平時忠
平時忠は平清盛の家系とは遠く離れた別の系譜の平氏の一員である。同母の姉が平時子、つまり清盛の妻、後の二位の尼であり、異母妹が後白河法皇の妻・建春門院である。そういう閨閥により、平家の繁栄の中で高い位について朝廷内での実権を振るっていた。しかし平家の都落ちに従って、ついには壇浦でとらわれの身となる。
平清盛の兄弟、息子や孫の多くは討ち死にするか捕虜になって殺されたが、この平時忠とその息子は配流の身となって命を長らえることが出来た(息子の時実の配流先は別)。それには娘を義経に娶せて助命をはかったという経緯もある。それが頼朝の義経に対する不信のひとつの口実になったとも言われる。
その時忠が配流されたのが能登である。能登半島珠洲には時国家があることはご存じだろう。上時国家の邸宅は今回の地震で倒壊してしまったようだ。まことに残念であるが、この時国家は平時国の系譜で、その時国は時忠の子とされているようだ。
いま『平家物語』の巻の十二を読んでいて、平時忠の配流のところであり、能登地震での時国家の倒壊のことを思い出した。
上時国家玄関。この建物が倒壊した。中は広い。
由緒書き。
邸宅内を撮った一枚。
修復は可能だろうか。心配である。
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