエンス』

 キアヌー・リーヴス主演の映画『ジョン・ウィック』シリーズ第四作。暗殺組織のルールを破ったことで組織に負われる、ほとんど不死身ともいうべきジョン・ウィックの戦いはエスカレートしていき、ついに組織の頂点へとたどり着く。

 

 キアヌ・リーブスを初めて見たのは『ハートブルー』という、パトリック・スウェイジと共演した映画だ。パトリック・スウェイジは、あの『ゴースト/ニューヨークの幻』のデミ・ムーアのパートナー役を演じていたから覚えている人もいるだろう。私の大好きな俳優なのだが、惜しくも亡くなってしまった。話が逸れていってしまうが『ハートブルー』は好い映画なので見る値打ちがある。ただし題名から想像するような恋愛映画ではなく、アクション映画である。

 

 ジョン・ウィックは超絶的な能力で群がる敵をバッタバッタと倒していくのだが、敵の数は信じられないほど多くて強力なので、その戦いは果てしがない。自由になるための方法が二つあり、一つは敵を倒すこと、一つは死ぬことで、しかし自分のために死んだ数少ない仲間や死んだ妻のためにも死ぬことは選べない。目的を果たすための方法がひとつだけあると知らされて、彼はそれに賭ける。

 

 とにかくものすごい数の敵を倒し続けていくのだが、もう漫画である。痛快を通り越している。それでも面白く見られるのは作りがいい加減ではないからだろう。不可能を可能にしていく意思と能力に人は願望を託す。こんなに暗殺者を倒し続けたら、世の中は平和になるだろう。ついでにプーチンや金正恩も倒してくれると好いのだけれど。

 

 この映画、一気に見せてくれるけれど長い。ちなみにコンセクエンスは映画の中の台詞からして、「報い」という意味らしい。私の外来語辞典には載っていなかった。

残念

 昨夜半から風雨が強くときどき窓を揺らしていた。弱まりつつあるが今朝もまだその風雨が残っている。ベランダに置いてある鉢ではニラ、パセリ、ネギが元気である。そしてもうひとつ、かいわれ大根を取り残したものが大きく伸びて大根の花が咲いている鉢がある。花が咲く前なら大根が出来ていたのだろうか。ネギは細ネギの根を植えたものだが、もう普通のネギの太さになってしまい、葱坊主が出来はじめた。そろそろ終わりか。ずいぶん重宝させてもらったが、また土を起こし直して細ネギを植え直そう。

 

 NHKの『BSニュースWorld+Biz』という番組が今年度で終了すると昨日福永美春さんが言っていた。彼女のかすかな恥じらいを感じさせる笑顔はわざとらしさがなくて好い。以前名古屋局にいたことがあるので長いなじみだ。先日NHKのニュースについてちょっとした苦言を呈したが、この『BSニュースWorld+Biz』は十分間の短さだが、その十分間の中に必要なニュースを簡潔に伝えていて、私の思うニュース番組らしい番組だと思っていた。それ以外の長々しい上にキャスターの感想が入るものはバラエティニュースだと思っていた。

 

 その番組がなくなってしまう。残念だ。

2024年3月28日 (木)

『ザリガニの鳴くところ』

 『ザリガニの鳴くところ』は2022年のアメリカ映画。同名の原作小説が元になっている。見終わって、映画らしい映画を見たなあという感想である。ノースカロライナ州の湿地帯で、近くの町の若者の死体が発見され、やがて近くの物見台から転落したことがわかる。事故か他殺なのか、判然としない事件だったが、この湿地帯には「湿地の娘」と呼ばれる若い女が独りで暮らしており、彼女はその男と関係があったという噂もあって、彼女が疑われ、やがて逮捕されてしまう。

 

 彼女は町の人々から差別されて生きてきた。彼女に同情するものはわずかである。弁護士は彼女に詳しい話を聞こうとするが、彼女は投げやりな態度であり、最初からあきらめているかのようである。減刑を狙う作戦ではなく、無実を争うしかなくなる。留置場で彼女の長い回想が始まる。もともと家族で湿地帯の家に暮らしていたが、専制的な父親の暴力に耐えかねて母は家を出てしまう。やがて彼女の兄や姉たちも去って行き、父と二人だけになる。そしてついに父も行方がわからなくなり、彼女は独りになってしまう。町の福祉課が彼女を施設に入れようとするが逃げ回り、湿地暮らしを続けていたのだ。

 

 そんな彼女の気持ちをよくわかっていたのは町の雑貨屋の夫婦で、彼らの支えで彼女は生き抜いていく。そんな彼女にも心を通わせる男が現れる。だが彼も大学進学を機に町を離れてしまう。そして帰るといった日に彼は帰省せず、それきりになってしまう。そうして再び孤独の日々か続く。そして彼女に関心を持って近寄ってきたのが、転落して死んだ男だった。

 

 果たして彼女が殺したのか、それともほかの誰かが別の理由で殺したのか。彼女を裁くための裁判が始まる。陪審員は町の人々であるから彼女に最初から偏見を持っている。不利な情勢の中、判決はどうなるのか。息詰まる展開、疑いと反論が繰り返され、判決が言い渡される。

 

 結末はほぼ予想通りで、真剣に見ていればわかるだろう。わかるように作られている。

『VIVANT』

 昨晩、昨年話題になった長い長いドラマ『VIVANT』を最後まで一気に見た。最近は早寝を励行していたのに、そのために夜更かししてしまい、夜明け前に変な夢を見て飛び起きた。寝ているときに大きな地震が起こる夢である。激しく揺れたはずなのに部屋の本箱は倒れていないので、夢だと知ってほっとした。かなり怖かった。記憶では地震の後、マンションの人たちと地震のことについて話したような気がするのだが、目が覚めたら詳しいことは忘れている。マンションの人とは挨拶を交わす程度であまり交際はないが、どんな話をしたのだろう。本当に地震が起きたらどういう話をして、手助けし合うのだろう。

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 ドラマはそこそこ面白かった。結構金をかけているようで、映画並みのスケールの大きなものになっていた。ただ、前半のドラマの厚みと謎が、次第に謎が明らかになるにつれて薄くなっていって、つじつま合わせに転じていったところが残念である。最初は予想もつかない展開だったのに、次第に予想がつくようになっていった。そうなるとこういうドラマは無理矢理に意外な人物が別の組織に属していた、などという話にしてしまいがちだ。そういう仕立てがあっと驚くどんでん返しになればいいのだが、必ずしも成功するとは限らない。

 

 それと、一挙に再放送されたものを録画したのが正月だったったので能登地震に被さり、冒頭部が切れている。見ていくうちにどういうシーンだったかはわかったが残念だ。それに余震や津波の情報がテロップでやたらに入るのは、気にし出すときにになるが致し方ないことである。

 

 いくつか矛盾点や首をかしげる点があったが、こういうドラマの場合はよほどぶち壊しでさえなければ、それにこだわっても仕方がないだろう。阿部寛や堺雅人はやはり存在感がある。二階堂ふみが好演。二宮和也は芸達者だとしてよく起用されるが、どうも好きになれないでいる。嵐だからということで私に偏見があるのだろう。木村拓哉のようにどんな役柄を演じても木村拓哉でしかないのと違って、彼はそれなりに役柄になっていることは認める。微妙ないやらしさを意識して演じられているのは自分がよくわかっているのだろう。

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 この終わり方なら続編を作ることは可能だろう。問題はどこまで金をかけられるかだ。あまりスケールを小さくするわけにもいくまい。つぎは二宮和也が演じていた人物が謎の失踪を遂げて、背後に大きな闇の組織が浮上し、なんてのがあり得るかもしれない。

さわり

 デジタル音楽の配信会社から、一時期ジャズやクラシックのさわりを集めた名曲集を何種類か購入していた。それをコレクションにしたものをときどき聴く。静かな曲なら、何かするときのバックグラウンドミュージックにするときもある。「さわり」というのは、音楽の聴かせどころ、という意味であるが、物語の読ませどころという意味で使うこともある。『平家物語』などならもともと琵琶法師の語りだったから、そういう転用もあるだろう。

 

 高校生向けの古典の参考書などを拾い読みしている。たぶん息子が受験勉強用に使ったものだろう。古典の中のさわりを集めたもので、上下巻に分かれていて、いま読んでいる上巻は『伊勢物語』『雨月物語』『宇治拾遺物語』『大鏡』『奥の細道』『源氏物語』『古今著聞集』『古事記』『今昔物語集』『西鶴諸国ばなし』『更級日記』『沙石集』『世間胸算用』が収められていて200ページほど。

 

 だからほんとにさわりだけだが、一番面白い部分を集めてあるから、読んでいるとその物語を全部読みたい気にさせてくれる。多分私が高校生の時にそういう形で古典に接したら、もともと物語を読むことは嫌いではないから古典が好きになっていたかもしれない。私がそういう出会いをしなかったのは、私がうかつにも見逃していたのか、出会いの機会を与えられなかったのか。

 

 そういう参考書だから、例えば歴史書でもある『大鏡』などでは、その時代背景、登場人物の事績、系図などの縁戚関係まではほとんど注釈されていない。それらがわかるともっと面白いのに、と思う。そう思うのはいま読んでいる『平家物語』の注釈がかなり詳細で、しかも比較するための資料が注釈や解説にたくさん引用されているからだ。さらに素晴らしいのは、人物の説明が、以前出てきた人でも省かずにその都度簡略に説明してくれて、以前どこで登場したかも書かれていることだ。この親切は忘れやすい私などにはとてもありがたい。

 

 参考書はどうしても語句や文法的な面に重点が置かれる。そういうものは繰り返し読んで読み慣れてくるとなんとなくわかってくるもので、まず読み慣れるほど読むことにつとめている。それが好きになるための第一歩だと思う。まだ古典初心者であるが、とにかくその第一歩を踏み出したところだ。

2024年3月27日 (水)

青空

 久しぶりの抜けるような青空で、読書が一段落したのでスーパーでの買いだしや洗濯をした。窓を開け放てば風が吹き抜ける。今日は花粉が飛んでいないのだろうか、涙も鼻水もくしゃみもない。快適である。こういう快適な日は年間に何日あるだろうか。出かけないのはもったいないような日だが、あえて引きこもる。またまた録画用のハードディスクが満杯になりかけたので、少しずつ消化を開始。『VIVANT』というドラマが評判だった。それを少し前にまとめて再放送していた。録画してあったから、遅ればせに見始めている。評判通り面白い。それにしても長いから二日で見終わるかどうかわからない。

 

 WOWOWの来月の番組表が配達されていたのでチェックする。それを元に録画するものを決めるのだ。見たい映画やドラマがたくさんあるとはいえ、見られる数は限られているから厳選する。とにかく消化より録画が多ければあふれるだけで、そうなれば仕方なく、どうしても録画したいもののために、録画してあるものを見ずに消すという馬鹿な事態になってしまう。ハードディスクの容量と自分の持ち時間くらいちゃんと把握しなければ。

 

 ほとんどなかったドライデーをもうけるようにしたし、晩酌も最小限にとどめ、間食も極力控えているので、少しずつ体重も落ち始めた。そうなると膝の痛みも多少軽くなる。荷物を下ろして楽になってきたというところか。ありがたいことによく眠れるようになった。早く入眠できるし、寝覚めも悪くない。早寝早起きは健康のもとではなくて結果ではないか。健康だからすぐ眠れて、睡眠の質が良いから寝覚めも良いのだ。ただ、足がつるのは相変わらずで自分の体に腹が立つ。漢方薬を飲めばすぐ解決するが、意地で極力飲まないようにしている。きざしがあると、つりそうな筋肉か筋だかに「いい加減にしろ」と叱りつける。うまくいくとそれでおさまるから不思議だ。

 

 残り少なくなったので、今日も買ってきた白菜を漬ける。それにしても野菜が高いなあ。野菜だけではない、肉も野菜も魚も高い。おかげで食事が控えめになって、減量の助けをしてくれる。

囚われと逃亡

 『平家物語』巻の十を読了した。十二巻+灌頂記(大原御幸などが語られる)で全巻であるから、ようやく終わりに近づいた。一巻が240ページ前後で、ただし十一巻は280ページあまりと長い。最後の心臓破りの丘である。

 

 今回読み終えた第十巻では、主に平重衡(清盛の息子)と平維盛(清盛の長男である重盛の息子)の運命が詳しく語られる。重衡はすでに一ノ谷の合戦で生け捕りにされて都に送られていた。多くが討ち死にしたのに生き残ったが、重衡はすでに生死の境を超えて淡々としている。そのあと頼朝の要請によって鎌倉に送られる。その東行の旅で眺める風景がどのように彼の心に映じたのか、それが美文の中にしみじみと想像される。

 

 一方、平維盛はある意味で清盛の直系なのだが、宗盛や知盛(重衡の兄たちで、重盛の弟)が平家を率いている。前にも書いたが、重盛の係累は宗盛や知盛からやや疎んじられていたようである。もともと維盛も重衡も武士というよりも公家的で芸術肌の人間だったのだろう。平家は一ノ谷で大敗してから、四国の屋島に拠点を移している。その屋島に平家が集結する前か集結後に、維盛は戦場を離脱する。自分が残してきた家族に会いたい一心であり、一目見たら死のうと思って四国から紀州回りで都に入るが、とても家族に会える状態でないことを察してあきらめる。

 

 維盛は都から高野山に入り得度を目指す。そうして高野山で滝口入道から偈を受けて出家する。出家の目的はそもそも死ぬためでもあった。主従と滝口入道は連れだって熊野道を南下し、熊野三山を参拝したあと、那智の沖へ舟を出す。未練を残す維盛に滝口入道は引導を渡し、維盛は静かに入水する。平家物語の哀調がいよいよ高まるところである。

 

 第十一巻ではついに屋島・壇ノ浦で敗北して平家が滅び去る。滅びの中の残酷な運命が、さらに第十二巻に続いていくのである。もちろん勝利者の義経にも同様の運命が待っている。

苦手

 嫌いだ、と言うときに、西洋では、嫌われている、というしゃれた言い方をするそうである。「私はトマトに嫌われている」などという言い方をする。私がそんな言い方をしたらキザに思われそうだ。

 

 だから私は、「嫌いだ」ではきついかもしれないと思うときは「苦手だ」という言い方をしたりする。苦手だから、テレビで出会うとチャンネルを即座に変える人というと、フワちゃん、アンミカ、松岡修造、ミッツマングローブ、柳沢慎吾などが思い浮かぶ。その人本人が、本当はいい人か面白いかどうかは知らないが、苦手だから仕方がない。まあ、たいていそれらの人が出そうな番組は見ないから、出会いもあまりない。

 

 不必要にやかましいのが苦手だ。CMなどでむやみにわめき立てているのを見せられるとうんざりして、嫌われるためにこのCMを流しているのかと思う。元スポーツ選手の中に、どうにも苦手、という人がしばしばいる。多少はあって欲しい知性がかけらもないように見える。見た目が汚らしかったり下品な感じがするのも苦手だ。

 

 具体的な人物が次々に浮かぶが、嫌いな人というのは名前が出てこないことが多い。フロイト先生によればそういうもののようだ。苦手なものがどんどん増えていく。歳のせいなのか、私が世の中とどんどんずれているのか・・・。好きなもの、嫌いなものをあげていくと、自分自身をさらけ出すことになるらしいから、そこそこにしておく。

2024年3月26日 (火)

していいことと

 神戸大学のテニスサークルの面々が宿泊宴会先の宿で、乱暴狼藉を働いて世間の顰蹙を買っている。大学側が謝罪したようだが、そもそもどうして大学が学生たちの代わりに謝るのかよくわからない。迷惑をかけたのは学生たちであり、大学ではない。謝るのなら学生たちではないか。学生たちはどうしているのか。

 

 思えば私も学生時代に酔った勢いで馬鹿なことをしたけれど、していいことと、そこまでやってはいけないことの区別ぐらいはついた。吐いたり汚したり、壊したりしたら自分で謝り自分で始末した。他人に代わりに謝ってもらったことなどないし、大学も代わりに謝ったりしない。もし大学が知れば停学か退学の処分があったかもしれない。社会とはそういうところだと知っていた。

 

 酒を飲むくらいだから成人であろう。成人なら子ともではないのだから自分のしたことは自分で始末しなければならない。どうして大学が謝るのか、と疑問を感じるゆえんである。何年も同様の愚行を繰り返していたらしい話も漏れ聞こえている。それなら苦情が大学に伝わっていたのかもしれない。しかし大人たちが尻拭いし続けてきて、学生たちは何をやっても誰かが処理してくれると勘違いしたのだろうか。だから自分の愚行をSNSで公開するようなことをしたのだろう。冗談だと言い訳できると思ったのだろう。

 

 馬鹿なことをして見せて、何やら得意げなお調子者をしばしば見せられる。迷惑をかけられる方にとっては冗談では済まされない。それを冗談で済ませようとする世の中の風潮はいい加減にして欲しい。先輩は許されたのに、などと恨み言をいいたいかもしれないが、明確な社会的制裁がそろそろ必要だろう。大学も自分だけ謝っては片手落ちだ。

雑感

 SNSで、受験シーズンは痴漢がやりやすい、などと反社会的なあおり行為を行った人物が特定されたようだ。こういう行為に対しての処罰はたいてい軽すぎるような気がするが、どうなのだろうか。そういう反社会的な、人に不快感を与えるような投稿をすると、見る人が増えて金になるというけれど本当か。それなら処罰が軽すぎては歯止めにはならないだろう。しかしそういう人間はどのみちまともな人生を送れないだろうとも思うし、「天網恢々疎にして漏らさず」ともいう。それが単にそうであって欲しい、というだけでないことを祈りたい。

 

 北朝鮮の首領様の妹が、岸田首相が訪朝を懇望しているがごとき発言をして、騒ぎになっているようだ。向こうのもくろみ通りなのだろうが、そのもくろみがわかりにくい。わかりにくいのが手のようで、あれこれ北朝鮮専門家という、想像力豊かそうな人がいろいろ意図を解説拡散してくれている。まあ岸田首相への揶揄的なジャブというところか。そもそも公人としての発言なのか、個人的な発言なのか。まあ、個人的発言を許すような国ではないから、個人的に見せた公的なものなのだろう。

 

 テレビは原則、録画してから見る。雑用があるのでリアルタイムで見るのが無理なことが多いからだ。リアルタイムで見るのはニュースだけだ。民放の10分とか15分という細切れニュースも見ることがあるが、ほとんど正味は半分がいいところで、実感はCMばかりである。それなのに、報じられるニュースの件数はCMのないNHKのニュースとかわらなかったりする。つまりNHKは一つ一つが長いのだ。掘り下げているといえばそうなのだろうが、むかしのようにもっとキビキビと事実の報道に徹してくれないかと思うが、私だけの感想なのだろうか。おまけに朝昼晩と同じことを同じ絵と言葉で報じることも多い。ずいぶん楽をしているなあ、と感心する。時間がないから報じられなかったニュースが死屍累々という状態ではないかと心配するが、もともとスカスカなのか。

 あくまで個人としての感想です。

ギャンブル依存症

 誰かがギャンブルにはまろうがどうしようが、私はギャンブルにむいていないことを身にしみて知っているので、他人事である。若いときに麻雀や競馬の面白さを教えてくれる先輩がいて、のめり込みかけたときに、どうも私は気が小さいから賭け事にむいていないらしいと気がついた。自らが汗水流して働いた金を簡単に失うことの馬鹿らしさに気がついた。私は本質的にケチなのである。

 

 賭け事をしたときの高揚感は何にも比べられないほどである。面白いことに、負ければ負けるほどその高揚感は大きくなるのである。少し年上の同僚に、パチンコの依存症としか言い様がないほどのめり込んでいる人がいた。給料の四分の一、ときに半分をつぎ込んでも止まらない。家族がいるのに、である。そうして当然のことに勝つよりは負けることの方が多い。その人と話をしていて、とことん負け続けたあとに、わずかに勝つと、ただ勝ち続けるよりもはるかに大きな興奮を感じるのだと教えられた。よく自分の心理を知っていた。しかしやめられないのだからわかっていたとも言いがたい。さいわい借金をする手前で辛くも踏みとどまっていた。

 

 ああ、依存症というのはこういうものなのだなあ、と教えられた。アルコール依存症の人も二、三人知っている。そのうちの一人は糖尿病を悪化させ、ほぼ失明しかけたころに死んでしまった。会うと飲みに行こうと言われたものだ。病気であることを知っているから止めるけれど、飲み始めると鬼気迫る飲み方でのみ続ける。もう一人はウイスキーをストレートであおるように飲む人だった。ついには肝臓を悪くしてガリガリに痩せ始め、手が震えていたが、酒を飲むと嘘のようにピタリとそれが止まる。

 

 そういう人たちが私を依存症から遠ざけてくれたのかもしれない。

 

 ギャンブル依存症というけれど、ギャンブルには胴元がいて、胴元は原則的に負けないようになっている。依存症はカモである。カモになるのは何よりいやなことである。

2024年3月25日 (月)

木曽義仲の死、一の谷の戦い

 『平家物語』の巻の九を読了。生ずき(池月)、磨墨(するすみ)(ともに頼朝所蔵の名馬二頭)の話から梶原源太景季と佐佐木信綱の宇治川の先陣争いが描かれたあと、孤立して寡兵となりながら奮戦する木曽義仲、そしてそれに従う巴御前の活躍と二人の別れがつづく。

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 木曽路に木曽義仲館があり、わずかな資料しか残されていない木曽義仲について、可能な限りの展示がなされているのを見に行ったことがある。資料館の館長は訪れる人も少ないらしく、資料を眺めていたら話しかけてきて詳しく説明してくれた。ほど近いところに巴御前にちなんだ寺もあり、彼女が泳いだという巴淵という淵もあったので見に行った。なんとなく木曽義仲の生涯に悲劇的なものを感じて思い入れがある。芭蕉も木曽義仲に強い思い入れがあって、木曽義仲が最期を迎えた琵琶湖の南、大津にある義仲の菩提を弔う義仲寺に芭蕉もともに眠っている。三井寺(園城寺)と義仲寺はいつか見に行こうと思っている。

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Dsc_9562_20240325101701巴淵

 源氏軍は木曽義仲を討ち取って後白河法皇に報告したあと、平家追討の院宣を受けて、間を置かずに福原周辺に陣を構えて兵を増強しつつある平家との戦いに向かう。もともと平家は四国や中国地方に勢力を持っていた。兵站の伸びた源氏軍は短期間で撃破しなければ危うい情勢だったはずで、だからこその義経の奇襲攻撃による一の谷の勝利は決定的だった。解説にもあるが、一谷の後背の山とされる鵯越(ひよどりごえ)はそこから五キロほど離れていて、実際の後背の山は鉢伏山だろうという。

 

 多くの平氏の将軍が討たれてしまい、主力軍を失った平家は海に逃れて衰亡していく。この巻の九ではその戦いとそこで死んでいく男たちの姿が詳細に語られていく。最後が熊谷次郎直実が平敦盛の首を取る場面であり、その悲劇性が強調される。私は若いころ十年近く熊谷に住んでいたので、駅前の熊谷次郎直実の騎馬像を通勤のたびに眺めていた。縁がないわけではない。このことを契機として豪傑であった直実は戦の世をはかなみ、そして敦盛の菩提を弔うため出家してしまう。

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アラメ飯

 ときどきマイタケ飯を作っていたが、今日は久しぶりにアラメ飯を作った。アラメは海藻の干したものである。ひじきに似ているがもっと細長くて柔らかい。それを水で戻しておき、冷凍していた油揚を小さな短冊状に切り、にんじんも短い細切りにする。油揚は少し多めにする。まず油でゆっくりとにんじんを炒め、そこに油揚を加えてさらに炒めたあとにアラメも加えて炒める。砂糖、調理酒、だし醤油を加えて煮詰める。

 

 味が全体に染み渡ったら冷ましておく。米をといで普通の水加減にしてから調理した具を加えて混ぜ合わせて炊き込む。炊き上がったらよく混ぜてできあがり。簡単でおいしい。具に、細かく切った鶏肉を加えたらさらにうまいが、なくても十分である。味は少し濃いめにしておいた方がご飯とバランスがいいと思うが、好みである。

 

 混ぜご飯は傷みが早いから、すぐに食べない分は小分けして冷凍しておく。冷凍したものの方がおいしかったりするのが不思議だ。

 

 こういうものに白菜の漬け物、大根などの味噌汁、何か佃煮の一品でもあれば、私にとってはごちそうだ。こういう食事を続けるとひとりでに減量できる。泊まりで出かけると宿の食事はつい食べ過ぎるし、ビジネスホテルに泊まって安くあげようとしても、外に飲みに出かければ飲み過ぎる。

 

 ところでじゃらんであちこちの宿を、日にちをいろいろ変えて検索したら、一人での泊まりはなかなか適当な宿が見つからない。コロナ禍が終わってみな出かけるようになったということだろうし、しかも春休みの時期でもある。おまけに知っている宿の料金がかなり値上がりしている。定年年齢が上がっているといっても、それなりの数の人が毎年どんどんリタイアして、それに伴い旅行する人が増え、需要が増えているし、従業員確保で人件費も上がっているのだろう。独りで温泉宿でゆっくり、というのはいまや贅沢なことのようだ。湯治場の安いところに行くのが身分相応なのだろう。

 

 それとも思い切り贅沢に行くのも、ときにはいいかもしれないとも思うが、なかなか散財の勇気が出ない。ケチだから。

依存症

 大谷の通訳はギャンブル依存症のために大変な結果を生んだ。残念を通り越してその迷惑のかけ方に怒りを覚える。私は、この依存症、という言葉にいささか疑念を抱かざるを得ないでいる。自分ではやめようと思いながら、病気であるからどうしてもやめられないのが依存症なのだという。専門家が言い、みなが認めるのだからそうなのだろう。しかし私には、結果が原因を説明しているだけではないかと思える。やめられる人はやめられるのに、やめられなかったから病気だ、病気だからやめられなかったのだ、というだけのことではないか。アルコール依存症、小児性愛依存症、麻薬依存症、なんにでも依存症と付けようと思えば付けられてしまわないか。

 

 精神医療は自分のテリトリーを増やすことに汲々として、何でもかんでも精神の変調や偏重にしてしまうところがありはしないか。確かに精神の病というのはある。精神の病は健全な人には理解を超えるものだから病気なのだとも承知している。しかしその適用範囲をあまりに広げすぎてしまえば、何でもかんでも病気のせいにしてしまうことになりかねない。もう少し病の範囲を明らかなものに限定した方が善いのではないか。

 

 犯罪行為が精神の病のせいだとして免罪され、治療が済んだとして世に出て再び三度(みたび)、人に危害が加えられた例をどれほど見せられてきたことか。病だ、と判定したのであれば病だったのだろう。しかしその病が治った、もう問題はないと判断したのも精神科の医師の判断だろう。治ったはずが治っていないなら、そもそも病そのものを判断する力があったのかどうか。

 

 とはいえ、「・・・病」と「・・・症」は意味が違うことは多少ながらわかっているつもりだ。依存症は免罪符にはならないと私は考える。ときに実害はあるのだから責任はあり、病気だから仕方がないでは許されないということだ。全面的に病気に支配されているならそれは「・・・症」ではなく「・・・病」である。当面は社会不適応者としての扱いが必要だろう。

 

 その分野に少し興味があるから、ちょっとだけ本を読んだという程度の知識から思ったことを書き散らした妄言なので、不快に思われたらご容赦いただきたい。

2024年3月24日 (日)

けがの功名

 けがの功名といっても本当にけがをしたというわけではなくて、左膝が痛くて立ったり座ったりするのがいささかつらい状態になっている。せっかく減量できていたのが大きくリバウンドして、自らの体重が支えきれなくなったことによると思われる。階段の上り下りもつらい。リバウンドしたのは口が卑しいために節制のたがが外れたからである。いままた節制すべく食事と酒の量を控えている。

 

 膝にサポーターをしてじっとしていたら少し楽になっている。だから気持ちでは出かけて歩きたいのに、雑用をするとき以外は終日こたつの前の座椅子にはまり込んで積み上げた本を読んでいる。本に集中できているときは、ドラマや映画をあまり見たいと思わない。さいわいいまは飽きることなく読書できている。読み応えのある本も放り出さずに最後まで読めそうなのはそういう意味で、けがの功名、なのである。

 

 それでも読み応えのある本はいささかくたびれる。その合間などに気晴らしに読みやすい本を読む。本に飽きて本を読む、というのはわかりにくいかなあ。以前は軽いエッセーなどを読んだが、たまたまいまは養老孟司の『人の壁』(新潮新書)を再読している。コロナ禍の最中に心臓の病気で入院し、退院してしばらくして愛猫のまるが死に、出かけられずに引きこもり状態で考えたことを書き綴ったものだ。書いている内容は繰り返しに近いものが多いが、その思考はらせん階段を上るように、似た景色でありながら前とは違うものになっている。こちらの理解する力も多少ついてきているし、書き方も易しくわかりやすくなっているようだ。ただし内容はよく考えると深いものがあるのはいつも通り。ときどきページを置いて考えたりする。

 

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
 洵(まこと)にやむを得ざるものあり豈(あに)朕が志(こころざし) ならむや

 

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

昭和十六年十二月八日、米英との開戦の詔勅の一部である。

 

養老孟司は、ああしたからこうなった、と考える西洋的思考とは違う、日本人の責任についての感覚の象徴として読めないか、と思考を展開していく。成り行きでこうなったんだから仕方がないじゃないか、というわけであるが、そう考えれば原発事故についての責任はないと主張する東京電力のトップや太平洋戦争遂行者の責任の自覚のなさ、今回の自民党の裏金問題に対する態度はそれで日本人なら得心がいきそうな気もする。もちろんそれでいいわけではないし、養老孟司もそんなことは思っていないはずだ。

 

 こうして日本人はすべて物事を、そうなってしまったんだから仕方ないじゃないかであきらめて流されていくのだろうか。自分の生き方もずっとそれでやってきたような気がしたりした。

不勉強が身にしみたので

 自分が知らないことが山のようにあって、というよりも知っていることがあまりにもわずかであることに情けない思いがして、多少は興味があることだけでもわかるようになりたいと思い、にわか勉強を始めている。七十の手習いである。

 

 私が何か勉強するとしたら、国語関係と歴史関係である。評論や古典、中国の古い本を読むのに一度基礎的に学び直したいと思っている。その思いはずいぶん昔からあったから、息子や娘の問題集や基礎知識をまとめたものなどのうち、古典、現代文解釈、漢文や歴史資料などを捨てずに残していた。それだけでもずいぶんたくさんある。まだはじめて一週間にもならないけれど、なんとか三日坊主は超えた。案外難しい。こんな勉強をちゃんとやっていたらもう少し世界が明るかったのにと思うが、今さら振り返っても仕方がないので一ページずつ消化している。終わったものから捨てていくつもりで、捨てるのが楽しみである。捨てるつもりだから好きなだけ書き込めるのもうれしい。

 

 いまは『平家物語』を読書の軸にして読了を目指している。本を整理していて、歴史学者の山本博文の『流れをつかむ日本史』(角川新書)という本を見つけて読み始めた。五年ほど前に日本の通史を読みたくなって買ったもので、一冊で日本の歴史の流れを概観できる。大変読みやすい。あまり熱心に読むとほかが読めなくなるので少しずつ読むことにしている。この本は折にふれて繰り返し読むことが出来る(読んだ尻から忘れるから)。

寒苦鳥

 『平家物語』の巻八を読み終えた。京の都は木曽義仲の制するところとなり、平家は都落ちして西海(九州)に向かう。九州に落ち延びた平家は太宰府を拠点にすることにしたのだが、平家の支配下だったはずの地で反旗を翻され、やむなく屋島へ逃れる。再び兵力を蓄えながら四国から水島へ上陸、旧都の福原を目指す。その間に後白河法皇は木曽義仲ではなく、鎌倉の源頼朝を征夷大将軍に任じ、源氏のトップは頼朝にあることを明示する。

 

 もともと木曽義仲軍には内訌もあり、しかも急激な侵攻のために兵糧もなく、略奪行為をせざるを得ず、また、都ぶりとはほど遠い義仲の、武断的性格が災いして都で様々な問題が頻出する。たしか吉川英治の『新平家物語』では、義仲の様々な問題は、敵対者の意図的な策謀ではなかったか、という義仲に対する好意的見方をしていた記憶がある。私も木曽義仲に思い入れもあるから、そう思いたいところがある。

 

 後白河法皇も情勢を見、取り巻きの意見を取り入れ、比叡山や三井寺(園城寺)などを頼りに義仲追放を画策するのだが、義仲に一蹴され、逆に法皇も天皇も幽閉されてしまう。しかし数多くいた義仲に付き従っていた北国の武士たちは、都に居続けずに引き上げていく。都は飢饉などで大軍が駐留することは不可能だったのだ。情勢を見て周辺で義仲に反旗を翻す動きが盛んになるころ、頼朝は弟の義経を義仲追討軍として派遣し、都に迫ろうとしていた。

 

 寒苦鳥というのは、平家のありさまをたとえるために、巻九の冒頭に出てくる鳥の名前で、インドの大雪山(ヒマラヤ)に棲むという想像上の鳥。夜は寒さに苦しんで、夜が明けたら巣を作ろうと鳴くが、朝になれば夜の苦しみを忘れて巣を作らず、怠けるという。仏の教えの中で、成道(じょうどう)を求めない衆生の懈怠をたとえている、のだそうだ。人間というのはまことに寒苦鳥だ、私も寒苦鳥だ。

 

 ところで平家とともに安徳天皇が都落ちしてしまったので、都には天皇が不在であった。そこで擁立されたのが異母兄弟の後鳥羽天皇であった。安徳天皇も後鳥羽天皇も高倉天皇の子供である。つまり後白河法皇の孫である。後の後鳥羽上皇はこのときに天皇に即位していたのだ。知らなかった。それに平家の主力軍が一度九州に上陸して拠点を構えるところまでいったことも知らなかった。本当に我ながらものを知らないなあ。

2024年3月23日 (土)

説明責任

 岸田首相は二言目には「説明責任」と言うけれど、説明というのは多くの人が「なるほど」と納得して初めて責任が果たせるものであって、そもそも説明できるはずのない、してはならないことをしたことについて、どんな説明をしたところで納得する人はあまりいないだろう。となると岸田首相の言う「説明責任」とは一体何なのだろう、と首をかしげてしまう。

 

 しばしば犯罪者が理由にならない理由を語るのを見聞きする。本人にとってはそれが理由だと思っているのだろうけれど、たいていの人には理由とは受け取れない。殺傷事件などで、相手に腹が立った、だの、世の中に腹が立っただのと言うのは理由でも説明でもないし、そもそも聞いても意味のないたわごとだ。

 

 悪いことと見なされていることは、説明のしようがない。説明責任などとれない。謝罪し、説明などではなく、罪に対する責任をとるしかない。野党も説明が不十分だ、などと言い立てるのは、説明責任というのがあたかもあるかのように振る舞っているようで、だから茶番にしか見えない。したことを認めるのかどうか、悪かったと思っているのかどうか、それならどう謝罪し罪を償うか、それを追及するしかないのに、なんとなくずれている気がする。

 

 日本は責任の所在が曖昧で、誰も責任をとらないところがある。責任が問われながら責任者がいないと言う不思議な国だ。公人は特に、私が責任者です、と名乗りを上げないで済ませてしまうことが多い。東京裁判の場の、戦争遂行者たちの自分の責任に対する自覚のなさは目を覆わんばかりだったようだ。特に軍人に自覚のない者が多かったという。命令に従っただけだと口々に言ったそうだ。そういえば同じような姿を東京電力の責任者たちに見せられた。

 

 国民からすれば、説明責任とはどうしてこんなことをしたのか正直に白状することだと普通に考えているところであろう。しかし白状すれば自分の政治生命が危ういと思えば、報じられたようなワケのわからない釈明に終わるだけである。結論は、「私には責任はない」と聞こえた。責任をとる覚悟のない責任者は、そもそも責任者になるな!

探していた言葉

 探していた言葉をようやく見つけた。

 

小人之過也、必文。
   (小人(しょうじん)の過つや、必ず文(かざ)る。)
意味
 小人は過ちを犯すと過ちを改めずに必ず言い訳をする。

 

論語の中の子夏の言葉である。

朝、地震があった。美濃中西部が震源地で、最大震度4、私の住む愛知西部は震度3だった。マンションの五階なので少し揺れは増幅される。明確な予震があり、ちょっとだけれど突き上げるような本震が来た。東南海地震や津波のことを書いた記事を読んでいたところなので驚いた。つぎの大きな地震はどこにあるのだろう。ないでは済まされない気配だ。

こんな言葉もあった。

無是非之心、非人也。

 (是非の心のなきものは、人にあらずなり。)

意味

 善悪を判断できる心がない者は、人間ではない。(出典不明)

 

『兎、波を走る』

 野田秀樹脚本・演出の舞台、『兎、波を走る』を見た。もちろん舞台そのものではなく、WOWOWで放送されたものだ。演劇はめったに見ないが、今回は多部未華子が出演しているので録画しておいた。多部未華子の演劇は、大分前だけれど『サロメ』に出演しているのを見たことがあり、奥田瑛二の向こうを張って熱演していて素晴らしかった。私は多部未華子が別格的に大好きだけれど、ただのコメディエンヌではない、才能のある女優だと思う。

 

 今回は高橋一生、松たか子、多部未華子がメインキャスト。二時間を超える舞台で、しかも野田秀樹の演出だから、俳優はすさまじい運動量が強いられていて、舞台が終わった後のインタビューでその苦労話が語られていた。

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 前半は『不思議の国のアリス』をモチーフにしたようなシュールな展開から始まって、その意味するところがわかりにくいから、台詞を聞き逃さないように普段以上に音量を大きくして集中してみていた。野田秀樹が始まる前に、「観客の集中力が普段以上で、のめり込むように見てくれる舞台になってありがたかった」と語ったことの意味がすべて見終わったときによくわかった。この演劇のテーマを知ってから見ては、この集中力を損なってもったいないので、それはここに書かない。

 

 とにかく最後のシーンで心が揺さぶられた、ということだけは記しておく。このテーマをこういう演劇にするということの重さを感じるとともに野田秀樹の才能に敬意を表する。

2024年3月22日 (金)

情報の偏り

 事実と真実と情報の違いを粗雑なざる頭なりに考えてみる。事実とは時々刻々と変わる現実そのもので、その背後にあるその事実をもたらしているものが真実、そして変化する現実を切り取って固定化したものが情報だと思う。この場合、作り替えたり、作られた偽情報は情報とは見なさない。

 

 切り取って固定化されたものを元に事実を考えることは出来るが、あくまで情報は一断片に過ぎないし、現実は変化するから情報は無数に生ずることになる。どこから見るのか、その立ち位置でも見え方は違うものだ。養老孟司が、情報は不変なものだ、ということばに驚いたものだが、考えてみればその通りである。その辺が多分多くの人が勘違いしていることだろう。情報が変わるように見えるのは、ただ新しい情報がもたらされただけのことに過ぎない。

 

 こんな当たり前のことを元から考える気になったのは、偽情報、フェイクニュースなどについて考えるためである。いまは情報が氾濫している時代だとされるが、その中に事実に基づかない、ためにする情報が紛れ込んでいる。それも情報だ、などということになると、そもそも情報とはなんなのかワケがわからなくなる。AIがものを考えるときに、それを支えるのは膨大な情報である。その情報に嘘が混じればAIは嘘を元に答を出すことになる。それにどんな意味があるというのか。

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 人は自分の知りたい情報のみを取り込む傾向があり、GAFAなどはその個人の好みに合わせて情報を取捨選択して提供してくれているから、結局いくらたくさん情報を集めてみたつもりでも、ある偏った情報のみの海の中でものを考えることになる。違う傾向の人とは話が通じにくくなる。アメリカの分断を見ているとそういう背景があるような気がする。中国や北朝鮮、いまはロシアもそういう偏った情報操作で国民を管理しようとしているように見える。

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 日本ではそういう心配は少ないように思えるが、どう見てもまともとは思えない陰謀論を本気で信じている人たちを見ると、かなり怪しくなってきた気もする。ある人がそういうものにはまらないためには、基礎知識、つまり歴史や一般常識を身につけるしかない、と言っていた。そんな面倒なものはネットで調べれば好いのだから、身につける必要などないと思っている若者がいるようだ。そういう若者は原理主義的なものにコロリといかれてしまう。第2第3のオウム真理教信者にならないといいが。

恥知らず

 北海道の自民党参議院議員が飛行機の中で傍若無人の態度をとり、見るに堪えかねた、という吉幾三の投稿に対し、航空会社のCAがよくぞ言ってくれたとばかりに賛意を示したことがネットで報じられていた。そうして実名で報じられてしまった当の議員が謝罪ではなく、反論の投稿をしたという。自己の正当性を主張したのだそうだ。私の生き方、信条はかくかくしかじかであり、それに従って行動しているのだと述べて、具体的な飛行機内で問題になった行動についての釈明はなかったようだ。

 

 CAは、当該議員が航空会社の問題客のリストに載っている人物であること、繰り返し繰り返し同じような問題行動を起こしている人物であることを明らかにしている。たまたま虫の居所が悪くて居丈高になった、などというレベルではないことがこれでわかる。事実の詳細を知らない人でも、こういう事態になってまで反論するというのはずいぶん世の中を勘違いした人物だと思うだろう。私もそう思った。それに飛行機に乗っていた人間はみんな見ていたのだから、密室の水掛け論とは違う。

 

 思い出すのはナッツ姫事件で、世間は大騒ぎになった。それを知らないのだろうか。ナッツ姫はそのあとしおたれて見せたけれど、まだ当該の議員は強がりを見せているようだ。頭を下げずにいると自分だけの問題ではなくなるのがわからないのだろうか。自民党もこんな人間をかばっている余裕などない。どうせいまに自民党から切り捨てられるだろう。落ち目になったら手をたたいて喜ぶ人が多そうだ。恥知らず、勘違い人間がたたかれる世の中はある意味で健全だともいえる。うさばらしにもなるし。あまり恥ずかしいことはしない方が善い。

雑感

 明日から数日は雨降りの日が続くようなので、今日は洗濯をしておかなければ。強かった風も今日はおさまるという。昨日は、月に一度は行かなければならない妻の病院へ行った。出かけるタイミングが悪かったので、道路も病院も混んでいたけれど、心配したほど時間はかからなかった。昨日からなんだか風船がしぼむようにすべてのことが面倒になり、どんよりしている。千葉の弟に電話して地震の様子を訊こうと思ったけれど、電話をかけそびれたままだ。

 

 大きな地震は繰り返し起こる。いつ起こるか、ということを論じても、いまの科学ではわからないらしいから意味がないようだ。個人にとって、つまり自分にとっては、自分の住むところに被害があるような地震が起こるかどうかであって、起こったらどうするかを考えるしかないということだろう。誰かが助けてくれるというのは、みなが被害者の状況の中ではあまり期待できない。昨晩、用意してある簡易トイレの確認をした。電気ガス水道が途絶えても、一週間ぐらい食いつなぐための準備が必要だ。その間使えるだけの卓上コンロとガスボンベのそなえはある。一番の問題は、私の場合は糖尿病と泌尿器疾患の薬だ。余裕のあるときは好いけれど、薬が切れて体調不良になるのは最悪だ。

 

 それはそれとして、こういうとき、地域のつながりがあるかどうかは重要なポイントだと思うが、都市部は人のつながりが希薄だから、そういう点が災害弱者を大量に産みやすいだろう。先崎彰容が常に言うのはこの地域再生であって、人々が砂粒のようにバラバラになりつつある現代社会の再生はそこから始めるしかないのだろう。これは地方再生とは違う。都市部でも、または都市部ほど必要なことなのかもしれない。

 

 先日のプライムニュースで、先崎彰容と共産党の小池書記長がゲストとして現在の日本について論じていたが、小池書記長が弱者の視点を強調しながら、その対策を抽象的な全体問題として考えているところに、共産党の党員というのは最も政治家らしい政治家なのだなあ、と強く感じた。文化ということばで先崎彰容が日本を論じたとき、小池書記長がたじろいだように見えた。あの様子には、長い歴史の上に形成された日本の文化的あり方などという視点は共産党にはないらしいということを感じた。それが保守と左翼の本質的な違いなのかもしれない。

2024年3月21日 (木)

 私は涙もろい。体質的に涙腺が緩いのであって、泣き虫ということではない。明治生まれの祖父は「男は一生のうちで泣いていいのは三回だけだ」と言った。それは生まれるときと親の死んだときだという。あと一回は?と訊こうとして、ああ、親は父と母と二人いたな、と気がついた。涙腺の緩い私なのに、父が死んだときも母が死んだときも涙が出なかった。高齢だったから覚悟をしていたということもある。それになんだか自分の親の死なのに他人事に思えた。ずいぶんしばらくしてから、寝床で、もう親はいないのだ、と突然大きな喪失感に襲われた。それからずっと長い間、子供のころのことがいろいろ思い出されるようになった。

 

 涙というのは目を保護するために常時出ているものであって、出るとそれを引き込むところもあるのだそうだ。その引き込むところの穴が詰まると、引き込まれずに外に漏れてしまう。穴のつまりを取り除く処置も可能で、ひどいときは手術することもあるらしいが、私もその穴が詰まっている口なのだと思っている。命に別状はないし、人に見られて恥ずかしく思うほどの歳でもなくなったから、常時ハンカチかタオルを手に持って対処している。

140920-65_20240321093801ピンボケですが、涙目なので。

 現役時代、激すると涙目になるので、相手は勘違いする。勘違いが都合がいいことも多かった。こちらはじつは見かけよりも冷静なのである。

記憶

 無意識に行っていることは記憶に残りにくいか、全く残らないそうだ。脳の記憶の容量には限界があるので、記憶しておく必要がないと判断したことは記憶に残さないのだという。ドアを閉めただろうか、車のキーはかけただろうかと不安になり、繰り返し確認が必要になる不安神経症は、そもそもドアを閉めたりキーをかけたりすることが、して当然の行為として無意識に行われていることによって記憶に残らないために、あたかも行為そのものを忘れたのではないかという不安を生むためだという。だから確認の時に意識的に別の行動をすると記憶に残る。指差称呼などはそのために行うものだそうだ。

 

 難読漢字の問題を解いていて、自分の記憶に不安を感じた。覚えているはずの漢字を忘れてしまったということではない。表のページに二十問ほどの問題があり、裏にその答である読みとその意味が記されている。一通り表の問題を答えてから裏を見て確認するのだが、答を見て問題の記憶が照応しないものがある。そんな問題あったかな、ということがしばしばあるのだ。さっき読み解いたものが、裏を返しているわずかな間に記憶から消失している。不安を感じるではないか。

 

 改めて考えると、忘れているものはたいてい易しい問題ばかりで、ちょっと考えたりわからなかった問題を忘れていることはないのに気がついた。易しすぎる問題は私の脳が記憶に値しないと判断したのだろう。私の記憶が危うくなったのではないと思う。それにしても数分で消失するかなあ・・・。

 こんなことでは、問題意識を持たなかったことはすべて頭を素通りしているのだろう。自称ざる頭は本物のようだ。素通りしていることにこそ大事なことがあったのかもしれないのに。人間というものはそういう雑なものなのだろうか。それとも私だけ?

2024年3月20日 (水)

追憶

 『ふれあい街歩き』というNHKの番組をときどき見る。以前のものをまとめてシルクロード編とした90分番組で、敦煌、ウズベキスタンのサマルカンド、ジョージアのトビリシを歩いていた。トビリシには行っていないが、敦煌には子供たちと、そしてサマルカンドにはYさんと、いまはなきF君と三人で行った。

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 写真はサマルカンドのレギスタン広場の夜景。夢のような美しいところだった。敦煌もサマルカンドも、実際のその場所に立ったのだということが、いまでは信じられないことのような気がした。無理をしてでも行けるときに行きたいところに行っておく、ということがどれほど大事なことかをいまになって思う。

風が強い

 朝は雨が残っていたが、次第に明るくなってきて、昼前には青空となった。それとともに強い風が吹いてきて、うっかりしてストッパーをかけずにいたらすごい音をさせて扉が閉まった。ガラスが割れずに良かった。東海地方でも分水嶺の向こうの高山などは雪が降っているらしい。北陸や北国は吹雪だという。毎年この頃に積雪があって、これが冬との季節の分水嶺となる。そうして桜が咲き、暖かくなり、やがてあっという間に暑い夏が来る。

 

 資源ゴミを出す日なので、片付けで出た資源ゴミを出すことが出来た。三回上り下りした。段ボールやボロ、雑誌類がたくさんあった。いつも多い瓶缶類は、いま缶ビールを飲むのをやめていて、しかも酒よりもウイスキーなどを飲んでいるので、袋ひとつしかない。せっかく減量が成功していたのに、間食したり食事の量が増えたので少し太った。片付けだけではなかなかカロリー消費につながらないらしい。

 

 家の中のホコリも吹き飛んだようなので、午後は読書とドラマ鑑賞でゆっくりする。三月末頃に来るといっていた年上の友人二人は、四月になってから来ると連絡をもらった。家で飲みませんかと言ってある。ごちそうは出来ないけれど、つまみになるものくらいはいくらでも作れる。泊まるならうまい酒(「獺祭」や「雨後の月」)でも取り寄せておこうか。みんなそこそこ飲むからなあ。

平家都落ち

 『平家物語』巻の七は平家一門の都落、続いて福原落で終わる。
解説に曰く、

 

 維盛ら一行を待ちうけて、「うれしげ」に迎えた宗盛の心情には、いささかの疑心があったことであろう。嫡男を伴わないことを問うことばのうらにもそれはうかがわれる。
 こうして都を落ちていく平家一門の主だった人々の名が列挙される。
 この先、この人々は、一谷、屋島、壇浦であるものは討死、自害し、あるものは捕らえられて、処刑、流刑となり、またある者は、前途を悲観して、西海流離の途上、入水して果て、また戦線を脱出し一門から離れて自殺してゆく。滅亡という大きな運命の中で、それぞれが遭遇してゆく個々の運命が語られてゆくことになる。「我ら都へ帰し入れさせ給え」と八幡宮にこめる祈願もむなしく、ついに平家は都に帰還することなく、滅び果てていくのである。

 

 まさに繁栄から滅亡へのターニングポイントを超えたところである。一門といっても、全体が強固な集団というより、いくつかの集団の集まりのようなところもあり、維盛を核とする重盛一族と宗盛や知盛の集団、それ以外ではその滅びの運命に大きな違いもあるようだ。

 

 さあ、巻の八に突入である。すでに後白河法皇は平家と同行せずに姿をくらましている。その消息と木曽義仲の都への突入と平家残存兵力との戦い、その都での振る舞い、鎌倉の頼朝たちの動きなどが語られていく。巻の九はその木曽義仲の運命、義経の平家追討へと進んでいく。楽しみだなあ。じっくり読みたい。

2024年3月19日 (火)

インターネットがつながらなくなる

 夕方、パソコンの電源を入れたらインターネットがつながらない。つながらないからブログも見られない。最初はniftyの不具合かと思ったが、ネットそのものがつながっていないことがわかった。LANは生きている。だから装置に問題はないと思ったが、念のためすべて線を外して電話線からひとつずつ確認していった。一つ一つの差し込みも緩んでいないかチェックしていき、装置の再起動をしてさらにパソコンも再起動したら、ネットにつながっていた。

 

 多分大掃除していろいろ動かしたためにどこかが接触不良または線が外れかけたかしていたのだろうと思う。どこが悪かったのかは定かではないが、とにかくつながったからいい。こうなるとホームルーターの方がわかりやすくていいかもしれない、などと思ったりしている。

 

 少し慌てたが、つながったからこうしてブログも書けている。 

前回の難読漢字の読み方

 

 杮落とし   こけらおとし
 杜若           かきつばた
 強か           したたか
 回向           えこう
 靨              えくぼ
 和毛           にこげ
 面皰           にきび
 若気る        にやける
 塒              ねぐら
 就中         なかんづく

 

私は若気る(にやける)が読めませんでした。出会ったことがない気がします。

 

ある方のブログを読んでいたら、束子という字がありました。なんだったっけ、と思いましたが、文章からたわしだとわかりました。

 

明治、大正、戦前の昭和に書かれた文章を読むことがよくあるので、いまは使われていない言葉や漢字によく出会います。失われていくのが残念な気がします。

難読漢字

 片付けをしていて、ひとかたまり出てきたのが、国語の問題集などである。現代国語、主に文章読解、漢字の読み書き、古文、漢文などの問題集で、捨てられずに残した。やり出すと面白いものでもある。その中に難読漢字の本もあった。難しい漢字ばかりではなく、読み方が特殊なものなどはわかっているようで読めないものもある。つい広げて読みふけってしまった。

 

 杮落とし
 杜若
 強か
 回向
 靨
 和毛
 面皰
 若気る
 塒
 就中
 
十問ほど拾ってみましたが、読めますか。私も読めなかったものがありました。答えは次回に。

2024年3月18日 (月)

アンニュイに浸る

 ホコリを浴びたので、夕方早めに湯を浴びて、安いウイスキーで濃いめのハイボールなどを飲んでいる。テレビを見る気がしないので、音楽を聴いている。聴いているのは西島三重子、麻生よう子、研ナオコなど。アンニュイな歌がなんとなく酒に合う気がしたのだ。ときどき松尾和子やちあきなおみが沁みるときもあるが、今日はちょっと違う。

 

 アンニュイな歌というのはたいてい別れが歌われている。別れというのは沁みるものだ。私だって数は少ないけれど別れの経験はある。情けない別ればかりだったのだけれど、年とともにいつの間にか美化されて甘みを帯びている。あの人は、あの人は、あの人はいまどうしているかなあ。美化された思い出のために、会いたいとは思わないけど。

ひとつずつ

 片付けも習慣になるらしく、昨晩、一段落の祝杯を挙げたのに、今日も少しずつ片付けを続けている。フローリングの床が傷つかないように敷いているカーペット類をみな順繰りにホコリをはたいて掃除機をかけ、ひとつずつ天日に干した。昨日までホコリでくしゃみと鼻水、涙まで止まらなくなっていたが、次第にそれが治まってきた。

 

 掃除機をなんどかけたかわからない。薄汚れていた細部が次第にきれいになっていく。やることはまだ何百もあるけれど、ひとつずつ片付けていけばいつか終わる。いや、自分が片付かない限り、つまり生きている限り終わることはないか。

 

 合間にようやく『平家物語』巻七の続きを読む余裕が出てきた。義仲軍が琵琶湖の両岸から都へ攻め上ってくる。平家の防衛軍は撃破され続け、平家に与して都を鎮護していた比叡山の山門も源氏方になびいてしまう。ついに平家は幼い帝を擁して都落ちに至る。いまは、ちょうど薩摩守忠度が混乱の都に引き返し、藤原俊成に自分の詠みためた歌集を託したところを読んでいる。

 

 そういえば、先日、謡曲集の四番目ものに収められていた『俊寛』を読んだが、そのときに修羅物の中に『実盛』と『忠度』もあった。実盛はもちろん小松で討ち死にした斉藤別当実盛で、忠度は平忠度である。別に『敦盛』もあるから、あとでゆっくり読んでみよう。謡曲を読む楽しみは、梅原猛が謡曲の『隅田川』を紹介した文章で教えてくれた。謡曲はもちろん能のシナリオのようなものだから、映像的で、音楽性もあるから言葉のリズムもいい。元の話を知ると、結構面白く読める。

 

 同時代のことを書いた『方丈記』を読み直したいところだが、ほかにも読みたいものがある。またどこか安い湯治場にでも行って積み上げた本を片端から読みまくりたい。自宅でもいいけれど、温泉というのが肝心なのだ。

プロフィール

 ブログを始めた十数年前に書き込んだプロフィールがそのままになっていて、久しぶりに見たら現在と少し違うところもあるので書き換えた。「隠居初心者」なんていうのはもうとっくに卒業しているから削除。とはいえ大筋は変わらない。もっと気の利いたものにしたいが、実際の自分がそもそも気が利いたりしていないからどうしようもない。真っ赤な嘘は書きたくない(大嘘を書き込むというのも案外面白そうだけど)。

 

 ところで昨日からアクセス解析のページがエラーで入れないが、私だけなのだろうか。ココログには不具合の報告はないようだ。たいてい不具合が片付いてから報告があるところだから、いつも通りか。別にブログそのものには関係ないからかまわないといえばかまわない。

2024年3月17日 (日)

命がけ

 岸田首相が政治不信の払拭、党の再生に「(党本部も)命がけ」で対処すると語った。政治の信頼を取り戻すには命をかけなければならないということだろうか。そんなことをするとまた爆弾を投げつけられるとでもいうのだろうか。それとも命は何よりも大事だから、そんな危険なことはしないで欲しいと止めてもらいたいのだろうか。

 

 命がけという言葉は尋常な言葉ではない。尋常ではない言葉を使うというのは、誰もが感じたことであろうけれど、言葉を飾るということで、つまりオーバーだということだ。過剰な言葉を使う人間は、言葉が軽いということで、この人の言葉は、私にはいつも薄っぺらいものに聞こえてしまう。言葉のプロであるべき政治家が、言葉というものの重さを軽んじているように思えて、ますます嫌いになっていく。

『風の峠 銀漢の賦』

 NHKの連続時代劇ドラマ『風の峠 銀漢の賦』が完結した。これは葉室麟の『銀漢の賦』を原作としたドラマだ。私の記憶する原作の結末とドラマは違うようだが、原作は読者に余韻を残し、ドラマは見る人を好い気持ちにさせる終わり方で、これでいいのではないか。銀漢とは天の川のことである。

 

 主人公を演じた中村雅俊がはまり役で、とても良かった。中村雅俊は若いころ『俺たちの旅』などの青春ドラマで出会い、同じ年頃(1951年の早生まれなので、私と同学年)なのでずいぶん感情移入して、ああいう自由な生き方、熱い生き方に憧れたものだ。その中村雅俊が不器用な、そして熱い男を演じていた。

 

 葉室麟については、九州日田の咸宜園跡を訪ねて、葉室麟の話を聞かせてもらい、彼が座敷のそこに現に座っているかのような思いをした。

 

 そんなことを思い出させてくれた、なかなか好いドラマであった。

2024年3月16日 (土)

だんだん床が

 大物はいちおう昨日で入れ替えが終わり納まったのだが、上にのせてあったものや引っ張り出したもので部屋二つ分ほどの床がほとんど見えないくらい散らかっていた。今日はそれを一つ一つ収納するもの、捨てるものとに仕分けして片付けていった。まだ半分も済んでいないが、隠れていた床がだんだん見えてきた。ホコリが舞い、次第にそのホコリでくしゃみが止まらなくなり、鼻水が止めどなく出るようになった。窓を開けているから花粉によるものなのか、それともハウスダストによるものなのかわからない。

 

 繰り返し掃除機をかけ、ゴミをゴミ袋に入れていったら、10袋を超えた。玄関横に置いておいたそのゴミ袋をマンションのゴミ置き場に移動。地階の物置に古いプリンターやパソコン、モニター、オーディオの古いもの、ビデオなどをすべて放り込んだらもう置く場所がなくなった。いつか専門の業者に引き取り処分を頼まなければならない。

 

 箱類は大半は潰して段ボールの資源ゴミとして出すようにした。何箱か残したのは、古本屋に本を売るときに使う。あまり大きいものは重すぎて迷惑だから小ぶりなものを残した。古くて捨てたい衣類もまとめて、資源ゴミの日にボロとして出す。明日中には一通り済ませるつもりだったが、細かいものというのは始末に負えないものが多く、明日の晩に終了の祝杯が挙げられるかどうか心許ない。いったん収納はしたが、しまう場所を考え直したいものもたくさんある。

 

 第二弾、第三弾を考えてはいるが、つぎは秋にしたい。それほどくたびれた。あとはとにかくものを増やさないようにしないといけない。一つ増やすときは二つ減らす、というルールを決めておこう。これなら増やすほど減るはずなのだが。

細部

 神は細部に宿り給ふ という。この頃その意味が少しわかりかけてきた。

 

 木を見て森を見ず、という言葉に教えられて、全体をまず把握することに努めてきたけれど、そのことは大事なことで当然として、それにこだわりすぎて細部を見ることがおろそかだったとこの頃強く思うようになった。

 

 細部にこそリアルな事実がある、と感じる。ただし、この頃の街頭インタビューを元にして、大衆はこう思っている、大衆の現実生活や感情はこんなものである、という報じ方には、木を見て森を見ずを感じることは変わりがない。一つや二つのことで全体に代替させては判断を誤る。そしてその一つや二つが意識して、または無意識に、先にあった結論を導くためのものであれば論外である。それは細部を注視することとは違う。

 

 ある個別の家族を取り上げて、その家族の人生を深く感じさせ、考えさせるものにはそれなりの共感を持つが、それが社会全体の問題であると短絡的に考えるのは踏み込みすぎであろう。

 

 細部を深く見つめると、恐ろしいほど底なしに深いものが見えてくることがある。神様が本当に存在してこの世のすべてを作ったのなら、その御業には心から敬服する。世の中がそういう無限とも思える深さと多さと広がりを持って成り立っていることに驚く。ものを知れば知るほど世界は知らないことと知り得ないことで満ちていることを思い知らされる。人間は神になろうとして、全知全能の力を得るために全力を傾けてきて、これからも傾け続けるのだろう。

 

 若いころ、無限の時間があればそれも可能なのではないか、などと思ったこともあったが、宇宙にも始まりがあったように終わりもあるらしく、無限の時間というものはそもそも思考の中にしかないようだ。すべてを知ろうとすることは細部をおろそかにすることにつながりやすい。数多く見るよりも、一つ一つを丁寧に見るべき年齢になった。

メモ用紙

 父は端正な字を書いた。父の兄弟はみな、字がうまい。長姉は小学校しか出ていないのに手紙は達筆で、ほぼ草書のその字はうますぎて読めなかった。字のうまい下手はもちろん練習努力もあるのだろうけれど、生まれつきもあるのかと思ったりする。母方はあまり字がうまくなく、母も丁寧には書くけれど、上手とは言いがたく、必要なものはほとんど父に書かせていた。父は書くことを苦にしない。私は書くことを苦にしないところは父似だが、残念ながら字については母似である。

 

 字を書くことが好きな父は、新聞などで気に入った文章や格言などを見つけるとよく書き写していた。なくなって、そういうメモがたくさん残された。私の娘は父に書いてもらったものを机の前の壁に貼っていた。「艱難汝を玉にす」「金剛石も磨かずば・・・」なんてのがあった。ほかにもいろいろあったけれど覚えていない。父はチラシなどの裏が白いのがあるとそれをため込んでいて、それをメモ用紙にしていた。

 

 私も裏の白い紙を見るとうれしくなる方で、チラシの類いや役所から送られてくる様々な案内などの書類で必要のなくなったものなどをメモ用紙としている。A4の半分に切ったものをクリップで挟んでメモ用とする。カレンダーでも裏が白ければ切りそろえてメモ用紙にする。使ってもいくらでも補充があるので、メモ用紙に困ることがない。

 

 朝起きたらその日にすることを箇条書きにする。昔と違ってそれほど用事はないから、いまは当たり前のルーティンも書き込んでいる。買い物が必要なものもメモする。用事が済んだら消していく。消すことは用事が済んだことなので、消すことが楽しい。思いついたことも次々にメモに書き留める。ただ、詳しく書かないから、あとで何を書いたのかわからないことも多い。単純にメモに書くことが好きなようだ。

 

 メモ用紙が十分にあるとうれしい。

2024年3月15日 (金)

引退かな

 今日の照ノ富士の負け方は、なんだか気力を喪失した負け方のように見えた。照ノ富士はこの負け方を深刻に受け止めるのではないか。

 そうでないかもしれないけれど、あの土俵の割り方はただ土俵を割るのではなく、横綱という立場から手を放すような割り方だった。あの負け方では引退を考えてもいいのではないか。

 休場し、引退するとしか思えないが、もしそうでなければ本人の意思とは思えない。金星をばらまき続けるつもりだろうか。

もうすぐ一段落

 片付けの話ばかり書いているのは、それに集中していてほかのことがあまり出来ていないからで、また、ここに書くことでとにかく出来るところまではやろうという気持ちを維持させているのだ。

 

 四カ所のカーテン、全六枚の最後を今日洗濯した。これでカーテンは終わり。本箱を五箱移動、うち三つは小型のものでしれていたが、大きなものは重さがあって苦労した。十年前ならどうということはなかったのに衰えた。ラック、小机なども移動し、机の下などに積まれていた本や移動した本箱の本が部屋中にうずたかく積まれたままである。

 

 しかしとにかくレイアウト変更の予定に合わせた大物の移動だけはやり遂げた。どうしても掃除が出来ずにいたところに掃除機をかけてぞうきんがけをした。レイアウトの変更をすることにしたのは、大物の置き場所が悪くておかしな出っ張りの箇所があり、そのために来客の布団が敷きにくく、いつも苦労するからだ。レイアウトに沿って置き直してみれば、期待通りに納まっている。

 

 午前中で大物が終わっていささかくたびれたから、午後はジャズでも聴きながらぼんやりするつもりだ。今日は暖かくて窓を開け放っていても気持ちが好い。明日と明後日で本や様々な小物を収納し、入りきらないものを捨てたり、仕舞い場所を検討することにする。全体から見ればほんの一部しか済んでいないけれど、問題の箇所は片付いた。とにかく一段落だ。やれば出来るのだ。よくやった。 

デジタル化

 片付けるということは、あふれるものを選別整理して、不要なものを処分し、必要なものは取り出しやすいように収納することである。それが難しい。未練があって捨てられないし、収納するためのスペースが不足している。おまけに立ったり座ったり持ち上げたり下ろしたりして膝や腰が痛くなった。

 

 ふと、デジタル化とはまさにスペースの革命なのだと思った。音楽はむかし、レコードで聞くものだった。それがCDになり、いまはストリーミングで高音質で聞くことが出来る。録音するのもオープンリールからカセットデッキになり、ストリーミングなら録音の必要すらない。映像なら、ビデオから高画質のレーザーディスクになり、さらに高画質をブルーレイディスクに録画していたが、いまは大容量のハードディスクで何十本もの映画が録画できる。これも録画せずに映像配信を使用すればそもそもメディアは必要なくなった。

 

 本だってそうである。電子書籍にすれば紙の本は不要である。配信を受け取るにも大きなパソコンは不要で、モバイルやスマホで十分である。デジタル化によってかたちのあるものがどんどん小型化し、ついには情報だけをやりとりすれば良いようになった。私のように紙の本にこだわるのは時代遅れなのだろう。現にそこにものがないと安心できない。情報は目に見えないので簡単に失われることを心配してしまう。

 

 しかし考えれば簡単に捨てることが出来るし、どこかにプールしてあればいつでも取り出せるからいくらでもたくさんため込むことも出来るということでもある。これは情報の形になったものは不変だからで、変わったら変わったで、変わる前とあとの情報を記録しておけば良いだけである。こうして情報空間は無限に増大していく。収納量は私の部屋の空間と違ってどんどん増やせるのだ。

 

 時代遅れの男が限られた空間のなかであふれるものと格闘している。

2024年3月14日 (木)

漢字のルーツ

 韓国のある作家が、漢字は韓国人が作った、という動画を作成し、韓国で話題になっているそうだ。中には「誇りに思う」などというコメントもあるそうで、相変わらずのお国柄だなあと思った。

 

 漢字が作られたころに韓国という国があったのだろうか、などというイヤミは別にして、それを報じる記事を見てすぐ感じたことは、そんなに誇らしい漢字をなぜ韓国は捨ててしまったのか、という誰もが思うことだ。私は漢字が好きだし素晴らしいと思っている。表意文字を使うことが頭脳の働きを活性化させると言うではないか。中国はいまほとんど漢字を表音文字みたいにしてしまった。知性が劣化していないか。ハングルは完全な表音文字である。

 

 漢字のルーツの甲骨文字を生んだ殷王朝の文化が東夷族(現在の朝鮮族や日本人らしい)のものだった、などという主張が本当かどうかは知らない。しかし、現在漢字を読める人がどれほどいるのか怪しい自分の国(韓国のこと)が、漢字を作ったのは我が民族だ、などと主張することがどれほど愚かしいことか気がつかないことにあきれている。恥ずかしくないのだろうか。それほど素晴らしいものなら漢字を使えよ、と思う。そんなことを言えば、その素晴らしい漢字よりもハングルは素晴らしいのだ、といわれてしまうかな。

 話題にするのも馬鹿らしいのだが、ちょっといらついたので取り上げた。

ムダ

 使い切れないほど持っていてもムダだということに、片付けをしていると気づかされる。いい歳をして今ごろ気がつくのだから、手遅れであり情けない。そのためにどれほどの無意味な金を浪費したのか、もしそれがいま手元にあれば・・・などと思う。しかしその金があったらどうだというのだろう。またムダなものを買うのか。映画やドラマでは、ムダのない人生なんてない、と言い、なるほどそうだと思う。とはいえ、人生そのものはムダでないことには同意するが、身の回りを見ればムダなものの山だ。

 

 手元に何を残し、何を捨てるのか、と考えてきたけれど、考えてみれば私には何も残らない。必要だと思って残してきたものは、たまたま捨てずにあるものばかりだ。皆、仮に私のものとして手元にあるに過ぎない。あの世があるとして、何も持って行けるわけではない。自分の身体でさえ持って行けない。

 

 こんな気持ちがとことん心に兆すと、むかしは出家したり漂泊の旅に出たりしたのだろうなあ。私はまだ口だけで、欲望がしこたま残っているから、捨てられないものの山のなかで途方に暮れている。

 

 昨日娘が来たときに、「本を捨てるしかないよね」といつものように一番正しい一言を言われた。ずいぶん処分したのだけどなあ。

認識が甘かった

 若いころ、端数切りの支払いというのを度々聞いたことがある。少額なのに、支払額の支払いの百円以下、千円以下の端数を切り捨てて手形や小切手を作って支払うという得意先があるというのだ。切りをよくしておいた、と平然というのだという。さすがに我々はメーカーだったし、ちゃんとした商社が関与しているから自分がそんな支払いを受けた経験はないが、自分がそんなことをされたら義憤に駆られて何を言うかわからないなあと思ったものだ。

 

 日産自動車は契約した下請けとの価格を支払時にさらに値引きして支払っていたという。下請けはやむなくそれを飲まされていたが、それが発覚したのは、あまりの仕打ちに耐えかねた会社がたくさんあったからだろう。自動車会社の価格交渉は極めて厳しい。利益がかろうじて出るか、時には仕事の継続のために利益がないような価格を下請けは飲まされている。その上支払時にさらに値引きされたら、営業は自分の会社に申し訳なくて煮え湯を飲まされている思いだったろう。

 

 日産自動車は「コンプライアンスに対する認識が甘かった」と謝罪していた。何を言っているのか意味が理解できない。これのどこが謝罪なのかわからない。して良いことか、してはならないことか、よくわからなかった、というのが謝罪になるのか。しては良くないということを知らなかったと言いたいのか。知らないはずのない、してはならないことをしたのなら確信犯である。しばしば「知らなかった」と言い逃れする犯罪者がいるが、おんなじである。契約をしたのにその契約を踏みにじって平然としているのは鬼である。日産自動車は鬼を飼っている会社か。

 

 端数切りには最初から切られることを想定した対策というのがあるとも聞いた。結局、もうけたつもりでたいしたこともなかったり、却って高いものを買わされるのがそういう愚かな会社の常だったそうだが、そういうゆとりのない関係の中でやられたら恨みを買うのが当然で、もしかしたら類似の話が横行しているということはないだろうか。理不尽にはきちんと対処しないと、賃金だって大会社しか上がらない。時代が変わったことに気がついていない日産自動車は、見せしめとして厳しい断罪にあうべきだと思う。

2024年3月13日 (水)

一生懸命やったのにぃ

 日本の民間のロケットが打ち上げに失敗した。そのニュースを知ったときにまず思い浮かんだのが、むかし、ウッチャンナンチャンの番組の中の「一生懸命やったのにぃ」というギャグだった。多分マスコミはこぞってそれに近いことを言って慰め、打ち上げ失敗者も同じようなことをいうだろうなと思ったのだ。

 

 一生懸命やって結果の出せない者と、それほど一生懸命やってはいないけれど結果を出せる者とがいて、どちらが評価されるというのだ。現実は冷徹である。それに固唾をのんで見守った子供たち、いや大人もそうだ、その夢を裏切って「一生懸命やったのにぃ」では言い訳にならない。

 

 最近日本の信用が低下することが増えているような気がするが、それは思い違いで、もともとそれほどたいしたことはなかったのかもしれない。そんな失望感を感じた。それだけ私も期待していたのだ。政治のあまりにもお粗末なていたらくの世の中に、希望の光を灯すはずが「失敗」とはなんたることだ。厳しいかもしれないが、責任は重い。時には厳しい叱責が必要なこともあるのではないか。

再開したが

 昨日は一日中ドラマを見て過ごし、気分転換できたので、今朝から片付けを再開した。まず遊び部屋にしてある北側の部屋の、バラバラに積んであった本から捨てるもの、古本店に処分するものを選んで別の場所に退避させ、残す本について本棚の本を分類し直して収納した。まだ積んだ本の山は残ったが、とりあえずこの部屋だけはスペースの確保が出来た。仮の状態と言って良いが、まだ本格的に手をつけるには早い。何か少しでも結果がでて満足感がないと作業は持続しないものだ。

 

 これで午前中は終わり。午後からは、用事を頼んでいたので娘がやってくる。用事はすぐ済むので、亭主が夕方迎えに来るまではお茶でも飲みながら歓談するつもりだ。小川糸の本など、娘にあげる本も何冊か抜き出しておいた。昼飯を食べたら、娘が来る前にお茶菓子を買ってこなければならない。部屋は散らかり放題だが、娘だからかまわないだろう。出来ればマッサージでもしてもらおうかなあ。

 

 明日は天気が良くて暖かく、風もないらしいから、大物を動かしてリビング以外のところのカーテンを洗濯するつもりだ。これからが片付けの本番と言っていい。本格的なレイアウト変更に着手である。

 レイアウト変更に手をつけようと思ったのは、弟夫婦と妹と三人が我が家に泊まったとき、布団を敷くのに苦労したのがきっかけである。どうしたら楽に布団が敷けるように出来るか、ずっと考え続けていた。パズルをはめるように考え続けて、とりあえず案が出来たので着手したのだ。

 ただ、一番の問題は、地震だ。本箱が倒れるのは防止できても、本が崩れ落ちてくるのは止めようがない。重さと高さがエネルギーに関係するから、重い本はなるべく下にして、本箱の上に積んでいた本は原則としてすべて下におろすことにした。だから本があふれてしまう。これを選別するのが最終作業になる。

暗い

 昨日は一日中ミステリードラマを見て過ごした。どちらもWOWOWで放送されたもので、一つはイギリスのミステリー『BAY』シリーズの第四シーズン全五回、もう一つはイタリアのミステリードラマ『孤独の連鎖』全八回である。我ながらちょっと見過ぎであるが、どちらも見応えがあった。

 

 印象をいえば、暗い、である。物語が暗い、というよりも、とにかく夜が暗い。外が暗いだけではなくて、部屋の中がとにかく暗い。ヨーロッパというのはどうしてあんなに部屋が暗いのだろう。電気の照明がなかった時代ならいざ知らず、ほとんど豆電球程度の暗さである。ただ、あちらから見れば日本の室内の照明は異常な明るさなのかもしれない。

 

 イギリスのミステリーのほうは、最初の2シーズンの主役の女性刑事が替わって、第3と、今度の主役は複雑な家庭を抱えている女性刑事で、彼女が悪いのではないけれど、それに振り回されているきらいがあり、どうも好感が持てない。今回の事件は、ある小さな建設会社の男の家が放火され、四人の子供はかろうじて逃げ出せたのだが、男の妻が逃げ遅れて焼死する。殺人事件として調査が始まるのだが、どうして放火されたのかが全くわからない。男の家族の中の葛藤、そして女主人公の刑事の家族の中のゴタゴタが描かれて、見ている方もいらだってくる。そんなさなかに男の建設機械が放火されて、納期のある仕事が出来なくなってしまう。二つの放火の関連性は明らかで、単純な放火ではない疑いが生ずる。さらに男が請け負っていた工事現場から古い白骨死体が発見されて・・・。

 

 放火の動機については見ている途中で想像できたが、実行犯が誰なのか、その動機がなんなのか、そして小さなトラブルのすべてが関連していることが明らかになっていき、見事にそのつながりが解明される。事件があると、その家族は徹底的に内情が暴かれてしまう。被害者であっても、というか、被害者ほどひどい目にある。そういう残酷さを思い知らされてくれるが、最後にちゃんと救いはある。

 

 イタリアのミステリーは久しぶりで、しかもベネチア警察が舞台という珍しいものだ。少年の溺死体が発見され、当初自殺と思われていたのが他殺であることが判明する。ローマから少年が被害に遭う事件を追い続けている美人女性が派遣されてくる。彼女はベネチア警察の刑事と過去に因縁があった。少年を人身売買する組織があるという女性に対し、当初誰もがそれを妄想だと決めつけていたが、次第にその主張を裏付ける事実が明らかになっていく。全八回だから、捜査は遅々として進展しない。しかしその分背景が重厚に描かれていてなかなか面白かった。ただ、最後に彼女を妨害する黒幕が明らかになったとき、それはさすがに無理筋かな、という気がした。それ以外はなかなか良かった。

 

 これでハードディスクに若干の録画の余裕が出来た。

2024年3月12日 (火)

座布団カバーを換える

 ずいぶん長いこと同じ座布団カバーを使っていたので、換えようと思い、新しいのを買っておいた。いままでのものは緑茶色の、合繊の柄織で、ちょっと高級感があるものだったが、わずかだがピリングで毛玉が出来ていた。合繊は丈夫で良いが、こういう難点もある。新しいものは厚手の綿製で紺色のものだ。

 

 たいしてお客も来ないのに、座布団はなんと八枚もある。多分私の母がつくったものと、妻が持ってきたものがあるからだろう。二三日日に干してから、カバーを新しくした。少しモダンな感じになって新しくなった、という満足感がある。中身はかなり古いけど。

 

 こんなことでもちょっと気分転換になる。

疲労困憊

 昨日も片付けを進めていたのだが、手をつけてはいけないと決めていたことに手をつけてしまった。本の移動である。本箱の上やタンスの上などにたくさんの本が積み重ねられていて、落ちてくると危ないから、それをどかしたいとかねがね思っていたが、収納する場所がない。そうなると本箱に列んだ本と優先順位を考慮して入れ替えるしかなくなる。必然的な成り行きではあるのだが、下ろしたものは積んでおくしかなかったのに、それをいじりだしたから収拾がつかなくなった。本は重い。その本を抱えてあちこち動くから疲労困憊した。

 

 それなのに新たなスペースは何も生み出されていないから、徒労感も大きい。本を触り出すと読みたい、とか読まなければならないと思う本が山のように出てきて、それらが読め、読め、と迫ってくる。その本たちのことを考えると、くたびれたのに神経が尖ったままで、横になってもなかなか眠れなかった。本日は仕方がないから休養日にして、ドラマでも見ることにする。昼間から酒でも飲みたい気分だ。

2024年3月11日 (月)

残されるもの

 自分で身の回りのことをきちんと出来なくなったら施設にお世話になるしかない。施設に移るなどというのはずっと先だと思いたいけれど、人生何があるかわからない。施設にお世話になる前におだぶつになるかもしれない。三年前の危うく死にかけた交通事故みたいなことだって現にあったのだ。義弟のように突然脳の血管が切れて倒れることだってあり得る。

 

 ところで施設に移るとなったら、自分の居住空間はいまよりずっと狭いものになる。そのときにどの本を持って行こうかと、部屋に列ぶ本箱を見上げながら考えた。というより自分が限られた本しか選べないときに、どの本を手元に残すのか考えて、そういう事態として一番考えられるのが病院や施設に移るときだと思った、というのが考えた順番である。

 

 まず本箱一本くらい許されるなら、司馬遼太郎の『街道をゆく』全巻と、森本哲郎の全集、奥野信太郎の随想全集、講談社版の中国の歴史全12巻、桑原隲蔵の『考史遊記』と張岱の『陶庵夢憶』は外せない。それに日本全国地図と世界地図があると好いなあ。山本七平や山本夏彦の本なども何冊か選んでみたい。どれも繰り返し読めるものばかりだ。この十倍以上持参したいものがあるが仕方がない。

 

 それを十冊だけ選ぶ、とか考え出したらまた選びたい本が変わっていく。飽きずに何遍でも読めて、その都度味わい深いものということになる。書き出してみて、しばらくしたら全く違うリストが出来た。また考えたら変わっていくだろう。きりがなくて頭が熱くなってきたし、時間が無駄に思えたので考えるのをやめた。考えるのが楽しいと思ったら、リアルに考えると哀しくて苦しい気持ちになった。

 持参されずに残される本のことを思ったからだ。

出来れば

 出したらしまうという当たり前のことができている人の周りは、いつも気持ちよく片付いている。どうして自分はそれが出来ないのかと情けなくなる思いをするのは、積もり積もって収拾がつかなくなるからだ。カミュの寓話にもなったシジュホスの神話のように、神の怒りを買って永遠に終わらない苦行を強いられている気もする。しかしその原因は自分である。誰のせいにすることも出来ない。

 

 いま終わらない片付けを続けながら、一度すべて片付いたら、今度は「出したらしまう」を励行するぞ、と思っているけれど、それが出来れば苦労はない。また岩は転げ落ちるだろう。

むざんやな

 部屋の片付けが忙しくて、読み進めている『平家物語』が遅々として進まなくなった。それでもようやく巻七の、北陸での平家軍と木曽義仲との戦いのところまで来た。当初兵力に勝る平家軍に押されていた木曽義仲軍だったが、その情勢を利用して平家軍をおびき寄せ、倶利伽羅峠に誘い込んで平家軍に壊滅的な打撃を与える。

 

 倶利伽羅峠には実際に行ってみたことがある。狭い山道を上がって、谷筋の多い倶利伽羅峠に実際に立ってみた。昼ならともかく、夜なら暗いから、崖から追い落とされてしまうことはあり得るのだろう。しかしそれを緻密に行うにはよほどの戦術能力が必要だ。木曽義仲はそういう点でひときわ戦上手だったのだろう。峠には火牛の計のパネルなどがあったが、これは実話ではなかったとされる。もともと火牛の計は中国の田単の行った戦法で、牛の尻尾に火をつけて牛を暴走させたものだ。伝説では、木曽義仲軍は牛の角に燃えるたいまつをくくりつけて暴走させ、平家軍に向かわせたとされるが、そんなことが出来るだろうか。牛を調達したという記録もないではないらしいから、火牛の計というほどの大げさではないものの、牛を追い込んで脅かしたくらいのことはあったのかもしれない。私の読んでいる『平家物語』の覚一本には火牛の計のことは書かれていない。

 

 敗走する平家軍の中にあって、多くの武将が踏みとどまって防戦し、討ち死にしている。一番有名なのが、いまの小松あたりで死んだ斉藤別当実盛で、七十過ぎの高齢であった。当初から討ち死にする覚悟だったとされる。実盛はじつは木曽義仲の幼少時の恩人であった。助かる可能性もあったから、あえて名乗らずに討たれたようだ。老人と侮られないために白髪を黒く染めていたので、首実検では実盛かどうか、当初わからなかったという有名な逸話が残されている。

 

 『奥の細道』では、松尾芭蕉が小松を訪れたときに、斉藤別当実盛を偲んで詠んだ、

 

 むざんやな甲の下のきりぎりす

 

という句が有名である。

 

 この句を意味は知らずに、横溝正史の『獄門島』の中で使われていたことを覚えていて、後に『奥の細道』のなかの句であることを知った。そのときに意味を知っていたらもっと感興があっただろう。そういえば能の修羅物にも『実盛』がある。一度読んでみよう。

2024年3月10日 (日)

夫婦別姓

 中国のように古来から夫婦別姓の国(東アジアはそういう国が普通のようだ)があり、欧米などのようにもともとは夫婦同姓が原則だったが、いまは選択制がほとんどの国もある。正確かどうか知らないが、アイスランドなどは姓がなくて名前だけだという。姓のように見えるのは、誰々(親)の息子とか娘を意味するものだという。北欧の国は元々そうだったのだそうだ。それも面白い。日本のように単一にしなければならないと法律で決めている国は少ないようだ。

 

 だから夫婦別姓を認めろという主張は、本音のところでは認めてもいい気もしているのだが、あたかも夫婦別姓が本来正しいことであって、すべての夫婦が別姓であるべきだ、というような主張に見えていて、それなら賛同はしかねる。自分は正義で、自分の主張に反するものは悪だ、という発想で発する主張に私は嫌悪を感じるので、本来の夫婦別姓の主張そのものに反対したくなる。世の中の多くの人がそうではないか。別姓にしたければ勝手にすれば良いではないか、と思う。戸籍だけ仮に一つにしておいて、法的なことは同姓に、生活上は別姓にすれば良いだけのことではないのか。そうしている人はいくらでもいる気がする。どうしても法律で認めさせようというなら、正義の顔をするのをやめるのが先だろうと思う。

 それともそんな顔はマスコミが作ったものなのか。マスコミは正義が大好きだから。

 どちらにしても、遠くない将来、選択制に移行する可能性は高いのかもしれない。

宗教の中国化

 習近平は宗教を中国化するように指導しているそうだ。それに応えて、中国仏教協会の会長が、宗教の中国化を推進し、社会主義に適応するようにすることを強調した。そもそも宗教と社会主義はなじまないものだと思うが、宗教界も権力者のいうことに迎合しないと存続が出来ない恐れがある。それを考慮しての発言だろう。そういう人物でなければ、宗教の協会のトップになれないということもあろう。

 

 古来宗教と権力はときに癒着しあうものだった。そして宗教の独自性を維持しようとして権力に抵抗して潰された宗教集団も枚挙にいとまがないのも歴史的事実だ。大衆の苦しみや不安の心のよりどころとしての宗教は、権力にとって使い方次第でとても有用なものでもある。

 

 考えてみれば社会主義は体制であるけれど、ある意味で共産主義という、思想でもあり、時には宗教のような側面もあるものに依拠している。習近平は習近平教の教祖として、すべての宗教は我に帰依せよ、と呼びかけ、それに仏教協会の会長は拝跪したかのように見える。それが宗教の中国化という意味なのだろうか。

秀次

 金曜日の『英雄の選択』は、豊臣秀吉の甥(姉の子)である関白秀次がテーマだった。これもたまたま先日読んだ『雨月物語』の中の『仏法僧』が、秀次の怨霊の出てくる話だったので興味深く見た。こういう意図せぬ不思議な符合というのはしばしばあって、私はそれをとても面白く感じる。

 

 どうして秀次は切腹をしたのか、その後に助命嘆願が繰り返されたのに、妻妾とその子を合わせて三十数人が三条河原で公開で斬首されなければならなかったのか、その謎と、その後の豊臣政権についての影響の大きさについて新しい見方を知った。

 

 残された文書には、秀次が悪逆非道な行為を繰り返した、と記されたものもあり、それに怒った秀吉が切腹を命じたというのが通説だった。しかしそういうこととは別の理由で秀吉は高野山への謹慎を命じただけだという記録があることがわかってきたそうで、現職の関白を切腹させるというのはほとんど暴挙に近く、秀吉はそんなことを望んでいなかっただろうという。現に秀吉は秀次が高野山に長期滞在するための段取りを命じた記録も残っているようだ。

 

 ところが秀次は高野山に移って間を置かずに、秀吉の意に反して切腹してしまう。何らかの謀略で偽の切腹命令が出された疑いもないわけではなさそうだ。意に反した切腹をしたことで秀吉を困らせたことは、秀吉の激怒を招いた。無実を示すためといいながら、ただ秀吉に怨みをぶつけただけに見えてしまう。その結果、政権にとっての悪影響と、事態収拾の困難さを招いたからだ。

 

 番組では、秀吉だけでなく、周囲の政権維持担当者たちも、断固たる処罰をせざるを得ずに、女性と子供を公開で斬首するという挙に出たのだと推察していた。ただし殺された若い女性たちには大名や有力者、公家の娘もいたようで、その怨みが豊臣政権を衰退滅亡させることにつながったという見解に、なるほどと思った。

 

 悪逆非道な人物だった、という記録が権力者側に残されている場合は、しばしば処罰したのは悪逆非道だったからだ、という話をすり替えたものが多いので、秀次についても同様であったかもしれない。

 

 ところで、以上の経緯が本当なら、怨霊になった秀次の怨みとは、自分の死後に自分の妻子が殺されたことにあるわけだ。死んだ後のことで怨霊になるのかなあ。

2024年3月 9日 (土)

大事なもの

 前回、同じ本を繰り返し読むようになったと書いた。そういう本は私にとって大事な本である。そういう大事に出来る本は、多分世の中にたくさんあるのだと思う。まだ出会っていない本のどれほど多いことかを思うとクラクラする。しかしそうやって出会いを求めて次々に自分が大事に思いたい本を探していても、期待したものが得られないものだ。

 

 自分の欲しかったものはこれではないのではないか、と思い、つぎを探す。読み散らした本の山が積み上げられる。そうして時間だけが失われていき、失望が自らを苛む。どうだろう、これではまるで理想の女性を追い求め続けたドン・ファンではないか。最も女性を愛するものが、最も女性を愛していないという背理。理想の女性は、じつは女性ではないのだ。そんなものは存在しないのだから。

 

 いま、積み上げられた本の山には、私にとって大事な本が埋もれている。女性ならそんなに多くとは付き合いきれないが、女性と違って本なら多少数が多くても誰にもとがめられない。あと一人や二人、ではなくあと二冊か三冊か、もっとたくさんか、自分にとって大事だと思える本と出会いたい。そのための再読三読である。読むほどますます好きになる本というのがあるのだが、そのためには深く知らなければならない。大事なものは探すものではなく、大事にすることそのことの中にある。

 

 余談だが、大事なもの、というとお金が思い浮かぶが、お金は大事なものを得るための道具で、使い切れないほどのお金を貯め込んで、一体自分にとってどんな大事なものを手に入れようというのだろうか。お金がたくさん貯まるほど快感だというのはちょっと倒錯ではないかと思う。使わないお金にどんな意味があるのだろう。もちろん私だって欲しいものはまだまだあるからお金はあった方が善いが、いま物を片付けていて、たくさんありすぎるのも考えものだなあ、と実感しているので、昔ほどは欲しいと思わなくなった。いま考えている大事なものとは違う気がしている。

 若いときは同じ本をまた読むなどということはあまりなかったが、今は同じ本を二度三度と読むことが増えた。若いときは雑に読んでいた、と思っていたが、読んだ本のことを書いた手帳をのぞくと、思いのほかに本質を突いた読み方をしていたことに驚く。ただ、様々なことをその頃よりは知っていることで、いまはそれらを関連させて考えることが出来る分、読み方は深くなっていると思う。限られた時間で書かれていることを把握する読み方から、書かれていることの意味を考える読み方に変わったといえば体裁は良い。読むのは遅くなった。

 

 同じ本を読んで考える。なじむほど理解が進んで深く考えられる。高校時代に、現役の作家でもあった現代国語の先生から、教科書にあった中島敦の『山月記』だけを半年近く徹底的に講義された。一字一句までとことん味わう尽くす読み方を教えられた。出だしの数行はいまでも記憶している。あんな読み方はそれを教えるだけの深い知識のある先生からしか教えられることはないと思うから、大変貴重な経験だった。いまになってそのことがわずかでも私の中で生きていると実感している。師とはそういうものなのだろうと思っている。

忸怩たる思い

 片付けを続けているが、片付けるということは多くの物を捨てるということでもあり、その「物」にかかった金や資源のことを思うと忸怩たる思いがある。戦後まもなくして生まれたから、物不足で苦労した親から、物を大事にする、使い切るということをとことん教え込まれた。それが心根にとことん染みついたので、物が捨てられない性分になり、片付けがなかなか出来ずにいた。性格的にケチでもあるが、物を大事にすることはしばしばケチにも見えて、その境目がわからない。

 

 それぞれの物にはそれなりの思いや思い出が張り付いている。それでもこの二三日、涙をのんで捨てることに努めている。何年も使わなかった物は自分にとって不要な物だったのだという見方に徹しようとしている。ゴミ袋が次々に増え、それを処分しているうちに、今までなかったスペースがわずかながら生み出されてきた。とはいえ捨てることができた物はほんの一部ではあるが。

 

 まだ本に手は出していない。しかし次第に未練は捨てようという気になりつつある。場合によっては未読の本でもここまで読まないのは自分にとって不要な本、縁のなかった本だと思うしかないなどと、私としては今までにはなかった覚悟が生まれつつある。そういう年齢なのだと思う。

2024年3月 8日 (金)

食指が動かない

 最近、タイムスリップとか人と人とが入れ替わったりとかいうドラマや映画がしばしばあるようで、そういう設定を初めて見たときは面白かったけれど、こう頻繁に繰り返されると、またか、という思いの方が強くて、じつは面白いのかもしれないがそういう話だと知った途端に見る気がしなくなってしまう。

 

 戦時中だったり戦国時代にタイムスリップする、などというのは、多分いまの若い人はそういう時代のことを知らないはずだから、それを疑似体験させようということなのだろうか。安直な気がする。

 

 人の肉体と精神が入れ替わる、というのは、自分の体を自分以外の人間がしげしげと見て感じるということで、よく考えるとずいぶん恥ずかしい話だ。親子や兄弟だっていやなものだと思うけどなあ。それに肉体と精神というのが切り離せる、というのは私にはどうも信じにくくて、リアリティを感じにくい。

 

 もしも・・・だったら、という話を楽しむのは昔からあることで、SF好きな私としてはそういう設定も一概に否定しないのだけれど、たいていご都合主義に終わった作品が多いので、敬遠するようになったのかもしれない。こういう設定を納得させるのは、じつはかなり難しいのだと思う。

息切れする

 普段はこたつの主になって、本を読んだり録画したものを見たり、ぼんやり音楽を聴いてじっとしていることが多いので、朝からあちこちのものを出したりしまったり、縛ったり洗濯したり、拭いたり掃除機をかけたりして、珍しく動き回っていたら息切れしてしまった。風が強くなって、洗濯物も外に干せなくなった。やりかけのものだらけではあるが、本日はほぼこれで打ち止めとする。無理をしたら明日に続かなくなってしまう。

 

 それにしてもこれくらいのことで息切れするとは、我ながら人並み外れて怠け者だなあと思う。とはいえ、少しは結果が出ている。あとは洗濯物を片付けて、『平家物語』の続きでも読もう。

一つずつ

 あちこちにあるタオルとバスタオルをすべて引っ張り出して、片端から洗濯することにした。すごい量があるのに驚く。洗剤の予備を買っておいて良かった。干すのが間に合わないから明日までに終わるかどうかわからない。使い切れないのは明らかだから、すり切れたり、すり切れかけたものは、あちこちのホコリを拭くのに使ったりして、どんどんお役御免にしてあげようと思う。

 

 リビングのカーテンを何年ぶりかで洗濯したら、心持ち部屋の空気がきれいになった気がする。壁やカーテンには思いのほかホコリがたまっているというが、それを実感した。ほかのカーテンも次々に洗いたいが、まずタオルを片付けてからだ。元和室だった部屋(いまはリビングと継目なしのフローリングにした)の窓には障子もあった。長い間に桟も割れたりしているし、いまはその手前にカーテンも掛かっていてほとんど障子の存在理由がない。外して処分しようと思う。

 

 とっくにやっておくべきことを放置していたので、やり出すと次からつぎにすべきことが出てくる。とにかく一つ一つ片付けるしかない。いまはすべてが片付いた後の達成感、満足感を想像して働いている。我ながら、怠け者の節季働きだなあと思う。

 

 今年初めに市役所の保健課から、高額医療費の対象になっているから申請するように、という案内をもらったので、送られた書類に記入して返送した。昨年十月は歯医者、糖尿病内科、泌尿器科、そして眼科での白内障手術の入院などが重なって、対象になったらしい。ささやかではあるが支給が決定し、今月振り込まれるそうだ。年金以外に特段の収入がないから、わずかでもうれしい。それにしてもこうして役所から連絡をくれるというのがそれ以上にうれしいではないか。

 

 年金暮らしになってから、まとまっての金の出入りの時には、これは何日分、という考え方をするようになっている。チャージ式のプリペイドカードで近くのスーパーの買い物をしていて、月間のチャージ金額で、一日あたりの支出がだいたいわかる。その一日分が生きていく上の日々の最低必要経費、という見立てをしていて、それを様々なものの目安にしている。目安がどんどん大きくなっているのは世の趨勢であるから仕方がないが、それにしても・・・などと思う。今回の支給は三日分くらい、というところか。

 

 ところで家の中で片付けに専念していると、何も買わないし出かけもしないので、その最低必要経費(ほぼ飲食費)しか金がかからないのがありがたい。ただ、本をじっくり読む余裕がなくなっているのはちょっとうれしくない。

2024年3月 7日 (木)

少し進展

 無謀にも、私としては大がかりな片付けをついに始めてしまった。まず捨てられるものから捨て始める。夕方までにゴミ袋で五杯分が玄関に積み上げられた。一応すべて燃えるゴミである。それと別にボロとして資源ゴミに出せそうな衣類などをいま仕分け中。靴下なんか、使い切れない程あるからもったいないけれど、新しいもの以外は捨てることにする。納戸にしている部屋に収納用のプラスチックケースがいくつかあり、よく見たら何も入っていないではないか。あちこちに分散している、捨てるにはもったいないが、すぐには使わないと思われる繊維製品を仕分けして収めるつもりだ。それだけでもずいぶんとスペースが生まれてきそうだ。ただ、どこに何を入れたのか、ノートに記録しておかないと、一月もすると忘れてしまい、仕舞いなくすおそれがある。

 

 押し入れに大量の、プリントアウトした写真がある。一息入れながら少しずつ破り捨てている。これらの写真はすべてデジタルファイルにしてある。ファイルはいつ撮ったのか、どこで撮ったのかがわかるようにしてある。見たいときはそれを見ることにして、プリントされた写真は処分することに決めた。私には意味があっても、私以外の人にはただの色のついた紙だ。丁寧に見ればそれなりに思い出がよみがえるが、それでは永遠に終わらない。思い出を思い切って破り捨てている。

 

 計画している片付けの、多分二百分の一くらい進展した。全然進展していないとも言えるけれど、二百日片付け続ければ、また散らかさない限り片付け終わるということで、始めなければ永遠に終わらないのだから良しとする。

 

 本命の、本の片付けはいつになるだろうか。これは八幡の藪知らずの世界になりかねないので、ある程度全体の目処が立ってから手をつけることにする。

あれをこうして

 あれをこうしてこれをこうして、と考え出したらどんどんエスカレートして、どこを出発点にして良いのかワケがわからなくなってきた。家の中のレイアウト変更、それに先立つ部屋の片付けのことである。スペースにゆとりがあるわけではないので、一つ動かせば動かした先のものに玉突きが起き、ぐるりと回って元通り、ということにならないためには、どうしたら良いのか。

 

 私の住むマンションには地階に一間四方くらいの物置がある。昔は出したり入れたりしていたが、この十数年、扉を開けることすらしていない。その開かずの間に手を入れて、スペースを生み出さずには何も解決しないことに思い至った。開かずの間の捨てるべきものをまず処分しなければならない。そこに新たに移動したいものがタンスや本箱の上で待っている。

 

 本日はまずカーテンを洗い始めた。カーテンは四カ所にあり、カーテンを洗えばその周辺が掃除しやすくなる。カーテンだけなら移動ではないからまだ大仕事を取りやめることもできるが、今回は決意は固い。決意は固いが持続する自信もやり遂げる自信もない。とにかく段取りを必死で考えている。段取りが大好きで、段取りだけでやり遂げたような満足感を覚えるたちで、私は語学の本を買ったから言葉がしゃべれるようになった気がしてしまうタイプだ。

 

 今日はジャズでもかけながら、カーテンを洗い、テレビ周辺の大掃除と押し入れの整理を行い、寝室を北側の遊び部屋からリビングに移すことにする。その方が布団の収納が楽なのだ。片付けを始めると片付けるべきものが山のように出現し、片付ける前よりもはるかに多くのものが部屋にあふれるものだ。それを見るだけで意気が阻喪したりするが、負けてはならない。さあ、やるぞ。

小督

 根気がない上に気が多くて飽きっぽい私としては、珍しく『平家物語』を読み続けている。今読んでいるのは講談社学術文庫版全四冊であるが、元々は全十二冊だったのを改訂したから、各冊は分厚い。『平家物語』には時代とともに追加されたり編集されたりして様々な原典があり、今読んでいるのは覚一本である。比較的に新しく、文学的にも優れているとされるが、それだけに物語を盛り上げるために史実とは異なったり、別の人の話を登場人物の話にしたりしている部分があって、よく注釈や解説を読む必要がある。それに注意すると、何を伝えたいのか、何を強調したいのかがわかってくる。

 

 元々全十二冊だったのは、原典が十二巻構成だったからで、だから一冊が三巻分ということになり、現在二冊目、つまり六巻分をほぼ読了したところだ。ようやく半分というところ。第六巻は高倉天皇の崩御から始まり、悲劇の女性の話が挿入され、木曽義仲の挙兵、平清盛の死去、清盛の生誕に関わる秘密などが語られていく。

 

 その悲劇の女性の一人が小督(こごう)である。絶世の美女で、琴の名手であったとされる。冷泉隆房の愛人だったが、高倉天皇に見初められて院に入る。冷泉隆房は未練たらたらだったが、小督は運命として事態を受け入れる。女性はそういうきっぱりしたところがあるともいえるし、如何ともしがたいことはあきらめざるを得ない時代でもあった。

 

 高倉天皇の小督への寵愛はあまりに強く、安徳天皇を生んだ中宮徳子(後の建礼門院)の気持ちを思い、父親の平清盛は激怒する。しかも清盛は冷泉隆房の舅でもあった。その怒りの強さを知った小督は恐怖して高倉天皇の元を去り、嵯峨に身を隠す。高倉天皇(そのときにはすでに退位して上皇になっていた)はそのことを嘆いて悲しみの日々を送る。そして密かに腹心の笛の名手である源仲国に小督を探すように命じる。

 

 わずかな手がかりしかない中、源仲国は探しあぐねて途方に暮れるが、ついに琴の『想夫恋』の曲の音を元に小督の隠れ住むところを探し当てる。このくだりは能の『小督』に描かれていて有名だ。清盛の怒りにおびえていやがる小督を説き伏せ、再び宮中に戻ることになる。歓喜する高倉上皇だったが、小督の存在は秘密にされた。しかし隠せば顕れるのがこの世の習い、清盛の知るところとなる。

 

 こうして小督は無理矢理尼にされてしまう。二度と会えない悲しみに高倉上皇は心身が衰え、ついに崩御してしまう。これが崩御の理由であるかのような悲恋のストーリーだが、それよりは、自分が無理やり譲位させられたことなどが主な失意であっただろうと私は推察する。色気がないなあ。それにつけても、この経緯を含めて高倉天皇のそばにいた中宮徳子(建礼門院)の、高倉天皇に対する気持ち、そしてそれを意のままにする父親の清盛についてどう思っていたのかが気になっている。彼女にも様々な思いがあっただろう。

 

 出家して嵯峨野にいたとも言われる小督だが、それを藤原定家が訪ねたという記録もある。ところで、平家滅亡の後、建礼門院も嵯峨野に隠棲した。大原御幸で有名な、後白河法皇が嵯峨野の寂光院に建礼門院を訪ねる場面がこの平家物語の締めくくりでもある。互いの交流はなかったのだろうか。

2024年3月 6日 (水)

見直す?

 トランプが共和党の候補者選びで、大差で勝ちつつある。私から見ればトランプという人物は下品な拝金主義者、知性と素養に欠けるように見えるのだが、あまり知的に見えない熱狂的な支持者ばかりではなく、比較的にまともそうな人までがヘイリーではなくトランプの支持を口にするのを見ていると、私に見えるトランプと、彼らに見えているトランプは違うのだということを感じざるを得ない。まさかアメリカは愚民が大多数ということはないだろう。

 

 どうしてそういうことになっているのだろう。私のトランプのイメージにバイアスがかけられているのだろうか。報道を見続けて、それが積み重ねられた末の私の印象であるが、その報道がトランプの醜い部分ばかりを切り取って報じられているということだろうか。今のアメリカという国にとって、本当にトランプが嘱望されているのであれば、私の知らないこと、理解できていないことがあるのかもしれない。私の思うアメリカは実像と違うのかもしれない。それなら由々しきことである。私の世界観はゆがめられているということだから。

 

 アメリカは、リベラルに対する反感が民主主義への絶望につながっているのだろうか。それはどうしてなのだろうか。

 

 一度リセットして、もう一度アメリカを、そしてトランプを見直してみたいが、さてどこから見直したら良いのか、困惑している。トランプ大統領の再登場を前提として、なりゆきをただ眺め続けるしかないのだろうか。

ちょっと危険な躁状態

 気にかかっていたのに放っておいたことを半分ほど片付けたら、少しテンションが上がってしまって、あれもしよう、これもしよう、あれも買おう、これも買おう、という収拾のつかない躁状態になりかけている。お金はそれほど余裕があるわけではないから無駄遣いはしたくない。それでも新しくて軽いミラーレスの一眼カメラがほしくなったり、ネットオーディオアンプが欲しくなったりして、ネットでそのスペックや値段を調べたりしている。読めもしないのに、いつか買って読もうと思う本のリストがあって、それを眺めてこれくらいはいいだろうと注文しかけたりして危ない。テンションが上がるとどんどんいろいろなことを始めてしまうが、たいてい中途半端で終わることが多いのだ。

 

 躁状態で一番危ないのが、部屋のレイアウトをいじり出すことだ。私の場合は本がベースで室内が配置されているから、それを触ることになる。そうすると本箱から本をすべて下ろして、本箱の配置を換える。そして列べる本を選び直す。何しろ列べきれないであちこちに収納されたままの本がたくさんあるので、それを入れ替え始めると、寝る場所もなくなるほどの大騒動になる。一日や二日ではとても終わらずに、ついには疲れ果て、最後はやっつけで終わって何をしようとしたのか訳がわからないことになる。前より片付いて満足する、ということはまずないのである。そのときにはもちろん躁状態は雲散霧消している。

 

 じつはどの本箱をどこへ移動しようか、机やパソコンラックをどうしようか、などと配置図を朝から考えているところで、大仕事を始める前に、今このブログを書きながらクールダウンをはかっているところである。もちろんこんなことを始めると、読書どころではなくなる。やめておけ、わたし!

遠くから見る

 若いときから中国に興味があって、中国に関する本を普通の人よりもたくさん読んできた。父が専門学校を卒業して中国に行き、終戦後抑留から帰ってくるまでの10年以上を暮らしたところであり、断片的な話だけだが、その話を聞いていたことも影響しているのだと思う。父は時々は中国語の講座を見ていたし、中国のニュースに強い関心を持っていたと思う。自分の知っている中国語とずいぶん変わってしまったといっていた。父の思う中国と、情報が多少は入り出した文化大革命以後の中国の乖離をどう思っていたのか、それをもう少し聞いておけば良かったと悔やまれる。

 

 三十年以上前に、わずかながらのゆとりができて、それに中国に行きやすくなって、すぐに一人で中国に行った。それから延べにして二十回くらいは行ったと思う。仕事でも行った。それも五年くらい前を最後に打ち止めにした。一つは中国では何があるかわからないという不安を感じるようになったからで、一人で裏道や裏町、人の行かないところをうろついて写真を撮るのが趣味だったから、どんな誤解を受けるかわからない。それと訪ねたい場所の混雑がひどくなってきてゆっくり歩けなくなったからである。昔は海外からの観光客が大半だったのに、中国人が豊かになったことで、ほとんどが中国人になり、いささかそのやかましさに辟易するようになった。しみじみと過去の歴史を偲ぶ、などという贅沢がしにくくなったからである。

 

 中国の全人代の様子が報じられていた。中国政府、つまり習近平は今の中国の状態をどう認識しているのか、それがちょっとくらい見えるかと思ったが、よくわからない。中国経済が非常に深刻な低迷状態になったとみる専門家がいると思えば、それを否定する専門家もいる。矛盾しているからどちらかが間違っていると思われがちだが、もしかしたらどちらも正しいのかもしれないと思うようになった。それぞれの言葉をよく聞くと、どちらもなるほどと思えるからである。物事をどの切り口から見るかで見え方は大きく変わるものだ。

 

 それよりも、李強首相が、ほとんど習近平に対して報告しているように見えたことが印象に残った。多分そういう人ばかりが政権に加わり、生き残っているのだろう。王毅外相など、どこの国へ行っても中国の強大であることを背景に、上から目線で相手と対しているように見える。賢い人だが、その賢さが強い上昇志向につながって、いつも習近平を、そして中国国内での評価を意識しているようだ。もちろん国益を最優先にするのは当然としても、その目的が自分自身のためであるように見えてしまうのは私の偏見か。

 

 中国という国をどうしていくのか考える役割の人たちが、皆そろってまず習近平の顔色をうかがっているのだとしたら、そのことこそが中国のこれからに影を落とすことになりはしないか。中国がどうなろうと関係ない、というわけにはいかないのが今の世界で、ただ遠くから見ている。

2024年3月 5日 (火)

『仏法僧』

 『雨月物語』の中の『仏法僧』という話を読む。伊勢の人、頭を丸めて夢然と名をあらためて、末息子と二人で旅に出る。奈良の天川から山越えし、高野山にたどり着いたが、誰の紹介もないために泊めてもらうことがかなわない。宿を取るためにまた山を下りて出直すには疲れすぎていたので、御霊屋のそばの灯籠堂にこもって念仏しながら夜を明かすいうことにした。

 

 御廟の後ろから「仏法(ぶっぱん)、仏法(ぶっぱん)」と鳴く鳥の音が聞こえる。あれが名に聞く仏法僧か、と思って昔からの仏法僧についての言い伝えや歌などを思い出し、自らも句を作ったりしていた。そこへ突然若武者が露払いしながら、武士の集団が現れる。もちろん亡霊たちである。その集団の宴席に引き出された夢然たち親子、そこで先ほどの句を披露させられ、それを上の句として武士の一人が下の句をつけたりする。そうこうしているうちに夜が明けかけて・・・。

 

 その集団が殿と呼ぶのは誰あろう関白秀次であったという話。非業の死を遂げたものが怨霊となる。秀次もまさにその一人ということであろう。

 

 この話の中で、仏法僧で知られる場所として、上野(こうずけ)の迦葉山(かしょうざん)、下野(しもつけ)の二荒山(ふたらさん)、山城の醍醐の峰、河内の杵長山(しながさん)、そして高野山の名があげられている。

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じつは私がよく行く、長良川沿いにある洲原神社には、このような石碑が建っている。ここも仏法僧の繁殖地なのである。物語に名があげられていないのが残念である。

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鳥居の向こうの山から下りてくるのではないか。この山上には洲原神社の奥宮がある。

仏法僧と名付けられている鳥は、じつは「ぶっぱん」とは鳴かない。そう鳴くのはコノハズクらしい。

世界がつながる

 世界とは私の頭の中の世界のことで、現実世界より大分狭くて隙間だらけである。ほとんど隙間でできているというべきか。私が新しく何かを知るということは、ほとんど点のような新たな場所をその世界に付け加えることである。観念的で何のことやらと思われるかなあ。

 

 いま『平家物語』を読んでいて、そこから崇徳天皇のことを知り、さらに崇徳天皇の怨霊のことを書いた『雨月物語』の『白峰』を読んで、その怨念、祟りのようなものを知り、日本三大怨霊について得心する。また安徳天皇生誕の前後のことを知り、その父親であった高倉天皇の短い生涯や、以仁王との関係、そしてその以仁王が出した平家打倒の令旨の経緯、源三位頼政、そして以仁王の運命、そして三井寺の焼き討ちのことを知る。今度三井寺に行こうと思う。

 

 『平家物語』には、繰り返し安芸の宮島の厳島神社が出てくる。平氏の守護社であるから当然だが、この物語を知ったうえでみるのはまた格別だろうかとも思う。『雨月物語』から見れば、『菊花の約』では尼子氏などの戦国時代の中国地方の群雄の関係をより詳しく知りたいと思うし、以前富田城跡には行ってもいるのだが、また訪ねたい気もしている。さらに『浅茅が宿』では上総あたりの戦乱の世が舞台だが、『里見八犬伝』の世界の背景となった安房の里見氏については、『英雄の選択』で取り上げられていて、先日再放送され、北条氏、足利氏、里見氏、千葉氏、上杉氏などの勢力争いが説明されていた。私のふるさとも関係する地域であるから、断片的には承知しているが、もう少しその断片をつなげてみたい気もする。

 

 安徳天皇についてはつい先日に、九州に行った帰りに壇ノ浦に立ち寄り、その前の赤間神宮を訪ねた。ここは安徳天皇の御霊をやすめるための神社である。さらにしばらく前に読んだ『方丈記』がまさに『平家物語』に描かれた時代のリアルタイムの随筆であり、実は『平家物語』の中には『方丈記』の文章が少なからず取り入れられているのである。『平家物語』の成立はもちろん平家が滅びてからであるが、その後二百年近くにわたってどんどん改編補筆されていて、異本がたくさんあるのである。そこには中国の故事がいろいろ書き加えられていて、それらが私の知る中国の本から知ったこととずいぶん違うものになっていたりして、その理由を考えたりさせられる。

 

 こうしてバラバラにあった、様々な点状の知識がつながっていく。そこからさらに関連したことを広げていき、つながる線がさらに増えて、ついには面のようになり、時空を超えて立体化して私の世界が一部増築されていく。新しいことを知ること、そしてそれによってその前に知っていたこととの関連が見えてくる事のうれしさは格別だ。多分すべてのことはつながっている。つながっていることを感じることがなんだか無性に面白くなっている。

『生きる LIVING』

 映画『生きる LIVING』(2022年イギリス)を見た。黒澤明監督作品の『生きる』のリメイクで、ただし、脚本を書いたのはイギリスのノーベル賞作家のカズオ・イシグロ(日本生まれ)である。リメイクでありながら、その脚本のおかげで、別の優れた作品となっている。志村喬の役を演じたのはビル・ナイ、渋い役者で存在感のある名優である。

 

 実は元々の黒澤明の『生きる』は未見である。だから比較しようがないし、比較する必要もないように思う。実はWOWOWでは同時に放映してくれたので録画してあるから、少し間を置いてから見るつもりだ。

 

 舞台は1953年のロンドン、映像はダークな色調で、私の好みである。あたかも白黒の映画のように、そして昔の映画のように感じさせる。映画を通して、見ているこちらもその時代に誘われていく。話が進展していきながら、突然主人公の葬儀のシーンになる。そこが素晴らしい。それが元の映画もそうなのか、カズオ・イシグロのオリジナルなのか知らない。そのあと、こちらの心の隙間に、主人公が死ぬまでに何をしたのかが感動とともに流れ込んでくる。そして彼の意思が継承されたのかされなかったのか。世間とはどういうものか、それでもささやかながら意志を継ぐものがある、という希望を残して映画は終わる。生きがいとは何か、生きるということはどういうことか、それが幸せとどうつながっているのか、それを感じさせてくれる。もちろん有名なブランコのシーンもある。

 

 好い映画を見た。ビル・ナイ、好いなあ。イギリス映画、好いなあ。

2024年3月 4日 (月)

気になっていたことが

 どうしていいかわからなくて、面倒だから放っておいたことがあった。時々思い出してはいたが、連絡先が不明でどうしようもなくてあきらめていたのだが、ふと思いついた方法で調べたら手がかりがあり、ついに連絡することができた。いうのも恥ずかしいお粗末なことだが、私としては片付けるべき事が片付いたので気持ちがすっきりした。

 

 あと二三あるけれど、芋づる式に片付けられそうである。物事をわざとややこしくする人や会社というものがあって、こちらが面倒だと思うことが相手の狙いだと承知はしているのだが、気分が悪い。片付けるにも多少いやな思いはするが、放っておけば相手の思うつぼである。その煩わしさをようやく乗り越えられた。というより不快感がついに煩わしさを超えたということか。

 

 いろいろなことがすっきりしていく。頭を思い切って短くしたので、ざる頭も血の巡りがちょっとだけ良くなったのかもしれない。

 

 不正使用の恐れがあるクレジットカードの更新を申請し、ようやく新しいカードが送られて来たので、そのカードで月々支払いをしているところにカード登録変更手続きをした。どの会社もそういうことを想定しているのか、わかりやすく変更手続きができた。どこに連絡するのか、リストも作っておいたので、また何かあってもすぐ処理ができる。もうどんと来いである。

日々生きる

 先日、ちょっと温泉に行って気分直しができたので、掃除洗濯片付け、読書など、ルーチンワークが段取りよく、億劫がらずにできるようになった。ただ、寒いから散歩に行く気にはどうしてもならず、引きこもり状態が続いている。夕方の酒が欠かせなくなり、気がついたら、今年2月以降はほとんどドライデーがない。一時は週に二日か三日はドライデーを保つことができていたのに、なんたることか。おかげで体重がどんどん増えてきた。その結果かどうか知らないが、階段の上り下りの時に膝が痛い。せっかく重い荷物を下ろしたのに、また担ぎ直して上り下りしているから悲鳴を上げているのだろう。

 

 妹から久しぶりに電話があった。脳卒中で倒れ、リハビリが2年以上続いている旦那(義弟)が、病院からようやく施設に移ることができて、以前は限られていた面会時間もたっぷり使えるようになった、と声が明るかった。妹の上の娘も体調不良だというから心配していたら、回復して仕事復帰ができているらしい。時間的に余裕ができたよ、というのはまたどこかへ旅行に行こう、ということかと思うので、弟と相談しよう。

 

 今週、頼んでいたことがあって娘が来ることになっているが、まだいつ来るのか連絡はない。先月息子夫婦が来たときに娘に来るように声をかけなかった。どうしても娘に手伝いばかりさせてしまうので済まないと思ったのだが、息子夫婦は会いたかったようだし、娘も多分どうして声をかけてくれなかったのか、と思っているかもしれない。浅はかな気遣いであったと後悔している。

 

 妻の病院から電話があり、病棟が変わったとのこと。特に症状に変わりはなく、病院側の都合だというから安心した。一度様子を見に行かなければ。会えばまた何やらかにやら頼まれるのは煩わしいが、人生は煩わしいことで成り立っていて、それが生きているということでもあると思い直す。黒澤明の『生きる』という映画は未見だが、それをイギリスでリメイクした『生きる LIVING』という2022年の映画を見た。いろいろ考えさせられた。感想がまとまったら次のブログに書こうかと思う。

仕事だから?役割だから?

 本当のことを一番知っている立場であろうと思われるのに、平然と知らぬ顔をしたり嘘がつける人というのがいて、見ていてこちらの心がねじくれてくるような気がしてくる。知っているはずと思うが実は知らなかったり、自分の言っていることを疑うことなく信じ込んでいるのかもしれないが、本当のことは知らない。

 

 最近はテレビなどでそういう人を見聞きすることがどんどん増えている気がするが、世の中というのは元々そうなのか。元々そうなら、世の中というのは恥知らずがいるのが特別なことではなく、それでも世の中は回ってきたということで、これからを取り立てて心配する必要はないのかもしれない。しかし、恥知らずが増えている、それもどんどん増えているのであれば、それはゆゆしきことである。

 

 一番わかりやすいものをあげれば、中国外交部の報道官とやらが、いかにも自分の言うことが正しい、と無表情に言う姿だ。無表情なのは表情に気持ちが表れるのを押し殺す訓練を受けて、それが身についてしまったからだろう。苦虫をかみつぶした顔を仮面のようにかぶっているのを見せられることもある。せめてにこやかに嘘をついてくれると、いかにもとってつけたようでわかりやすいのだが、それはまずいと承知しているのであろう。それなら岸田首相が時折見せるゆがんだ笑いはお粗末だ。

 

 平然と、誰にもわかる嘘をつき続けると、その嘘を信じるようになる。信じるための屁理屈を自ら作り出す。嘘をつくストレスを回避するための精神の防衛が働くのだろう。そんなことをしなくても、耐えがたいストレスに遭わないためにそんな嘘をつかなければ良いのに、と思うけれど、立場や役割というのは、そういう嘘を強要されるものなのだろうか。

 

 現役時代のことを思い出そうとしたが、はるか昔のことで思い出すことができない。いやなことを思い出させないための防御機構が働いたらしい。

2024年3月 3日 (日)

『夢応の鯉魚』

 『雨月物語』の中の『夢応の鯉魚』を読む。夢応とは人名ではなく、夢の中で感応する、という意味である。昔、三井寺(正式名は園城寺・大津にある)に興義という僧がいて、絵が巧みだった。慈悲心も深く、琵琶湖で漁師の網に魚がかかると銭を渡して放してやり、その魚の絵を精妙に描いたりしていた。時には夢に魚になって泳いだりして、そのときの様子を絵に描いたりした。

 

 あるとき病にかかり、七日後に息絶えた。しかし胸のあたりがかすかに温かいままなので、葬らずに様子を見ていたら、三日後に突然息を吹き返して、突然徒弟たちにあることを命じ、そのあと自分が体験した不思議な物語をする、という話である。

 

 この話にそっくりなものを以前中国の伝記集で読んだ記憶があり、調べたら、『唐宋伝奇集』に収められていたのを読んだことがわかった。元々は『続玄怪録』という本に収められていたものらしい。こちらの主人公は薛偉といい、画家ではないが、同様の体験をする。この話を底本として上田秋成が『夢応の鯉魚』という話に仕立て上げたようだ。

 

 ところで『夢応の鯉魚』の話の最後に、興義の弟子の成光の逸話が記されている。この話の原点は注釈にあるとおり、『古今著聞集』に収められている。とても短いので引用する。

 

 成光、閑院の障子に鶏をかきたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は、三井寺の僧興義が弟子になん侍りける。

 

 『平家物語』でちょうど以仁王や源三位頼政たちが三井寺に逃げ込んで加勢を求めたところを読んだばかりなので、感慨が深い。まだいったことがないので、一度三井寺を訪ねてみようと思った。

『浅茅が宿』

 『雨月物語』の中で私が一番好きな話である『浅茅が宿』を読んだ。秋には必ず帰ると言って、都へ商売に行った夫・勝四郎を待つ妻の宮木だったが、時は応仁の乱に続く戦乱の世となり、勝四郎は帰ることができなくなり、そのまま成り行きで七年の歳月が過ぎてしまう。ようよう帰り着いた我が家に待って居たのは・・・。

 

 映画『雨月物語』はこの話をベースに作られていた記憶がある。勝四郎を森雅之が演じていたはずだ。相手役は京マチ子で、この人は映し方ではとてもこわい女性を演じることができる。『妖婆』という映画(原案は芥川龍之介の小説)の京マチ子は悪夢を見る程こわい。

 

 『浅茅が宿』の話自体はそれほどこわい話ではなく、どちらかというと悲しい話だ。怨みはあっても祟るということではないからだ。まだ大人になる前、初めて読んだときも宮木の絶望の深さを感じたが、今回はその時代背景をよく知るようになっているからひとしおその思いを深くした。怖いといえば『蛇性の淫』の方に怖さを感じる。あとで読むつもりだけれど。

 

 話の最後に、この『浅茅が宿』の舞台が下総の葛飾郡真間であることから、真間の手児奈の話が添えられている。この話も初めて読んでから頭にこびりついていて、この哀話は全国各地に類似の哀話があるのでそのたびに思い出す。

 

 真間という地は、今は市川市になり、京成線に市川真間という駅がある。若い頃、そこに先輩の住むアパートがあって入り浸ったが、ここが真間というところかと、雨月物語を思い出したりしたものだ。真間から江戸川沿いに少し遡上すれば矢切で、矢切の渡しを渡ればそこは寅さんの柴又である。

唇が

 唇とその周りがヒリヒリする。

 

 今頃は白菜がうまい。白菜を買ったら葉先の方は塩をしてビニールの袋に入れて冷蔵庫に保存しておき、料理に使う。葉の方だから火がすぐ通るし、生のままのものよりもおいしく食べられる。下の方を塩をして漬物にする。昔は白菜の漬け物は葉の方が好きだったが、今は白いところの方が甘くてうまいと思う。唐辛子を適当に入れる。雲南の唐辛子を刻んだものが売られていて、種を取らなくても好いから便利で重宝していたが、なくなったのでまた買おうと思って、ふと一昨年田舎の道の駅で買った唐辛子の束があることを思いだした。

 

 一昨年のものだから辛みが飛んでいるかも知らないが、もったいないので使うことにした。種は取らなければ食べるときにうっとうしい。そのままバラして種を取った。そして今日漬けた白菜にそれを使った。そうして手を洗った直後に口元を触ったら、ヒリヒリとしたのだ。

 

 唐辛子は十分辛さを保っているようだ。効かないかもしれないと思って少したっぷり使ったから、もしかしたらとても辛いものを楽しめるかもしれない。この時期ならあさっての昼過ぎには漬かったものを楽しめるだろう。だいたい一度漬けたら三日あまりかけて食べ尽くす。私の好みの加減に漬かるのに丸二日だから、それを見はからいながら楽しんでいる。今年の白菜は高いけれど、出来合いのものを食べると思えば安いものだ。朝のうちにスーパーの棚に列んだばかりの、新鮮な白菜を漬ける程おいしい。この頃は塩加減をなるべく控えるように心がけている。

2024年3月 2日 (土)

『平家物語』を読み進める

 午後はサラ・ブライトマンの歌などが収録されている『AURA』というCDのアルバムを聴きながらぼんやりしていた。金沢に単身赴任時代に取引先の商社の人が、私が好きだと言ったら竹内マリアの新譜のアルバムを貸してくれたりして、そのときにこの『AURA』というアルバムも貸してもらい、その後気に入ったので自分で購入したものだ。

 

 ぼんやりばかりしているとついうとうとしてしまうので、『平家物語』の巻の四を引き続き読み進めた。

 

 源三位頼政が高倉の宮(以仁王・もちひとおう)に平家追討の令旨を賜るようもちかけ、ようやくのことにそれを賜ると、全国にいる、平氏によって不遇を託つ武士たちに回状が廻される。清盛の長男、平重盛によってかろうじて抑えられていた平家の横暴が、彼の死によって歯止めがきかなくなり、平氏の様々な理不尽な行動が平家への恨みになって、ついに平家打倒の狼煙が上がったのだ。

 

 しかしその高倉の宮、そして源三位頼政の行動は平氏の知るところとなり、清盛によって討手(清盛の次男宗盛など)が差し向けられる。以仁王はとりあえず三井寺に身を移すが、三井寺からの協力要請を延暦寺は拒否、興福寺は協力を受け入れたがいつまで経っても頼みの僧兵などの軍勢はやってこない。平氏の軍勢を止めきれずに以仁王側は宇治川を渡って平等院に立てこもる。そこでの両軍の激突の様子が、この『平家物語』での軍と軍との最初の戦闘シーンとなる。

 

 以仁王は後白河法皇の次男であり、後白河法皇の長男は二条天皇、二条天皇を継いだのはその息子の六条天皇である。六条天皇の即位はわずか二歳の時であり、その後、後白河法皇により譲位を強いられ、二条天皇の異腹の弟である高倉天皇に位を譲る。以仁王は高倉の宮と呼ばれたが、この高倉天皇とはもちろん別人である。ややこしい。この経緯については平氏の働きかけがあった。平清盛の妹・時子は後白河法皇との間に高倉天皇を産んだ。これが建春門院で、特に彼女に嫌われたのが以仁王だったと言われている。自分の息子の高倉天皇よりも優れた人物だったからではないか、とも言うがそういうこともあったかもしれない。

 

 その高倉天皇の中宮として送り込まれたのが清盛の娘である徳子で、そこで生まれたのが悲劇の天皇・安徳天皇である。徳子はすなわち建礼門院である。高倉天皇も若くして譲位を強いられ、乳飲み子の安徳天皇が即位することになった。

 

 源三位頼政は源氏の一族でありながら、どうしてほとんど唯一平氏方に与して政権側に生き延びていたのか、そしてどうして反平氏の先駆けとなったのか、その辺がわからなかったから、裏切りの裏切りの人物かとも思っていたが、彼は彼なりの自分の論理を貫き通したことがこの巻の四を読んでわかった気がする。頼政一族、そして以仁王は平家に敗れて壊滅するが、そこに発した平家打倒の火は次第に燎原の火のように燃え広がってゆく。

 

 面白いなあ。元々平家物語は琵琶法師の弾く琵琶に合わせた語りであるから、その軍勢の衣装や人物、合戦の様子がやや誇張して語られていて、読んでいてその調子の良さに興奮するのである。

 歴史に詳しい人には周知のことで、興味のない人には何のことやらであろうが、私なりにここに書き留めることでざる頭に記憶をとどめようとしているので、お付き合い戴いて恐縮である。

きんぷくりん

 めったに聞くことはないものの、講談の軍記物などを聴いていて「きんぷくりん」という言葉が耳に残ったことがある。特に調べたことがないから謎の言葉のままであった。いま平家物語を読んでいて、巻の四の中で黄覆輪(きふくりん)という文字を見て、もしやと思って注釈を読むと、金覆輪ともいうとあって、金で縁取りした鞍のことだとわかった。長年の疑問が解けた。

 

 切妻、とか唐破風とか、そういう言葉の意味もちゃんと理解したのはずいぶん後のことであった。ともに屋根の形のことであるが、知っていて当たり前の言葉もあり、知らなくても生活に差し支えのない言葉もある。そういうことを必要不必要で分けていけば、言葉の廃れていくスピードは加速する。言葉の廃れは文化の廃れである。古文が普段の生活に必要かどうかで授業からなくすということの深刻さをもう少し真剣に考えた方が良い。

 

 自分の無知をあえてさらして、ふたたび云爾。

 

*云爾は「しかいう」と読む。山本夏彦がたまに使っているのを見て覚えたが、使うのは初めてで、その真似である。言葉は使わなければ滅び、滅びかけた、またはほとんど滅びてしまったものをあえて私は使うのだ、というのが山本夏彦だった。文末につけて、これこれ申し上げました、とでもいうほどの意味か。ふたたび、というのは少し前にこの古文の必要不必要について書いたからである。

戦略がない

 今日は寒いらしい。先日行った温泉も雪の中だろう。奥飛騨から北陸にかけて冬タイヤが必要だという。能登地震の被災地の人やボランティアの人は大変だろうと思う。千葉の地震が続いている。さらに大きな地震の予告編でなければ良いと心配している。

 

 いろいろなことで腹の立つことが多くて気持ちが安定しない。日本の政治のお粗末さにあきれているし、相変わらずの予算案を人質にした野党の攻撃にもうんざりする。自民党よりも自分たちが政権を取ればどんなことが期待できるのか、それを国民にどうして伝えようと努力しないのか。政倫審がこんなていたらくなのは予想されたことで、それ以上のことは何も出てこないだろうと、醒めた目で見ている人は多いだろう。

 

 無意味な予算審議引き延ばしをしても最後は押し切られるだけだろう。その引き延ばしの様子を見て、国民は自民党と野党のどちらに反発を感じるのか。野党の中にもその反発の方を懸念する党が出てきているという。自民党は大事な能登半島地震の復興予算を含む予算審議を、野党がいたずらに遅らせているとアピールすることで、野党に反発を感じさせる印象操作を行うだろう。それは事実でもある。

 

 選挙で多少は有利になりそうな情勢を、これではだんだんチャンスを失う方向に進めているようなもので、野党を支持したいわけではないが、あまりにお粗末な、その戦略のなさにあきれているところだ。自民党はだめだが、野党はもっとだめだなと思われるだけで、ますます政治離れが進んで、その結果、突然憂国の独裁者が出て絶大な支持が集まる下地ができているのかもしれない。恐ろしいことだ。

2024年3月 1日 (金)

読み書き算盤はできるのか

 古文の授業は必要か否か、という論議が盛り上がっているそうだ。直接は知らないが、落語家の志らくがそれについて正論を述べていたが、その記事を確認しようとしたら見当たらないので何を言っていたか忘れた。不要だ、という人たちは、人生で古文が必要だったことなどないと語っているようだ。どこかで聞いたことがある。数学なんて四則の計算さえできれば、ほかは人生で使うことはないという論だ。そんな理屈でいくと、難しい漢字も知らなくて好い、人生で必要がないものはわざわざ時間をかけ、苦労して学ぶ必要がないという極論になる。

 

 志らくの正論は最後に、そうやって何でもかでも必要か必要でないか、極論すれば損か得かで語るのはいかがなものかと思う、ということで、全く同感である。私も知識の習得を損得で考える風潮にはうんざりしている。そもそもそういうことを言う人間は読み書き算盤、つまり正しく書けて読めて、計算ができるのか甚だ疑わしい。ただ面倒だから、難しいことを覚えたり考えたりするのがいやだから、というだけのことで不必要だといっている場合がほとんどではないのか。いやなことに努力したり時間を割くのは自分にとって損だと思うのだろう。ではその代わりに何をするのか、胸を張っていえることがあるのか。

 

 このところ古典の本を読んでいる。私が高校時代に古文の授業が大嫌いだった事は少し前に書いたが、今読めば古典はとても面白い。古文の素養があって古い文章も読めるし、歴史についての認識も深まる。自分が日本人であることの意味が多少わかるようになる。自分が今あることについての意味を知ることこそが人間であることの原点ではないかとさえ思うが、それは損得や必要不必要という考えとはなじまない。

 

 これは極論だが、それほど勉強したくなければ中学を出たら働けば良いのだ。それまでに読み書き算盤くらいは身につくはずで、ただ生きていくのに「必要」な事は学べる。ではどうして「不必要」なことを教える高校や大学に行くのだ。学びたくなかったら学ばなければ良い。ただ生きているだけの人生を送れば良い。それなのになぜわざわざ他人に古文が必要がない、などというのだ。余計なお世話ではないか。そうして流れに流される水草みたいに生きれば良い。権力者にとってこんなに都合のいい、楽な国民はいないだろう。

 もしかしたら文科省が「不必要」な科目を強制する大本だと思われているのではないか。とんでもない、「必要」をすべての基準にして教育をゆがめているのが文科省なのだ、と私には思える。企業からの要請なのだろう。教育界はそれを唯々諾々と受け入れていて、教育の何たるかについて見失い、自らの矜持を失っているのではないかと思う。私が敬意を払っている賢人たちが、教科書から文豪の名文をどんどんなくしていくという国語教育の劣化を嘆いているのも、文科省の「不必要」という判断によるらしいのだから。

『生命をあずける』

 レクチャーブックシリーズ、1979年に出版された、分子生物学者渡辺格と博覧強記のSF作家小松左京による、丁々発止の対談を収めた、分子生物学講義『生命をあずける』という本を読んだ。ここに書かれている分子生物学の知見は、現在ではさらにはるかに進んでいるものと思うが、それでも二人のハイレベルのやりとりにはほとんどついて行くことができない。知識のないのが情けない。

 

 生物とは何か、生物と機械は同じか違うのか、そういう本質的なことをとことん追求していくと、分子生物学という、生物学と化学にまたがった学問になっていく。この本ではその辺のその時点での最先端の知見とその限界について踏み込んでいく。そしてさらに未来に向けて物理学も取り込んでいかないと生命は見えてこないのではないか、とまで言及している。そうなのかもしれない。

 

 物理学が極大と極小、つまり宇宙と素粒子を追求し、さらに時空まで統合しようとしているように、多分どの学問も究極を追究していくと案外収斂するものがあるのかもしれない。そんなことを思わせるのは、私が小松左京の傑作だと思う中編SF『神への長い道』を連想したからだ。この対談の中で小松左京は、今なら(その当時でも)倫理的に問題があると非難されそうな実験のアイデアをいくつか語っているが、もちろんそれはSF作家としての空想的な発想である。とはいえ、中国やロシアなら、いやアメリカこそ、すでに密かに研究が進められているかもしれない。

 

 繰り返すが、理解するにはこちらの知識が足らなくて理解が不十分な部分が多かった。それでも最後まで読み切れたのは大事なことが書かれているような気がしたからで、これから生物学の新しいニュースがあれば、それを興味深く見ることができると思う。

千葉東方沖地震

 千葉県の東方沖を震源とする地震が頻発していて心配している。九十九里あたりの地域は、まさに私の生まれ育ったところだからで、震度4の場所はみな私にはなじみの地名である。弟や妹は同じ千葉県でも、東方ではなくどちらかと言えば東京湾側だから、まだそれほどの揺れではないようだ。わざわざ電話するのも大げさかと思って様子を見ている。

 

 マグニチュード5前後の揺れが頻発するというのは、地下の地盤にたまったひずみのエネルギーの放出が小出しに起きていると言うことで、大きなひずみであれば、この程度の揺れが何回あったところでそれで治まると言うことはないとも考えられる。能登地震の例でもわかるとおりだ。まだまだこれからかもしれない。

 

 元々千葉県は地震の多いところで、住んでいた実家の屋根瓦が落ちたこともある。自分でブルーシートを買いに行って屋根にかぶせた。瓦屋が来て瓦を乗せ直したのはずいぶん経ってからだった。同じ街に妻の実家もあった。東日本大震災の時にはたまたま妻の実家に居て、棚から本や何やらが落ちたが、タンスや本箱が倒れるまでのことはなかった。私は二階に居て、揺れている間は階段を降りるどころではなかった。多少は地震になれているところがある地域だが、それでもこれが警告の揺れとして、できるだけ備えをしてほしいと思う。そんなことを言っている私が今居る場所だって何があるかわからないのがこの日本だ。

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