師
若いときは同じ本をまた読むなどということはあまりなかったが、今は同じ本を二度三度と読むことが増えた。若いときは雑に読んでいた、と思っていたが、読んだ本のことを書いた手帳をのぞくと、思いのほかに本質を突いた読み方をしていたことに驚く。ただ、様々なことをその頃よりは知っていることで、いまはそれらを関連させて考えることが出来る分、読み方は深くなっていると思う。限られた時間で書かれていることを把握する読み方から、書かれていることの意味を考える読み方に変わったといえば体裁は良い。読むのは遅くなった。
同じ本を読んで考える。なじむほど理解が進んで深く考えられる。高校時代に、現役の作家でもあった現代国語の先生から、教科書にあった中島敦の『山月記』だけを半年近く徹底的に講義された。一字一句までとことん味わう尽くす読み方を教えられた。出だしの数行はいまでも記憶している。あんな読み方はそれを教えるだけの深い知識のある先生からしか教えられることはないと思うから、大変貴重な経験だった。いまになってそのことがわずかでも私の中で生きていると実感している。師とはそういうものなのだろうと思っている。
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