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2024年3月25日 (月)

依存症

 大谷の通訳はギャンブル依存症のために大変な結果を生んだ。残念を通り越してその迷惑のかけ方に怒りを覚える。私は、この依存症、という言葉にいささか疑念を抱かざるを得ないでいる。自分ではやめようと思いながら、病気であるからどうしてもやめられないのが依存症なのだという。専門家が言い、みなが認めるのだからそうなのだろう。しかし私には、結果が原因を説明しているだけではないかと思える。やめられる人はやめられるのに、やめられなかったから病気だ、病気だからやめられなかったのだ、というだけのことではないか。アルコール依存症、小児性愛依存症、麻薬依存症、なんにでも依存症と付けようと思えば付けられてしまわないか。

 

 精神医療は自分のテリトリーを増やすことに汲々として、何でもかんでも精神の変調や偏重にしてしまうところがありはしないか。確かに精神の病というのはある。精神の病は健全な人には理解を超えるものだから病気なのだとも承知している。しかしその適用範囲をあまりに広げすぎてしまえば、何でもかんでも病気のせいにしてしまうことになりかねない。もう少し病の範囲を明らかなものに限定した方が善いのではないか。

 

 犯罪行為が精神の病のせいだとして免罪され、治療が済んだとして世に出て再び三度(みたび)、人に危害が加えられた例をどれほど見せられてきたことか。病だ、と判定したのであれば病だったのだろう。しかしその病が治った、もう問題はないと判断したのも精神科の医師の判断だろう。治ったはずが治っていないなら、そもそも病そのものを判断する力があったのかどうか。

 

 とはいえ、「・・・病」と「・・・症」は意味が違うことは多少ながらわかっているつもりだ。依存症は免罪符にはならないと私は考える。ときに実害はあるのだから責任はあり、病気だから仕方がないでは許されないということだ。全面的に病気に支配されているならそれは「・・・症」ではなく「・・・病」である。当面は社会不適応者としての扱いが必要だろう。

 

 その分野に少し興味があるから、ちょっとだけ本を読んだという程度の知識から思ったことを書き散らした妄言なので、不快に思われたらご容赦いただきたい。

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コメント

こんにちは
確かに今は「え?これも病気なの?」というものまで「〇〇病」や「〇〇症」そして「〇〇障害」などとあたかも医療が必要な状態だと言わんがばかりに付けられています。
特に精神系のそれを考えれば、それだけ脳というものがわかっていないのだ、という査証になるのでしょう。お話にあったギャンブル依存症なども脳のどこの障害などでそれが起こるのかが分からないと言いますし、それだからこそ面に見える現象だけで病名を付けるのでしょう。
余談ですが、犯罪者になりやすい、とされる反社会的人格障害(これも”障害”ですね)と雖も全員が全員犯罪者になるわけではなく、逆にそれを活かして社会的地位を得られる人もいるそうです。こう考えると一概に、とは言えませんね・・・。
では、
shinzei拝

shinzei様
病気が存在することは認めますが、精神科医がカバーすると主張する範囲が本当にすべて医療の対象なのかどうかが疑わしいと思っています。
商売の手を広げすぎているし、責任をとれそうもないことに介入しすぎではないか、と危惧しています。
正直にわからないことはわからない、この治療は試しに行っているのだ、と認めるところから始めるべきだと思っています。

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