六代の君
『平家物語』巻の十二は少し短いので、一気に読み切った。すでに平家は壇浦で壊滅したけれど、戦後処理が行われていく。頼朝の命を受けた北条時政などによって、平家の血を引く男子は一部の例外を除いて次々に探し出されて殺されていく。幼児であっても容赦はなかった。密告も多数あり、実際に血脈のものではないかもしれない者まで命を奪われていった。人間の醜さがうかがわれる。
この巻では義経が都を追われて落ち延びていく場面も語られる。義経の兄で、平家攻めの総大将だった源範頼も、頼朝の猜疑心によってすでに殺されている。功があることが人望につながり、勢力を持って自分の敵対者になるのではないか、と言うのが頼朝の考え方である。その背景には、貴族政治から武家政治への転換という大事業があり、それには別の権力者の存在は邪魔だったともいえる。平安時代の荘園制度から、次第にそれが形骸化し、院政という不思議な政治手法が続いていた。その集大成が後白河法皇の院政だったが、平清盛によってそれが阻まれた。反平氏の動きはただ源氏再興の思いから起きたものではないようだ。
『平家物語』はそういう政治的な部分はほとんど語らず、ただ栄枯盛衰を語り、因果応報を語る。無常観を語りながらその救いを仏教に求める。冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」という前文の名文が成ってこの物語が成立したともいえる。
巻の十二の過半を、六代の君の運命の物語が占める。六代の君とは、清盛直系の六代御前のことで、清盛の長男重盛、その重盛の長男維盛、さらにその維盛の長男のことである。清盛の祖父、正盛から六代目にあたる。その時十二歳。彼は平家の都落ちに伴われずに、母親と都に残っていた。隠れ潜んでいたが探し出され、北条時政の前に引き据えられる。しかしその時政の前に現れたのは文覚上人であった。文覚は鎌倉の頼朝に願って六代の君を出家させて弟子にするという。
時政の六代の君を伴っての鎌倉への下向が始まる。頼朝が六代の君を殺せというのはわかっている。しかし不憫で殺しかねながらついに足柄に至る。万一文覚が願いを聞き入れてもらったならと望みを持ち続けていたが文覚は現れない。やむなく六代の君を斬ろうとする。そこへ文覚の弟子が早馬に乗って赦免状を届けてくる。
辛くも命が助かった六代の君は都へ帰され、文覚にあずけられるのだが・・・。
頼朝の猜疑心を増幅する様々な出来事が起こる。そもそも頼朝が二位の尼に助命されたから、源氏の再興があり、平家の滅亡があった。六代の君が存命することはその二の舞を生む。こうして結局数年後に六代の君は殺されることになる。はかないことである。
何より哀れなのは、六代の君の母親は、藤原成親の娘であり、藤原成親は鹿ヶ谷の謀議(平家打倒)の首謀者として殺されている。そして夫は平維盛であり、屋島で戦線を離脱して高野山で得度し、熊野詣でしてから入水した。父、夫、そして息子の死という三重の悲劇を体験した女性なのである。そのことを思うと無常感をひとしお感じざるを得ない。
さあ、後は付録ともいうべき『灌頂記』を残すのみ。有名な後白河法皇が寂光院にいる建礼門院を訪ねる場面が描かれる。明日には読み終えられるだろう。
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源氏と平家・・・名前の由来で、源氏の子孫の名は、藤の字が入っていると、聞きました。
例えば、佐藤。
平家の血を絶やしたと言っても、平家の落人として落ち延びた人々がいます。
私の周りに平の字が入っている知人がいます。
平栗・平原・・・平の子孫でしょうか???。
名前の由来を紐解くと歴史が出てきますね。
そういえば
韓国に旅した時・・・渡辺と言うのは韓国人の辺さんが日本に渡ったので付けたと、
韓国人のツアーガイドさんが言っていましたが、本当でしょうか?。
投稿: マーチャン | 2024年4月 1日 (月) 12時15分
マーチャン様
専門的なことは知りませんが、系譜のつながっている人もいるし、明治以降に新たに姓をつけるときにそういう既存の姓を取り入れた人も多いと思います。
金田などの、金という字があると、もともと朝鮮の金という姓だったというひとがあるようですが、ただ、古い歴史のある金田という姓もありますので、決めつけることは出来ませんね。
渡辺の辺には異字がとても多く、それぞれに由緒があるようです。
日本にもともと渡辺という姓があって、辺さんが、渡辺に改姓した場合もあるでしょう。だからといって渡辺が朝鮮系だというのはたぶん違うと思います。
投稿: OKCHAN | 2024年4月 1日 (月) 12時38分