記憶
無意識に行っていることは記憶に残りにくいか、全く残らないそうだ。脳の記憶の容量には限界があるので、記憶しておく必要がないと判断したことは記憶に残さないのだという。ドアを閉めただろうか、車のキーはかけただろうかと不安になり、繰り返し確認が必要になる不安神経症は、そもそもドアを閉めたりキーをかけたりすることが、して当然の行為として無意識に行われていることによって記憶に残らないために、あたかも行為そのものを忘れたのではないかという不安を生むためだという。だから確認の時に意識的に別の行動をすると記憶に残る。指差称呼などはそのために行うものだそうだ。
難読漢字の問題を解いていて、自分の記憶に不安を感じた。覚えているはずの漢字を忘れてしまったということではない。表のページに二十問ほどの問題があり、裏にその答である読みとその意味が記されている。一通り表の問題を答えてから裏を見て確認するのだが、答を見て問題の記憶が照応しないものがある。そんな問題あったかな、ということがしばしばあるのだ。さっき読み解いたものが、裏を返しているわずかな間に記憶から消失している。不安を感じるではないか。
改めて考えると、忘れているものはたいてい易しい問題ばかりで、ちょっと考えたりわからなかった問題を忘れていることはないのに気がついた。易しすぎる問題は私の脳が記憶に値しないと判断したのだろう。私の記憶が危うくなったのではないと思う。それにしても数分で消失するかなあ・・・。
こんなことでは、問題意識を持たなかったことはすべて頭を素通りしているのだろう。自称ざる頭は本物のようだ。素通りしていることにこそ大事なことがあったのかもしれないのに。人間というものはそういう雑なものなのだろうか。それとも私だけ?
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その事で私も今不安に陥っています。
夜の9時頃、家の戸締りをし始めるのですが、これが一度では収まりません。夫が施設に入居してから戸締りの確認が神経質になって、必ずといっていいほど2度確認しています。その前には戸締りは1度でOKだったのに、です。
2度の確認で「あ!ここはまだ戸締りが出来ていなかった。」という事は一度もありません。それなのに、見回りが1度だけでは不安になっています。
一人になったせいなのか、または高齢で何事にも不安を感じるようになった?のか。他の同年代の方はいかがでしょうね。。。といっても、これはまだお若いあなた様に問うことではなかったですね(^^)
投稿: おキヨ | 2024年3月21日 (木) 12時02分
おキヨ様
お若くはないですが、遠出の途上に戸締まりしたかどうか、電気やガスをつけっぱなしではないか心配になることがしばしばあります。
遠くまで行ったところで不安になっても引き返すのは業腹です。
仕方がないので娘に確認してもらったこともありました。
うっかり忘れていた、ということは一度もありません。
やったことが記憶に残っていないのですね。
投稿: OKCHAN | 2024年3月21日 (木) 12時24分