出来れば
出したらしまうという当たり前のことができている人の周りは、いつも気持ちよく片付いている。どうして自分はそれが出来ないのかと情けなくなる思いをするのは、積もり積もって収拾がつかなくなるからだ。カミュの寓話にもなったシジュホスの神話のように、神の怒りを買って永遠に終わらない苦行を強いられている気もする。しかしその原因は自分である。誰のせいにすることも出来ない。
いま終わらない片付けを続けながら、一度すべて片付いたら、今度は「出したらしまう」を励行するぞ、と思っているけれど、それが出来れば苦労はない。また岩は転げ落ちるだろう。
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