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2024年3月24日 (日)

寒苦鳥

 『平家物語』の巻八を読み終えた。京の都は木曽義仲の制するところとなり、平家は都落ちして西海(九州)に向かう。九州に落ち延びた平家は太宰府を拠点にすることにしたのだが、平家の支配下だったはずの地で反旗を翻され、やむなく屋島へ逃れる。再び兵力を蓄えながら四国から水島へ上陸、旧都の福原を目指す。その間に後白河法皇は木曽義仲ではなく、鎌倉の源頼朝を征夷大将軍に任じ、源氏のトップは頼朝にあることを明示する。

 

 もともと木曽義仲軍には内訌もあり、しかも急激な侵攻のために兵糧もなく、略奪行為をせざるを得ず、また、都ぶりとはほど遠い義仲の、武断的性格が災いして都で様々な問題が頻出する。たしか吉川英治の『新平家物語』では、義仲の様々な問題は、敵対者の意図的な策謀ではなかったか、という義仲に対する好意的見方をしていた記憶がある。私も木曽義仲に思い入れもあるから、そう思いたいところがある。

 

 後白河法皇も情勢を見、取り巻きの意見を取り入れ、比叡山や三井寺(園城寺)などを頼りに義仲追放を画策するのだが、義仲に一蹴され、逆に法皇も天皇も幽閉されてしまう。しかし数多くいた義仲に付き従っていた北国の武士たちは、都に居続けずに引き上げていく。都は飢饉などで大軍が駐留することは不可能だったのだ。情勢を見て周辺で義仲に反旗を翻す動きが盛んになるころ、頼朝は弟の義経を義仲追討軍として派遣し、都に迫ろうとしていた。

 

 寒苦鳥というのは、平家のありさまをたとえるために、巻九の冒頭に出てくる鳥の名前で、インドの大雪山(ヒマラヤ)に棲むという想像上の鳥。夜は寒さに苦しんで、夜が明けたら巣を作ろうと鳴くが、朝になれば夜の苦しみを忘れて巣を作らず、怠けるという。仏の教えの中で、成道(じょうどう)を求めない衆生の懈怠をたとえている、のだそうだ。人間というのはまことに寒苦鳥だ、私も寒苦鳥だ。

 

 ところで平家とともに安徳天皇が都落ちしてしまったので、都には天皇が不在であった。そこで擁立されたのが異母兄弟の後鳥羽天皇であった。安徳天皇も後鳥羽天皇も高倉天皇の子供である。つまり後白河法皇の孫である。後の後鳥羽上皇はこのときに天皇に即位していたのだ。知らなかった。それに平家の主力軍が一度九州に上陸して拠点を構えるところまでいったことも知らなかった。本当に我ながらものを知らないなあ。

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